第五話〜明園陽華
「お待たせー!」
と、元気よく扉を開ける戸乃上。
「失礼致します」
と、戸乃上の後に続いたその姿に、俺は絶句する。
色素が薄くてグレーにも見えるが、光の具合で茶色とも黒とも取れる曖昧な色の真っ直ぐな長髪が肩まで垂れてから、ちょこんと胸に乗っかっている。髪が乗るほどの巨乳を生で拝んだのは初めてだ。
瞳も、殆どグレーの不思議な色をしている。大きいがタレ目なせいか、目力は感じない。はんなり美人と言いたいが、あらゆる色素と目鼻立ちの良さが、ハーフですと饒舌に語っていた。
「こちら、キーボードでお誘いした
戸乃上が自信たっぷりに紹介する。が、その美しい名前を
俺は、美少女は国の、いや、人類が誇る財産だと思っている。それで言うなら彼女は1万シンガポールドル札だ。1枚で八十万円ちょっとの、世界で最も価値のある紙幣。好き嫌いあれど、これ以上は無いと断言したくなるような、そういう存在。なにこの例えよく解んない。
「ギターを担う神辺だ。よろしく頼む」
と、神辺が隣で立ち上がって、俺も挨拶をせねばと、歩み寄った。
気取ってはいけない。自然こそ最大のアピールだから。
初対面であることを忘れてはならない。親しみ易さが損なわれてしまう挨拶はタブーだ。
そう自分に言い聞かせながら俺は、彼女の手を取り、片膝を着いた。
「──結婚して下さい」
言い聞かせた意味は全く無かった。
「──まずはお父様に話を通して下さい」
そしてこんなフラれ方は初めてだった。
「一目惚れしましたって、よく言われるでしょう」
「言われませんわ。そんな事を初対面で言う人は初めてです」
「それは貴女がすれ違ってきた男達に見る目が無かっただけだ。貴女は一目惚れされて然るべきだ。なにせ俺が、こうも容易く心を奪われてしまったんだから」
「私は何も奪っていませんわ」
「無いのは翔ちゃんの節操だよね!」
「おいおい香海未、俺はちゃんと節度をもって口説いてるんだぜ。節操が無いなんて言われ方は遺憾だ」
「節度ってどんな?」
「美少女を口説く時は1度に1人までと決めている」
「全然無いね、節度!」
「そんな事より香海未、俺は今この人を口説いてるんだ。邪魔するっていうなら変わりにお前を口説くぞ」
「節度は!?」
「そんなもの美少女の前では無力なんだよ」
「無力にしないでよ! ちゃんと働かせて、節度!!」
「……と言われてもな、香海未、俺はこういう性格だから、節度とか節操ってのがよく解らないんだ。美少女が居たら口説く。当たり前だろ」
「当たり前じゃないし自分で言っちゃ駄目だし……。ほら、あんまりすぐに口説いちゃうと、ここぞ、って時に本当の気持ちが伝わらなくなっちゃうよ?」
「ここぞって時は行動で示すさ」
「どんな風に?」
「行動で、だから、言葉では説明出来ないな……。そうだ、口説いてるのを邪魔した罰として、ちょっと今から香海未を本気で口説いてみよう」
「翔ちゃんの口説きは罰なんだ……。うん、いいよ、ばっちこい」
「結婚してくれぇええええええええ!!」
土下座した。
「プライド無いの!?」
「そんなもの美少女の前では無力なんだよ!!」
「弱すぎるよ! 翔ちゃん美少女に対して無力なもの多すぎるよ!!」
ひと段落。
「──こんな感じのことを趣味にしてる。すぐに口説くが、美少女と見れば手当り次第に声を掛けているだけから、真に受けないで素直に『綺麗だねと言われたー』程度に受け取って貰えると助かる」
「ここまでが自己紹介だったのですわね」
片手で口元を隠し、笑いを堪えながら明園さんが言う。まぁそんな感じだ。少し緊張しているようにも見えたから、馴染みやすいように馬鹿をやっとこうと思っただけで、明園さんを口説いたのは9割くらいしか本気じゃない。
ちなみに残りの1割は、実は明園さんがビッチで、言い寄られればほいほい簡単に着いていく尻軽女だったら良いなー、と期待を込めての下心だ。もしかしたら割合は逆かもしれない。
「翔ちゃんはね、女としての自信を無くしかけた時とかに使うと便利だよ!」
素敵な紹介文をありがとう香海未。でも使うとか言わないで?
「明園、か。独特な喋りをしているようだが、特殊な育ちの者故に、だろうか」
そう聞いたのは神辺だ。
「独特な喋りなのはお前もだよ?」
答えたのは俺だ。
「お前などという呼び方をするな。失礼なやつめ」
「ごめんなさい」
だから怖いよ、お前。
「ええ、家が少し変わった家なのと、外国へ行く機会が多かったからだと思います。立ち居振る舞いが少々、人とは違ってしまっているようです」
はにかんで答える明園さん。
「外国へ? もしかしてイタリアにも?」
と俺が聞くと、明園さんは少し驚いてから、もう1度はにかむ。
「ええ、見抜かれてしまいましたわ」
「イタリア! かっこいい! え、ていうかなんで、なんで翔ちゃん解ったの!?」
「手を取った時にあまり抵抗を感じてるようには見えなかったから、多分イタリアンなナンパにも慣れてるのかな、と」
イタリアに行った事は無いけど。
「少し変わった家、というのは?」
「おいおい神辺、初対面で家の事を聞くなんて失礼だぞ」
「初対面で求婚した人間に言われるのは流石に遺憾なのだが……ふむ、確かに好奇心に駆られて冷静を欠いていた。忘れてくれ、明園」
「ええ、構いませんわ。ところで、バンドの話なのですけれど……その……」
そこまで言って、明園さんの声が小さくなり、そして聞こえなくなった。変わりに俺が続きを言う。
「そうそう、バンドをやるって集められたんだが、皆は本当に大丈夫なのか? 明園さんも、少し変わった家って言ってたから、事情も色々変わってくるんじゃないかと思うんだ」
「ちょっと翔ちゃん、ネガティブな聞き方禁止!」
「解った、聞き方変えるな。本当にバンドやりたい人、香海未にとーまれ」
この指とーまれ、の音で言いながら、香海未の頭を撫でる。すると、香海未は最初こそ「うへへぇ」と気持ちよさそうにし、しかしすぐに「はっ」と覚醒する。
「なんで私!? って、ちーちゃんまで!?」
気付けば神辺も香海未の肩に手を置いていた。
「本当に大丈夫なのか?」
退魔師の仕事とかあるだろう、という意を込めて牽制する。
「問題無い。魂の基準値たりえる趣味はあるに越した事が無いのだから」
意味が解らないからスルーした。
そして。
しかし。
「…………あーちゃん?」
あれ、と、香海未が明園さんを見つめる。
俺も視線をそちらに送ると、明園さんは香海未に手を伸ばしもせず、自分の手を自分の手で、固く握っていた。
「……どしたの?」
おそらく、事前の勧誘では了承されたのだろう。香海未は本当に不思議そうな声音で訪ねている。
「その……」
何かを言いかけて、しかし言葉を詰まらせる明園さん。
既に聞くまでも無い事だ。
この人は、バンドをやらない。
「ほら、とーまれ、だよ。私にとーまれ!」
明るく、楽しげに言い直して手を広げる香海未。
明園さんの手が一瞬動きかけて、けれど動かまいとしてさらに固く握られる。
「……ごめんなさい、私はここに、お断りをしに来たのです」
「え、なんで? なんか嫌だった……?」
香海未が明園さんのほうへと歩み寄ったから、俺は香海未から手を離す。神辺もそうした。
「そうではありませんわ。……少し、事情が変わりましたの」
「……事情? 事情って」
「香海未」
問いただそうとする香海未を、俺が止める。
「やりたくないやつを、無理に誘うな」
「無理にじゃないよ。だって最初はやるって、一緒にやるって、嬉しそうに言ってくれたもん。ピアノすごく上手いんだよ」
「それでもだ」
俺の言葉によって、香海未が黙る。黙って明園さんを見て、何かを言いかけて、やっぱり辞めて下を向く。
「……ごめんなさい」
そう言って、明園さんは音楽室から出ていった。
「だそうだ。他を当たろう」
俺の提案に対し、香海未はしばしの間を置いて、しかし力無くこう答えた。
「あーちゃんがいい」
そう言葉にして実感したのか、次は力強く、もう1度言う。
「一緒にやるなら、あーちゃんが良い」
多分それは、俺か神辺でも同じように言ったに違いないし、本心なのも間違い無い。
「私、もう1回ちゃんとお話してくる」
そして、香海未も音楽室から出ていき、またしても俺と神辺だけの空間となる。
「貴様は、明園が断ると解っていたのか?」
「貴様って呼び方、お前よりも失礼だと思うんだが。……解ってはいなかったよ。けど、後ろめたい事があるらしいのは、なんとなく解った」
「ふむ。私には、明園はバンドをやりたがっているように見えたし、貴様や戸乃上との人間的な相性は良好と思えたのだが」
「俺にもそう見えたさ。でも明園さんは断った。なら、仕方ないだろう」
「ふむ……。もう昼休みが終わるな。私は教室へ戻るとしよう」
「……と見せ掛けて襲ってきたりしないよな」
「今は、襲う理由が無いからな」
「そんなものは未来永劫無い」
「そうであることを願おう」
そして、音楽室には俺1人となる。
ようやく落ち着けた。俺は近くの椅子に腰を落とす。そして制服のケツポケットから財布を取り出し、お札ケースの中から1枚の名刺を抜き出した。
『明園ヴォルフマン』
病院で出会った男。昨日俺を轢いた男だ。
彼女が、明園さんがバンドを断った理由は知らない。彼女がどんな人間かも知らなければ、香海未とどんな関係なのかも知らない。
ただひとつ解る事がある。
それは──彼女が魔物だという事だ。
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