2 借金を返すための簡単なお仕事です? その2


「で!? 私の奉公先が決まったってどういうこと!?」


 人目がある長屋の前で騒ぐわけにはいかない。


 ひとまず家の中に入り、居間兼寝室兼――つまり、一部屋しかない長屋の中央で、明珠は義父を睨みつけた。


「と、とりあえず肉まんでもどうだ? 腹が空いているだろう? 少し落ち着いて……」


 寒節がふところに抱えていた紙袋から、がさごそと大きな肉まんを取り出して明珠に差し出す。明珠は受け取って、ごく自然に順雪に渡そうとした。


「ほら順雪、食べなさい。あなた、食べ盛りなんだから、しっかり食べてもう少し大きくならないと……」


「め、明珠、待て。順雪には豚の角煮のがあるんだ。ほら順雪。お前、豚の角煮、好きだろう?」


 寒節が慌てて別の肉まんを袋から取り出して、押しつけるように順雪に渡す。


「うん、ありがとう、父さん。僕、豚の角煮大好きなんだ」

 にっこり嬉しそうに笑って肉まんを受け取り、素直に食べ始める順雪を見て、明珠はなんていい子だろうと感心する。


 まだ十一歳の順雪を立派に成人させるためなら、多少の労苦など、いとわない。


 五年前、亡くなった母も、最期まで順雪と明珠の行く末を案じていた。


 明珠は首から下げた母の形見の守り袋を、服の上からそっと握る。母の想いがこもっているのか、握りしめるだけで力が湧いてくる気がする。


 父親は当てにならない。順雪のためにも、姉の自分がしっかりしなくては。


 気合を入れた途端、ぐう、とお腹が鳴り、ぱくりと肉まんをかじる。


 まだ作ってからさほど経っていないのだろう。ほの温かくて、皮はもっちりふんわりしている。中も具がたっぷりだ。明珠がいつも食べているものより、明らかに高級品だ。これも、支度金で買ってきたのだろうか。


(嬉しいけど……。余計なお金を使って買ってこなくったって、家で作ったのに……)


 ついついケチなことを考えてしまうが、隣で順雪が嬉しそうに食べているのを見て、まあいいかと思い直す。


(我ながら単純だけど……順雪の笑顔は値千金だもんね)


 明珠が肉まんを食べるのを、自分も食べながらじっと見つめていた寒節は、明珠が食べ終わったのを見計らって、口を開く。


「その明珠、お前の奉公先だが、町長さんを通じて募集があったんだ」

「町長さん?」


 なら、少なくとも妓館みたいな変な奉公先ではないと安心する。だが、父の口調はどうにも歯切れが悪い。

 それに、町長に仲介を頼むような名家への奉公なら、立候補者が乱立して激戦になるはずだ。あまり評判のよろしくない義父が勝ち取ってこれるとは思えない。


 絶対、何か裏がある。と明珠の勘が囁く。


「奉公先って、どこなの!?」


 ずいっと身を乗り出し、問い詰める。

 ふいっ、と目を逸らした寒節が、小さい声でぼそりと呟く。


「その…………蚕家さんけだ」

「蚕家っ!?」


 すっとんきょうな大声を上げた姉を、順雪がびくりと振り向く。が、今はかまっていられなかった。


「嫌よ! 絶、対、嫌っ! 蚕家になんて、行かないからっ!」


 明珠は一応、術は使えるものの、とてもではないが、術師を名乗れるほどの腕はない。そんな明珠ですら、蚕家の名前は知っている。


 蚕家さんけ――術師の最高峰と呼ばれる名家。

 というか。


「嫌っ! 私、蚕家になんて行かないから! 父さんだって知ってるでしょ!? 母さんが絶対に蚕家には近づくなって――」


 立ち上がり、激情のまま叫んだ明珠は、父の顔が凍りついたのを見て、「しまった」と口をつぐむ。


 父に母の話は禁句だ。


 もともと、優しくて真面目だった父の人柄が変わってしまったのは、五年前、最愛の妻を失くしてからだ。


 父は母を愛しすぎていた。母を亡くしてからこっち、父は無茶な事業に手を出しては借金を作ったり、ろくに働かずやけ酒を飲んだり、まるで生きているのに死んでいるかのような日々を送っている。


「だが……」

 ぼそりと呟いた父の言葉に、暗い情念を感じ、明珠はびくりと肩を震わせる。


「借金はかさむばかりだ。娘がこんなに困窮しているんだ。実の親として、少しくらい援助してくれたって、罰は当たらないだろう? なんてったってあの蚕家だ。金なんてうなるほどある」


(元はといえば、貧乏になったのは全部、父さんの――っ!)

 明珠は口まで出かかった言葉をかろうじて飲み込む。


 明珠と寒節は実の親子ではない。順雪は母・麗珠れいしゅと寒節の間の子だが、明珠は母の連れ子だ。


 母から聞いた明珠の実の父は、当代の宮廷術師であり、蚕家の現当主であるさん遼淵りょうえん――だが、嫡出子ではない。


 血のつながらない娘を見る寒節の目は、暗い。


「なあ、いいだろう? ちょっと父親に言うだけじゃないか。「娘を助けるために金を融通してください」って――」


「嫌よ! 絶対、嫌! なんで会ったこともない人にそんなこと――っ!」


「だが、もう支度金は使ってしまった」


 死刑宣告のように告げられた言葉に、明珠は力なく床に膝をつく。

 そうだ。支度金はもう借金に消えてしまった。奉公に行かなければ、訴えられても文句は言えない。


「姉さん……大丈夫? ぼくなら大丈夫だよ。もっとぼくが働いて……」

 気遣うように肩に触れた順雪の手を、ぎゅっと握る。


「だめよ、順雪。あんたはこれ以上、無理しちゃだめ。あんたには、もっと勉強して、立派な大人になってもらわなきゃ……」


 姉想いの優しい順雪。半分同じ血が流れる、大切なたいせつな弟。

 順雪のためならば、どんな苦難だって乗り越えられる。


 拳を握りしめ、自分自身に言い聞かせるように、強い声を出す。


「――わかった。私、蚕家に奉公に行くわ」

「そうか、明――」


「だけど!」

 喜色を浮かべた義父の顔に、人差し指を突きつける。


「会ったこともない父親に「金を出せ」なんて言わないから! 実の父親に会ってみて……援助を頼むかどうかは、それから決めるわ!」


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