第四話〜神辺千勢登

「こちら、ギターを担当してくれる神辺千登勢こうのえちとせちゃんこと、ちーちゃんです、覚えてね。て言っても、翔ちゃんは美人さんが大好きだから、勝手に覚えるだろうけど。それで、こっちがベースの大文字翔吾こと翔ちゃん。美人さんには手当り次第に声を掛けてるよ!」


「……おいおい、香海未、人をただのナンパ師みたいに言うなよ、初対面の人が引いちゃうだろ」


「え、引かれる自覚あったんだ!?」


「そんなに驚くことなんだ……」


 いや、今は本当に余裕が無くて、ウェットに富んだジョークは言えそうに無い。


「初対面ではなかろう、大文字翔吾。先日のこと、忘れたわけではではあるまい?」


「…………えっと、神辺さん、だったかな。悪いが人違いだと思うんだ。あんな臆病者は俺じゃ有り得ない」


「誤魔化したいのか誤魔化したくないのかよく解らぬが、どうやら本人で間違いなさそうだな」


「いや…………今のは口が滑っただけだ。やり直したいから、忘れてくれないか。出来れば、昨日のことも一緒に」


「うむ。確かに、駅前のブレイクダンサー並に滑っているな。1度その口を粗い研磨剤にかけて、摩擦力を減らしたほうが良いのではないか?」


「残念ながら、俺が駅前で見たことのあるブレイクダンサーは全然滑れてなかったから、その必要は無い」


「ほへー。2人、知り合いだったんだー」


 こちらが緊迫した心理戦を行っていたところに、香海未が間抜けな声で入ってくる。


「…………」


 本当に、気が動転して取り返しがつかないところまで喋ってしまった気がする。しかし、俺は今、命の危機に面しているのだ。それも仕方ないと思う。


 だが、この状況に収拾を付けたのは、事の発端でもある神辺だった。


「先日、学校の制服を着たまま深夜に出歩いていたため、私が声を掛けたのだ。せめて服を着替えてから出歩け、とな」


「なーるほど。翔ちゃんは夜遊びが好きだからなー。あと火遊びも」


 火遊びと夜遊びが好きな童貞なんて居ないと思うんだ、俺。


「……火遊び?」


「いや、違う! 火遊びっていうのは決して危険な遊びではなくてだな……そう、ネットのことなんだ。俺はTwitterとかでよく爆弾発言をして炎上させて遊んでるんだが、これがなかなかに楽しくてな!」


「うむ。……人に害は」


「加えていない、大丈夫だ! 炎上させるネタは他人に不快感を与えないよう考慮されている、完璧にだ」


「そのアカウントを確認したいところだな」


「おいおい、無粋なことを言うなよ、せっかく鍵アカウントにしてこっそり楽しんでるんだ、おいそれと他人に見せられるものじゃない」


「ほぉ……。鍵付きのアカウントで炎上しているのか? どうやって」


「……さぁ」


 もう駄目だこれ。


「翔ちゃんのTwitterすごいよ。オススメのグラビアアイドルの紹介ツイートとかして、フォロワー千人超えてるもん」


「香海未、空気を読んでくれ。その情報は今は要らないはずだ」


 たまにAV女優が混ざってる事には気が付いてないようで助かったが。


「ふむ、鍵付きのアカウントでフォロワー千人越えか」


「適当なこと言うんじゃなかった……」


 話がこんがらがってる……。


「また騙したのか。貴様は嘘が好きなのか?」


「……心外だな、好きなんじゃなくて必要なんだ。嘘も方便って言うだろ。美少女を楽しませるトークには、適度な嘘と適度な盛りが必須なんだよ」


「ほんとうに、よく滑るしよく回る口だ。ブレイクダンスでも始めたらどうだ?」


「悪くない提案だ。モテそうだから善処するよ」


「え、口が滑るとブレイクダンスも出来るの!?」


「香海未、今のはただの言葉による戦争だから、気にしなくて良い」


「そっかぁ。なら良か──良くないよ気にするよ!! なにその危険な響き!!」


「安心してくれ、この戦争は俺の全滅でもって、もうじき終わる」


「殲滅されるの!?」


「勝てる気がしないからな」


 割と切実に。


「あれ、そういえばまだあーちゃんが来てないや」


 あーちゃんが誰かは知らないが、バンドメンバーで間違い無いだろう。


「ちょっと呼びに行ってくるね」


「待て香海未、少し落ち着け。俺を1人にしないでくれ」


「あはは、駄目だよ翔ちゃん、1人じゃないじゃん、ちーちゃんと一緒だよっ」


「1人にしないでくれ……っ!」


 間違えたんじゃないんだ、その2人きりが危険過ぎるんだ。


「翔ちゃんて人見知りしたっけ? 大丈夫大丈夫、じゃあ行ってくるねー」


 そして颯爽と去りゆく香海未。元気いっぱいに、俺の救いは消えた。


 少しの沈黙が置かれる。時計の針が回る音を数回ほど聞いたところで、平然とした口調で神辺が言った。


「まぁ、座れ」


「…………トイレに行かせてくれないか」


「昨晩のように失禁しないためにか?」


「…………」


「いいから座れ」


「…………見てくれよ、俺の脚、震えてるんだぜ。きっとこれはトイレを我慢し過ぎたんだ」


「それが本当ならば問題はないが、仏の顔も3度まで。嘘ならば許さん」


「……いえ、怖くて震えてるだけです」


「そうか。ならば座れ。少なくとも校内で事を構える気は無い」


「…………はい」


 怖いことに変わりは無いが、きっとこいつは嘘は吐かない。俺は、神辺から少し離れた椅子に腰を降ろす。それを確認した神辺は、足元に置いてあった鞄から雑誌を取り出す。


 残念は音楽雑誌のようだ。知らないギタリストが、表紙でドヤ顔している。人を座らせておいて放置かよ……と思いかけたが、その心配は早計だったらしい。


「あれから、魔物の力で人に危害は?」


 聞かれ、僅かに浮き足立つ。下手な返しをすれば殺されかねない。慎重に言葉を選ぶ。


「……加えてない。初めからそんなことは1度もしてない」


「ならば良い。魔物の力を乱用しないのならば、私は貴様に手を出さないと約束しよう」


「……俺は人助けをしたんだぜ? それくらいは良いだろう」


「駄目だ。私以外の退魔師には絶対に見つかるな」


「まるで他の退魔師から俺を救ったみたいな言い方だな。あんな目に遭わせておいて」


「やり過ぎは否定しない。だが、他の退魔師であれば見逃さなかった可能性が高いだろう」


「なんだよ、退魔師ってのはたかがオークにも目くじらを立てるほど、仕事が無いのか」


「仕事を減らすために魔物を減らすのだ。たかがオークであっても、魔物に変わりは無いからな」


「俺は人畜無害だ」


「今は、な」


「未来永劫、だ。他の魔物がどうかは知らないが、俺は人間の社会が好きだし、美少女が大好きだ。それらに危害を加えるなんて有り得ない」


「貴様の有害性は、貴様の意思とは無関係のところにある」


「人を毒ガスみたいに言うのはやめろ。殴り合いの喧嘩だってしたことが無いんだぞ」


「人では無いだろう。そういう次元の話では無い。貴様は、魔物のくせに魔物の事を何も知らないのだな」


「……どういう意味だ」


「貴様が今のまま人の社会に潜んでいれば、じきに解る」


 本当に意味が解らない。


 俺は父親がオークだが、普通に仕事をしている。共働きのおかげで収入も良いため、小遣いでベースを買ったり機材を揃えられた。家にかなり広い地下室があり、そこでなら深夜にだって爆音で演奏出来る。


 当たり前に、社会に浸透しているのだ、彼らは。


 それを有害呼ばわりされるのは、気に食わない。気に食わないが、食ってかかる勇気は今の俺には無かった。


「……しかしせんな。オークは性欲の象徴。それなのに貴様は童貞なのか」


「オークだって誰でも良いわけじゃないんだぜ。高望みし過ぎてたから出遅れたんだ」


「誰かと付き合う勇気が無かっただけでは無いか? それとも、自分のイチモツに自信が無いのか」


「おいおい、あまりオークの血を舐めるなよ。なんなら、お前のその身で試してやってもいいんだぜ」


「是非も無いな。実は昨晩あのあと、刀の刀身を研いだのだ。試し斬りに使わせて貰おう」


「ごめんなさい」


 怖いんだよ。おちおちとジョークも言えない。


「冗談も交わしたところで、そろそろ緊張は解けたか?」


「本気で言ってるのか? 昨日、俺はお前に殺されかけたんだぞ」


「そうか。そうだろうな」


「…………」


 じっとり、と神辺を睨んでみるが、効果は無い。それもそのはず。この女は会話中、1度も俺のほうを見ていないのだ。ずっと音楽雑誌に目を通して、何か気になったものを見つければドッグイヤー、またドッグイヤーを繰り返している。


「なぁ、神辺。つかぬ事を聞いても良いか」


「許す」


「……その雑誌ってまさか」


「気付いたか。これはあのBLOOD MENの20周年記念で企画された特集雑誌でな。なによりギタリストが超絶技巧派なのは言わずもがなだが、彼がギターについて語るというので何か参考になるのではないかと思い、昨日購入したのだ。すると思いの外素晴らしくてな。もしやこれからギターを始めるという戸乃上にも有意義なのではないかと思い、いけないとは知りつつも学校へ──」


「いや、そのバンドは知らない」


「ちっ」


 初めて俺のほう向いたと思ったら一言でそっぽ向いたよこいつ。


 いや、しかし。しかしだ。もしやと思った事が現実に迫りつつある。


 俺は、恐る恐る神辺に問う。


「…………まさか、昨日の事故に出くわしたのって、その本を買った帰りか……?」


「……そうだが?」


「雑誌のついでで殺されかけたの!?」


 あまりのショックに俺は、戸乃上が戻ってくるまでの間、一言も喋れなかった。

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