第六話~クレーター
「どうだった、明園さんは──まぁ、だろうな」
放課後、帰宅途中に聞くと、戸乃上はあからさまに俯いた。駄目だったのだろう。
「……なんでだろ……最初は、やりたいって言ってくれたのに」
「ちなみに、最初っていつなんだ?」
「先週の木曜日」
「今日が火曜日だから、5日目の心変わりってことか」
心変わりには早いような、充分なような、微妙な期間だ。
「香海未が何かしたとかは?」
「解んないけど、確かに最近、避けられてたようなって、さっき気付いた。……さっきも逃げられたし……」
「なんか心当たりは無いのか?」
「あったら謝ってるよ!」
「だろうな」
これはお手上げだ。2人で話してても答えは見つからないだろう。
「まぁ、人の心は空気よりも不安定だからな。仕方ないことだ」
適当に濁そうとしたつもりだが、どうにも心の内側にある予想が、知らんぷりしようとする俺を邪魔している。
明園さんは、少なくとも明園さんの父親、明園ヴォルフマンは魔物だ。その魔物が退魔師に狙われている今、派手に動くのは駄目だ、ということになったのだとしても、不思議では無い。
「むー、納得できなーーーーい!!」
両手を上げて、誰へでもなく抗議する戸乃上。なんとかなだめようと考えを巡らした時、
「よっす、お2人さん、下校、ご一緒良いかい?」
少し枯れた活発な声が後ろから掛けられる。振り向くと、そこにはクラスメートの勝又芳樹(かつまたよしき)が居た。
「勝又。お前、部活はどうした? 山岳部に休みなど不要、みたいな事、言ってただろう」
俺が聞くと、勝又はため息を吐きながら首を振る。
「急遽、休みになった。いや、体力勝負の山岳部、身体としては休みは不要なんだがよ、如何せん山の事情でな」
「山? 何かあったのか?」
「あ、もしかして、ホームルームで言ってたやつ?」
俺が首を傾げると、戸乃上が変わりに答えた。はて、何かあっただろうか。
「ま、ホームルームなんて普通は聞かねぇからな。大文字が知らないのも無理はねぇわ」
「だろ?」
「無理あるよ……普通は聞こうよ……」
いや、でもだってだるいし……。担任が美人なら良いんだけど、違うし……じじぃだし……。
「校舎の近くに山があるだろ? そこが俺ら山岳部の主な活動場所なんだが、最近よ、部員達が次々に動物の変死体を見つけちまったんだ」
「なにそれこわっ! そんな話だったんだ。先生、山には近付かないように、しか言ってなかったから……」
「気持ちの良い話じゃねぇからな。小させぇ山だから熊だの狼が出没なんてしたらすぐに見つかるだろうし、誰かの悪戯じゃねぇかってなったわけよ」
「危険だから近寄るなって事か?」
「だったら良かったんだがなぁ。部員が疑われてんのよ。サバゲー感覚でやったんじゃねぇかって」
勝又はそう言うが、内心穏やかでは無いだろう。自然が好きで入った山岳部で、自然破壊の犯人と疑われているのだから。
「なんかよー、チュパカブラにでも吸われたみてぇに血が抜き取られて干からびてんだ。そんなん、普通の高校生にどうしろって話よ」
「確かに、特別な道具でも使わないと無理だな」
「チュパカブラ! かわいい!」
「可愛くはないと思うが……いや、見たことは無いけども」
「あとはあれだ、最悪犯人と出くわしちまったら危険だっつーことで、休部だ」
「それはご愁傷さま」
一瞬、脳裏に神辺が過ぎった。が、彼女が動物虐待を趣味にしているとは……思えるかもしれないが、魔物にお情を掛けるやつだ、動物をやたらと殺す奴では、多分、無い。
「だろー? 部員みんなで頭抱えて、今めっちゃ落ち込んでんだ、皆。動物を意味もなく殺すようなやつなんか俺が殺してやりてーぐらいだってのに、なんで俺まで疑われんだっつーの」
悪態をつきたくなるのも解る。趣味が理不尽に奪われる気持ちは、知ってるつもりだ。
「…………まぁ、なんだ」
どんまい、と言おうとして、しかしやめた。ふと、俺にとって大切な事を思い出したからだ。
「山岳部の副部長、美人だよな」
黒髪ショートで眼鏡で知的にもスポーティーにも見えて健康的なのにやたらエロい雰囲気を醸し出してる先輩が、山岳部の副部長だったはずだ。
「ん? 黒田さんだろ? あんな美人でさえ動物虐待の犯人扱いだぜ」
と苦々しく言う勝又。
「許せないな、それは。他の部員はどうでもいいが、美人が貶められるのは許せない」
「だろ? …………待て大文字、俺もどうでもいいってことか?」
「心配して欲しいのか、勝又」
「同情すんなら金をくれや」
「お前なんかに金をやるくらいなら美少女に貢ぐさ」
「お前のブレなさ、かっけぇよ……」
「女から見たらドン引きだよ?」
戸乃上につっこまれた。おしまいだ。
でもまぁ、あれだ、同情したから美少女に貢ぐのは、俺の習性みたいなもんだ。
「ちなみに、山のどの辺で、とかあるのか?」
聞くと、勝又はしばらく考える。
「マップとかにしたわけじゃねぇけどよ、山の校舎から遠いほうにさ、クレーターみてぇになってるとこあんだろ? あの付近が比較的多かった」
「宇宙人じゃないのか、犯人」
「それは最初に皆して言ったわ」
俺のボケにカラカラと笑う勝又。しかし、ジョークばかりを言っていられない嫌な予感が胸に張り付いている。
「比較的多かった、て言えるくらい頻発してるのか? いつから?」
俺が聞くと、勝又ははて、と首を傾げる。
「先週末だから、以前からって感じじゃねぇよ。ただ、金曜に部員が見つけて、面白がった連中が自分も見つけられるんじゃねぇかって冗談半分で探してみたら、次々見つかったってわけよ」
「……そうか。──あれだな、野次馬っていうのは、どこにでも居るんだな」
「何かに興味を持つってのは、人のサガみてぇなもんだしな」
勝又はそう言って苦笑するが、願わくば見つけないで欲しかった、とでも言いたそうな苦笑だった。見つからなければ、部活が出来たのに、と。
「ねぇねぇ、話してるとこごめんね」
俺に、というより、勝又に断りを入れる感じで、戸乃上が手刀を切る。
「この後、バンドの話し合いで、ちーちゃんとマックで待ち合わせしてるの、だから道が──」
「あー、すまん、香海未、俺今日、用事が出来たんだ」
「えー!」
「出来れば神辺と香海未で話して、色々決めといてくれ」
「…………日にちズラしても良いけど……」
「いや、2人で話せる事は話といて欲しいんだ。俺はバンド経験者だから、変な先入観が入る。そういうのが無い話し合いも、しておいて欲しいんだ」
「……なーる。わかった!」
どうやら納得してくれたようだが、全て詭弁の大嘘だ。つまり、神辺の足止めをしといて欲しい、ということでしかないのが本音だったりする。
「大文字が戸乃上の誘いを断るとか……山崩れ起こすからやめてくんねぇか……」
「人を戸乃上の奴隷みたいに言うのは辞めてくれないか。俺は美少女の奴隷なんだ」
「結局は奴隷なのかよ……」
ちなみに奴隷が進化すると性奴隷になれるので、いつかそうなりたいものだ。とまでは口に出さないでおいた。
「じゃあ、私はここでねー」
と、戸乃上が曲がり角の向こうへ消えていく。
「俺も、今日は電車で帰るわ。なんか休部になっちまったせいで、二駅分走って体力着けんの、馬鹿らしくなっちまった」
戸乃上が居なくなったからだろう、勝又は建前無しの弱音を吐く。
山岳部が普段から何をしているのかは知らないが、体力作りは大切だろう。好きな事には一生懸命になれる勝又がサボる、という現状、こいつがどれだけ滅入っているのかよく解る。
「ああ、まぁ、たまには休みも必要だろう」
そう言って、駅のほうへ向かう勝又を見送ると、俺はすぐに踵を返し、学校へと戻る。正確には、学校の近くにある、クレーターのある山を、だ。どうしてもひとつ、確かめたい事が出来てしまった。
日はまだ沈み始めていないが、到着する頃には赤い空になっているだろう。暗い中で山登りはしたくないため、自然と早足になる。
山登りが怖いとは思わない。だが、嫌な予感がした。あまりにもタイミングが良くて、条件が整ってしまっていた。
山に着き、適当な山道からわざと外れて、クレーターのある方角へ最短ルートで進む。道じゃないだけあり、小さな山でも険しい場所がいくつもある。オークの身体能力でなければ進むのは難しかっただろう。
足元を這う木々の影。その所々に落ちている光が赤くなっていた。
はたと、山道に戻ったわけでも無いのに、やたらと歩きやすくなっている事に気付いた。道無き道だったはずが、知らない間に獣道に紛れ込んでしまっていたようだ。
「……おいおい、嫌な予感なんだから、外れてくれよ」
草木の上を獣が通った事で、草木が折れたり潰れたりして出来る道。
人1人通るのがジャストサイズの道。
小動物では、こんな大きな獣道は出来ない。
その不自然な獣道を抜けると、大きなクレーターへと辿り着いた。
どうして出来たのか誰も知らない、隕石落下跡のような場所。ここだけは何年経っても木は生えず、土や岩壁が剥き出しになっている。
夕日でオレンジになった足元をよく見ながら進むと、それはあった。人の足跡だ。
山岳部もよく使うからか、沢山の足跡がある中で、しかし、明らかに登山靴ではない上で新しい靴跡を見つけるのは、比較的容易だった。
嫌な予感は、ほぼ確定に近付いた。
そしてその足跡を辿り着って、もう1度林へ──獣道へと足を踏み入れる。
「食事中に失礼するね」
嫌な予感は、的中した。
俺が声を発したその先に居たのは、赤い髪の少女だった。……というのは、現実逃避のひとつだ。
本当は、オレンジの夕日を反射する事で赤黒く見える灰色の髪の少女、だ。
彼女が振り返る。
口からはみ出した牙。
血でべったりと染まった真っ赤な口元。
灰色の瞳。
「ちょっと、話しがあるんだ──明園さん」
返り血に濡れた美少女、明園陽華。
狂気的なその姿で彼女が抱き抱えているのは、動物の死骸だった。
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