魔王バルー1


 アイルは夢の中にいた。

 いや、夢なのか何なのか、彼女には判断ができなかった。

 兄に切られた痛みの記憶はまだあり、最後に見た兄の苦しげな笑顔を覚えていた。


「何をしてるんだ!」


 突然兄の声が聞こえ、アイルは振り返る。

 その途端、情景が一気に色づく。


 そこは村の一角だった。 

 村と言っても、アイルの村ではなかったが。

 

「離せ!」


 兄が怒っていて、アイルは自分が怒られているような気持ちになったが、彼は彼女より遠くを睨んでいた。

 何に怒っているのかわからなくて、アイルは兄の視線を追う。


 悲鳴をあげそうになり、アイルは口を押さえた。


 そこには義姉がいた。

 男女に囲まれ、詰られている。

 

「他の村の奴には関係ない。黙ってろ!」


 男の一人がそう言って、ティマの頬を打った。


「このあばずれが。妹の恋人を寝取るなんて!だから、俺は早く追い出そうとしたんだ!街からきた商売女の娘が!」

「メラニーに地面に這って謝りな!」

「できないのか?」

「やめろ!」


 兄バルーはアイルの体を突き抜け、ティマを再び叩こうとした男の手を掴む。

 

「女に手をあげるなんて最低だ!」



 そこで、場面が変わる。

 アイルにも見覚えのある道で、それが彼女の村の近くの森であることに気がつく。


 ――これは、兄さんの記憶?


 バルーとティマは二人で歩いていた。

 側にいるアイルに気がつく様子はなく、これが現実ではないことを物語っていた。ティマが生きていること自体、現実ではないのだから、兄の記憶で間違いないと結論づける。なぜ、自分が兄の記憶を見せられているのか、それは理解できないが、アイルは二人のやりとりに耳をすませることにした。


「助けてくださった上に、私をあの村から出してくださるなんて。でもご迷惑じゃ」

「迷惑なんて、俺は本当に君に惚れたんだ。俺こそを無理やり連れてきて悪かった。戻りたいか?」


 ティマは首を横に振る。


「事情はわからない。だけど君がそんな他人の恋人を取るような人には見えない。あの村の奴らの君に対する態度がひどすぎる!」

「でも、あの」

「言葉使い。君は俺のお嫁さんになるんだから。もっと楽に話して。あと、妹がいるんだ。やんちゃすぎて困るくらいだけど」

「い、妹さん?」

「あ、えっと。とっても優しい妹だ。それは保証する。だから」

「心配しないでください。ちょっと驚いただけですから」

「ティマ。言葉使い」

「すみません」

「謝らなくていい。君は俺の妻で、俺達は対等な関係なんだから」

「はい」

「ティマ」

「え、うん」

「よし。俺のこと、バルーって呼び捨てでよろしく。お嫁さん」

「は、えっと」


 ティマの頬が真っ赤に染まり、熱でもあるのかと思うくらいだった。

 アイルは、二人がそんなやり取りをしながら、帰路に着く姿を静かに見守る。こんな事情があったなんて、彼女は知らなかった。

 けれどもこれで、兄が隣村に行かなくなった本当に理由がわかった気がした。


 ――でもあの日。兄はあの隣の村に行った。姉を助けるために。

近くで薬師がいるのは隣の村だけだったし、街に出るには時間がかかりすぎた。でも結局、兄はすぐに戻ってこなかった。


 あの日、兄は薬師を殴った。その時はただの憤りだと思っていた。その上、兄の気がふれる前の兆候だと思っていた。けれどもこうして事情がわかれば、兄の行動の意味、隣村で何かが起きたことが容易に想像できた。


 彼女がそんなことを悶々と考えてながら、二人の姿を追っているとまた場面が変わった。

 それは隣村で、憔悴したバルーの姿が見える。


「お願いします!村まできてください」

「だめだ。薬師がいない間に村で何かがあったらどうするんだ」

 

 薬師を村に連れて行きたいとバルーが訴えると、すぐに長老と村の年寄りたちが集まった。彼らは、バルーの願いを拒否し、ティマへの非難と、村人を殴った上に許可なくティマを連れ出したバルーへ不満をぶつける。薬師はバルーが殴った村人の友人で、彼にいい感情をもっていない。けれどもバルーは己の矜持を抑えて、頼み込む。


「お願いします。このままじゃ、ティマが!」

「しらんな」

「長老!」


 立ち去ろうとする長老と薬師にバルーが駆け寄る。


「お願いします。なんでもしますから。力を貸してください」

「長老。条件をつけましょう。それを彼が叶えれば、私を彼の村に行かせてください」


 薬師の思わぬ申し出にバルーは期待の目で長老を見る。

 どこの村でもそうだが、村全体は皆親戚だ。薬師と長老の場合、親子、兄弟までではないが、甥と叔父の関係であった。

 彼の提案になんらかの思惑があるはずなのだが、長老は甥の願いということもあり頷いた。


「それでは、あの山にいってきて、魔物を殺してきてくれないか。その肝があればいい薬ができるんだ。もしかしたらティマにも効くかもしれないし」


 薬師の言葉に、長老たちがどよめく。

 魔物など倒そうと思う者は、この村、いや傭兵や戦いを生業としているもの以外、ありえないことであった。村人は魔物に遭遇しないように、注意して山に入る。

 なので、薬師が提示した条件は無理難題としか思えなかった。

 

 だが、バルーは躊躇することなく答えた。


「あの山の魔物といえば、角狼だな。わかった。とってこよう」



 角狼、通常の狼より五倍以上の大きさで、頭の上に角があるのが特徴だ。

 山深くに生息しており、邪魔しなければ、人間が食われたりすることはない。だが、その角を目的で街から時折人がやってきて、山深く入る。六割程度の人間が角狼を狩って戻ってくる。腕に覚えが有る者でも命を落とすことがある。そんな凶暴な生き物だった。だからこそ、人々は角狼を魔物と呼ぶのか。はたまた魔族と同様に角が生えていることから、魔物を呼ぶようになったか、どちらが真実かわからないが、角狼を狩るのが難しいことには変わりない。


「俺はかならず角狼の屍を持ってくる。約束を違えるなよ」


 薬師はおそらくまさか承諾すると思っていなかったのだろう。バルーの言葉に静かに頷くだけだった。


 場面が変わり、あの時の状況がアイルの視界いっぱいに広がる。

 ティマが最後にバルーに声をかけ、ゆっくりと目を閉じる。


 獣のような声をあげて、バルーは嘆き悲しんだ。

 アイルは義姉の最後の儚げな笑みを思い出して、胸を押さえた。


 三年前、彼女は気づいていなかった。

 バルーから離れ、壁側にいた薬師が口元に笑みを浮かべるのを。一瞬だけであったが、それはとても醜くい笑みであった。



「お前が、お前が村に来ることをもっと早く承諾していれば。角狼など必要なかった。お前はわざと時間を遅らせるために、魔物退治を頼んだのだろう!」

「そんなことは、けしてない!」


 アイル側からは見えなかったが、薬師の引きつった顔から兄が恐ろしい形相をしていることが想像できた。

 兄は、薬師を殴りつけ、地面に這いつくばせる。


「兄さん!」


 彼女ではない。しかし、彼女の声がした。そうして、扉を開けアイルが現れる。3年前の己の姿、長い髪の姿が少し眩しくて、彼女は目をそらす。

 長い髪を一つにまとめ、疲れた様子の彼女は、床に這いつくばる薬師の姿と、怒りに燃える兄の姿を交互に見て状況を把握したようだ。


「兄さん、なんで!」


 アイルは非難の声をあげるが、今の彼女にはそれが不当であることがわかる。明らかに薬師の到着が遅れたのは、薬師のバルーへの依頼のせいであった。わざと難解なことをバルーに頼んだことから、意図がはっきりと見える。


 ――この薬師は元から姉さんを助けるつもりなんてなかったんだ。


 悪意を感じ、アイルも薬師を殴りつけたい衝動にかられる。

 けれども、その行動を起こす前に、場面が変わった。

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