第8話:ボロ屋敷

「あ!丈嗣君!」


街の中心にある時計塔の下に着くと、人混みの向こうで宇羅が手を振っているのが見えた。すぐ傍らには阿羅がいるが、彼女は相変わらずむくれたような表情でこちらを見ようともしない。


「良かった。無視されるんじゃないかと思ってたよ~」


そう言って宇羅は白い歯を見せた。元から愛嬌のある顔立ちだが、笑っている彼女は本当に可愛らしい。現実世界ですれ違えば、思わず二度見してしまうくらいに。

僕は恥ずかしくなり、少し目線を横に逸らす。


「そんなわけないじゃないですか」

「でも、メッセージの返事すごい素っ気なかったじゃん。嫌われてるのかと思ったよ」

「ただ日にちと場所を伝えるだけの事務連絡に、そんな気合入れて返したらおかしいでしょう」

「だとしても、だよ!文字なんてのは元来冷たいものなんだから、もっと丈嗣君の感情も乗せてあげないと」


宇羅の言いたいことは分かる。僕だって、できるならとっくにそうしている。

でもそれは、緊張と照れと嬉しさに、自己卑下から発する不安がトッピングされた結果なのだ。

顔文字を使ったメッセージを送りたい反面、万が一気持ち悪がられたらどうしようという恐怖ががっちりと足首を掴んで離さない。

嫌われることが怖い。仲良くなるワクワクより、嫌われる恐怖の方が重たい。


仮に、もっと自分に自信があれば――顔でも学力でもスポーツでも話術でも何でも良い――宇羅に満足してもらえるような返信ができたのだろうか。


「ほら、ニヤニヤしてないで、早く行くよ」

「そんな顔してないですっ」


阿羅との会話は楽だ。どうせ、彼女には既に嫌われている。一度落ちてしまえば、後は野となれ山となれ、だ。


先だって歩く阿羅と宇羅について、僕は彼らの拠点へと向かった。


******


その一週間前のこと。

キュクロプス討伐から何とか街まで帰り着いた翌日から、僕は部屋を出なくなった。


「どうしたんだい、一体」

「いえ……何でもないです。ちょっと疲れちゃって」


安原にあの日の出来事は話してあったが、余すことなく全てというわけではない。所々脚色を加えている箇所もある。結局キュクロプスは倒せず、偶然通りかかったプレイヤーの力を借りてすんでのところで逃げおおせた――大まかにはそう伝えている。

あくまで一般プレイヤーである彼に、“サンプル”の僕らのことは話せない。


そこから数日は、頭の中を常に阿羅の言葉が巡っていた。

1年間もの間ただの一度も現実に戻らず、ずっとこの電子空間に留まっていたと彼女は言った。とても信じられる話ではないが、彼女が語った妙な症状は全て僕も経験している。


世界に降りたった時の、酔ったような感覚。魔物を消した時の、脳が燃えるような感覚。

数値と実態の乖離したステータス。


何度も嘘だと思い込もうとした。

それだけでは不安を抑えられず、1週間後に手に入るであろう60万円の使い道を想像した。

逃避するのは得意だ。現実世界では嫌というほど目の前のものから逃げてきた。ただ今回はいつもと逆で、普段逃げ込む仮初の世界から、大嫌いな現実に向けて想いを馳せている。


だがそんな逃避行も長くは続かなかった。


僕は気づいていた。

阿羅が真実を語った時の苦しそうな顔に。その言葉を聞いた宇羅の見たこともない憂いの表情に。二人の瞳に噓はなく、ただ残酷な翳りがその奥で蠢いていた。


そして2日前、僕は安原に別れを告げた。

TCKに来てから、29日が経過していた。


「そうかー、そろそろ1ヵ月経つものねえ。親御さんは説得できなかったんだな。最後は少し寂しかったけど、ここまで本当に有難う。キュクロプス討伐の折には、迷惑かけたね」


安原との別れは存外さっぱりしたものだった。事前に1ヵ月で別れることを言っておいたからかもしれないが、彼の性格もあるのだろう。


「もしまた会えたら、キュクロプス討伐にリベンジしよう」


彼は冗談とも本気ともつかぬ軽い口調でそう残して、宿屋から立ち去っていった。


後にはがらんとした二人部屋と、小さじ一杯分の寂しさが残った。


******


僕は阿羅と宇羅について、街と街をつなぐ道を歩いていた。幸い拠点はすぐ隣街にあるとのことで、僕は束の間のハイキング気分を楽しんだ。


「まさか、まだ信じてるんじゃないでしょうね」

「何を」

「明日になれば帰れるって」

「もう、阿羅ってホントに意地悪ね。何でそんなこと言うのかしら」


膨れる宇羅を歯牙にもかけず、阿羅は口元に冷たい笑みを浮かべた。

僕も負けじと阿羅を睨み返す。


「ええ。まだ砂粒くらいの可能性は信じてますよ。それよか、意外ですね」

「何の話だ」

「思ったより粘着質だ。もっとあっさりしてるのかと思ってました」

「……勘違いしているみたいだから教えてやるが、皆が皆、宇羅みたいに性善説に立って人を見ているわけじゃない。立場を弁えた方が良いんじゃないか」

「皆が皆、阿羅さんみたく仏頂面でないと良いですけど」

「宇羅、ちょっと離れて。こいつ燃やす」

「ちょっ、落ち着いて阿羅っ」


やがて街に辿り着いたが、前を歩く2人はまるで止まる様子がない。このままでは、街を通り抜けてしまう。てっきり宿屋かどこかに泊まるものとばかり思っていたが、まさか野宿なんて結末ではないだろうかと不安になってきたところで、漸く阿羅と宇羅は足を止めた。


「着いたよ」

「え……ここ、ですか」


そこは街の外れのうら寂しい一画だった。周りに飲食店や住居の類はなく、整備されていない地面からは野草が好き勝手に伸びていた。

そして、ともすれば背景に溶け込んでしまうほど自然に、そのオンボロ屋敷は建っていた。煉瓦はくすみ、壁には無数の蔦が血管のように張り巡らされている。窓ガラスは全て割れており、その奥に人の気配はない。虚ろな暗闇から何かが覗き返しているいる気がして、僕は背筋に怖気が走るのを感じた。


躊躇っている僕を置いて、阿羅と宇羅はずんずんと屋敷の中へと入っていく。


「何ボーっとしてるの!早くおいでよ」


宇羅に急かされて、僕は恐る恐る屋敷の中へと踏み込んだ。


「……」

「どうした、言葉も出ないか」

「どういうからくりですか、これ」


僕は文字通り、あんぐりと口を開けていた。

屋敷の中は、居心地の良いランプの灯りで満たされている。隅々まで掃除は行き渡り、敷かれた石畳はどれも光沢を伴うほど磨き上げられている。入ってすぐの場所は吹き抜けになっており、天井からはシャンデリアが吊るされていた。


どうみても廃屋同然だったのに、この外観と内装の違いはどうなっているんだ。


「いや本当に流王には恐れ入るよ。

以前までは街の中に拠点を構えてたんだけど、目立って仕方なかったんだ。うちは大所帯で大きい拠点が必要だから、どうしても浮いちまう。かといって街の外れに拠点を構えたんじゃおかしな目で見られるし」

「でも、今は街外れにありますよね」

「そう。でもさっき外から見て分かっただろう。まるで周囲の風景に同化しているような錯覚を覚えなかったか」


確かに、2人に呼び止められていなければ素通りしてしまっていた。


「流王が許さないと、そもこの屋敷は認識できないようになってんのさ」

「その流王って人、何者なん――」

「おい、何の騒ぎだよ」


その時、屋敷の奥から目つきの悪い男が顔を出した。

坊主頭のその男は距離を詰めてくると、僕を思い切り睨みつけた。そのまま視線を外さず、顔の距離を狭めてくる。


これ、もしかしてガン飛ばされてるのか。

気づかないふり気づかないふり。


「あ、豪ちゃん!ただいま~」

「宇羅、こいつ誰だ」

「丈嗣君!」

「……名前なんてどうだって良い。“サンプル”なのか」

「多分!」

「多分だと!どんだけ良い加減なんだよ、おめー」

「落ち着けって。屋敷に入れてるってことは、流王は認めてるってことだろ」


阿羅が間に入ると、豪と呼ばれた男は舌打ちした。


「けっ、ホント次から次へと捨て猫みたいに拾ってきやがって……少なくとも俺には話しかけんなよ、新入り」


豪は捨て台詞を残して、再び屋敷の奥へと消えていった。

阿羅と宇羅は顔を見合わせて苦笑している。それを見て、何となくあの豪という男の立ち位置が分かった気がした。


気を取り直したように、宇羅が僕を手招きする。


「ごめん、吃驚したよね。じゃ、早速皆と顔合わせしようっ!」


******


客間と思しき一室に通されると、そこには既に4人の男女がいた。


「やあ。君が丈嗣君だね。来てくれて有難う。さ、立ち話も何だから座ってよ」


一番奥に座る精悍な顔つきの男が声をかけてくる。立ち居振る舞いや座っている場所から考えて、この人が「流王」と呼ばれる人物に違いない。

椅子に座ると、阿羅と宇羅も別々に腰かけた。そういえば、あの豪と呼ばれた男の姿はない。まだどこかでふてくされているのだろうか。


先ほど声をかけてきた男が再び口を開いた。


「突然のことだが来てくれて有難う。

まずは自己紹介からだ。俺は流王天哉。“サンプル”としてこのTCKに来てからもう4年になる」

「……そんなに経つんですか」

「ああ。俺は参加していないが、α版も含めればこのTCKの歴史は更に長い。

ま、そんなことは置いといて、今はここでリーダーみたいな立ち位置でやらせてもらってる。きっと今丈嗣君の頭の中は疑問だらけだろうが、それは一旦脇にどけておいて欲しい。先ずは、互いのことを最低限知ってからでも遅くない、だろ?」


流王はにやりと笑うと、次に横に座っている壮年の男に話を振った。

濃い口髭と太い眉をした戦国武将のような男は、見た目通り豪放磊落な話し方をした。


「一条高志だ。見てくれで分かる通り、今年でもう50に足が届きそうになる。人生経験だけはあるつもりだから、何かあったら頼ってこい。相談のるぞ」


いきなり四半世紀も歳の離れたおっさんに相談も何もないが、一条という男の人となりだけは掴めた。

あまり関わり合いにはならない方が良いかもしれない――下手をすれば毎日晩酌に誘われそうだ。面倒な付き合いは御免こうむりたい。


そこからは流れるように自己紹介が進んだ。


眼鏡をかけた引っ込み思案そうな女の子が布施茜。終始挙動不審だったから、余程の人見知りなのだろう。自己紹介の際もどもりと声の小ささで碌に聞き取ることができなかった。


その隣に座る長髪の美男子は路唯といった。苗字は教えてもらえなかった。もしかしたら、名前もハンドルなのかもしれない。

自分が話す時以外はずっと鏡を眺めていたから、余程のナルシストなのだろう。間違いなく嫌いなタイプだ。


そして阿羅と宇羅。苗字は柊というらしい。

何より驚いたのが2人が二卵性双生児だという事実だ。こんな正反対の性格をもった2人が同じ胎から生まれてくるなんて、まさに生命の神秘と言わざるを得ない。

にやけていると阿羅からきつく睨まれたが、柳に風と受け流す。


そして最後に1つ空いている席を見た流王が困ったような顔になった。


「あれ、そういえば豪はどこに行ったんだ」

「あいつ、早速こいつにガン飛ばしてましたよ。今頃いじけてんでしょ」

「全く困ったな……ま、豪君も悪い子じゃない。おいおい仲良くしていけば良いよ」


最後に僕が簡単な自己紹介をして、その場はお開きになった。


******


「じゃ、早速だけど……」


二人きりになった客間で、流王と僕は向かい合った。


いよいよか、と唾を飲み込む。


僕に起きた数々の異変。“サンプル”とは何か。あの妙な力に関係しているのか。

明日――期限の1ヵ月を迎えても、僕は本当に帰れないのか。

そうだとすれば、その理由は何なのか。


この男は知っている。

この世界の秘密を。おかしな出来事の原因を。

僕の疑問に、余さず応えてくれ――


「修行しよっか、丈嗣君」


……何故そうなる。

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