第二話〜大文字翔吾
「ですから、大丈夫なんですって」
半眼で俺を睨む初老の医者へ、俺はガッツポーズを作ってみせながら、そう主張する。
「いやね、それでも、検査は必要だよ」
ため息混じり答える医者。どうも頭が固くていけない。
「身体だけは頑丈なんです。いえ、もしここに美人ナースが居たら検査を受けるのもやぶさかでは無いんですが、その、こう言うのは失礼かとは思うんですが、こう──ここ、おばさんしか居ないじゃないですか」
「失礼だと思うなら言わなければ良かった事だと思うのだけれど。──身体は頑丈でもね、内蔵とかは鍛えられないし痛覚が無い臓器も多いから、知らない間に傷付いてるなんて事はよくあるんだよ」
「よしんばそうなっていたとしても、近所に住んでいる美少女幼馴染と会えば完治する程度でしょう?」
「そんな治療法は確立されていないのだけれど。その美少女幼馴染? とやらにも、心配かけたくは無いだろう。余計な心配をかけないためにも、検査をしてだね……」
「あ、いえ、心配して欲しいです。あいつの思考が俺で埋まるとか、割と最高です」
「さらりと下衆いね」
「というか大丈夫だと言っているじゃないですか。どうしたら信じてもらえますか。片手腕立てとかどうです?」
「話を聞いているかな。それをしたら帰れると思ったのかい?」
「いえ、帰ったあと幼馴染に対して過ちを犯さないため、今のうちに疲れておこうかと思いまして」
「別の意味で帰したくなくなったよ。人の話聞いてね?」
「いえ、健康体に医者の言葉は、馬の耳に念仏ですよ」
「だから、健康体かどうかを調べたいと言っているのだけれど…………いや、校舎の屋上から飛び降りても平気だった君だから、頑丈なのは知っているけれど、今回はしっかりと車と衝突していて、万が一が有り得るんだよ。交通事故なんだよ、交通事故」
「解ってくれてるじゃないですか。大丈夫だって」
「君ねぇ」
かかりつけの病院だからズバズバと言い合っていられるが、この医者はいつもしつこい。
医者はひとつ深いため息を吐いて、「まぁいいか」と一つ間を置いた。
「なら、もし今後異常が出たらすぐに来て。ちなみに、事故の相手方へはどうする?」
「今回の診察料だけ払って頂きたいのと、今後余所見運転はしないと約束して頂ければ、他を請求する気はありません」
「わかった。そう伝えておくよ」
医者はようやく諦めてくれたようだ。なによりである。
「ところで、俺が救った美少女はどうなりましたか?」
「美少女?」
「ほら、俺が交通事故に遭ったきっかけの」
「ああ、あの子か。あの子ならお陰さまで軽傷で済んでいるけれど…………美少女?」
「そうですか……良かった。あ、いえ、いいんです、無事なら。俺の名前は大文字翔悟(だいもんじしょうご)で郡坂(こおりざか)高校に通っているものだ、なんて紹介しなくても、全然大丈夫です」
「そこは任意ということになっているけれど……ちなみにあの子は男子だよ」
「え、じゃあマジでいいです、紹介しなくて」
「きみは…………」
「え、いや、うそですよね、あんなレベルの美少女、そう居ないですよ。あれで男子だなんて、もはやマナー違反です」
「マナー違反なのは君の言動だよ……。今、彼は精密検査中だ。じきに終わるけれど、挨拶くらいはしたらどうだい?」
「男子なんですよね。なら結構です」
「きみは……」
呆れつつも、手元の書類に何かを書き込む医者。最後に大きな丸を書き込んで、診察は終わった。
「手続きとかもあるから、ロビーで待って……ああ、その前に、大文字くん」
「なんでしょうか」
「ここ最近、魔物の急患が増えているんだけど、何か心当たりはあるかい?」
「さぁ。美少女以外に興味は無いので」
「君は君自身にも興味を向けるべきだ……君も気を付けてくれ、と言いたいんだよ」
「大丈夫だと思いますよ、生命力しか取得の無い存在ですし」
「それでもだ。死人の診察なんてしたくないから、気を付けてほしい」
「わかりました。失礼します」
美少女の居ない場所に留まる理由も無い。俺は早々に立ち上がり、受付のある広場まで来た。するとそこでは、2人の中年男性が話し合いをしていた。
1人は事故した車の運転手。もう1人は、おそらく俺が庇った子の父親だろう。
「せめてお詫びの印だけでも受け取って頂けないだろうか。こちらの不注意で、大変な事をしてしまった」
そう頭を下げるのは、細身で黒い長髪の、一見女かと間違えそうな雰囲気の男。
「命に別状は無いようやし、うちの子も外の音が聞こえんくらいの音量で音楽聴いとったせいでもあるんや。通りすがりに救ってもろたんは、どちらにも幸運やったと思って、な?」
恰幅の良さげな、なんか仏みたいなオーラを出している男が、苦笑いしながら断っていた。
「おや、もしかして君が!?」
仏っぽい人が俺に気付き、早足で近付いてくる。
「事故の関係者さんですか?」
念のため確認すると、「せや、せや」と、俺の手を掴んできた。
「おおきに。ほんまおおきにな。お兄さんのほうは、大事あらへんか?」
へこへことした態度が様になっていて、仏から商人にグレードダウンした。
「はい。頑丈なだけが取得なので」
と、そんな具合で商人っぽい人に気を取られていて気付かなかった。もう1人の長髪の男が、いつの間にか、無言で、深く頭を下げたまま、俺に紙切れを差し出していた。
その紙切れには、『明園ヴォルフマン』という社名なのか人名なのか解らないサインと¥50000000─という謎の数字が書かれている。
「…………これは?」
「小切手だ」
「見れば解ります」
嘘を吐きました。言われるまで解りませんでした。
「お詫びの印に、受け取って欲しい」
「いや、無理でしょ……」
「足りぬか。倍でどうだ」
「半分でも無理です」
「くっ……ならば0をひとつ増やせば良かろう!!」
「良くないから! 多いんですよ、人の話聞けよ!!」
というか十分の一でも無理。
「そこをどうか!! 受け取って貰えなければ、罪悪感と自己嫌悪で何をしでかすか解らんぞ、良いのか!!」
「脅し!? いや、俺普通の高校生ですから、こんな大金怖くて受け取れませんよ!」
これが大金ではなく美少女の心とかなら喜んで受け取った。でも5千万だよ!?
「ほら、明園(あけぞの)さん、あんたが心から悪かった思うとるんはよー解る。でもな、恩義の押し付けはあかんて」
商人が割って入ってきたおかげで、明園と呼ばれた男の勢いが落ちる。そこで俺も加勢する。
「そうですよ。もうこんな事が起きないように気を付けてくれれば、俺から求めるものは他にありません」
「ほんに、ええ男やなぁ」
「やめて下さい……」
「いやいや、普通じゃ考えられんくらいのええ男やで、兄さんは」
「いえ、美少女以外から褒められてもあまり嬉しくないので、ほんとにやめて下さい」
「…………」
「…………」
ドン引きの沈黙。
かと思いきや。
「ぷっ……あっはっは! いや、やっぱ兄さん、ええ男やで! 『うちの子供を美少女と勘違いして救ってくれた』的なオチは大好物や!!」
商人さんが大笑いした。
ん? あれ、なんでバレた!?
「そうか……我が娘も外見はかなり良いから、娘に渡させれば良かったかもな」
と、明園さんも微かに笑う。
「いえ、その場合は娘さんを渡して下さい」
「それはならん」
「ですよね」
そりゃそうだ。
しかし、それにしても。
「俺には、えっと、明園さん? は、かなりしっかりした人に見えます。どうして余所見運転なんかを?」
「それは……いや、ここで嘘や隠し事は不誠実か」
「せやで、嘘を見抜くんが得意なもんがここに居るしな」
商人さんは明るい空気のままだが、明園さんが見る見る神妙な面持ちに変わっていく。
「最近、我々──知り合いが通り魔に襲われ緊急搬送される事件が相次いでいてな。あの時、気配を感じて、そちらに気を取られてしまった」
「…………」
今度はこちらが黙る番だった。
普通の人間なら、何を言っているのかよく解らなかっただろう。しかし、俺には解った。
横目に見ると、商人さんもいつの間にか、真剣な顔つきに変わっている。
「明園さん、あんたも、そっち側か」
「というと、つまり?」
商人さんと明園さんが顔を見合わせる。その光景に確信する。
「「「──魔物」」」
本来、魔物は隠れて暮らしている。だからそうだと名乗る事は殆ど無い。しかし、今は状況が違った。
「やはり……あんな事故で既にピンピンしている以上はそうだろうと、君のほうは解っていたが、まさかあなたもだったとは」
「妙な偶然もあったもんやなぁ」
「そうですね」
互いに名乗り出る事が無いため、こういう形で他人の魔物と逢うのは初めてだった。しかし思えば、この病院、というかさっきの医者は、俺のような魔物の診断も率先して行ってくれる。そういう人のところに魔物が集まるのは自然なことで、そうなればこの街にも魔物は多くなる。少し考えれば、当たり前のことかもしれない。
「ところで、通り魔ゆうんは」
「おそらく、退魔師であろうと踏んでいる」
「……せやろなぁ。うちの知り合いも何人かやられたわ」
「退魔師?」
二人の会話に割って入るつもりは無かったが、その単語が気になった。
「なんや、兄さん、知らんのか」
「いえ、知らなかったというより、実感が無かったと言うか……えっと、ほら、こう言うのもなんですが、俺は大した魔物ではありませんし、人間とのハーフなので、そういう話とは無縁というか……」
「今時ハーフなんて言うたら、結構な濃さやけどな」
困ったように笑う商人。
「そうなんですか?」
「せやで。わいの知り合いでも」
「待ちたまえ」
明園さんが俺達の会話を止める。見ると、彼は腕時計をこちらへ見せていた。
「じき深夜になる。せめてタクシー代は出すから、学生である君は今日のところは帰りなさい。何かあったら連絡を」
「ああ、ありがとうございます」
差し出された5000円札と名刺。そういえば、俺の両親はどうしたのだろう、大丈夫とはいえ事故に遭ったのだから、迎えくらいあっても良さそうなのに。
携帯を家に忘れたから、連絡先が解らなかったのかもしれない。いや、この病院は行きつけだ。俺の連絡先くらい解るはず……。
「まぁ、いいか」
無事に変わりは無い。
「積もる話はゆっくりと、食事でもしながらしよか。それとも、うちの子供の診察終わるまで待てば、家まで送るで」
そう言いながら、商人っぽい男も名刺を渡してくる。
「いえ、結構です。ほんとに大丈夫なので。あ、でも俺、名刺持ってないです」
「学生に名刺など求めへんて。ほな、警察に狙われる時間なる前に、はよ帰り」
そう愉快に笑う商人さんの言葉に甘えて、俺は病院を出た。
ここから家までは二十分程度。健康体がタクシーを使うのは、些か贅沢過ぎる。お金を受け取っておいてなんだが、これはポケットに入れてしまおう。
と、呑気な空気に浸っていたはずだった。結局音楽雑誌も買えなかったなぁ、なんて考えて、事故に遭った事すらどうでも良く思っていた。
その瞬間までは。
「──ようやく出てきたか」
その声は、さっきまで俺を包んでいたはずの生温い空気を切り裂くような、そんな鋭さを孕んでいた。
声のしたほうへと振り向く。
暗い道。病院の光が照らす中で、しかし、そいつは街路樹の影の中に居るせいで顔が見えない。
顔など見える必要も無く、そいつは危険だと解った。
女だ。背の高い女。風に長い紙が靡き、その光景が不気味さを醸し出す。
その独特なオーラを放つそいつは、何かを持っている。長い何か。棒状の何か。
1歩、また1歩と、ゆっくり近付いてくるそいつが、街路樹の影から出て、病院の明かりに照らされる。
美しい、などという場違いな感想が最初に出てきた。ほぼ同時に、どす黒い恐怖が心臓から溢れ出し、その激しい鼓動に息が詰まる。
足がすくんだ俺を、誰が責められようか。
「なに、そう固くなるな。抵抗したって構わないのだ」
鋭い眼光で俺を睨むそいつは、
「それとも、退魔師と直面しても無抵抗で居れば大丈夫、などと、楽観視しているわけではあるまい?」
凛々しく俺を見据えるそいつの手には、長い日本刀が握られていた。
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