2 借金を返すための簡単なお仕事です? その1


 そもそもの発端は、二日前だった。


順雪じゅんせつから手を放してっ! さっき言ったでしょう! いま父はいないし、払えるお金もないったら!」


 明珠めいじゅは弟の腕を掴んだ借金取りの手をはたき落とし、順雪を背中に庇って、男達を睨みつける。


 古くてぼろぼろの長屋が立ち並ぶ下町の一角。

 人相の悪い四人の借金取りを相手に、明珠は一歩も引くまいと目を怒らせる。長屋の他の住人達は、関わり合いになるまいと、あわてて自分の部屋へと入っていく。


「払えないと言われて、はいそうですかと帰るわけにはいかないんだよ、お嬢ちゃん」

 にやりと笑った借金取りの一人が、無遠慮に明珠の顎を掴んで上を向かせる。

「あんたが代わりに払ってくれたっていいんだぜ? その器量なら、身売りすりゃあ、かなりの金になる」

 明珠は男から目を逸らさぬまま、顎を掴んだ手を振り払う。


「私が身売りしたって、それじゃ借金の半分も返せないでしょう。その後は、私も苦界で借金漬けになって、さらに泥沼になるのよ。そんなの御免だわ!」

「なあに、金持ちの旦那をつかまえて、身請けしてもらえばいいだけじゃねえか。あんたなら、きっと売れっ妓になれるぜ」

「そんな不確実な希望にすがる気なんてないわ!」

「じゃあ、どうやって『確実に』借金を返してくれるんだい?」

 今まで黙っていた借金取りの頭が、口を開く。冷ややかな声音に、明珠は言葉に詰まる。


 渡せるお金があれば、とうに今日の分だと渡して追い払っている。

「こっちだって遊びじゃないんだ。せめて、今月の利子だけでも、もらわなきゃあ、手ぶらで帰るわけにはいかないな」

 四十近い脂ぎった顔が、下劣に歪む。

「あんたが俺達の相手をしてくれるんなら、今月分は利子ことまけてやってもいいぜ」

 周りの子分達がげらげらと下劣に笑う。


「姉さんに手を出したら……っ」


 震えながらも、姉を守ろうと勇気を振り絞って前に出ようとした、十一歳の順雪じゅんせつを止める。


「大丈夫よ。順雪、あんたは奥に行ってなさい」

「でも……」


 心配そうな順雪を振り返り、安心させようと笑顔を浮かべる。


「姉さんは大丈夫だから。ね、ほら奥に」

「うん……」

 不承不承、順雪が古びた長屋の奥へ引っ込む。


 順雪には任せろと言ったものの、何も方策はない。

 最悪、すりこぎでも握りしめて、借金取りを追い回すしかない、と決意した時。


「か、金ならある! ほら、これだけあれば、今月分だけじゃない。来月分もあるだろう!」

 通りの向こうから息せき切って駆けてきた父・寒節かんせつが重そうな布袋を男達に渡す。じゃらりと重い音がする。


 中をのぞきこんだ借金取りが、「おお、こいつは……」と頬を緩ませた。

「そうそう、こうやってちゃあんと返してくれりゃあ、文句はねえんだよ。次からも頼むぜ」

 子分達を引き連れて、借金取りが返っていく。


 呆然とその後ろ姿を見ていた明珠は、はっと我に返るとうっすらと額に汗を浮かべた痩せた父に掴みかかった。

「父さん! 何なのあのお金! いったいどこから!?」

 我が家には、逆立ちしたってあんな大金、出てこない。


(もしかして、また別の所から借金を……っ!)

 恐ろしい想像に血の気が引く明珠から視線を逸らした寒節が、ぼそぼそと答える。


「あれは明珠、お前の支度金だ。喜べ、奉公先が決まったぞ」

「し、支度金!? ほ、奉公って……」


 中身は見てないが、先ほどの袋はかなり重そうだった。中身が全部、銅銭だったとしても、かなりの額だ。そんな支度金をぽんと出すような奉公先なんて。


(私、ほんとに妓館に売られたの……!?)


「ね、姉さん、父さん……」

 叫びそうになった明珠は、後ろからおずおずとかけられた順雪の声に、かろうじて言葉を飲み込む。

 借金ばかり重ねるろくでもない父親だが、さすがに義理の娘を勝手に妓館に売り飛ばす非道ではないと信じたい。


「とりあえず中に入って、説明してちょうだい。――してくれるわよね!?」

 睨みつけてすごむと、寒節は「あ、ああ……」と強張った顔で頷いた。

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