第七話〜吸血鬼

 動物の死骸を抱き抱えた明園陽華。その口は血に濡れ、目も赤く染まっている。口元から飛び出した牙を見て、確信する。


「…………見ましたわね」


 まともな戦闘経験など無い俺だが、オークの本能のせいか、向けられた感情が殺気だと、すぐに解った。それと、俺なんかが太刀打ち出来るレベルの魔物では無く、格が違うということも。


「……まぁ、落ち着いて。実は俺も明園さんと同じで魔物だから、話をしに来たんだ」


 両手を上げて、何とか平静を装う。多分、彼女がその気になれば、俺などいつでも殺せるだろう。オークの生命力? 人間とは比べ物にならない防御力? 同じ魔物だって? ご冗談を。そんなものは彼女──吸血鬼から見れば、大した問題では無い。


「……貴方が魔物?」


 明園さんは訝しげに俺の全身を眺め、しかし首を傾げる。それもそうだ、今時の魔物は、一目見て解る程、わかり易くない。


「だから、どうしたんですの?」


 あからさまな敵意を剥き出しにして、悠々と立ち上がりながら血まみれの顔で俺を睨む美少女。手には動物の死骸がぶら下がっている。そんな有様では流石に性的魅力は半減かと思いきや、とんでもない。そんな有様でさえ尚、彼女は美しかった。その整った所作のせいだろうか。


「言っただろう。話をしに来たんだ。俺は自分以外の魔物に詳しくはないが、明園さんは現代に紛れて暮らす魔物。なら、そんな事しなくったって生きていれるだろう? だったら、そんな事は辞めたほうが良い」


 おっかなびっくり言葉を綴り、変に刺激しないように言葉を置く。


「私が動物を殺すと、貴方に迷惑が掛かりまして?」


「これから掛かるんだ。今、この街で退魔師が動いてる。そんな動物虐待を、あいつが容認するはずが無い。明園さんが殺されてしまう」


「私が殺されて、貴方に迷惑が掛かりまして?」


「美少女が死ぬ事が、俺には耐え難い苦痛なんだ」


「浅はかですわね」


「浅はかさには自信がある。俺の行動原理は全部、美少女に繋がっているんだ。溺れられても困るから、浅いくらいが丁度いい」


 強がりではなく事実だ。美少女は国の財産。それは、見ただけで人を幸せな気持ちに出来る効能を持っている。美少女大好きな俺にとっては、無くてはならない存在。無為に減られたくはない。ただそれだけの理由。ほんとに、底無しに浅ましい。


「見た目が良ければ、中身なんてどうでも良いと仰るのですか?」


 と、明園さんは此れ見よがしに動物の死骸を林へ投げ捨てる。


「残念ながら俺は面食いだから、性格に関しては寛容なんだ」


「どうでも良いんですわね」


「否定はしない」


「最低ですわね」


 最低。その通りだ。男として最低だろう。だが、それはこの現状では、お互い様だ。なにせ彼女は動物を殺しているのだから。


「その非難は真摯に受け止めて、前向きに善処するよ」


「治す気がおありで?」


「いや、持ち帰って確認して、前向きに鵜呑みにするさ」


「……香海未さんの友人ですわね、そういう、底抜けに前向きなところは」


「ああ、前向きなんだ。だから、明園さん。君がその、明らかにやってはいけない事を日常的に繰り返しているのも止める事が出来ると、俺は確信している」


 その言葉に、明園さんは文字通り牙を剥いた。頬の力んだその表情は、言葉にせずとものう告げている。「知ったふうな口をきくな」と。


「これは魔物としての本能ですわ。あなた如きに、何が出来まして?」


「俺には出来ないさ。でも君には出来る」


「…………」


 明園さんは訝しげに唇を尖らせ、黙った。何言ってるか解らないから、さっさと続きを言え、という事だろう。


 俺は左手を明園さんに差し出しながら告げた。


「動物の変死体が発見されたのは最近。でも、この山は山岳部がずっと使ってた。見つからないはずが無い。動物の血を吸い始めたのは最近のはずなんだ。今まで我慢出来ていた。違うか?」


 明園さんは目を細める。多分、正解だという事だろう。人の血を吸う事件は報道されていないはずだし、この付近で動物の死骸が沢山あってもなかなか見つからないくらいの大きさの山は、ここともうひとつ、町の堺にあるため堺山と名付けられた、変な場所くらい。堺山で犯行に及んでいた、と言われたらおしまいだったが、態度を見るに、それは無さそうだ。


「だから、私なら我慢出来ると仰りたいのですか?」


「そう仰ってる」


 最近まで我慢出来てたなら、これからも大丈夫。単純だろうか。


「吸血鬼の吸血は食事ですわ。人間が家畜を食しているのと同じ。肉屋さんで買うのは良くて、吸血はいけないと言うのは、都合が良すぎませんか?」


「都合じゃなくて、ルールなんだよ。俺だって、動物愛護精神についての話をしているわけじゃないんだ。そんな博愛主義を語るほど、俺の懐は深くない」


「なら、文句など無いでしょう」


「世間体と法律が君を罰する事になる。肉屋の肉は合法だが、野生の動物を無為に殺すのは違法だ。犯罪なんだよ。だから、君が罰せられる前に、辞めるべきだ」


「そんな単純ではありませんわ」


「単純で良いんじゃないか。物事が複雑になる時は、大抵が欲張ってる時だけだぜ」


 その言葉に、唐突に。


 いや、機嫌はずっと悪かった。彼女はずっと我慢してた。


 だからそのせいだろう。唐突に世界が黒く塗り潰されて、それから後になって、明園さんが急接近し、俺の首を掴んでそのまま突き進み、俺の身体が後ろの木に押し付けられたのだと認識した。見えていたのに反応出来なかった。車よりも早い。


「かはっ」


 ぼやけた視界が少しずつ開いていって、瞳の赤くなった明園さんの怒りに滲んだ顔がすぐ近くにあった。


 ああ、首を絞められ、美少女に足も浮かせられているこんな状況でも良い香りがする。……と夢想しようと試みたが、血の臭いしかしなかった。当たり前だ。彼女には、動物の返り血がべっとりと着いている。


「……これでも譲歩して差し上げているのですわ。人間を襲わないで居て差し上げてる。退魔師? お目にかかれるなら、願ったり叶ったりですわ」


 力のこもった口調。でも、それは逆効果だ。ムキになるのは、自分の論に自信が無いからだ。余裕が無いから、力で押し通そうとする。


「……差し上げてる? 強がりも可愛いな、君は……っ」


 首を絞められてるせいでかっこよく言えないが、まぁ今更かっこつけても無駄だろう。早々に諦める。


「人の血を吸いたくないから……それだけはしたくないからっ……動物で、抑えてるんだろうっ!」


 明園さんは片手で俺の首を締めている。だというのに、後ろの木がメキメキと鳴って傾いた。オークでなければ死んでるぞ、これ……っ。


「そこまで、我慢出来るならっ! もう少しじゃないか! 少し前までの……っ、血を吸わない日常に、戻る、だけだっ!」


 やばい、オークでも死ぬ。首の骨が折れるっ!


 だが、その心配は、明園さんの力が緩められる事で杞憂と化した。しかし変わりに、地面に這いつくばって唾を吐くという惨めを晒す羽目になった。


「……だけ? 容易く言わないで下さい」


 首を抑えてのたうち回る俺に、構わず言う明園さん。


「吸血鬼の吸血欲は、人間の食欲や性欲、睡眠欲と同じ。我慢しようとして出来るものではありません」


「……今までは、出来ていたじゃないか」


「十五年前に施して頂いた封印のおかげですわ。封印は年月と共に劣化します。でも、その時に封印して下さった方はもう居ません」


 封印?


 それは、最近聞いた単語だったか。でも、トラウマの名前でもある。


「お父様は、封印に協力して下さる退魔師を探して、各地を転々としているのです。でも、封印は容易くありません。関わる全員が命懸けなのです」


 解らない。封印というものに覚えが無い俺には、想像も出来ない話だ。


「封印なんて手間をかけるくらいなら、魔物の本域が出る前に殺処分しよう、という方針の退魔師の少なくありません。むしろ、最近ではそちらのほうが多いそうです」


 そういえば俺も、つい先日、むしろ昨日殺されかけた。あいつに話を通す、というのは、あまりにリスキーだろう。


「吸血鬼の力と欲望は蘇るばかり。言いましたわよね、吸血鬼の吸血欲は、性欲にも近いと」


 そんな言い方だったかはさておき、確かに、こんな美少女から性欲という単語が出ると、それだけで興奮のひとつのもするんだなと実感したのを覚えていた。


「吸血鬼は、親しい人、愛しい人の血を、より吸いたくなるのです。……解りますか?」


 解ってしまう。彼女の言いたい事の続きが、なんとなく。


「私が吸いたいと思ってしまったのは──戸乃上香海未さんの──あなたの友人の血なのです」


 困る。


 それはとても困る。


「先ほどもご覧頂きました通り、私は、相手が死なないよう加減して吸血を、などと理性的に吸血する事は出来ません。吸血し慣れてないのですから、当然です。吸血する事で眷属のアンデッドに変えてしまう特性も蘇っているかもしれません。戸乃上さんがそうなってしまうのは嫌でしょう。私も嫌です」


 八方塞がりなのだと言いたげに、彼女は自らの手を見つめる。他に目のやり場が無いかのように、悲壮な姿だ。


 しかし、それが大袈裟な被害妄想でも、欲に負けているだけの言い訳でも無い事も、察してしまっている。


 彼女は学校すぐ近くの山で犯行に及んだ。俺だってどんなに我慢出来なくても、自家発電は家に帰るまで我慢する。出来る。


 それが出来ない程の欲求。それが日常的に起きていたからこその、連日の犯行。


「戸乃上さんが愛しいと思ってしまうほど……もっと仲良くなりたいと感じてしまうほど、戸乃上さんの血を吸いたくなるのです。なのにあの方は、どんなに遠ざけても駆け寄って来てしまう……私は戸乃上さんと、これ以上仲良くなりたくないのに……」


 ああ、なんて無残な境遇だ。


 愛しいと思えば殺したくなる。殺したくないから遠ざけたいのに、愛しい人は近付いてくる。それ故にもっと愛しくなるのだろう。香海未という美少女の最大の魅力と言える人懐っこさが、その寛容さが、懐の広さか。明園さんを狭い狭い袋小路に閉じ込めた。


「動物だって本当は殺したくなんてありません……。でも、戸乃上さんを手に掛けてしまうくらいなら……」


 辛いだろう。俺なら為す術もなく泣き喚いているような境遇だ。頭が良くないから、単純な事しか考えられないから、良い案なんて思い浮かばない。


 だから俺には、単純な提案しか出来なかった。


「……手を貸そう。俺が香海未の盾になるから、明園さんは、可能な限り、俺が居る時に香海未と接触してくれ。俺は魔物で、普通人よりは力も生命力もある。吸血欲に耐えきれない時は、俺が止める。それでも無理なら、俺の血を吸うと良い。動物の血でも多少は平気なら、俺の血もそう変わらないだろう」


「…………貴方を殺してしまうかもしれませんわ……」


「生命力だけが取り柄なんだ。必死に生きるさ」


 それに、と、俺は恥ずかしい自己紹介と共に続けた。


「俺はオーク。性欲の塊だ。だから、愛しい美少女に殺されるなら、本望なんだ」


 なんてかっこ悪いナンパだろう。でも、これしか無い。これしか思いつかない。


 彼女は力なく俯いて言った。


「……動機が浅はかですわ」


 貶してるつもりなら見当違いだ。その浅はかさは、俺の自慢なんだから。


「そうやって時間稼ぎしてる間に、解決策を探そう」


 言いながら立ち上がって、土を払って手を伸ばす。


 明園さんはその手を眺め、取るか取らないか迷いながら、それでもゆっくり手を上げて、ちょこん、と、俺の指先にだけ触れた。


「私が、あなたを騙して、都合良く利用しようとしている、とか、疑ったりはしませんの……?」


 心配して、というよりも、明園さんこそが俺を疑い、試すかのような、少し冷たい声音。だが安心して欲しい。俺は本当に、どこまでも底無しに浅はかなんだ。俺の全ては美少女に直結している。


「問題ない。美少女に騙されるなら、それもまた本望だ」


 その言葉に、明園さんが俯く。その間際に、一瞬だけ微笑んだ気がした。俺の妄想だろうと判断出来る程に僅かな表情の変化だったが、それでも。


「……お願いします。私を、助けて下さいますか」


 命懸けのナンパに成功した。後先なんて考えなければ、美少女と行動を共に出来る言い訳が出来たのだ。その嬉しさを、今は噛み締めるしか無い。


 だから俺は笑って応える。


「喜んで」


 体温を感じることすらままならないような、指先だけの接触。逆にその遠慮が可愛らしいと、今は満足しておこう。

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