奇跡の星
幕開け
まだ日が昇らない薄暗い朝。霧が辺りに立ち込め、目の前のお互いの姿しか確認できない。
玄関口で、ウェルファはしばしの別れを恋人に告げる。送らなくてもいいと伝えたのに、彼の愛しい存在は送ると聞かなかった。
心を通じあわせて、それまでの想いを彼女の小さな身体にぶつけてしまった。気怠そうな彼女に少しだけ申し訳無く思う。
そんな健気な彼女は、笑顔を浮かべて彼を見上げており、愛しさが込み上げてきて、思わず唇を奪った。
「ウェルファ!」
抑えた声で恋人は怒ったように彼の名を呼ぶ。顔は真っ赤で熟れきったトマトのようだった。
「すまない」
とりあえず謝るが、彼は悪いと思っていなかった。
恋人に口付けするのは普通の行為だ。
それはマイリもわかっているようで、ただ赤くなったまま、恥ずかしそうに俯いた。
「マイリ。今日で戦いは終わる。全てが終わるんだ。人間も魔族もきっともう争うことはないだろう」
戦いによって失われた全ての命が蘇る。復讐の意味がなくなるため、戦いはなくなる。
ウェルファもマイリもそう考えていた。
「頑張って。私は何もできないけど」
「マイリは、私の帰りを待ってくれるだけで十分だ。一緒にロウランの町に戻ろう。シランの街にも連れていきたい」
「うん」
マイリはただ頷くだけであったが、顔は再び真っ赤に染まっていた。
そんな彼女を見ていると、またちょっかいを出したくなったが、ウェルファは堪えた。そして、己の精霊を呼び出す。
「タナリ」
石がころりと地面に落ち砂煙が舞い上がり、少年が現れた。相変わらず無口な彼はその真っ黒な瞳をウェルファに向けている。
「ブライに飛んでくれ。金と木の精霊のいるブライへ」
タナリは頷くとすぐに砂塵に変化する。
「マイリ。行って来る」
「うん。気をつけて」
彼女の言葉が終わるや否や、砂塵はウェルファを包むと弾けるように消えた。
「ウェルファ……」
村に再び静寂が戻り、マイリに急に心細くなった。そんな自分が情けなくなって、拳を握る。
「私は、私のやるべきことしなければね」
村人が眠りから覚めるまでまだ時間があった。
それまで、食事の準備でも整えようと彼女は家に戻るために、踵を返す。
「すまないね。お嬢さん」
気配を全く感じさせなかった。男がいつの間に背後に立っており、マイリは何者かと問おうとした。
しかし、声を出す前に、首筋にトンと痛みが走る。同時に彼女の意識はそこで途切れた。力を失い、崩れを落ちる彼女の体を支えたのは、背後に立っていた男だ。
顔に数箇所傷がつき、貫禄がある面構え。明るい茶色の髪は刈上げら、服の上からも見て取れるがっちりした体躯。腰には大きな剣がその存在を主張しており、男の腕前を想像させた。
「卑怯者にはなりたくなったのだがな」
男は溜息混じりにそうつぶやき、そのままマイリの体を軽々と担ぎ上げる。そして村を覆う霧の中に溶けるように姿を消した。
☆
薄暗い森の中に、人がひしめき合っていた。
それは早朝の穏やか空気を熱気で包み、物怖じしてしまったアイルは玄関先で立ち止まる。
人々の中心にいるのは、センミンだ。
ガルシンと何やら話をしている。
「なーんか、いやな雰囲気だね」
そんな彼女の背後から、ふいに声がかけられた。
それは先ほどまだ部屋で寝ていたはずのシアで、いつの間にか服装も整え、杖を片手に集まった人々を眺めていた。
「僕も姉さんに賛成。戦う必要なんてないのに、なんでこんなに集まってるの」
ひょこりとシアの肩越しに顔を出して、ガルタンが不愉快そうに呟く。
アイルも彼に同意見で、二つの石を握り締め、視線をセンミンに投げかける。
すると、視線を感じたのか、彼が顔を上げた。
「おかしいな」
センミンと目を合いそうになったが、新たな気配を感じて、アイルはそちらに顔を向けた。
いつの間にか、ウェルファが彼女の傍に立っていた。
「やっぱり朝帰り!マイリは元気だった?」
シアがにやにやしながら、突如現れた彼に驚くこともなく、その肩を叩く。
ウェルファはしかめっ面をしたまま、答えず、シアは意味深に頷いた。
「マイリがね。あのマイリが」
「……黙ってくれないか」
そう言った彼の表情は、相変わらず渋いが、少しだけ照れているようにも見え、アイルは凝視してしまう。視線を感じた彼は咳払いをして、話を変えるように口を開いた。
「これだけの魔法使い、戦士を集めるなど、意味がわからんな。まるで戦いに行くようだ」
「あんたもそう思う?まあ、戦いといえば戦いなんだけど。少人数ですむものだ。逆に少人数のほうがいい。ちゃちゃっと、アイルに火と水の精霊を石に封じてもらって、失われた泉を出現させる。それからみんなを生き返らせる。まあ、その間、魔族に説明したりしないといけないけどね」
先ほどまでの笑みを消し、シアは険しい顔をしてウェルファに答えた。それにガルタンが口を挟む。
「あいつら、魔族を殺す気なのか?」
「それはないだろう。殺したとところで、精霊の石を集めたらまた生き返る。そんな意味がないことをするわけがない」
ガルタンの問いかけにウェルファが返し、センミンに目を向けた。
彼は、こちらを凝視しており、周りの者に何かを言うと、ガルシンを引き連れて歩いてくる。
「なんか忌々しいな」
「センミンは本当は悪い奴じゃないんだ。ただ、今はちょっと様子がおかしいだけなんだ」
舌打ちするガルタンに、彼女が庇うようにそう言ってアイルは少しだけ驚いた。
二人はいつもいがみ合っているようで、正直アイルはシアがセンミンを嫌っていると思っていたからだ。
「姉さん。僕はあいつが嫌いだ。今回は仕方なく協力するけど、あいつが嫌いなことには変わりない」
ガルタンは子供ぽく口を尖らせる。
青年の彼がする行為ではないが、女性的な風貌の彼がすると可愛らしかった。
それはシアもそう思ったらしく、彼女は彼の髪を撫で繰り回す。
「姉さん、やめてよ!」
「二人とも相変わらずだな」
すっかり緊張感がなくなったアイル達の前に、センミンとガルシンが立った。
センミンはいつもの皮の鎧ではなく、頑丈そうな鉄の鎧を身に着けていた。表情は厳しく、普段の彼らしくない。
「作戦を説明する」
センミンの代わりにガルシンが口を開き、アイル達はアドラン王宮奪還作戦を説明されることになった。
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