第2話:エリアボス
門の向こう側には、茫漠たる砂漠が広がっていた。辺りには身を隠すようなものは何もない。
僕は屈みこむと、足元に横たわる砂塵を手に取った。手触りは砂糖のように滑らかだ。
「あちゃー、砂漠ですか」
「どうしたんです?」
「いえ、ちょっと相性が悪そうだな、と」
頼りはこれだけか、と独りごちて、彼女は片手に担いでいる麻袋に目をやった。
「そんなことより、あれ見てください」
茜の指差す方に顔を向けると、平坦な砂漠の一点に奇妙な盛り上がりがあった。
「あれ……動いてないですか」
「動いてます、ね」
僕と彼女が顔を見合わせているそばから、その盛り上がりは急速にこちらに近づいてくる。地響きを立て、砂塵をまき散らしながら猛然と突っ込んでくるにつれて、それが小山と呼べるほど巨大であることに気づき、僕は青ざめた。
「ちょ、近づいてきてませんか」
「近づいてきてます、ね」
「いや、そんな悠長なこと言ってる場合ですか!避けろ、布施さん!」
刹那、砂の下から巨大な影がせり上がり、陽光を遮った。足のないムカデのようなおぞましい体躯が、塔がごとく天に伸びる。
「……デスワーム」
ヤツメウナギのような魔物の口吻が、頭上から落ちてくる。顔はなく、不揃いに牙の生えた円形の口だけがぽっかりと空いている。その中に飲み込まれる前に、僕は後方に跳んで何とか距離を取った。
魔物は僕が元いた位置に頭から突っ込んでいき、再び砂の下へと潜り込んでいく。
でかい。今まで闘ったどんな魔物よりも大きい。こんなサイズ、相手にできるのか。
というか、そもそも攻撃通るのかよ、これ。
「布施さん!」
「何ですか!」
「僕ら、早すぎたんじゃないですか!こんなビルみたいにでかいミミズ、本当に倒せるんですか!」
怒鳴るようにして問いかけると、茜はどんと胸を叩いた。
「大丈夫です!見た目は大きいですけど、体力はそう多くありません!吉田さんの攻撃なら、間違いなく通ります!」
地響きと轟音の中で、茜の言葉は何よりも強く心に響いた。
彼女は僕を信じてくれている。とにかく、倒すか死ぬかしなければここからは出られないのだ。
しかし、想いとは裏腹にそう都合良く物事は進まない。僕は何とかしてデスワームに攻撃を当てようとしたが、やがてそれが絶望的に困難であることを思い知った。
通常、デスワームは地中にその身を埋めている。姿を現すのは攻撃の時だけだが、それもほんの一瞬のことで、カウンターを見舞うには時間が少なすぎる。
ならば出鼻を狙おうと、砂の中から飛び出てくるところを狙い撃ちにしようとしたが、この考えもあえなく粉砕された。飛び出してくる時に「吹き飛ばし」判定があり、近くにいると身体ごと投げ出されてしまうのだ。幸いダメージは入らないようになっていたが、これでは距離を詰めることもままならない。
攻撃を避けるのは容易い。予備動作が大きいため、余裕をもって対処すれば当たることはないだろう。
だがこのままでは、時間が徒に過ぎるだけで何も解決しない。攻撃を当てるための糸口を探そうと頭を捻るが、妙案は出てこない。
焦りがじんわりと足元から這い上がってきて、僕は思わず舌打ちした。
要は相性が悪いのだ。近接型の僕では、この魔物にダメージを入れられない。
例えば阿羅のような魔術タイプなら、「吹き飛ばし」なんて関係ない。遠くから攻撃を当てていれば、クリアすることは容易だろう。
その時、背後から茜の大声が響いた。
「吉田さん、諦めないで!次、もう一度出鼻を狙って下さい」
「え?でも、『吹き飛ばし』判定が――」
「私を信じて!合図したら、出鼻を叩いて下さい。いきますよ!」
僕は振り返らぬまま頷くと、木剣を強く両手で握った。盾は使わず、攻撃力を最大限高めた状態で相手にぶち込む。
地を潜行するデスワームが巻き上げる砂塵が、辺りに暗く染め上げる。太陽は翳り、まるで夕暮れ時のような薄闇が僕と茜を取り巻く。
木の芽が顔を出すように、砂山が盛り上がる。
その周りで、何かがきらりと煌いた気がした。
――くる。
「まだ!」
今にも飛び出そうとしたところで、茜の鋭い叫びが背後から突き刺さる。
振り返ると、茜は目を見開いてデスワームがいる辺りを凝視していた。正面に突き出した両手が、時折ぶるぶると震えている。彼女の脇には、口の開いた麻袋が無造作に放ってあった。
中身はどこへいったのか。
いや、そんなことより、彼女は何を言ってるんだ。遅過ぎる。
ほら、もうあの巨大な体躯が、驚くような速さで飛び出して――
こない。
「今!行って、丈嗣君ッ!」
考える間もなく、脚に溜めていた力を解き放ち、僕は一跳びでデスワームとの距離を詰めた。木剣にイメージを投影し魔物に突き立てようとしたところで、その光景の奇妙さに気づく。
何だ、これ。
デスワームは丁度地面から顔を出したところで、オブジェのように固まっている。
そこに重なるようにして、いつの間にか巨大な透明の円柱がそびえていた。その中を、デスワームはゆっくりと、天に向かって昇っていく。
眼前の光景は場違いなほど幻想的で、眼の奥にしかと焼き付けられた。
これは――水?
「丈嗣君、何してるの、早くッ」
茜の声に我に返る。
そうだ。今は、目の前の魔物を打ち倒す。それだけに集中するんだ。
円柱は丁度、デスワームと同じくらいの太さだった。薄皮一枚を隔てたところに、おぞましい化け物の体表がうねっている。
透明な円柱もろとも、僕は携えた剣をその身に突き立てる。
やはり、水のようだ。剣を引き抜くと、跳ねた水滴が頬に当たった。
茜がこいつを止めていてくれる間に、体力を出来るだけ削り取る。それが僕の役割だ。
この力だっていつまでもつか分からない。彼女にばかり頼ってはいられないんだ。
速く。
もっと、速く。
僕は叫び声をあげながら、肉体の限界まで剣を振るった。
******
「意外に早かったな」
「何言ってるんです。先に行きますか、普通」
「別に生きてりゃメッセージくれりゃあ良いし、死んだら死んだで待ってても無意味だろ」
豪はそう言うと、目の前のグラスに手を伸ばす。
僕たち3人は、街の酒場の一席に腰を下ろしていた。もう日が落ちているから、今日はここに泊まることになるだろう。
あろうことか、豪は僕たちを置いて次の街で一服していた。一言くらいメッセージを入れて置いてくれれば納得もできたが、そんな米粒程度の気遣いすらない。
「そういえば、豪君お酒飲める歳なの」
「うるせぇ、関係ねぇだろ」
「味、分かるんですか」
「馬鹿にすんな!新入りのくせに」
「だから、僕の名前は吉田丈嗣ですって」
顔を顰めながら酒をあおる豪を見て、茜と僕は顔を見合わせて苦笑した。
デスワームとの死闘を乗り越えて、僕と彼女の間には目に見えない絆ができつつあった。元来性格が似た者同士というのもあるのだろう。彼女といると、心の中のざわめきがぴたりと掻き消えて、凪いだ湖面のような安らぎが全身に広がっていく。
「にしても、布施さんの力って便利ですね。水を操るチート能力だなんて、聞いただけでワクワクしてくる」
彼女の脇に置かれた麻袋に目をやる。あの中には、大量の水が収められているのだ。何でも、「圧縮」して見た目よりもずっと多くの量を持ち運んでいるらしい。
「正確には、液体を操る力ですね。でも、イメージの割には使い勝手が良くないんです」
「水を槍みたいに尖らせて、相手に突き立てるとかはできないんですか?」
「無理ね。そもそも、TCK内で定義されてる水って、他のオブジェクトとそもそものパラメータ値が全然違うの。今日やったくらいが精一杯」
「また、お得意の粘々攻撃使ったのか」
豪の下卑た笑い声に、茜は顔を赤らめた。
「その言い方やめてッ」
「ミミズお化けもさぞかし気持ち良かったろうよ。羨ましい」
「すいません、何ですか、その粘々攻撃って」
「吉田さんまで!その表現は誤解を招くので、以後禁止ですッ」
彼女は咳払いをすると、改まった調子で説明を始める。
「今日私が作ったあの円柱です」
「?別に粘々なんてしてなかったですけど」
首を傾げる僕に、豪が嘲笑うような視線を向ける。
「それは茜がお前のためにネバネバさせなかったからさ」
「チョッ、本当に怒るよ、豪君!」
「はいはい」
「それじゃ、気を取り直して……要は、あの円柱の粘性を変化させたの。推進力が同じなら、粘性パラメータ値を引き上げてやると、そこを通るもののスピードは相対的に遅くなる。分かりやすく言えば、空気の中より水の中の方が、動きがゆっくりになるでしょう。
デスワームには『吹き飛ばし』判定があるけど、判定が持続するのはコンマ数秒だけだから、出てくる時の動きを止めちゃえば、吉田さんでも近づくことができるかなって思ったんです」
「成程。そんな中で僕が攻撃できたのは、布施さんがそこだけ粘性を低めにコントロールしてくれたから、ってことですか」
「そういうこと。考えてみると、力の種類としてはちょっと吉田さんのに似ているかもしれないですね」
僕の力に似ている、というのは正直よく分からなかったが、僕は曖昧に頷くに留めた。
正直、今日の勝利は茜の力によるところが大きい。見たところ、彼女は僕とは異なり、液体ならば触れていなくても自由に動かすことができるようだ。
あの円柱だって、デスワームの幅と寸分たがわず同じだった。やつの姿を見ることができたのは、攻撃のために飛び出てくる一瞬だけ。その間に、あれほど正確に特徴を把握して、操る水にフィードバックしたというのか。
……まだ、足りない。
僕ももっと、強くなる。
ならなくちゃいけないんだ。
「はに、まじめなはおひてんだ、ほまえ」
「……呂律、回ってませんよ」
その後、飲み潰れた豪を2人で部屋に運びこみ、僕の冒険の最初の一日は終わりをつげたのだった。
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