13 あなたの願いは何ですか? その2
「英翔様が顔をしかめることがなくなって、もっと年相応の笑顔が増えたらいいなっていうお願いです!」
告げた瞬間、英翔が目を見開く。
ややあって。
「……お前は、本当にお人好しだな」
「?」
なぜか、嬉しそうに笑う英翔と張宇を、明珠は小首を傾げて見返す。
「私、変なことを言いましたか?」
「いや……そんなに、わたしは顔をしかめているか?」
見上げられ、こくこくと頷く。
「よく顔をしかめたり、不機嫌に眉を寄せてらっしゃいますよ? 大人びて見せるために、そんな顔をなさっているのかと思ってましたけど……。もしかして、気づいてらっしゃらないんですか?」
「わたしはそんなに不機嫌そうか?」
と、わざわざ張宇に確認している英翔に、これは気づいていないと確信する。
「もっとにこにこ笑顔で過ごしてください。笑う門には福来ると言いますし。英翔様はせっかく可愛らしいお顔立ちをしているのに、しかめっ面ばっかりじゃ、もったいないですよ? ……もしかして、季白さんにあまり笑うなとでも言われているんですか?」
まさかと思って尋ねたのに、あっさり頷かれて驚く。
「笑うなとは言われていないが、隙を見せるなとは、常々言われているな」
「な……っ! 季白さんは英翔様に厳しすぎじゃありませんか!? こんなお小さい英翔様に、ご無理をさせて……」
「ぶはっ」
横で張宇が吹き出しだが、かまってなどいられない。
「良家の子息として、身につけねばならない振る舞いや知識があるのは、貧乏人の私にだってわかります! でも、英翔様はもうすでに立派に振る舞ってらっしゃるじゃないですか! それなのに、こんなにお可愛らしい英翔様に、あんな厳しい物言いをなさって……」
「え、英翔様が可愛らしい? だ、だめだ、実態との相違がありすぎで、想像力の限界に……っ」
ひいひいと腹を抱える張宇をよそに、明珠はここぞとばかりに季白への不満をぶちまける。
「英翔様の可愛いおねだりにも心が動かされないなんて、きっと季白さんは冷血漢に決まってます!」
「誰が、冷血漢ですか」
背後から聞こえたひやりと冷たい声に、息を飲む。反射的に後ずさりしそうになって――つないだままの英翔の手に、力づけられる。
英翔のためにも、ここは引くわけにはいかない。
「季白さんは、英翔様に厳しすぎるという話をしていたんです!」
きっ、と季白の目を睨みつけて告げると、明珠が引きさがると思っていたのか、季白は意外そうに目を見開いた。
「あなたは、英翔様に甘すぎるようですね」
つないだ手を刺すような視線で
「使用人の分際をわきまえなさいと、何度言わせる気です? それとも、言いつけを覚えていられるだけの頭がないんですか?」
「季白、その言い方は……」
張宇が眉をひそめて言いかけたのを遮る。
「使用人だからこそ、主人の幸せを願っているんじゃありませんか!」
「英翔様に誠心誠意つかえようというその姿勢は、褒めてやらなくもありません。お前のような小娘まで心酔させるほど、英翔様のお人柄が素晴らしいと証明されたわけですからね。ですが、英翔様を甘やかすことが英翔様のお幸せにつながるとは思えません。新参者は、おとなしく、わたしの指示に従えばいいのです」
とりつくしまのない季白に、必死で抗弁する。
「けど、厳しく接するばかりじゃ、英翔様のご負担になります! たまには、英翔様に優しくしたっていいじゃないですか! 英翔様の可愛い笑顔を奪わせるわけにはいきません!」
「英翔様の魅力は、お前などに
「事情を知らなくたって、見えることはあります!」
「英翔様がお優しいからと、つけあがっているようですね……。英翔様は誰にでもご寛容です。自分だけが特別だと自惚れるのではありませんよ!」
「わかってます!」
痛いところをつかれ、明珠は反射的に叫び返す。
明珠にとって英翔は大切な弟だが、英翔にとっては単なる侍女にすぎない。
自分が、その他大勢の一人にすぎないことは、重々承知している。けれど。
「英翔様のお幸せを願ったっていいじゃないですか!」
「……これは新手の精神攻撃か何かか? だんだんといたたまれない気持ちになってくるんだが。……おい張宇、笑い過ぎだ」
英翔が、腹を抱えて爆笑している張宇の脇腹に、遠慮のない肘鉄を食らわせる。
「痛いです!」
まだふるふると肩を震わせながら、張宇が目尻に浮かんだ涙をぬぐう。
「つまり、季白も明珠も、英翔様のことが大事で大好きってことじゃないですかね。俺も敬愛してますし」
「……明珠はともかく、大人の男二人に大好きと言われても、気持ち悪いだけだ」
英翔が迷惑そうに顔をしかめる。
「とにかく。目の前でわたしについて言い争いをするくらいなら、二人とも、わたしに直接言いに来い。妙に褒めちぎられると、背中がむずむずする」
「そんな! 英翔様の素晴らしさを褒めたたえるのに、先ほどの言葉ていどでは、到底足りません!」
間髪入れずに返した季白を、英翔は冷たい目で睨みつける。
「黙れ。張宇に蜂蜜の壺を突っ込ませるぞ」
「俺が突っ込むんですか!? 俺に対しても嫌がらせじゃないですか、それ」
「さんざん笑っていた罰だ」
英翔の返事はにべもない。
風向きが悪いと思ったのか、張宇が話題の転換を試みる。
「そういえば、さっき明珠に聞かれていましたけど、結局、英翔様の願いごとはどんなものなんですか?」
「願いごと?」
季白が首を傾げる。
「昇龍の祭りの願いごとだよ。さっき、その話をしていたんだ」
張宇の説明に、季白が小馬鹿にしたように唇を歪める。
「祭りの願いごとですか。くだらない。他力本願にもほどがあります」
「では、季白は願いごとはないのか?」
尋ねた張宇に、季白が生真面目な表情を作る。
「もし、わたしが願いごとをするなら、「英翔様の大願が成就なさいますように!」これに尽きます」
「やめろ、気持ち悪い。お前にまで願ってもらう必要はない」
即座に叩っ斬った英翔に、季白が眉を下げる。
「そんな……っ。英翔様の大願成就を願うことのどこが悪いのですか!?」
「お前の執着心が鬱陶しいと言っているんだ。お前に願ってもらわずとも、自分の願いは自分で叶える」
「さすがです、英翔様!」
「ぶくくくく」
漫才のような二人のやり取りに、張宇が吹き出す。季白が不快げに眉を寄せて張宇を睨みつけた。
「人の願いを聞いて笑っている張宇はどうなのです? さぞ、立派な願いがあるのでしょうね?」
「俺? 俺は……」
英翔と季白を交互に見た張宇が、柔らかな笑みを浮かべる。
「俺も季白と同じです。「英翔様の大願が成就しますように」と。……ただ、季白も同じでしょうが、「英翔様の下で末永くお仕えさせていただきたい」もつけ加えていただければ」
「安心しろ。長くこき使ってやるぞ」
尊大に笑った英翔が、「ふふん」と鼻を鳴らす。だが、その声はどこか嬉しそうだ。
「それで、英翔様ご自身の願いごとは何なんですか?」
明珠が水を向けると、英翔はかぶりを振る。
「ない。さっき言っただろう。願いがあるなら、わたし自身の力で叶える。皇帝の《龍》に運んでもらうなど、当てにはせん」
「素晴らしい心意気です、英翔様! さあ、もう日も暮れてまいりました。中へ入りましょう」
わざわざ英翔と明珠の手を引き離した季白が促す。
「そうですね。すぐに夕食の支度をいたします」
「手伝おう」
四人そろって歩き出す。
と、前を歩いていた英翔が明珠を振り返る。
「どうかなさいましたか?」
「いや」
小首を傾げて問うと、ふい、と視線を逸らされ、前に向き直る。
「もし、一つだけ願うなら……、お前が見せた奇跡をもう一度見せてくれ、だな……」
英翔が唇だけで紡いだ願いは、小さすぎて明珠の耳には届かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます