呪われた龍にくちづけを 第一幕 ~特別手当の内容がこんなコトなんて聞いてません!~

綾束 乙

1 雇われる前にクビですか!?


「ねーちゃん、この大根の梅酢漬け、おいしーね!」

「でしょう? 私の一番得意な保存食なんだから。でも、悪いけど、次ので最後ね」


 遅い昼食となった握り飯の最後の欠片を口に放り込んだ楊明珠ようめいじゅは、少年が薄いいちょう切りにした大根を一枚取るのを見てから、使い古した竹筒のふたを閉めた。喜んでくれている少年には悪いが、大事な保存食を全部あげるわけにはいかない。


 暮らしていた町を出て二日。

 明珠は新しい奉公先である蚕家さんけへ赴く途上だった。


 蚕家までは後少しだ。今日はたまたま、蚕家のそばを通るという農夫の親子に出会い、牛がく荷車に乗せてもらえたので助かった。


 好奇心いっぱいで話しかけてくれる少年とおしゃべりしていると、奉公先への不安を感じる暇もなかった。

 もし一人きりで歩いていたら、蚕家に着く前に不安で胃が痛くなっていただろう。明るい少年には感謝しかない。


 林に囲まれた土の道を、のんびりと荷車が進んでいく。

「ねーちゃん、蚕家に行くってほんと?」


 荷車に乗せてもらう時に少年の父親と交わした会話を聞いていたのだろう。少年が好奇心にきらめく目で尋ねてくる。七、八歳くらいの少年の様子に、

(二年くらい前の順雪じゅんせつも、こんな風に好奇心旺盛で可愛かった……)

 と、愛する弟との思い出を反芻はんすうしながら頷く。


「そうよ。新しく侍女として雇ってもらうの」

「すげー! ねーちゃんは術師様こわくないの?」

「怖くないわよ。悪い術師なんて、滅多にいないんだから。特に、蚕家となれば、悪い術師を取り締まる立場でしょう?」


 この世界には、蟲招術ちゅうしゅうじゅつと呼ばれる術がある。常人の目には見えぬ『むし』と呼ばれるモノを召喚し、使役して、嵐や地震など天変地異を予知したり、傷を治したり、常人には不可能なさまざまなことを為す術だ。

 術師になるには、才能が物を言い、なれるのは万人に一人。それゆえ、術師は尊敬されているが、同時に、人々に恐れられてもいる。


 その術師の最高峰が、代々、宮廷術師を輩出している名家中の名家である、蚕家だ。


「ふうん」

 納得したのかしていないのか、よくわからない声を上げた少年は、「それよりもさ」と、いたずらっぽい表情で明珠に身を寄せてくる。


「知ってる? 蚕家の庭には、御神木が植わってるんだよ」

「御神木?」

「そう、その御神木なんだけどさ……」

 少年が、思わせぶりに声をひそめる。


「人間の血が養分なんだって! へまをした召使いは生き埋めにされちゃうらしいよ」


「こら! 滅多なことを言うんでねえ!」

 手綱を持っていた朴訥ぼくとつそうな父親が、血相を変えて息子を叱る。


「そんなことはねえんですよ。子どもがふざけて言ってることで……」

 明珠の口から蚕家に伝わってはと心配しているのだろう。慌てる父親に明珠は笑ってかぶりを振った。


「術師の最高峰、蚕家となれば、虚偽こもごもの噂が流れるんでしょうね」


「あーっ、ねーちゃん信じてないなっ! 十日前だって、蚕家の財宝を狙って賊が入って、捕まった賊は御神木の根元に埋められたって……」


 ぷぅ、と少年が頬を膨らませる。やけに具体的な話に、明珠を視線を父親に向けると、父親は困ったように頭をかいた。


「十日前に、この付近で賊が出たのは本当だべ。身分の高いお方の馬車が襲われて、蚕家の者が助太刀したとかしないとか……。でも、御神木の話は嘘だべ。賊はまだ捕まってねえんだから」

 賊と蚕家のどちらに怯えているのか、農夫が恐ろしげに太い首をすくめる。


 林をしばらく進んだところで、分かれ道にぶつかった。

「すまんが娘さん。乗せてやれるのはここまでだべ。わしらはこっちの村へ続く道だが、蚕家に行くなら、こっちの道だべ。だいぶ遠回りの道だから、蚕家まではまだまだかかっちまうが……」


「いえいえ、ここまで助かりました。ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げた明珠は、 二またに分かれた道の他に、もう一本、細い獣道を見つけた。


「この獣道はどこに続いてるんですか?」

「この道は蚕家の裏口へ続く道だべ。こっちの道の方が、近道だが……。普段は人ひとり通らねえ道だ」


 とは言うものの、今まで誰とも会わなかったことを考えると、大差ないのではなかろうか。


「獣道の方が近いんですか?」

「ああ、ふつうの道なら、蚕家の正門に着くまで、あと一刻(二時間)はかかっちまうが、獣道から裏門へ行くなら、四半刻(約三十分)ばかりで着くだ」


「それなら……」

 獣道の方へ足を向けた明珠の手を、少年が握って引き留める。


「御神木があるのは、裏門の近くだよ。いいの?」

「いいわよ。御神木っていうからには、きっと大きな木なんでしょ? いい目印になるわ」

 強がりでもなく言うと、農夫が感心した顔になる。


「肝っ玉の強い娘さんだな。大丈夫だ。間違っても蚕家を通り過ぎることなんてねえだ。なんてったって、敷地全部がぐるぅりと高い壁で囲まれてるからな」

「いろいろ、親切にありがとうございます」

「じゃあね、ねーちゃん」


 もう一度、丁寧に頭を下げ、ぶんぶんと手を振ってくれる少年に手を振り返して、明珠は荷物を抱えて獣道へ踏み出した。


 ◇ ◇ ◇


(なんでこんなことに……っ!)


 一歩踏み出すたび、道まで伸びた草の葉ががさがさと鳴る。とがった葉が、たくし上げた裾から覗く足をかすめて傷つけるが、かまってなどいられない。


 異変が起こったのは、そろそろ木立の向こうに蚕家の塀が見えようかという頃だった。


 林の奥で何か動いた気がして、いのししか狸だろうかと思わず目を向けた途端――頭の天辺から爪先まで、黒装束の男と、目が合った。男達は、五、六人ほど。


(もしかして、さっき話してた賊……!? っていうか、何で十日経ってもまだいるのよ!?)


 大回りしても、ちゃんとした道を行けばよかったと後悔するが、もう遅い。


(やばい、逃げなきゃ……っ!)


 男達が腰の剣の柄に手をかけたのを見て、ざっと血の気が引く。捕まったら、問答無用で口を封じられるに違いない。

 明珠は身を翻して獣道を駆けた。

 男達が、無言で追ってくる。


 必死で走る。荷物を捨てれば、少しは身軽になるだろうが、全財産をさすがに放り投げられない。


 足の速さには自信がある明珠だが、哀しいかな女と成人男性の差。少しずつ、男達との距離がせばまる。


 息が切れる。心臓が爆発しそうだ。


 揺れる視界に、蚕家の壁が近づく。農夫から聞いた通り、裏門――というには立派な門が見えたが、叩いて暢気のんきに開門など待っていられない。

 壁の向こうにさえ逃げこめば、賊も追ってきまい。


(私は順雪のためにしっかり稼ぐんだから! ここで何かあって支度金を返せと言われても、返す当てもないんだから! お願い母さん、力を貸して――!)


 首から下げている守り袋を引っ張り出す暇さえ惜しくて、着物の上から守り袋に手を伸ばす。

 母の形見の守り袋を握りしめた瞬間、不思議と力が湧いてくる。


「《大いなる彼の眷属よ。その姿を我が前に示したまえ。板蟲ばんちゅうっ!》」


 『蟲語むしご』と呼ばれる独特の言葉で呪文を唱える。

 一瞬、空間が歪んだかと思うと、明珠の足元に現れたのは、『板蟲ばんちゅう』と呼ばれる蟲の一種だ。


 まな板みたいに薄くて平らな胴体の両側に、細長い薄い羽が何対もふよふよとはためいている。

 明珠が知る限り、宙に浮く以外に何ら特別な力があるわけではない蟲だが、性質が温和なのと、頑丈で力持ちのため、荷運びなどには便利な蟲だ。

 明珠が召喚した板蟲は、戸板の半分はある大きさだ。


「《飛んで!》」

 飛び乗りざま、指示を出すと、板蟲がふわりと高度を増す。


 背後で男達がどよめき、またある者は息を飲んだ気配が伝わるが、かまってなどいられない。常人には《蟲》は見えないので、まるで明珠が宙に浮いたように見えるだろう。


(よかった! うまく発動した!)

「《あの塀を乗り越えて、板蟲》」


 明珠の指示に従って、板蟲が羽をはためかせ、更に高度を上げる。明珠は落ちないように板蟲の上にしゃがむ。ゆるゆると動く板蟲の速さがもどかしい。


 板蟲に乗ったまま、塀を乗り越える。塀のすぐ向こうには、気配を感じていた大樹。その脇を通り過ぎようとして、生い茂る枝葉に触れた途端。


「きゃっ!」


 ぐじゃりと泥団子を潰すような感覚とともに、足元から板蟲がかき消え、身体から力が抜ける。


 重力に捕らわれた身体が、枝を折りながら落下する。

 体勢を立て直したいのに、身体中の力が抜かれたように、言うことを聞かない。


(落ち――っ!)


「ぐっ!」


 固く目をつむり、衝撃に耐えようとした明珠は、すぐに違和感に気づく。


 さっきの自分の声ではないうめきは?


「――っ!?」

 息を飲んだのは、自分か、それとも相手か。


 目を開けた明珠は、自分が尻もちをついた見知らぬ青年にのしかかっているのに気がついた。どうやら木の下にいた青年の上に落ちてしまったらしい。


「ごっ、ごめんなさいっ! その、賊が!」


 慌てて青年の上からどこうとするが、身体に力が入らない。それどころか、突然、強制的に術を解除された影響か、落ちた時に頭でもぶつけたのか、めまいがする。気持ち悪くて吐きそうだ。


 まさか、頭上から人が降ってくるとは、予想だにしていなかったのだろう。呆気あっけにとられた顔で明珠を見ていた青年は、「賊」という言葉に過敏に反応した。


「きゃっ!」

 明珠を横抱きにし、素早く立ち上がる。激しい動きに、めまいが更にひどくなる。


 明珠が突っ込んだせいで、枝を揺らす大樹や塀の向こうを、しばし険しい視線で見上げ――、


「賊は、侵入していないようだ」

 静かな声で断言する。


(私……頭を打って、幻を見てるんじゃないわよね?)

 明珠は気持ち悪さに回らない頭で青年を見上げる。


 神仙が住まうという神仙郷に若木の精がいたら、きっとこの青年のようだろう。

 これから雄々しく伸びてゆく若木を連想させるしなやかな身体つき。凛々しい顔立ちは、もう少し柔らかければ、女性と見まごうほど整っている。黒曜石を散りばめたような長い髪は背中で一つに束ねられていた。


 青年の言葉に、ほ、と息をついた明珠は、だが、それどころではないと慌てる。


「本当にすみませんでしたっ! 下ります! 下ろしてくださいっ」

 青年の腕から飛び降りようとして急に動いた途端、ぐらりと視界が回る。


「どこか怪我を!? ひどい顔色だ。紙のようだぞ」

 明珠としては、そのまま地面に放り出してほしかったのだが、青年はそうは考えなかったらしい。


 ぐらりとかしいだ身体を、力強い腕に抱き直される。その拍子に、頬が青年の胸板に触れ――明珠は出そうになった悲鳴を、かろうじて飲み込んだ。


(きゃーっ! 素肌!? なんで素肌!?)


 いちおう明珠だって、十七歳の未婚子女だ。

(なんではだけてるの!? あっ、私がのしかかったせい!? 私のせいなの!? っていうか――)


 初めて触れたから確証はない。だが、芳しい香をきしめられ、明らかに綿とは違うすべらかな感触は――。


(絹っ!? この人、絹の着物きてるの!? いったいどこのお貴族様!?)

 下りることも忘れ、気持ち悪さにかすむ目で青年を見た明珠は、今度こそ、絶叫した。


「きゃ――――っ!」


「どうした!?」

 青年が噛みつくように言う。

 悲鳴の原因は、近づいた青年の顔がとんでもなく整っていたからではなく。


「ふっ、ふく! わたっ、よご……っ」


 衝撃のあまり、言葉が出てこない。

 青年の着物の一部が、べっしょりと薄紅色に濡れていた。犯人は、明珠の荷物に入っていた、大根の梅酢漬けだ。衝撃で使い古した竹筒が壊れたのだろう。


(絹の着物を汚した!? これって弁償いくら……っ!?)

 ざあっ、と全身から音を立てて血の気が引く。

 守り袋を握りしめたままの指先まで一気に凍えて、守り袋の方が温かいくらいだ。


 胃がむかむかする。

頭でも、おなかでも、全身で濁流が暴れ回っているようだ。


(気持ち悪い、だめ、吐きそう……)

 だが、青年の腕の中で吐いたら、被害の拡大は火を見るより明らかだ。


「震えているぞ、ひとまず屋敷へ――」

(いやーっ、揺らさないでーっ!)

 明珠を横抱きにしたまま、青年が駆け出す。


 死んでも吐くものか! と身体に力を入れた瞬間、腹から恐ろしいほどの悪寒が全身を駆け抜けた。


 まるで、底なし沼に捕らわれたように、全身から力が抜け――、

 明珠は、気を失った。


◇ ◇ ◇


 異変を察して駆けつけた張宇ちょううは、神木のそばに立つ青年に、息を飲んだ。

「い、いったい……」

 呟いた声がかすれる。


 目の前にいるのは、もう一度会いたいと願ってやまないその人。

 だが、決して会えないお方。


「わたしも驚いている。いったい何が起こったのか、一切わからん」

 告げられた声に、はっと我に返る。同時に、青年が抱いた少女に気づいた。


「その者は?」

 見知らぬ者への警戒に、反射的に腰にいた剣の柄に手をかける。


「突然、神木から降ってきた。この娘が触れた途端――」

 青年が、しげしげと腕に抱いた娘を見つめる。張宇も、娘を観察した。


 みすぼらしい格好をしているが、愛らしい顔立ちの娘だ。年は十六か十七くらい。絹の衣を着て髪を結えば、名家の令嬢といっても通るかもしれない。

 ただ、今は青白い顔をして、苦しげに眉根が寄っている。


「とにかく、離邸に戻りましょう。季白きはくなら、何かわかるかもしれません。お身体のお調子は?」

「いや、特に悪くはない……と思う」

「その娘は、わたしが預かりましょう」


 青年に近づいた張宇は、さわやかな梅酢の匂いに気がついた。見れば、青年のはだけた着物の合わせが、薄紅に染まっている。


「聞いたことのない、素っ頓狂な悲鳴を上げていたぞ」

 青年が楽しげに喉を鳴らす。


「すぐにお召し替えの用意を致します。さあ、その娘をこちらに」

 張宇が手を差し伸べると、なぜか青年はためらう様子を見せた。


「娘一人くらい、自分で運べる」

「そういう問題ではございません!」


 青年を危険な目に遭わせるような事態は、決して見過ごせない。

 張宇が眼差しに真摯しんしな想いを乗せて青年を見つめると、青年は、見慣れている張宇でさえ見惚れてしまいそうな秀麗な面輪おもわをわずかにしかめた。


「どうしてもか?」

「どうしてもです」

「しかしな」


 お願いだから、そんな顔でこちらを見つめないでほしい。

 敬愛する主の望みならば、何でも叶えたくなってしまう己の心を、張宇は叱咤しったした。


「いけません! 得体の知れない者をおそばに置くなど!」


 張宇の声の厳しさに、己の望みは通らぬと悟ったのだろう。主人が不承不承、差し出した娘の身体を受け取った途端。


 青年の姿が、かき消えた。


「っ!?」

 驚きに身構えた拍子に、娘の両手がだらりと下がり、落ちそうになった荷物をあわてて抱える。


「もう一度、その娘をよこせ」

 子ども特有の、高い声。


 しかめ面をした『少年』が、ずいと両腕を出す。娘の腕を掴んで引っ張られ、張宇は慌ててかぶりを振った。


「無理ですよ! 抱えきれずお倒れになってしまいます!」

「大丈夫だ」

「根拠なく断言されても譲れません!」


 不機嫌極まりない顔をした少年が、やにわに張宇が抱えた娘に抱きつく。見ようによっては、可愛い光景と言えなくもないが。


「……戻らんな」


 少年がぼそりと呟く。

「なぜだ。さっきはいったい、何が起きた……?」


 少年の疑問に、張宇は返す言葉を持たなかった。

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