射精報告の義務化とその虚偽申告における罰について。

「射精報告における虚偽の申告は、公文書偽造及び国家への思想的反逆! 射精の虚偽深刻は、立派な犯罪であります!」

 テレビで偉い政治家が力強くそう叫び、僕はビクッと身を震わせた。

「いやよねえ、射精について嘘をつくなんて。ねえお父さん?」

 母さんがおばさん臭い声と動作で政治家に同意し悪態をつく。

「ううむ、そうだな。きちんとどう自慰行為をしたかの報告をするのは国民の義務だ。タカシのクラスは、皆きちんと射精の報告をしているか?」

 父が腕を組んで唸り、僕に聞いてきた。

「だ、大丈夫だよ。僕のクラスに嘘吐きなんかいないって!」

「そうか」

 冷や汗が止まらず、僕の目はあちこちを泳いでいた。

「じゃ、じゃあ僕、学校に行くね!」

「あら、いつもより早いわね」

「金魚の餌やり当番があるんだ!」

 僕は嘘を吐いて、逃げるようにしてその場を去った。特にすることもないが、今日は早めに中学校へ行こう。


 射精報告義務制度。

 20年前に始まった制度で、自慰行為をした時間、場所、方法、何をおかずにどんなシチュエーションを想像して自慰行為をしたかを文書にして報告しなければいけないという義務を、国民は課せられた。この報告で嘘を吐くこと、報告をしないことは立派な犯罪で、違反すれば刑事罰を受けることになる。

 なぜ、このような制度が始まったか。20年前、日本では児童ポルノ・リベンジポルノ・有害図書の氾濫、スマートフォンを使用した児童の有害サイト及び閲覧等が最盛を迎えており、そのことによる国民のモラルの低下が大きな社会問題となっていた。

 それらを一気に解決したのが、この射精報告義務制度である。射精情報を報告させることによって、児童ポルノ、リベンジポルノをおかずに射精した人間や有害サイトや有害図書を閲覧しそれをネタに射精した児童は即刻逮捕される。そのことによって、児童ポルノ、リベンジポルノは激減。児童の有害図書・有害サイト閲覧にも厳しい対策が取られることになったのだ。こうして国民のモラルの低下に歯止めがかかり、国家の安寧は保たれたのだ。

 また、この義務に違反するものは、国家の安寧を害するものであると見做され、厳罰に処される。射精の報告をしないものは、この社会では生きてはいけないのだ……


 学校の授業が終わり、帰りの会の時間になった。帰りの会……ここでは、男子は皆、昨日の射精報告を皆の前で読み上げなければいけないのだ。

「昨日の午後19時、自室でヤングジャンプに掲載されていたグラビアアイドルの内山真聖たそで自慰行為をしました。シチュエーションは、真聖たそがスクール水着を着ていて、学校のプールで立ちバックで真聖たそと性行為をするところを想像しました。」

 クラスメイトの山田がパッとしない報告をした。グラビアアイドルで自慰行為をするのは、実にスタンダードだ。僕たちは年齢的にアダルトビデオを視聴することができないから、自然とテレビや雑誌で見たグラビアアイドルで自慰をすることになる。もしもアダルトビデオで自慰をしてしまえば、補導されて面倒なことになる。

「山田くん、グラビアアイドルの名前の後に“たそ”はつけなくて良いです。簡潔な報告をお願いします。では次」

 担任の佐藤先生は山田に射精報告の正しい方法を指導すると、次の生徒の発表を促した。次は、クラスで一番気持ち悪いオタクの杉林だ。

「昨日……午後21時……沼南公園のトイレで……い……石」

 えっ、石?

「石、ですか? 杉林くん」

 先生も不思議に思ったのか聞き返した。

「か、河原で拾った……石……穴が開いてて、エロい形をしてたから……」

 教室がざわついた。

「スゲエ……」

 クラスの大将、不良の中田くんから感嘆の声が漏れた。

「一瞬でフロアを沸かせやがった。オーディエンスは奴の話に夢中だ……やりやがるぜ……負けてられねえ……」

「ああ、ゼッテーだな……」

 中田くんの相棒とも言うべき不良の藤田くんも相槌を打った。

 クラスで一番気持ち悪いオタクの杉林くんだが、決して不良たちから虐められることはなかった。なぜなら、イケてる射精をした人間こそが、男子の中で最もイケてる人間とされるからだ。射精はもはやファッションであり、彼らの地位を大きく左右するものであった。毎日クールな射精報告をする杉林くんは、虐められるよりもむしろ一目置かれ、イケてる男子たちの良きライバルとなった。

「では次、渡辺くん」

 渡辺の射精報告で、事件は起こった。

「昨日、午後21時、自室で……クラスメイトの斉藤若葉で自慰行為をしました」

「きゃああ! いやあ!」

 渡辺くんの発表に、金切り声のような悲鳴が響き渡った。叫んだのはそう、おかずになった斉藤若葉当人だ。

「ちょっと、渡辺くん! 若葉で抜くなんて、何考えてんのよ!」

「そうよそうよ! 若葉が可哀想じゃない!」

 始まった。女子たちの糾弾だ。

「ごめん、つい、出来心で……」

「ついじゃないわよ! あんたなんかのおかずにされて、若葉が傷ついたじゃない!」

 渡辺の悲痛な謝罪も聞き入れられなかった。僕はその状況に、冷や汗をべったりとかいていた。他の男子たちは気まずそうに沈黙して俯いている。

「渡辺くん、ちょっとこっちに……」

 場を収めようとした先生が、ひとまず渡辺を廊下へと連れ出した。僕は廊下に近い場所にいたので、渡辺と先生の会話が少し聞こえてきた。

「……いい? 渡辺くん。私、正直に報告したことはすごく偉いと思うわ。あなたには何をおかずに自慰行為をしても良いという自由もある。でもね? クラスメイトで自慰行為をするのは、やっぱり帰りの会の報告もあるのだし、控えた方が良いと思うの。わかってくれる?」

 先生は渡辺を優しく諭した。

「はい……はい……!」

 渡辺は泣きながら先生に答えていた。女子の糾弾は相当堪えたのだろう。

「うん、渡辺くん。先生はあなたの味方。でも、今日はちょっと、先に帰ろうか……明日になれば、きっとほとぼりが冷めるわ。先生が教室に置いてある荷物を持って行くから、渡辺くんは下駄箱に行っていなさい」

「はい……ありがとうございます……」

 渡辺はシクシクと泣きながら下駄箱へ向かっていった。

 先生は廊下から教室に入ってきた。

「ねえ、みんな。理解してほしいの。渡辺くんは、決して悪気があってやったわけじゃない。どうしても我慢できないときって、あると思うのよね? 傷ついた若葉ちゃんの気持ちもわかる。でも、ねえ、お願い。渡辺くんのことを許してあげてくれないかな?」

 先生は渡辺を弁護した。

「……はい」

「若葉、いいの!?」

「美希ちゃん、ありがとう。でもいいの。きっと、男の子には男の子の事情があるから……」

「騙されちゃダメよ、若葉! そんなの嘘だわ!」

 幸い、若葉ちゃんは心の広い女の子だった。自分で致したことを許したのだ。若葉の友達の美希ちゃんはまだ怒っていた。友達で抜く男なんて、絶対に許せないといった感じだった。そう、これが怖いのだ。

 先生が渡辺の鞄を下駄箱前にいる渡辺に届けてから戻ってくると、射精報告が再開された。

「次、小山田くん」

 小山田とは僕の苗字だ。いよいよ僕の番が来た。ドクンドクンと心臓が鳴る。射精報告はいつも落ち着かない。今日は渡辺くんの件があったから尚更だ。だって僕はこれから、国家の安寧秩序を揺るがすような重罪を犯すのだから。

「昨日、21時。自室で、僕は……」

一呼吸置き、チラとクラスメイトの吉岡美園を見た。

「週間少年サンデーのグラビアページに掲載されているグラビアアイドルの笹塚杏子で自慰行為を致しました。シチュエーションは、」

 嘘だった。

「自分と笹塚杏子が旅行先の旅館で声を我慢しながらのセックスするという妄想。報告は以上です」

 大嘘。これは犯罪だ。そう考えると、僕の胸の鼓動はどんどん大きくなっていく。喉が乾く。舌がひりつく。

「はい、では次」

 そう簡単にバレはしない。僕の嘘は真実と受け止められ、事務的に次の人の発表へと移った。

 なぜ、嘘をついたのか。本当は誰で自慰をしていたのか。吉岡だ。僕が自慰を始めた小学5年生のときからずっと同じクラスの、吉岡美園。僕の片思いの相手で、僕は自慰行為を始めたときからずっと彼女で致していたのだ。そして、射精報告で正直に報告をして僕が吉岡で抜いていることがバレてしまえば、さっきの渡辺のようになってしまうことは明らかだ。それだけは絶対に、嫌だ。


「おい!」

 帰り道、小泉に話しかけられた。この男は、いつも美園ちゃんをいやらしい目で舐めまわすように見ている男だ。

「何か用か?」

「何か用か、じゃあないだろう。お前、射精報告のときはいつも明らかに様子が変だ。もしかして、嘘を吐いているんじゃないか?」

 僕は震撼した。すごい勢いで目の前に緞帳が降りたように、世界が真っ暗になった。焦り、恐れた。まさか、見破られたのか? いや、証拠は無いはずだ。焦るな。大丈夫、ゆっくりと相手を説き伏せろ。

「何の話だか全然わからない。第一、嘘を吐く理由が無い」

「ふーん。好きな女の子で抜かないのは、不自然じゃないかい?」

 身体がビクリと少し反応してしまった。口元に嫌らしいにやけ笑いを湛えて、小泉は何かを見破ろうとするように僕を睨んだ。

 そういえば聞いたことがある。小泉は前のクラスだったとき、射精報告で吉岡さんの名前をおかずとして挙げていたという噂を。

 別のクラスの女の子であれば、本人の前で射精報告をすることはないから、おかずにしても問題は起きない。この男は、吉岡さんと同じクラスになる前は吉岡さんで抜きまくり、同じクラスになってからは吉岡さんで抜かないようにしていたのだ。僕はというと、精通のあったときからずっと吉岡さんと同じクラスだったから、吉岡さんで抜いたことを射精報告できないでいたのだ。

「わかっているとは思うけど、虚偽の射精報告は違法だよ。厳罰を与えられる」

 吉岡はまとわりつくような声で語りかけた。蛇のような男だ。

「これは忠告だ。彼女の周りをうろちょろするのはやめるんだな」

「余計なお世話だよ」

 僕はそう言って、小泉の元から足早に去ったのだった。


 クソッ! クソッ! クソがッ!

 小泉との一件のせいで、僕はとても苛立っていた。

「バレてたまるかよ、ああそうさ、あいつが何を言おうとも本当のことなんてわかりはしないんだから!」

 頭を掻き毟った。クソ、一発抜いて落ち着こう。もちろん、吉岡さんをおかずにするのだ。

 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴った。なんだ、こんなときに!

 今の時間帯、家には他に誰もいないので僕が出るしかない。ドタドタと足音を立てて玄関へ向かい、ドアを開けた。

「なんですか!」

 威嚇するようにキツい調子で声を浴びせたが、相手は平然としていた。

「いやあ、ちょっとお聞きしたいんですがね」

 スーツ姿の男。鷹のように鋭い眼をしている。

「もしかして、射精について、虚偽の報告をしているんじゃありませんか?」

 男の射抜くような視線はより強まり、身体が固まった。

「な、何を言っているんです?」

 ようやっと声を出す。心臓の鼓動が早まる。あの野郎、チンコロ(密告の意)しやがったのか!? バレるはずないのだ。落ち着け、落ち着け。

「ああ、私、こういうものです」

 ドラマなどで見慣れた警察手帳を呈示してきた。

「刑事、さん……」

「はい、実はですねえ。あなたがグラビアアイドルで射精をしていたと報告のあった時間、あなたの部屋から“美園ッ!”という声が聞こえたのですよ。申告のあったグラビアアイドルの名前とは違う……それどころか、これはクラスメイトの女の子の名前なのではありませんか?」

 刑事は口元に笑みを浮かべていたが、眼は笑っていなかった。奴のチンコロに応えて、見張っていたというのか。

「少し、話をお聞かせ願えませんかねえ……?」

「帰ってください!」

 刑事を拒否し、ドアを強く閉めた。

 ドン! ドン! ドン! ドアが思い切り叩かれた。

「ネタは上がっているんだ! おとなしく出てきやがれ!」

 刑事は声を荒げた。

 クソッ、どうしてこんなことに! 何もかもがもうお終いだ。射精の虚偽申告は重罪で、極刑もありうるのだとテレビで偉い政治家が言っていた。

 こうなったら、捕まって刑に処される前に、やりたいことをやるしかない。

「僕の、やりたいこと……」

 そう呟くと、僕は机の引き出しに隠してあった、本物の射精報告書を取り出した。そして、2回にある自室の窓を開けて、そこから飛び降り、刑事のいる表口とは逆の方向へと闘争した。

「待て!」

 刑事が勘付いて、僕を追ってきた。

 捕まってたまるものか。捕まる前に、必ず美園に告白するんだ! 強い意志を胸に、僕は走り出した。

 さすが現役の刑事だ、速い。追いつかれてしまいそうだ。美園の家は、この河の橋を渡った向こう。どうせ死ぬんだ、足が千切れたっていい。僕は全力で走り続けた。

 河原で不良の中田くん、藤田くん、そして気持ち悪いオタクの杉林くんが3人で石を拾っていた。中田くんはこちらに気付くと、刑事に全速力で駆け寄った。

「刑事さん、取り急ぎ報告があります!」

「な、なんだ、後にしろ!」

 中田くんは刑事の前に立ちふさがると、大声で叫んだ。

「射精の報告であります! 射精は教師、刑事等の公務員への報告義務でありますから、今報告させていただきます! 俺は今、河原の石をおかずに抜きました! エロい形をしていたもので!」

 誇らしげな表情で伝える中田くん。

「ええい、どけっ! どけっ!」

 振り払って進もうとする刑事さんを、中田は必死に妨害した。

 中田は僕にサムズアップした。ここは俺に任せて行けよ、と眼で語っていた。藤田と杉林も刑事に駆け寄って、射精の報告をし始めた。

 中田はどんなことがあってもクラスの仲間を裏切らない。義に厚い男なのだ。

「みんな……ありがとう!」

 僕はその場を走り去った。


 僕は美園の家に辿りつき、玄関のチャイムを鳴らした。出てくれ、頼む!

「はい?」

 聞き間違えるはずのない、美園の声だった。

「僕です、タカシです」

「あ、タカシくん。今出るねー」

 ドタドタとこちらに走り寄ってくる音が聞こえる。

 ずっと全速力で走っていたのもあって、心臓の鼓動は爆発しそうに高鳴っていた。

「タカシくんこんにちはー。どうしたの?」

「うん、美園ちゃんに伝えたいことがあって」

 そう言って僕は本物の射精報告書を取り出した。

「これなんだけど! 僕、実は嘘の射精報告をしていたんだ!」

 紙束を美園ちゃんの目の前にバサッと音を立てて突き出した。ここが俺の墓場だ。人生のフィナーレを始めよう。恐ろしさに目を瞑って、大声を出す。

「実は僕、美園ちゃんをおかずにして、ずっと射精をしていました! 今まで3,000回! ごめんね、気持ち悪くて! でも、僕はめっちゃ気持ちよかった! 3,000回も射精しているのに、何で君が妊娠しないのか不思議に思うことさえあった! でも、僕、嘘を吐いてた! 伝えなくちゃって、死ぬ前に伝えなくちゃって思って、今日はここに来ました!」

 言い終わり、眼を開けて、美園ちゃんを見上げた。きっと、嫌われたに違いない。とんでもないクズ野郎だって、気持ち悪い奴だって思われたに違いない。

「……?」

 美園ちゃんは、キョトンとした顔をしていた。そして、口を開いた。

「えーと、射精報告って、朝やってるあれ? 実は私、みんなが何を報告しているのかわかってないんだよね。射精って何? まあ何かよくわからないけど、私が君のお役に立てたってことかな?」

 予想外の言葉がつらつらと並べられた。僕はハッとして、元気よく返事した。

「ハイ、そうです! ありがとうございました!」

「うん、うん、何だかわからないけどよかったよ。用事はそれだけかな?」

「ハイ!」

「上がってお茶してく?」

「いえ、大丈夫です!」

「そっか、じゃあ、明日また学校で」

「ハイ、また明日学校で!」

 バタンと玄関の扉は閉められた。

 なんだ、なんだったんだ、こんなものなのか。でも、とにかくよかった。

 安堵からその場で腰を抜かしてしまった。

 刑事さんが近寄ってきた。でも、もう何も怖くない。僕は刑事さんに両手を差し出した。

「ご迷惑おかけしました。僕を、捕まえてください」

 いや、と刑事さんは言って僕の手を納めさせた。

「大人になったな、坊主。やりゃあできんじゃねえか。良い射精報告だったぜ。俺には、こんなにすばらしい射精報告をしたお前を逮捕することなんて、できねえよ。俺には、できねえ」

 そういうと刑事さんは逮捕状をビリビリと破り捨てた。

「じゃあな、坊主。今日の気持ちを大切にしろよ」

 そう言って刑事さんは立ち去っていった。

 僕は、家へと帰った。


 今月いっぱいで射精報告義務は無くなることが政府から発表された。

 なんでも、一人の少年の勇気ある射精報告についての話を聞いたお偉いさんが感動したらしく……

「美しい、真の射精報告は、オカズにした相手にのみ伝えるもの。愛は、秘めるもの。人をもう一度信じてみよう」

 そう思い、射精報告の義務の取りやめに動いたのだそうだ。

 あれから、美園ちゃんとは仲良くやっている。小泉は、次の日僕が登校したのを見て、悔しそうな表情を浮かべていた。

 あの日、彼女に本当の気持ちを伝えてよかったと思う。これが、射精報告書の虚偽申告についての顚末。僕はきっと、あの日の勇気を忘れない。

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