撤退する魔王

 ウェルファが参戦してから、状況は一気に「ナル」達に有利になった。 

 薬師である彼だったが、その体躯から想像できたように、体術に優れていた。力で押されていた「ナル」の補助に当たり、二人掛りでバルーと戦う。


「バルー!」


 火の精霊は土の精霊タナリによって完全に押さえられていた。


「このぉお!姿は可愛らしくなったくせに、全然変わってないわね!石頭!」


 バルーに加勢をしたくてもできない火の精霊は、土の壁に閉じ込められ、罵ることしかできなかった。


 水の精霊に対しては、チェリルの完璧な防御の力を借りながら、センミンとシアが攻撃を仕掛ける。シアの火の魔法の力は弱い。しかし、囮くらいなら問題なく、シアの火に気をとられた水の精霊の隙を縫ってセンミンは剣を振るっていた。


 ――勝てる。


 「ナル」はそう確信でき、嬉しかった。

 だが、傷を負っていく兄バルーの姿、かつて自分を守ってくれた水の精霊が苦境に立たされている姿は、喜べるものではなく、自然と唇を噛み、自分の甘さを押し殺そうとした。


 ――この甘さで、俺は、ナルを死に追いやってしまった。だから、このまま、俺は、「ナル」として、兄を、いや、魔王を倒す!


「魔王!」


 柄を握り、「ナル」は水の剣を振り上げた。


「危ない!」


 ウェルファの声が聞こえ、体が押された。

 地面に押し倒され、握っていた剣が手から零れ落ちる。

 文句を言おうとして、体を少し起そうとした。すると自分の上に覆いかぶさっているウェルファが苦悶の表情を浮かべ、その背後を氷の槍が飛んでいくを見た。


「ウェルファさん!」

「大丈夫だ」


 彼は苦痛に耐えている様子で立ち上がる。すぐに「ナル」も体を起こしウェルファに目を向けると、彼の傷ついた背中が視界に入った。服はずたずたに切り裂かれ血が溢れて出ている。


「手当てを!」

「大丈夫だ。それよりも」


 自分のせいでまた人が傷ついてしまった。

 そのことで、気が動転していた「ナル」は、この状況で氷の槍が飛んできた異常事態に気がついていなかった。水の精霊は「ナル」達に加勢をする余裕はない。そうであれば別の誰かが介入している事になる。彼女は後方に飛ばされるウェルファの鋭い視線を追う。

 危機を救われた形のバルーも攻撃を止め、後ろを振り返った。


「間に合いましたよ。ルダ様。バルーはまだ生きてます!」

「うむ」


 二人の人影がそこにいた。

 どちらも背が高く、体躯は立派過ぎるほどだ。服の上からでもその鍛えた肉体が見て取れる。褐色の肌に金色の髪。人間と体つきは一緒だ。違うのはその尖った耳、頭部の角だけだった。

 二人は魔族で、シアが持っている杖と同様の形の杖を握っていた。


「バルー。貴様は人間の分際で魔王と呼ばれている。魔族としては気持ちいいものではないが、幾人もの人間を殺しているから仕方なかろう。むしろそれは魔族としては歓迎すべきことだ。儂は、貴様に協力を求めるためにここにきた」


 ルダ様と呼ばれた魔族がそう長々と語る。

 場を支配するような声で、誰もが一瞬聞き入る。


「そんなこと、させるかよ!」


 おかしな雰囲気を破ったのはセンミンで、彼は金の剣を掲げ、ルダに仕掛ける。


「マジュラ!」


 ルダの隣の魔族が杖をセンミンに向けて、呪文を唱えた。

 氷の槍が発生し、彼に襲い掛かるが、それを守ったのはチェリルの壁だ。


「ルダ殿。興味深い申し出を感謝する。しかし、ここだと邪魔が入る。ティマ、アイル! 一旦引く。魔族の方がたも一緒に移動させてくれ」

「何だと?」

「させるか!」


 ウェルファとセンミンがそう言うが、二人の精霊の動きは早かった。火の精霊がバルーの元へ、水の精霊が魔族の元へ飛ぶと、すぐに姿を変え、宙に消える。


「チェリル! 追うぞ!」

「待ってください! その前にウェルファさんの怪我を治して」

「私はいい」

「よくない! チェリルさん、治してください」


 チェリルの契約主はセンミンだ。だが彼女は彼の命令を実行する前に、言葉を待った。


「わかった。怪我を治すことが優先だ。その後は追うからな」

「はい」

「必要ない」

「必要ですから」

「はいはい。そこでもめない。金の精霊の騎士さんがそう決めたんだったら、従いな。薬師さん」


 憮然とした表情のウェルファに、なぜか異常に心配している「ナル」。そんな二人を宥めたのはシアで、チェリルは黙りこくったウェルファの背中の近くに手を持っていき、癒しの力を使う。

 傷はすぐに治ったが、先程の戦いの疲労もありチェリルの力が尽きたようでその場に倒れる。センミンがいつものように唇を重ね、精気を与えていると、土の精霊が前触れもなく石の姿に戻った。


「どういうことだ?」

「水と火の気配が消えてしまいましたわ。気配が追えないので、土も石の姿に戻ったみたいですわね」


 回復したチェリルはセンミンの問いに体を起こしながら答える。


「どういう意味だ?それは火と水の精霊も石の姿に戻ったということか?」

「ええ」


 続けざまにセンミンに問われ、チェリルが頷く。


「だけど、さっきまで人化してたんだ。その場所まで移動すれば見つけられるだろう?」

「恐らく可能ですわ」


 険しい顔になったセンミンに代わり、ウェルファが尋ね、チェリルは淡々と答えた。

 それを聞いていたシアがふいに会話に割って入る。

 

「追ってどうするんだい。また戦うのかい? 今度は二人魔族が加わっているんだ。さっきのように有利に運ぶとはわからないじゃないか」

「だったらこのまま、手を結ぶのを黙ってみておくのかよ」


 突然割り込んできたシアに不快感たっぷりにセンミンが返す。


「センミン」


 「ナル」はシアの表情が曇ったことを見て、会話に加わる。センミンは機嫌が悪そうだ。

 逃げられたことでイライラしているのか、と「ナル」は彼を見上げる。

 すると、肩を掴まれた。


「ナル。お前に聞きたいことがある。あの魔王、たしかお前のことをアイルって呼んでいたよな。アイルって、あの水の精霊の名だ。よく見れば、あの精霊はお前によく似ている。それから、その目の色は魔王と同じだ」

「センミン!」


 畳み掛けるように話した彼を止めたのは、シアだ。

 「ナル」は肩をつかまれたまま、逃げるように顔を逸らす。


「ナル。いや、アイル。お前の本当の名はアイルだろ?そして、魔王バルーの妹だ」


 ――知られてしまった。

 魔王と戦うならば、自分の秘密がセンミンに漏れるのは時間の問題だと分かっていた。だが、戦うのはすべての精霊の石を手に入れてからだと、思っていた。

 魔王の妹だとわかれば、もう協力体制はなくなってしまうかもしれない。

 「仲間」から外されるかもしれない。


 「ナル」は、覚悟を決めて、顔を上げた。


「そんな顔すんなよ。別に俺は責めているわけじゃない。ただ怒ってるだけだ」

「お、怒ってる?」


 すねたようなセンミンの表情に、「ナル」は思わず聞いてしまった。


「俺は、そんなに信用できないか?」


 ――ごめんなさい。

 センミンの瞳は暗く沈んでいて、「ナル」は心の中ですぐに謝る。

 ――信用とか、そういうことではなく、いや、信用してなかったんだ。自分のことを話したら、協力してくれないかもしれないと。


「センミン。ごめんなさい」


 「ナル」は、今度こそ声に出して謝る。

 鼻の奥が少し痛くなって、泣きそうなことに気がつき、涙を堪える。


「謝るんじゃない。もういいから」


 けれども結局泣いてしまっていて、「ナル」は顔を上げられなくなってしまった。そんな彼女の頭を撫で、センミンはぎゅっとそのまま抱きしめた。


「ちょっと、ちょっと!何してんだよ。騎士さん、あんたの相手は金の精霊さんだろ?」


 戸惑う「ナル」の代わりに、シアがセンミンを引き剥がす。


「な、何言ってるんだ。相手って。チェリルと俺はそんな関係じゃない!」

「だったら、なんでいつも熱い口付けを交わしてるんだよ!」

「あれはなあ、精気を与えているんだ! 変な意味はない」

「どうだか」


 緊迫した空気はどこに。

 魔王達を追うか、追わないかの話をしていたのに、いつの間にか、センミンとシアの言い合いになっていた。

 「ナル」はシアの腕に抱かれたままで、止めるべきか、迷っている。


「おい。二人とも。戦いはどうするんだ!」


 ウェルファの一喝で、二人がやっと諍いをやめた。


「追うに決まってるだろ!」

「今更追っても遅いだろう。それよりも、作戦考えるべきじゃないのかい?」

「作戦! そうですわ。作戦。木の精霊の石を探しましょう」


 金の精霊は言い争いが再開しそうに二人の前で、ぱちんと両手を叩いた。


「ナル。地図はどこかしら。木の精霊の石はたしか、ロウランにあるはずですわ」

「ロウラン……、ってここか!」

「ええ」


 にっこりチェリルが微笑み、センミンが頭を抱える。

 しかし、「ナル」はふと二ヶ月前に金、木、土の精霊の石の位置を確認した時に、木の精霊の石がロウランにはなかったことを思い出した。


「木の精霊の石はロウランにないはずです。また移動していたら別ですけど」

「まあ。誰かが持っていったのかしら。どちらにしても地図で調べるべきですわ」


 場は完全にチェリルに飲まれていた。


「そういうことであれば、魔王は放置して、木の精霊の石を探しを先にするか」

「いいんじゃないかい」


 ウェルファとシアは、何事もないようにチェリルの提案に載っている。

 しかし、センミンは口を曲げて、不服そうだ。


「何か、いい様に振り回されてる気がする」

「何かいいまして?」

「いや」

「夜ももう遅いですわ。まずは皆さん、お休みなられたらいかがかしら。ワタクシも少し石の姿に戻ります」


 魔王を追わない、それは疲労の点もあったのか。

 チェリルは誰の意思も確認しないまま、石の姿に戻る。


「なーんか、すっきりしないが、休むとするか。戻ろうぜ」

「ナルは、あたしの家にきな。汚れたから、また湯浴みをさせてあげる」

「は? っていうか、シア。お前ちょっと慣れ慣れしくないか?勝手に、俺たちの旅についてくる気かよ」

「あたしの力、必要だろ? ナルも女の子一人じゃさびしいだろうし」

「女の子……、子じゃないだろ。すでに」

「うるさいな。あんたはさあ」


 ウェルファは二人のやり取りに完全にあきれ果てていた。間に挟まれた「ナル」は、どうしていいか、分からず戸惑っている。

 

 魔王との最初の戦いを終えた一行は、このように緊張感がないまま、しばしの休息を取ることになった。

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