金の精霊

「少年」

 世界は、火の精霊と水の精霊を操る一人の男によって、混沌と闇の中にあった。

 男は衝動的に破壊と殺戮を繰り返し、人々に魔王と呼ばれるようになっていた。



「あんた。本当に砂漠に行くのかい?」


 宿の女将は、宿を去ろうとする少年に声をかける。

 少年はその緑色の瞳に固い意志を込めたまま、頷く。

 背丈は女将と同じくらい、がっちりとした体型でもないが、その強さは昨日の乱闘騒ぎで証明されていた。


 昨晩、少年は室内にもかかわらずフードを深くかぶり、黙々と食事を取っていた。

 立ち去ろうとしたときに、隣の男は気がついた。

 少年の顔に。

 頬はふっくらと柔らかそうで、唇は艶やか。長い睫が瞳に影を落とし憂いを帯び緑色の瞳は色香を持つようだった。

 男は少年の腕を掴み、顔を近づけ下卑た言葉を囁いた。

 瞬間音がして、人々は何が起きたかと振り返る。

 床に大の男が仰向けに倒れていた。

 側にいるのは小柄な少年。


「ステッド!」


 男の友人が面子を潰されたとばかり少年に殴りかかる。


「……ふう」


 男の顔を直視し溜息を漏らすと、少年はその男の鳩尾に拳を叩き込んだ。


「うっ!」


 男は体を「くの字」に曲げ、床に転げる。

 少年は痛みでもだえる二人に冷たい視線を投げかけるとその場を後にした。

 

 その夜、復讐だと寝ているところを襲われる可能性を考え、女将は自分たちが普段使う部屋に少年を泊めた。

 女将が目覚め、朝食の準備を整えようと宿に顔を出した時、少年はすでに身支度を整え、宿を後にするところだった。

 宿賃は前払い。

 出て行くのは客の自由だし、その理由なども聞かない。

 しかし、女将はこの少年のことが気にかかっていた。


「どうして一人で砂漠なんかに」

「探し物があるんです。だから行かなければならない」

「探し物?」

「……昨日はありがとうございました。おかげでぐっすり寝ることができました」


 女将の疑問には答えず、少年は強張った顔を少しだけ崩して微笑み、お礼を述べる。

 やはり少女のような顔で、女将はますます少年に興味を持った。


「……探し物を見つけたらまたこの宿においで。一食くらいサービスするよ」

「ありがとうございます」

「ちょっと」


 ぺこりと頭を下げて、暖簾をくぐろうとした少年を女将が再度呼び止める。


「あんた、何て名前だい? あたしゃ、エリーダって名だよ」

「エリーダさん。俺は「ナル」といいます」

「ナルか。いい名だね」

「はい。俺もそう思います」


 名を名乗るときに、少年は拳をきゅっと握り締めた。

 エリーダは少年が無事戻ってきたら色々たずねることにしようと心に決め、笑みを浮かべる。


「ナル。いってらっしゃい」

「はい」


 少年――「ナル」は暖簾をくぐり、宿を出た。

 外はまだ朝日が少し顔を覗かせてくらいで、薄暗く空気が冷たかった。

 「ナル」は深く息を吸うと、砂漠に向かって歩き始めた。



 ★


「なあ。かれこれ三日程馬を走らせているが、まだ着かないのか?」


 薄汚れた皮の鎧を身につけた青年がアドランからシランに掛ける道を駆けていた。

 皮の鎧に着崩れした麻の服、履き慣らしたブーツ。身なりは傭兵だ。

 しかし風に靡く銀色の髪、細面の整った顔、淀みのない青色の瞳からは気品が漂い、青年が単なる一介の傭兵ではないことを物語っていた。


「……まだですわ」


 馬に跨るのは青年一人。答えた声はその懐の中から聞こえた。


「だあー! やっぱり気持ち悪い。チェリル! 人化してくれ」


 馬を止め、青年は叫ぶ。

 すると金色の美しい石がころんと懐から地面に落ち、あたり一面が光に包まれる。

 光から現れたのは黄金の光を纏う美女。

 色彩すべてが黄金色。人間であるわけがなかった。


「センミン。何が気持ち悪いですの? あなたが石になれといいましたわよね?」

「なんか、自分の中に人がいるみたいで、気持ち悪い。やっぱりこのまま人化したままでいてくれ」

「わかりました。そういたしましょう」


 腰まで届く金色の髪、ぱっくりと開いたドレスの胸元からはみ出そうな豊満な乳房、きゅっと絞られた腰元。自分の理想であり、一年前に破談となった元婚約者、そのものの姿を体現した金の精霊。その美女から視線をそらし、センミンは契約したときを思い出す。

 自分の力を過信しすぎて、犯した間違い。

 魔物に襲われた子どもを助けたまではよかったが、まともに戦ってしまった。

 散々なぶられ、動かなくなった自分を魔物は放置した。

 食べられずによかったとそう思いながらも死は免れないと覚悟した時、声が聞こえた。

 死ぬたくなかった。

 こんなところで。

 それで、金の精霊と取引したのだった。


 ――世界に散らばる残り二つの精霊の石を集め、魔王と戦う。


 水と火の精霊を従える魔王に勝てるわけがない。

 しかし、金の精霊はあと二つの精霊の石を集めれば絶対に勝てるとセンミンを諭した。


 今死ぬよりはいいか。

 そんな思いで合意。

 契約は名を与えることだと言われ、最初に浮かんだ名前が元婚約者殿だった。


 チェルシーという名であったが、チェリルと金の精霊を名づけた。


 金の精霊は、逃げてしまった理想の女性を体現し、最初の三日は喜びでいっぱいだった。しかも、癒しの力をもつチェリルは魔物に受けた傷を傷跡なく治した。

 国一番の美男を誇るセンミンは、それはそれは喜んだ。


 しかし一週間もたち、金の精霊の性格を知ることになる。その上、精霊の石を探しに行くことをせっつかれる日々。

 センミンは契約したことを後悔していた。


「まあ。あなたがこのような姿のワタクシが側にいるのが嫌だというのはわかりますわ。ワタクシですら、自分で自分の姿に嫌気が差しますもの。この無駄に大きい乳房。ワタクシ自身が変化する容姿を選べないことをこれほど悔やんだことはありません」


 ――どうしてこのような姿を選んだのでしょう。

 人化する度に、チェリルは毎回こうしてセンミンを詰る。


「はいはい。俺が悪うございます。次の契約のときはもっといい奴を選びましょうね」


 お前が俺を選んじゃないか――そんな意図を込め、センミンはチェリルに厭味を返す。

 チェリルはにっこりと微笑み、受け流した。


「やはり石に戻りますわ」

「まった! まーた! だから、気持ち悪いんだって」

「……しょうがないですわね」


 大きな溜息を吐かれ、センミンはどっと疲れる。

 それでなくても、三日間。夜以外は馬を走らせているのだ。

 馬の方も限界だろうと、頬をなでる。


「あのさ。精霊だったら、飛ぶとかそういう力はないの?」


 あったら最初から言っている筈、そう思いながらもセンミンは尋ねる。

 すると極上の美女はにっこり笑って爆弾を落とした。


「ありますわ。目的地まですぐに行けますわよ」

「!」


 あまりのショックにセンミンは馬からずるっと落ちる。

 ――それなら最初から言ってくれ。

 そう叫ぶと、聞かれなかったからと金の精霊チェリルは笑顔を返した。

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