土の精霊

薬師ウェルファ

「これで大丈夫だ」


 短く切った黒髪に、シラン人特有の褐色の肌、黒い瞳の青年。身長の高さとガタイの良さから、街の自衛団にスカウトされたこともある。

 しかし青年は戦士でも、用心棒でもなく、一介の薬師だった。

 青年――ウェルファは 柔和な笑みを浮かべて、少年の足に包帯を巻き終わった。


「ありがとう」


 少年は尊敬する薬師を見上げ、礼を言う。

 椅子に座ったまま、足をぶらぶらと動かして調子を確認した。


「あまり無茶はするなよ。明日から私はいないんだから」

「うん。ウェルファ。わかってるよ」


 少年はウェルファに答えながら、そろりそろりと椅子から立ち上がり、足を踏み出す。一歩、一歩と慎重に歩き、歩行に問題がないことを彼は喜んだ。

 木登りをして遊んでいて、足を滑らして落ちた。骨は折れていなかったが、ウェルファは自宅に少年を連れてきて、傷の手当てをした。

 少年は近所に住む子供で、生傷が絶えない評判のヤンチャ坊主だった。

 この街には他にも薬師がいる。けれども少年のことは赤子の時から見ているので、ウェルファは自分が街を離れる時に、彼が大きな怪我をしないか、そのことが心配だった。


「俺、ウェルファがいない間は怪我しないように大人しくしてるから。だから、ウェルファ。早く帰ってきてね」

「ああ。だから本当に無茶はしないようにしろよ」

「うん。約束する」


 少年が笑顔でそう言ったので、ウェルファはほっと胸をなでおろした。


 北のロウランが魔王に襲われ、壊滅状態だった。

 魔王は姿を消したが、残されたのは多くの残骸と傷ついた人々。

 友人からの要請もあり、ウェルファは薬師としてロウランに明日向かうつもりだった。

 この南のシランから北のロウランへの大移動だ。

 北から南への移動なので、馬でも十日はかかる。

 ロウランの状況は手紙からでは明確にわからないが、ある程度落ち着くまで滞在するつもりだったので、数ヶ月はシランを空けることになる。

 心配な患者への薬の配布や注意事項の説明などは既に済ませていた。

 

 後は持っていくものを整理するだけだと、ウェルファは薬の種類と数を考える。


「ウェルファ」

「どうした?」


 隣の彼の家にすでに戻ったと思っていたので、少年がまだそこにいることにウェルファは少し驚く。


「あの、これ。あげる」


 少し照れたように笑い、少年は手を差し出す。

 握った指がゆっくり開かれ、小さな石が姿を現す。

 夕暮れ時の部屋の中、東側の窓から差し込む光は強くはない。それでも黒い石は柔らかな光を帯びている。タナンが自慢するだけあって、珍しい石だった。


「これ、タナンの大事なものだろう?」

「うん。だからウェルファにあげるの。無事戻ってきてよ。ウェルファ、あの魔王の近くに行くんだろう。だからお守り」

「大丈夫だ。魔王の近くには行くつもりはない。大体魔王はすでに別の場所に移動しているという話だ。だからお守りなんて」

「だめ。ウェルファ。もって行って」

「しかし、」


 ウェルファは、タナンが自慢げに石のことを友人に見せびらかしていた光景を思い出す。それが原因で彼は木から落ちたことになるのだが。


「――タナン。タナン、どこにいるんだい!」


 不意に壁を打ち破らんばかりの大声が、隣から聞こえてきた。


「やべぇ。母ちゃんだ!ウェルファ。俺行くね。それ持っていって!」


 怪我を物ともせず、タナンはウェルファに石を握らせると慌てて出て行った。


「……」


 タナンの母のにぎやかな声が隣のこの家の中まで届く。

 今日の怪我のことを怒られているようだった。

 タナンに多少同情を覚えながらウェルファは手の平に鎮座する石を眺める。

 不思議な石だった。どこから眺めても光を吸収し、煌く。

 しかし石にばかり時間を取られているわけにもいかなかった。

 向こうでは沢山の負傷者がいる。

 そのための準備をしなければと、ウェルファは石を懐にいれた。

 

 


 太陽が傾きかけ、まもなく日が暮れようとしていた。

 「ナル」とセンミンは手元の地図を見ながら、移動していた。ちなみに移動手段は徒歩だ。


 数刻前まで、砂漠を馬で駆けていた「ナル」。

 突如現れたセンミンを避けるために落馬し、気を失った。介抱するには砂漠では暑すぎる。かといって街では金の精霊チェリルの姿が目立つために、森に移動したようで、「ナル」が目覚めたのは森の中だった。

 魔王を倒すために精霊の石を探すという目的のために、共に行動することになり、二人いや三人は当初の予定通り土の精霊の石を探すことにした。


 土の精霊の石は移動していたが、街の中に入ると動きを止めた。街は森と砂漠の間に存在しており、チェリルが近いと言っていたので二人は徒歩を選んだ。だが、森から出た時はまだ日は少し高い位置にあったはずなのに、今は日が傾きかけていた。


「近いって言ってたよな?」

「ええ。馬ではなく徒歩で歩ける距離です。遠くはありませんわ」


 怒りを抑え、小声でセンミンは懐に隠してある金の精霊の石に伝える。それにチェリルは飄々と答えた。

 本来ならば、懐から声が聞こえるのは心地よいものではない。だから人化させることができればそうした。しかし、街中で精霊の姿は目立ちすぎた。

 そういう理由でセンミンは目的地に着くまでと、懐から聞こえる声を我慢していた。


「あの家のようです」


 「ナル」は足を止めると、石造りの家が立ち並ぶ中、一軒の家を差す。それから地図をたたみ袋に入れ、家を見上げた。


「薬屋か」


 やっと着いたと安堵して、センミンも「ナル」の隣で家を眺める。

 薬屋の看板がぶら下がっている二階建ての家。すでに夕刻、店仕舞いをしてしまったか、戸は締まっていた。


「とりあえず普通に訪ねてみるか」


 センミンの言葉に頷き、「ナル」が扉の前に立とうとしたが、それを制し、彼が先に扉を叩く。

 すると、すぐに扉が開かれ、男が姿を現した。

 センミンよりも身長が少し高い褐色の肌の男ーーウェルファは、見覚えのない二人連れに眉を顰める。


「何か用か? 店は今日から暫く閉める予定だ。怪我などもしている様子はないのだが?」

「あんた、土の精霊の石を持っているだろ?」

「センミン!」


 不躾に質問しすぎだと、「ナル」が声を上げる。

 しかし、センミンはまったく何も感じていないらしく、ウェルファを睨んだままだ。


「何のことを言っているかわからんな。明日、私はここから出る。悪いが邪魔をしないでくれ」


 彼は相手しないことを決めたようで、背を向けて扉を閉めようとした。


「待ってくれ!」


 声と同時にセンミンが扉と枠の間に足を入れた。


「しつこいな。土の精霊の石? だったか。私は知らない。帰ってくれ!」


 センミンの足を押しのけ、扉を閉めようと試みたが、彼は譲らなかった。


「わざと隠しているのか?この家に土の精霊の石が運び込まれたのは確かなんだ。なあ、ナル。そうだろ」

「はい。ですが」


 どう見ても無作法なのは自分たちだと、「ナル」は戸惑いながらも答える。


「中を確認させてもらう」

「なぜだ? 家の中に入れるわけがないだろう」


 ウェルファはその黒い瞳に怒りを称えて、センミンを睨み返した。


「石を探すだけだ。協力してくれ」

「嫌だといっている」

「それは、石を渡したくないってことか?」

「何のことだ? 私はただお前みたいな無作法な男に家に踏み入ってほしくないだけだ」


 ウェルファは完全に頭にきているらしく、腕を組んで、扉の前に立ちふさがる。


「じゃ、力づくで探してやる」

「なんだと? なんて男だ。させるか」


 「ナル」は、正直ウェルファの態度よりも、強引なセンミンに苛立ちを覚え、彼の隣に立った。


「申し訳ありません。突然押しかけてしまいまして。ですが、俺達の話を聞いていただけませんか? あなたが持っている石は俺達にとって、いえ、世界にとって大事な石なのです」


 ウェルファはあの優しい戦士に少し雰囲気が似ていた。だから、「ナル」は彼に土の精霊の話をすれば、素直に渡してくれるのではないかと期待する。センミンは「ナル」のそんな柔らかい態度が自分に対するものとは大違いだと、子どもみたいに憮然とした表情になっていた。金の精霊は石の状態で見えないはずなのに、彼の懐で可笑しそうに揺れている。


「ナル。余計なことは話さないほうがいい。もしこいつが土の精霊と契約したらどうなるんだ」

「センミン!」


 ーー余計なことをもらしたのはあなたのほうだ。

 そう怒鳴りたくなったが、溜息を漏らすだけにして、「ナル」はウェルファに顔を向けた。

 彼は、もたらされた情報に困惑しており、ますます眉間に皺が寄っていた。


「ああ、もう。仕方がありませんわ。ここはワタクシにお任せください」


 金の精霊チェリルは鈴の鳴るような声を漏らすと、光と共に人化した。


「チェリル!こんなところで」


 街中で姿を晒すなんてと、センミンは周りを見渡すが、幸運なことに人影はなかった。けれども、このままチェリルが人化していたら、確実に彼女が精霊であることがばれてしまう。


「申し訳ありません。中にいれていただけませんか? センミンの失礼な態度は俺からもお詫びします」

「なんだと、失礼? ナル。謝る必要はない」


 センミンは態度を硬化させたまま、ウェルファの前に立っている。


「……お前のことは気に食わないが。なにやら事情がありそうで。中に入れ」


 「ナル」は、ウェルファの言葉に胸をなでおろし、自分の勘が当たったことを喜ぶ。

 ーーあの人に似ている人が悪い人のわけがない。

 彼に案内されながら、「ナル」は思わず微笑む。

 その後に続き家に入りながら、センミンはなにやら悔しい思いを抱えていた。

 自分には見せたことがない笑顔を初対面の男に惜しみなく見せている。それが彼には気に食わなかったからだ。


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