第10話:修行②~イメージ投影~

指先につまんだ草切れを眺めながら、僕は意識を集中する。

思い出すんだ。午前中の樹々の肌触りを。あのざらついた、堅牢な外皮の触感を。


頭に浮かんだイメージを目の前の草切れに投影する。今手にもっているのは、力なく首を垂れる雑草ではなく、幾星霜を経た大木なのだ。瑞々しさをその内に蓄えつつも、衝撃に耐えうる力強さを秘めている。


イメージが大切だ。

大丈夫、僕ならできる。きっとこの難題を成し遂げて、すぐにでも魔物の群れと――。


僕は草切れを握りしめると、それを地面に思い切り突き立てた。


「ふん!」


恐る恐る掌を開くと、力なく丸まった草切れは地面に落ちた。丁度やってきた風に乗せられ、瞬く間に上空へと舞い上がっていく。


……突き刺さるわけない。そんなこと、地面に突き立てる前から分かっていた。


「何してんだか、僕は」


こんなことやって何になるんだ。流王は何か勘違いしているんじゃないだろうか。まるで見当違いの努力をしている気がしてならない。

それに幾ら何でもこれはない。こんなことが修行だというなら、現実世界で牛丼屋のバイトをした方がまだましだ。ゲームの中なのに、これほど退屈な反復作業をひたすら、できるまで続けろとでも?


肩を落として再び草切れを探そうと立ち上がった時、背後から声をかけられた。


「あ、丈嗣君!」


振り返ると、宇羅と地味な女の子――布施茜、と言っただろうか――が並んで立っていた。


「宇羅さんと……布施さん、ですよね。戻ってたんですか」

「うん、これといった成果も上がらないから引き上げてきちゃった。流王にばらしたら怒られるから、これ内緒ね。

ところで、何してるの?土いじり?」

「……そう見えますか」

「うん。そんなに暇なら私たちが遊んであげようか」


屋敷の庭で独りうずくまっていればそう捉えられても仕方がない。しかし、割り切れないやるせなさが残っているのも事実だ。


「一応、修行です。力が使えるようになるための」

「あ、そういえばそうか!また丈嗣君はきたばかりだもんねー。

……で、どんな内容なの?いきなり魔物消しちゃうくらいだから、絶対凄くド派手で格好良いい修行なんだろうなぁ」


宇羅が目を輝かせるせいで、益々話すハードルが上がった。僕自身内容を聞くまでは、現実では味わえないスリルと興奮を伴った修行に違いない、と思い込んでいたのも事実だ。自分の中の惨めさメーターが、あと一押しで振り切れてしまいそうになる。

改めて、こんな修行を押し付けてきた流王への不満が燻ぶり始めた。


「いや、とっても地味な内容ですよ。……話したところであんまり面白くないと思いま」

「聞きたい!聞きたい!」


宇羅にそんな迂遠な表現は無意味だったか。

溜息をつくと、僕は渋々今取り組んでいる修行内容について彼女たちに説明した。


「……えっと、つまりこの草切れを地面に突き立てろってことなの?」

「そうなりますね」

「このへにゃへにゃをギンギンのカチカチにして?」

「間違ってないですが、表現が誤解を招きそうだ」

「それすっごい難しそう!それに……」

「それに?」

「すっごいつまんなそう!」


その通りだ。

実際既に開始してから三時間ほど経過しているが、まるで成果は出ない。暖簾に腕押ししているような徒労感が身体中から滲みだしてくる。そもそも草に樹のイメージを重ね合わせるなんて、どうやれば良いのかさっぱり分からない

だがそんなにはっきりと言われてしまうと、僅かながらに保っていたやる気も音を立てて崩れていってしまいそうだ。


自然、修行を指示した流王への愚痴が漏れる。


「こんなことして何になるのかさっぱりですよ。僕のチートって、魔物を消しちゃう能力じゃないんですか?それがこんな……草切れに樹のイメージを投影して地面に突き立てるなんて、努力の方向性が間違ってる気がしてならない」

「流王さんはそんな適当な人じゃないです」


その声が誰から発せられたものなのか一瞬判断しかねたが、一歩前に出た布施茜を見て、それが彼女のものだったことに気づく。


さっきまでだんまりだった癖に、何だって急に調子づいてきたのか。思わずムッとした声音が口から零れる。


「どうしてそんなことが言えるんですか」

「流王さんの人となりを知っていれば分かります。吉田さんだって、薄々勘づいてるはずです」


久しぶりに苗字を呼ばれ、妙にむず痒い感覚がうなじを走る。


「でも聞いてるでしょう。僕のチートはモノを消し去る力だ。流王さん自身、能力は本人に最適なものをって言ってるじゃありませんか」

「吉田さんは事象の結果しか見えていないから、そう感じているだけです」

「……どういうことですか」

「魔物が消えたのはあくまで結果であって、どういうプロセスで消えたのかは吉田さん自身理解していないでしょう。それが本当にモノを消す力なのか、或いは全く類の違う力が発動して、結果的に魔物が消えただけなのか――これが分からず闇雲にモノを消す練習だけしたって、効率的じゃありません。

流王さんは物事の表面だけでなく、その奥にある本質を見抜くことに長けた人です。無駄な指示なんてするはずない」


茜はそこまで一気に喋り終えると、途端に咳き込んだ。宇羅が心配そうに顔を覗き込む。


「茜ちゃん大丈夫?」

「有難う。心配しないで、久しぶりに長めに喋ったからちょっとむせちゃっただけ」


宇羅は安堵した表情を見せると、僕に向き直って満面の笑みを浮かべた。


「茜ちゃんが言った通り、流王は色んなことが色んな方向から見えてる人だから。ちゃんと練習すれば、丈嗣君だってすぐに私たちに追いつくよ!」

「はい、これ。投げ出しちゃ駄目です」


そう言って、茜はいつの間にか持っていた草切れの束を僕に手渡してくれる。微かに残った彼女の掌の温もりの残滓が、再び僕のやる気に火を呼び覚ます。


そういえば、他人に応援してもらったのはこれが初めてかもしれない。両親からは叱責こそされ、励ましてもらったことなどない。数少ない友人――今考えると、果たして「友人」だったのか疑問だが――からは、努力をすれば失笑を買った。


今目の前にいる2人の女の子はそうではない。純粋に僕が強くなるのを、強くなるために努力することを応援してくれている。共に歩いていこうと、手を差し伸べてくれている。


「……宇羅ちゃん、布施さん、有難う。僕、やってみるよ!」


茜は力強く頷き、宇羅は何故か驚いたように口をポカンと開けた。


「どうしたんですか」

「今、私のこと『ちゃん』づけで呼んだ?」


知らぬ間に口が滑ったらしい。すぐに顔が火照りだし、心臓が嫌な音を立てて肋骨を叩き始める。


「あ、いや……すみません」

「謝ることない!むしろ漸く、って感じだよ。やっとバリアを解いてくれたね」

「そんなつもりはないですけど……」

「はい!もう敬語は禁止ね!『ちゃん』付けで呼ぶ相手に敬語使う方が気持ち悪いでしょ」

「……わ、分かったよ……宇羅……ちゃん」

「宜しい!」


あっけらかんとしている彼女を見ながら、僕は安堵の溜息を漏らすと同時に、心の中でそっとガッツポーズを決めた。


******


宇羅と茜に励まされてからというもの、僕は昼夜を問わず修行に没頭するようになった。


前提として、練習の仕方を見直すことにした。最終目標は草を地面に突き立てることだが、その過程として草を樹木のように硬くする必要がある。恐らくこの修行のキモはここにあり、そして1番の難所に違いなかった。


草切れを触りながら樹木特有の質感を思い出すのは意外に難しい。ここにきて漸く、僕は流王が言った「樹の鼓動を聞く」意味を正確に理解した。

あれは比喩などではなかったのだ。それほど意識を集中しなければ、樹々の質感を身体に覚えこませることはできない。ある時は1本の指先で、またある時は掌全体で、僕は樹の質感を可能な限り正確に知覚できるよう努めた。


続いていよいよ、草切れに樹木のイメージを投影する作業に入る。指の腹に当たる柔らかな感触に抗うようにして、僕は身体に染み込ませた樹木の質感を草切れに重ねていく。

最初は上手くいかなかったが、少しずつ草切れの感触が変化しているのを感じた。時折森に出て樹々の触り心地を再確認しては、それをつまんだ草切れにフィードバックするという反復作業を続けた。


イメージの投影には深い集中力が必要で、そのせいか練習中にしばしば脳が燃えるような酔いを味わった。初めて力を使った時に似た感覚は僕を苛み、何度も投げ出したい気持ちに駆られたが、遂に諦めることはなかった。


現実世界では世の辛酸からひたすらに逃げてきた僕が何とか持ちこたえることができたのは、ひとえに他の皆――宇羅や茜だけでなく、流王や一条からの励まし由だった。


「君は珍しいことに、2種類の力を持っているようだ。だが最初から両方を伸ばしていのは難しいし、片方の力――モノを消失せしめる力――はまだ君の演算能力では処理しきれないと判断した」

「じゃあ、今の僕が高めようとしているのは一体どんな能力なんです?」

「それも含めて理解するのが、今回の修行の意図だからね。ま、頑張ってくれ」


茜が言った通り、流王には明確な意図があったのだ。それが分かっただけでも、自然練習に力が入る。


そして1週間が経過した頃、僕は遂に草切れに樹木の質感を完全に投影することに成功した。

目をつむれば、手の中にあるのが草切れだなんて自分でも信じられない。樹木の堅牢さと外皮のざらついた感触が余すことなく再現されていた。


「よっしゃぁぁぁ!」


しかし同時に僕は悪辣な酔いに襲われ、その場に崩れ落ちた。初めて力を使った時と同じくらい強い揺れが頭蓋の中に感じられる。

中天より差す陽光がひどく眩しく感じられ、僕は呻き声を上げた。


「大丈夫か?」


庭先で修行の様子を見ていた一条が駆け寄ってこようとする。初めて会った時には暑苦しそうだし関わりたくないと思ったが、色々と世話を焼いてもらう内にそんな気持ちはきれいさっぱり消えていた。

心配そうな表情の一条を僕は手で制した。


「大丈夫です!」


僕は左手で頭を抑えながら、草切れを握りしめた右手を高々と掲げた。


まだ投影は崩れていない。掌の中の草切れは、ギンギンのカチカチのままだ。こいつを地面に突き立てて漸く、修行の最初の段階は完了する。


頭蓋が燃えている。

小気味良い乾いた音を立てながら、眼球の裏で火花が散る。


これが僕の――この世界での第一歩だ。


「おおおおおおおおおお!」


地面に叩きつけた右手に鈍い衝撃が走る。


ゆっくりと掌を開くと、そこには天に向けて真っ直ぐのびる草切れがあった。先端は地面に深々と突き刺さっている。


とうとう、やったのだ。

乗り切った。投げ出さず、最後までやり切った。


ぴんと背を伸ばしたその姿がこれからの僕の姿を象徴しているようで、自然と目頭が熱くなった。


「おい」


朦朧とした中で頭を上げると、目の前に阿羅が仁王立ちしている。

またいつぞやのように、僕を馬鹿にしにきたのか――そう咬みつこうとした時、彼女の口から予想だにしない言葉が飛び出した。


「やったな」


阿羅はそう言うと、今まで見せたことのないくらい思い切りよくにかっと笑った。

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