第7話:親友
店を出た時には既に日が落ちていたこともあり、結局僕たち3人はその街に泊まっていくことにした。幸い宿屋にも空きがあり、無事に4人部屋を1つ抑えることができた。
豪が部屋の隅のソファにどっかり腰を下ろしながら、わざとらしく大声を張り上げた。
「あーあ、何だかんだで丸一日無駄になったな」
「ちょっと、感じ悪いよ、豪君」
「事実だろ。
ぐうの音も出ないとはこのことか。
豪の口から飛び出す情け容赦のない言葉の槍を、僕は黙って受け入れるしかなかった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、僕なら平気です。取られたお金も豪さんが取り戻してくれましたし……」
「デスマッチだったら死んでたぞ。ラッキーだったな」
「ちょっと!やめてったら」
「やめない。茜も、軽々しくデスマッチなんて2度と受けるな。下手したら死んじまうってこと、分かってんのかよ」
「豪君だって、5人同時に相手にしてたじゃない!」
「それは、俺が自分の力量と相手の力量の双方を正確に
つまり、豪は最初から「鳳凰騎士団」の連中のことを知っていたのだ。出会った時、豪が食い入るようにミルゲを凝視していたことを思い出す。彼は相手の実力を推し量った上で、僕や茜では勝てないと判断し、必死に止めてくれていたのだ。
茜もそのことに気づいたのか、ばつが悪そうに視線を逸らした。
しかし豪は、気にした素振りも見せずにぼんやりと窓の外を眺めている。仮想世界の夜は現実世界のそれより闇を濃くし、街全体をしじまが包み込んでいる。
「ま、良かったな」
「え?」
「誰も死なずに済んだ」
「……気にしてくれてたんですね」
僕の皮肉にも、珍しく食いついてこない。どことなく漂う感傷的な表情に、茜と僕は黙り込む。
「どんなに嫌ってたやつでも、死んじまうと寝覚めが悪いからな」
「昔、その……そういう経験があったんですか」
何気ない問いかけだったが、豪の顔がみるみる強張っていくのが分かる。茜も心なしか、顔を伏せているようだ。そこで漸く、この話題が豪にとってのタブーであったことを感じ取り、僕は途端にいたたまれなくなった。
しまった。
慌てて話題を変えようと口を開きかけた時、静かな感情を
「丈嗣、お前、親友っているか」
「それって、
「そんなもん、どっちだって良い」
そんな親しい間柄の友人など、これまでいただろうか。ぱっと頭に浮かばない時点で、恐らく僕に「親友」なんてものはいなかったのだろう。
「……すいません、思い当たらないです」
正直に返事をすると、豪の翳った表情に少しだけ笑みが広がった。
「
「余計なお世話です」
「ったく、話が始められねぇじゃねーか。そこはいますって言っとけよ」
「そういうもんですか」
「そういうもんだよ。なぁ、茜?」
「へっ?! は、はひっ?! 私はいますよ!」
だしぬけに話を振られて呂律が回っていない様子の茜は
「俺には、いた。
「“サンプル”だったんですか?」
「ああ。少し引っ込み思案なとこもあったが、気配りができる優しい奴でな。こういっちゃ何だが、俺とは正反対だった。なのに、妙にウマが合ってな」
「ツカサ君、だよね」
茜の問いかけに、豪はゆっくりと
ツカサ――いつか流王の部屋で漏れ聞こえた名前。
豪の悲痛な叫び声が、未だに耳にこびりついて離れない。
「その、ツカサって人――」
「死んじゃいねぇ!死んでるはずがねぇ。ただ厄介な奴に目をつけられちまってな、今もどこかで、俺が助けに行くのを待ってる」
「その厄介な奴というのは」
「
「その人は――“サンプル”なんですか。それとも、普通のプレイヤー……?」
「分からない。恐らく“サンプル”には違いないが、そもそもどんな姿をしているのかさえ分かってないんだ」
「私も詳しく聞くのはこれが初めてだけど、ツカサ君は攫われたってことなの?」
茜が遠慮がちな声音で尋ねる。豪はため息をつくと、再び視線を窓の外へと向けた。
「ツカサはある日、姿を消した。獅子旗の居場所を掴んだって、前の日に俺にこっそり耳打ちしにきたんだ。あいつは臆病なくせに、人間の悪意や敵意に真っ向から向かっていくようなとこがあった。
俺はやめるように言ったのに。あいつ、その日の夜にこっそり拠点を抜け出して、獅子旗のもとへ行っちまったんだ。その後――あいつの姿は誰も見てない。流王さんもやつの後を追ってくれたが、結局つかまえることはできなかった」
最後の部分で、豪は悔しそうに
「それって……」
「殺されてなんかねぇ!ツカサはあれで、強力な能力者だった。
そうは言いつつも、豪は自信なさげに目を伏せた。信じたい気持ちはあれど、完全に無事だとは言い切れないのだろう。
「とにかく、死んじまったら気分がわりぃだろうが。お前とはツカサほどの仲じゃないが、蚊に刺されたくらいには落ち込むってことだ。
……だから、今日みたいな軽はずみな行動は2度とするな。その選択がどういう結果を招く可能性があるのかを考えた上で、理性的に判断しろ。俺たちに、リプレイはきかねぇんだからよ」
言葉が重みをもって、肩の上にのしかかってくる。
豪は充分に認識しているのだ。ツカサという親友がもしかしたら――帰ってこないかもしれないということを。それはある意味、残された者としての想いの
僕はこの、荒神豪という少年のことを誤解していたのかもしれない。周りを
そんな彼の澄み切った瞳を、僕は逃げずに真正面から見据えた。
「勿論です。もうあんな真似はしません。だから――」
「だから?」
「もうちょっとばかし、仲良くやりませんか」
そう切り出すと、豪は呆気に取られたようにぽかんと口を開けた。
「は?」
「これ、真剣にお願いしてます。これからも旅は続きますし……そろそろ、互いにちょっとずつ歩み寄りませんか」
彼は尚も呆けたように口を開けていた。しかしすぐに、思い当たる節があるように、クツクツと顔を伏せて笑い始める。
「そりゃそうだよな。初めて会った時、結構
「そうですよ!屋敷に入ったと思ったら、いきなり絡まれましたからね。随分柄が悪いのがいるんだなと、内心ドキドキしてましたよ」
「……つーかさ、前から思ってたんだけどよ、その敬語何とかしてくれ。気持ちわりいんだよ、見るからに俺より歳上だろ、お前」
「え?いや、だって、豪……君も、敬語使わないし」
「それは良いんだよ!今更遅いっつの」
そんなものだろうか。
戸惑っている間に、傍らに座る茜も畳みかけてくる。
「それじゃ、私も便乗して、これからは正式に丈嗣君って呼ばせてもらおうかな。……私のことも、布施さんじゃなくて、茜って呼んでね。それと、もう中途半端な敬語禁止ッ」
「それは何だかしっくりきま……くる気がする」
「おい、それは俺とはしっくりきてねぇってことかよ」
声を荒げる豪を宥めつつ、僕は心地良い温かさが胸に広がっていくのを感じていた。豪との間に感じていた靄のように掴みどころのない蟠りも、少しは追い払うことができたのかもしれない。最初は豪と宿をともにすると聞いて苦り切っていたが、むしろ彼のことを知る良い機会になった。
「それじゃ、そろそろ寝ようか! 明日も早いみたいだし」
「ずっと思ってたんだけど、豪君も茜ちゃんも朝早すぎじゃないか? 正直、毎日眠くて眠くて……」
「腑抜けたこと言ってんなよ。せめてゲームの中でくらい、シャンとしやがれ」
「それじゃ、飲んだらすぐに眠気が飛んでくスペシャルアイテムなんかは――」
「そんなもんあるかッ」
豪の喝を背中に感じつつ、僕はベッドへと潜り込んだ。灯りの部屋が落とされて5分も経たぬ内に、2人の規則正しい寝息が聞こえてくる。その寝つきの良さに嫉妬しつつ、僕は薄目を開けて天井を眺めた。静けさが横たわる暗闇を透かして、天井の木目がうっすらと見えたような気がしたが、気のせいだったのかもしれない。
……そういえば、番号のこと、訊けなかったな。
寝返りをうつと、柔らかなシーツの手触りが掌に触れる。現実に戻ってきたと錯覚するほどの感触に、戦慄に似た感情を抱きながら、僕は過去の豪の叫びに想いを馳せた。
豪は僕の番号を知りたがっていた。そういえば、流王にも1度訊かれたことがある。
TCKにやってくる前に入った部屋の番号。もうあと数歩の距離で分かりそうなのに、目を凝らすとぼやけてしまう。もどかしい気持ちが胸一杯に広がったが、ついに思い出すことはできなかった。
僕の番号を知ってどうするつもりなのだろう。流王の部屋でなされていた会話の文脈からするに、「ツカサ」に絡んだ話のはずだ。
僕とツカサの番号。
僕と彼の共通点。それは――2人とも“サンプル”であるということ。
“サンプル”は一般プレイヤーにはない力を有し、そして
その時ふと、素朴な疑問が頭を過った。
TCK内で死んでしまった時、現実世界では何が起こるのだろう。そもそも、リースブレイン社はゲーム内での死が、現実での死に直結することを把握しているのか。
……もし、把握しているのだとしたら。僕たち“サンプル”が死ぬことは、既に織り込み済みであるとしたら。
“サンプル”の存在意義は未だに不明のままだが、それがリースブレインにとって――いや、TCKにとって重要な意味をもつのだとしたら。
もし“サンプル”が死ねば、代わりの人間が、入ってくるのではないか。
例えば、「ツカサ」が死んだ代わりに、この僕が――。
天井の木目が、見知らぬ怪物の瞳のように見える。このコンピュータの演算処理によって実現されたデータの世界にも、幽霊や怪物の類は巣くっているらしい。僕は小学生に戻ったように、身体を丸めて縮こまった。
きっとこれは、妄想に違いない。想像力が豊かな僕の思い込み。
しかしその後暫く、僕は眠りにつくことができなかった。
フリーターでも現実世界に戻りたい~チートを使うにゃ努力も必要~ @origami063
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