15 術を使えるのは秘密です! その1


 明珠が茶器を載せた盆を持って部屋に戻ると、汚れた服から着替えた英翔が、寝台に上半身を起こして座っていた。


 傷めた左足には、季白が手当てした包帯が巻かれていて、痛々しい。


 寝台から少し離れて、何やら喧々囂々けんけんごうごうと声を荒げていた季白と張宇が、ちらりと明珠に視線を向け、今度は声をひそめてやり合う。


「張宇、あなたがついていながら……」

「蚕家に……」

「いえ、万が一……」


 と、単語の端々が聞こえるが、明珠には二人が深刻な顔で何を言い争っているのか、想像がつかない。


「お待たせいたしました」

「ありがとう」


 盆を卓に置き、茶の入った器を差し出すと、受け取った英翔が、息を吹きかけて冷ましながら飲み始める。


「本当に、申し訳ありませんでした」

 明珠は深々と頭を下げる。


 自分の不注意で英翔に怪我をさせてしまうなんて、申し訳なさで消え入りたくなる。


 頭を下げたまま、上げられないでいると、


「うまかった」


 下げた顔の目の前に、英翔が空の茶器を差し出す。

 反射的に受け取ると、手が空いた英翔に、優しく髪をなでられた。


「お前が謝る必要はない。わたしが怪我をしたのは、自業自得だ。それより、お前は怪我をしなかったか?」


「はい! 英翔様のおかげで、何ともありません!」

 勢いよく顔を上げると、柔らかな笑顔にぶつかった。


「そうか。よかった」

 心から安心した様子の笑顔に、胸が痛くなる。


 どうして英翔はこんなに優しいのだろう? 先ほどお茶を命じたのもきっと、季白の叱責から逃すためだったに違いない。


「英翔様! 私にできることがあれば、何でも言ってくださいね!」


 何か少しでも恩返しがしたくて、気合を込めて告げると、英翔が苦笑する。


「そうだな。では、そこの卓の上の本でも取ってもらおうか。季白達の話は、まだかかりそうだ」


「はい。一番上に載っている『蟲招術秘録ちゅうしょうじゅつひろく』でいいですか? さすが英翔様、ずいぶん難しい本を読んでらっしゃるんですね」


 卓の上の本を取って、英翔に差し出した途端。


 英翔の動きが、凍りつく。

 同時に、明珠も己の失態に気がついた。


「あ、あの、これは……」


「明珠、お前……『蟲語』が読めるのか!?」


 明珠が後ずさりしたのと、身を乗り出した英翔が腕を掴んだのが同時だった。


 英翔が寝台の上で体勢を崩す。


 ぐらりとかしいだ身体を受け止めようとしたが、右手を掴まれていて自由に動かせない。


 さすがに少年の身体を左手一本で支えることはできず――それでも英翔を庇おうと、明珠は身を投げ出した。


「きゃっ!」


 仰向あおむけに倒れた明珠の上に、英翔が落ちてくる。


 子どもとはいえ、そこそこある重さと衝撃に息が詰まり、同時に、英翔は小さな身体で明珠を受け止めようとしてくれたのだと、その勇気に胸が詰まる。


「大丈夫ですか!?」


 身を起こそうとして、思ったより近くに英翔の顔があって驚く。

 こんな時に感心している場合ではないが本当に整った綺麗な顔立ちだ。


「英翔様!?」

「明珠! 何をしているのですか!?」


 張宇と季白が驚いて駆け寄ってくる。


 二人がかりで英翔を抱き上げ、寝台に戻すが、明珠の右手を掴んだ英翔の手は、にかわでくっつけたように離れない。


「明珠! あなたいったい……」


 憤懣ふんまんやるかたない顔で明珠を睨みつける季白を、英翔が片手を上げて制す。


「明珠」


 よく響く声で名を呼ばれ、肩が震える。

 うつむいていると、頬に手を添えられ、無理矢理前を向かされた。


「お前――『術』を使えるな?」

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