魔王襲来

 金の精霊の力で家に再び戻ったウェルファは早速、荷物をまとめ始める。


「どれくらい持っていくんだ?」

「本当なら、この部屋の半分のものをすべて運びたいくらいだが、それでは負担が大きいだろう」


 チェリルは移動のため力を使った後、力を温存するという意味で再び石の姿に戻っていた。人化するだけでも力を使うらしい。


「まあな。明日また運ぶことにすればいい」

「そうだな。悪いな」

「あ、でも今日の調子だと、そんなに物資はいらないんじゃないか。夕方には患者も減っていたし」

「いや、まだだ。実は街外れの村のほうが被害が大きいみたいなんだ」

「街外れ?」

「魔王の奴は街外れに最初に現れたらしい。中心部が落ち着いたら、その場所に移動してほしい。できるか?」 

 

 そう請われ、ふと昼間、耳に挟んだ会話が甦る。


 ――マイリ様は逃げでしまったのかね。

 ――そんなことはない、きっと他にも助けが必要な人がいて、そこの場所に向かったんだ。

 ――街外れの村じゃないか?そういえば昨日の朝、その村から命からがら逃げてきた子どもがいたぞ。


「マイリ……。そういえばマイリのことはいいのかよ?街外れの村にいるかもしれないぞ」

「わかってる。だが、街が落ち着かないといけないだろう」


 答えるウェルファの瞳は沈みがちで、さすがのセンミンも言葉を誤ったと後悔した。

 

「お前らしくないな。気にするな」

「な、何だよ。おい!」


 突然くしゃりと頭を撫でられ、センミンは怒鳴り返す。


「いや、落ち込んでいるみたいだったからな。タナンがこうするとうれしがっていたぞ」

「タナン……。あのガキか!俺は子供じゃねー!」

「……子供みたいなものじゃないか」

「なんだと!」


 顔を赤らめて怒鳴り返したセンミン、笑っているウェルファ。 

 その間に突然光が発生する。


「センミン。ウェルファ。それくらいでよろしいかしら?」


 それはチェリルで、人化した彼女の表情は珍しく硬い。


「嫌な予感がしますわ。早く戻りましょう。ワタクシの予感はよく当たるものですから」


 訝しげな二人の視線を受け止め、金の精霊は静かにそう言った。



 ☆


「シアさん。だからいいです」

「だめだめ。この辺治安は悪くないんだけど、今はこういう時だからねぇ」

「でも、シアさん。俺は自分で自分を守れますから!」

「可愛くないこと言うねぇ。姉さんは悲しいよ」

「シアさん!」


 本当に悲しそうな顔をされてしまったが、「ナル」はどうにかシアを振り切って、彼女の家を後にした。

 夜風の心地よさに浸りながら、軽快に足を進める。診療所が視界に入ったところで、不意に生暖かい風が巻き起こった。それは熱さを増すと、大きな炎を生み出す。しかし、弾けるように炎はすぐに消えた。

 その場に残されたのは二つの影。

 ひとつの影は、小さな炎を撒き散らし、もうひとつの影に寄り添う。


「あらら。もしかして、アイル?」


 口調は全く異なるが、それは義姉に酷似した声。

 真っ赤な髪に赤色の肌を持つ、義姉そっくりの火の精霊。その傍には兄だった魔王が立っていた。


「ひっつ、魔王に火の精霊?! なんでまた!」


 熱風と光に驚き、家から出てきた人はその二つの影の正体を知り、慌て出す。


「皆さん。逃げてください。できるだけ遠くに!」


 「ナル」は声を張り上げ、次から次と、家から出てきた人々に向かって叫ぶ。


「あら? 逃げる? だめよ。そんなこと」

「火の精霊! 俺が相手だ。まずは俺を倒せ」

「ははは。倒す。馬鹿なこと言ってるわね。バルー。聞いた?」


 火の精霊は腰を曲げ、バルーの肩をつかみ、本当におかしそうに笑い出す。

 それに対して「ナル」は背中の袋からナルの剣――水の剣を抜くと構えを取った。


「お前のことは絶対に許さない。義姉さんの姿を借りて、よくも!」


 剣先を火の精霊に向け、「ナル」は腰を落とす。

 

「……アイル。馬鹿なことはおやめ。無駄な抵抗はしないほうがいい。私に、「ティマ」に勝てない事など、わかっているだろう」


 何事もなかったように、魔王は穏やかに彼女に語りかける。声は優しい。だけど、その顔に以前の兄の優しさは見出すことはできなかった。


「俺は「ナル」だ。あなたの妹アイルではない。あなたは、俺が倒す!」


 ――あれは兄ではない。そして俺もアイルではない。俺は「ナル」で魔王を倒すために、ここにいる。


「くっくっ。面白ことを言うな。ナルか。それはあの時の無能な戦士か?」


 バルーはくぐもった笑い声を上げたかと思うと、両唇の端を上げ、醜い笑みを浮かべる。

 それは兄であったときには考えれない醜悪な表情で、「ナル」は唇を噛んだ。そして兄が変わった元凶の火の精霊を睨みつける。


「ふふふ。怒ってるわね。楽しいわあ。そうね。バルー。ちょっと余興を見ましょうよ。アタシが殺しちゃうと面白くないじゃない。ここは、水の出番だわ」

「なるほど。「アイル」がアイルを殺すか。楽しそうだな。退屈しのぎにはいい。妹は一人で十分だ」


 魔王の言葉は「ナル」の心を抉る。

 アイルの心は捨てたつもりだった。けれど、それは彼女が思っているだけであり、兄であったバルーの容赦のない言葉は「ナル」を傷つけた。


「水!出てきなさいよ。バルーが望んでいるわ」


 火の精霊が宙に呼びかける。反応がなく、「ナル」は心なしがほっとした。

 水の精霊セフィーナは、喜怒哀楽が激しいが、心根は優しい精霊だった。何やかんや文句を言いながら、彼女は「ナル」達と旅を続けていた。

 

「バルー。水の奴。アタシを無視したわ。まったく頭にくる。バルー。命令して頂戴。じゃないとあいつは出てこないつもりだわ」

「仕方ないなあ。「アイル」! 出ておいて。そこの偽者を殺してくれ」


 魔王の言葉は無情だった。

 しかし、「ナル」は痛みに耐え、宙に現れた水の塊を見上げる。


 ――セフィーラ。

 この剣を作ったあなたと戦う日が来るなんて。

 しかも、本当の敵はあなたではないのに。


 精霊は契約主に絶対だ。

 ナルと共に戦いに臨む前に、彼女が語った言葉だった。


 ――「だからワタシがもし、あちらについたら、逃げなさい」

 それは彼女らしくない敗北の言葉だった。だけど、彼女は予想していたのか、ナルの前でそう伝えた。

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