第9話:修行①~樹の鼓動~
森の中は涼やかだった。広く腕を広げた樹々の合間から零れる陽光は、さながら万華鏡のように煌びやかだ。肺一杯に空気を吸い込むと、自然の香りがそよと鼻の中を駆け抜けていく。
立ち並ぶ樹々の外皮に手を伸ばす。数え切れぬほどの皺が刻まれたその表面は、驚くほど艶やかだ。指先で撫でると、乾きの中に瑞々しさが、硬さの中に生命特有の柔らかさが感じられる。
「樹の鼓動を聞くんだ。君ならできる」
流王の言葉が蘇る。
ああ、やってやる。聞き取ってやるさ、こいつらの息遣いを。
「僕なら、できる」
僕は目を閉じると、樹木の1つに耳を寄せた。
自分を信じるんだ。それが何よりも大切。イメージを大切に。
僕なら、できる。
……僕なら、できる。
…………おかしいな、何も聞こえない。
鼓動はおろか、息遣いさえ感じ取れない。
流王は確かに、集中して耳をすませば、生命の芽吹く音が聞こえてくると言っていたのに。
もう少し。
もう少しだけ、頑張ってみよう。
耳をすませば、ほら、きっと――。
******
「それで?まさかずっと森の中で樹と抱き合いながら耳を押し付けてたのか」
「ええ、だって流王さん言ってたじゃないですか。『樹の鼓動を聞くんだ』って」
「い、いや確かにそうは言ったが……にしても……ははっ、駄目だっ。我慢できんっ」
流王は腹を抱えて大声で笑い転げた。掌で何度もテーブルを叩きながら、涙まで流す始末だ。
僕は流王の真向かいで唇を尖らせた。「あんたがやれって言ったんじゃないか」という言葉を喉元に押しとどめ、断固抗議を開始する。
「何笑ってるんですか」
「はは……だってそんな、まさか……クフフッ、本気にするとは……アハハッ」
「本気にするに決まってるじゃないですか!この世界についてまだ碌に知らないんですから」
「あれはさ、あくまで例え話だよ。樹々の鼓動が聞こえるくらいに、手触りに意識を集中しろっていうさ。それをまさか……アハハ、あーおかしい!」
「あんた、すかしてるけど純粋なんだねぇ。意外~」
いつの間にか隣に腰かけた阿羅の皮肉に、僕は顔を赤らめながら拳を握りしめた。馬鹿にされた憤りもあるが、何より恥ずかしさに顔が火を噴いている。中学生の頃、眉毛を剃り過ぎて眉なしのまま学校へ行った時の記憶が蘇った。
クソッ、馬鹿にしやがってっ。25にもなって何してたんだ、僕は。
悔しさに歯を食いしばりながら、平静を装って阿羅に向き直る。
彼女にだけは、言われっぱなしで終わりたくない。
「暇なんですね」
「生憎と、森の中で樹の妖精さんとお話ししてるあんたよかましよ」
「でも阿羅さん以外皆出払ってますよ。もしかして外出許可も下りないんですか」
「ああ、仕方ないんだよ。何しろ、新しくやってきたでっかい坊やのお守が大変でね。森に連れてって、『樹の鼓動』とかいうの聞かせてあげないとすぐにぐずるからさぁ」
「……くそおおおおおおおおおお」
「あはは、怒り方も純粋なのねぇ。ほらほら、このテーブルの息遣いも聞き取ってみなよ」
完全に遊ばれている。これじゃ真剣にやったのが馬鹿みたいだ。
流石に流王も気の毒に思ったのか、窘めるような口ぶりで阿羅を諭す。
「こらこら阿羅、あんまり茶化さないの」
「え?だって最初は流王さんが」
「関係なしっ!この話はおしまいっ」
強引に会話をひと段落させると、流王は阿羅を追い払った。彼女はこれ見よがしにアカンベェをしてから、ぷいとどこかに姿を消した。彼女がいては僕も集中できないから、助かったと言えば助かったのだが、どうも心の中のモヤモヤは晴れない。一度彼女とは徹底的に話し合った方が良さそうだ。
流王は再び真面目な顔に戻ると、その強い眼力で僕を見据えた。
しかし注意せねばなるまい。今朝この顔で堂々と「樹の鼓動を聞くんだ」と僕に語ってきたのだから。話半分で聞いておかないと、後で痛い目を見ることになりかねない。
「んじゃ、そろそろ本格的に始めようか。その前に、念のため前提のおさらいもしとこう」
そうは思うものの、やはりこの男には人を虜にするオーラのようなものがある。
相対すると、無意識に萎縮してしまうような風格がある。
「さて、これは昨日もう話したけど、俺たち“サンプル”は通常の方法――一般的なプレイヤーと同じ方法では強くなることができない。魔物を倒せばプレイヤーと同じように経験値はたまるしレベルも上がるが、そんな数字には中身はない。丈嗣君も実際感じてるだろうし、それに今朝君がここにいるという事実それ自体が、俺たちが語る内容の真実味を補強してくれてると思う」
「まさかとは思ってましたが……本当に戻れないなんて」
期待していなかったと言われれば噓になる。
流王たちの言葉は全て茶番で、今日になればあの低反発素材のベッドの上で目が覚めるんじゃないか――そんな期待は、僕を揺り起こす宇羅の声で粉々に砕け散った。
まあ、朝っぱらから可愛い女の子に揺り起こされるというシチュエーション自体は、TCKに来て以来最高の「完全没入型」体験だったわけなんだが。
「希望は捨てないことだ。明日か明後日か不意に戻れるかもしれないし、逆に死ぬまでここに囚われたままかもしれない。だが、だからといって毎日現実に戻ることを祈ってるだけじゃ、何も前には進まない。自分の道は、自分で拓かなくてはな」
流王は自分の胸を叩いてにかっと笑う。自信に満ちたその表情に、不思議と安心する自分がいる。
「それよか、力の話をしようか。さっき言った通り、俺たちにレベルやステータスは何の意味もない。攻撃力や魔力にどれだけステ振りしたところで、俺たちは強くなれない。
その代わり、俺たち“サンプル”には特殊な力がある。君にも既に経験があるだろう」
「チート、ですね」
「そうだ。経験値をためても強くならない代わりに、俺たちはちょっとしたズルができる。一般プレイヤーとは桁違いのスピードで動けたり、ゲーム内で規定されていないような魔術を使うこともできる。
丈嗣君のあの力は少し特殊だが、他の皆も大なり小なり自分に適したチート能力をもってる」
「……で、そのチートを使うにはあれですか、『努力』や『修行』が必要なんだと、そういうわけなんですか」
「その通り!というわけで早速今朝から丈嗣君には森に出かけてもらったわけなんだ」
僕は肩を落として溜息をついた。
何だって、チートを使うために『努力』しなくてはいけないのか。頑張りたくないから――ゲーム内で経験値を貯めることすら億劫だから、皆チートを使うのだろう。楽して強くなりたいから、ズルをするのではないか。
チートを使うために努力するなんて、本末転倒にも程がある。
「あの、修行って具体的にどんなことするんでしょうか。今朝みたいにひたすら『樹の鼓動』を聞いてたら強くなれるんですか」
「結構引っ張ってくるな……まあ良い。
結論から言うと、あれはただのさわりだ。これから本格的に力を使う練習をしてもらうことになる」
それはそうだろう。あれが練習や修行と呼ばれる類のものでないことは分かっている。
ただ、少し期待もあった。
魔物と闘いながら、チート能力を培っていく自分。幼い時の妄想が現実になった気分だ。
死線を潜り抜けながら――勿論本当に死ぬわけではないが――成長していく自分を想像すると気分が高まる。
出会った時に阿羅も言っていたが、僕の力は特殊らしい。何より一度、自らの力で魔物を消し去っているのだ。あんな力が自由に使えるようになれば、この世界ではもう怖いものなしだろう。
「チート能力がある程度使いこなせるようになれば、丈嗣君にも俺たちを手伝ってもらうことになる」
「エムワン、とかいう人を探してるんでしたっけ」
「そうだ。最古参の“サンプル”で、噂によるとα版当時からTCKにいるらしい。
彼なら、俺たち“サンプル”がゲーム内から脱出できる方法に繋がる鍵を握っているはずさ。ただ、魔物とも遭遇することも多いから、丈嗣君ももう少し強くなってから捜索には参加してもらうよ。
それじゃあ、そろそろ修行の本格的な内容を伝えようか」
流王の切れ長の目が細められる。空気がぴりりと音を立てた気がした。
一体どんな修行なのだろう。
魔物と闘わされるのか。それともまさか、流王自身が相手になるのか?
エリアボスを倒して来いと言われるのかもしれない。
息を殺して、彼の次の言葉を待った。
「丈嗣君、君には――」
続く言葉に、僕は二の句が継げなかった。
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