第14話:昏い叫び
流王と宇羅の作った美酒佳肴の大半は、既に参加者の胃袋に飲み込まれつつあった。
「それにしても、ようやったなぁ、丈嗣ぅ!」
かれこれ30分ほど、この酔いどれ親父の相手をしている。最初の15分は楽しく語らっていたのだが、後半15分はオウムのように同じフレーズを繰り返すだけで、最早会話にすらなっていない。
「一条さん、ちょっと飲みすぎじゃないですか」
「お前も飲むか?」
「僕はもう沢山飲みましたから」
「何つまらんこと言っている。そもそも無事帰ってこれたのは、誰のおかげなんだ?」
「そりゃ、剣捌きを教えてくれたいちじょ――」
「そうだろう!そうだろうとも!儂が教えたんだ、丈嗣の坊や、丈坊に!」
「ちょ、丈坊はやめてくださいよ」
「ほうかほうか……それにしても、ようやったなぁ、丈嗣ぅ!」
ずっとこの調子である。
溜息をつきそうになったが、気を利かせた宇羅がするりと間に入り込み、僕は漸く酒臭い赤ん坊のお守から解放された。
少し離れた席に座って料理をつまんでいると、茜が2つのグラスを持って近づいてきた。
「隣、良いですか?」
会釈すると、茜はおずおずと隣に腰かける。ささやかな乾杯をすますと、茜は小動物然とした瞳をくりくりさせながら、これまた躊躇いがちに尋ねてきた。
「それにしても吉田さん、どうやったらそんなに早く、力を使いこなせるようになるの」
「いや、僕もまだ全然で……。最後だって、他のプレイヤーと共闘したから勝てたけど、1人だったら厳しい闘いになっていたと思います」
「それが普通なの!私の時だって、路唯さんが助太刀してくれて何とかなったんだから。豪君だって、阿羅ちゃんだって、流王さんや一条さんの助けを借りながらクリアしてるんだよ」
「そうだったんですか」
茜の話は意外だったが、考えてみれば不思議なことではない。あの「始まりの魔窟」は、名前に反してなかなか嫌らしい作りになっていた。道こそ一本で迷わなかったが、魔物の配置が絶妙で、常に気を張り巡らせていなければ、いつ何時でも襲われるかもしれないという恐ろしさがあった。
僕にしても、背筋を冷や汗が流れたのは1度や2度ではない。
その後も茜とあれこれと話をしていたが、ふとした拍子に、向かいで酒を煽っている豪と目があった。彼は1人、部屋の隅で仏頂面のままグラスを傾けては、すぐに酒を注ぐといったことを繰り返していた。
彼はぶすっとした表情で僕を睨んだが、やがてあからさまに鼻を鳴らすと、席を立ってどこかへ立ち去ってしまった。
僕の視線を追いかけていた茜が、部屋を出ていこうとする豪の姿を捉えた。
「あんまり、気にしない方が良いですよ」
茜はそう気遣ってくれるが、こちらとしても、あの態度は腹に据えかねるものがある。荒神豪とは、初めて顔を合わせて以来、まだ碌に口をきいた試しがない。にも関わず、目があうと必ずイバラのような敵意を剝き出しにしてくる。
「何であんなに目の敵にするんですかね。気に障ることなんてした覚えはないんですが」
「豪君、ちょっと気難しいところがあるから」
「それにしても、あれはないでしょう。言いたくはないが、気分が悪くなる」
「……悪い人じゃないの。ただ、ちょっと気が立ってるだけ。
新しい人がやってくることで――目を背けたいような事実と、向き合うことになる人もいるの」
茜は哀しそうに微笑みながら、僕に向き直った。その口元は何か言いたげだったが、言葉は発せられることなく、形の良い唇は秘を閉ざした。
僕はグラスを置くと、やおら立ち上がった。
「どういう意味か分からないですけど、ちょっと彼と話してきます」
「え?」
「このままじゃお互いに良くない。わだかまりはなくすべきだ」
「いや、やめた方が――」
茜の静止を振り切り、僕は足早に豪の後を追った。
素面なら、とてもこんな行動は起こさなかっただろう。仮想世界でも、アルコールを飲めば脳のブレーキは機能不全になるらしい。どんな仕組みかしらないが、この世界を創り上げた人物は間違いなく天才だ。
それに、TCKに来てから僕は着実に変わっている。以前までなら避けていた人との関わり合いを、自ら積極的に求めている。
ただ浮草のように、流されることを良しとしていた自分はもういない。
自分の道は、自分で拓かなくては。
薄暗い廊下を歩いていると、光が漏れている部屋の前に行きついた。どうやら、ドアが少し開いているようだ。中からは、くぐもった話し声――いや、怒鳴り声が聞こえてくる。
何を話しているかは聞き取れないが、豪の声に間違いない。まさか1人で叫んでいるわけではないだろうから、話し相手がいるはずだ。
辺りを見回すと、物の配置に見覚えがある。まだこの屋敷に来てから日が浅いから、僕が知っている場所は限られている。
部屋の前にかけられたプレートを見て合点がいった。
ここは流王の部屋ではないか。思い返せば、彼は宴会が始まって暫くはその場にいたが、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
何を話しているのか知らないが、僕だって豪には一言物申したい。いや、一言と言わず、二言三言程度は喉の奥に溜めこんでいる。
相手が流王だとて構うものか。自分の道を自分で拓くよう助言をくれたのは、他ならぬ流王自身なのだから。
そんな屁理屈を頭の中でこね終わり、いざドアノブに手をかけようとしたところで、僕はブリキ像のように動きを止めた。
聞こえてきた豪の叫びが、あまりに悲痛なものだったからだ。
「だから、何でやめるんだよ!理由になってないぞ!」
激昂する豪に対して、相対する流王の言葉は落ち着いていた。
「お前こそ冷静になれ。元から目的はエムワンの捜索だ」
「ツカサはまだ待ってるかもしれないんだぞ!あんた約束したじゃんか……絶対に連れて帰るって」
「勿論そうだが、目的はあくまで、TCKからの脱出だ。復讐なんて、現実に帰ってから考えれば良いだろ」
「何だよそれ。
……あんた、おかしいぞ。帰ってきてからのあんたは、どこか変だ。前までの流王さんは、そんなこと言わなかった」
「倒し切れなかったのはすまなかったと思ってる。だがここ最近、やつは姿を現していない。ツカサについても聞き込みを続けているが、恐らくもう――」
「やめろって言ってるだろ!ツカサは生きてる!獅子旗の野郎を追いかければ、ツカサだって必ずそこにいるんだ!そうだろう?」
話の内容はおよそ理解できなかった。
ツカサとは誰だ。獅子旗とは?彼らは何の話をしている。
数秒前までの興奮は雲散霧消し、僕は中の話し声に聞き耳を立てる。
「やつは一体何番なんだよ、流王さん」
「分からない。丈嗣君は覚えていないと」
「クソッ、何でそんなことも覚えてねぇんだ……せめて何十番台かだけでも分かれば」
「彼の番号が分かったら、豪君には伝えると約束する。例えそれが、何番であったとしても。
さ、皆が心配するから、もう戻ろう。俺も一緒に行くよ」
僕はそれを聞くと、振り返らずにその場を逃げ出した。
今の会話については、胸の内にしまっておくべきだ。流王や豪は勿論、他の誰にも話してはいけない。何故だかそんな気がした。
豪の痛ましい叫び声が耳の中に残っている。
ツカサとは、誰だろう。獅子旗とは、何者か。
昏い疑問を胸に秘めたまま、僕は温かな光を目指して廊下を駆けた。
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