7 ジャジャム
***
「お母ちゃーん、もう起きなあ。八時よ」
「うう、日曜日くらいゆっくり寝かせてくれぇ、オニ娘!」
布団を頭から被りながら母がモゴモゴ言う。
「なに言うとるん、ごはんは家族揃って食べるもの、ってお母ちゃんが言うたんでしょうが」
「はいはい……」
寝ぼけ眼まなこで起きてきた母の顔は、まだ青タンが残っている。
「あれっ、お花がある。えっなに、朝からえらい気合い入ったおかず、どしたん」
テーブルに並ぶ朝食を見て、母はいっぺんに目が覚めたような顔をした。
コップにぎゅうぎゅう詰めに生けた花、正面に山盛りのポテトサラダがでんと据えられ、ハムエッグにはケチャップでにっこりマークまで描かれている。
「俺が作ったんよ。やるもんやろ」
「へえ?」
テーブルの前で偉そうに腕組みをする父に、母は疑わしそうな目を向けた。
「へえ、じゃなかろうが。カンナが一生懸命何か作りよったし、俺も負けられやせん」
「ええと、母の日は先週終わったし。今日何かあったっけ」
「あーあ、自分の誕生日忘れとる。おいカンナ、お母ちゃんやっぱりアタマ打っとるぞ」
「誕生日て……あーそうだった!」
冷蔵庫のカレンダーを見て、母は素っ頓狂な声をあげた。
「一週間しか違わんからいうて、毎年母の日と誕生祝いを一緒にするのもどんなもんかー思うてカンナと相談したのに、本人がこれやもんなあ。ケーキ買いに行くのもやめとくかなぁ」
父がニヤニヤしながらコーヒーを入れ始めた。
「まあおめでとさん。ハイこれ」
カンナがぶっきらぼうに何かテーブルに置いた。赤いギンガムチェックの布で飾られた可愛らしい瓶詰めだ。
「あれっオレンジ色……これ、マーマレード?」
「そうよ、ハタさんにもらった甘夏柑、無農薬や言うし。ちょっと作ってみた」
「ちょっとって、カンナさん。へえすごいやない。マーマレードって難しいんよ、ありがとう」
母は嬉しそうに瓶詰めを手に取って眺めた。
「なん、俺の作ったメシは誉めもせんと」
「お父ちゃんもたいしたもんよ、ありがと。はい食べよ食べよ。ああでもなんか勿体無いなあ」
まるで宝物の蓋を開けるように、母はそうっと瓶を開け、鮮やかなオレンジ色の中身をひと匙すくった。
「あ、あれ、ちょっとゆるい……」
「やっぱり?」
マーマレードはスプーンからぽたぽた落ちる雫になって、トーストの上に見苦しく広がった。カンナが赤い顔になって心配そうに覗いている。
「おかしいなあ。ちゃんと分量どおりにお砂糖入れたし、本に書いてあった通りに作ったんやけど」
「ま、まあ本の通りにならんこともあるって。ハタさんとこの甘夏は実も柔らかいしなあ」
慌ててカンナをなだめる母の隣から父が手を伸ばし、カレースプーンで瓶の中身をさらっていった。
「あーっお父ちゃん、そんないっぺんに」
「ふむ、糖度四十パーセント、ちゅうところやな。煮詰め具合もまだまだ」
父はスプーンに山盛りのマーマレードを口に入れて済ました顔でいる。
「んな、分かったふうなこと言うて」
「馬鹿にすなよ、だてに長年缶詰は作ってないぞ。まあジャム作りも十年やってみ、ちょっとは上手になるやろ」
「ふんだ」
カンナは意地になって自分もスプーンを突っ込んだ。
「味は悪うないよカンナ。私はこれくらい酸っぱい方が好き」
「酸っぱい、というか苦みが強いな。けど面白い味になっとる。作った人間とおんなじやな」
「あたしはジャムかあ?」
「いーや、まだジャムにさえなってないな。煮詰め足りん、酸っぱ苦い『ジャジャム』や、カンナは」
父は笑いながら顔をしかめてみせた。
イーッとカンナも返す。
「あ、そうだお母ちゃん。ケータイは当分まだええわ」
「なんで? 諦めたん?」
「というか、その前歯治すほうが先やろ。そんな歯っ欠けおばさんじゃ、お父ちゃんもデートしてくれんよ」
ブーッとコーヒーを吹き出して、父がむせかえった。
母の笑い声が庭先にまでこぼれる。
窓の外で、鉢植えのトケイソウが揺れた。白い鍋を再利用した鉢カバーが丸っこい影を作っている。涼しい葉陰を縫って、アゲハ蝶がたどたどしい飛び方で空に向かった。
夏は、近いのかもしれない。
(了)
ジャジャムのとき いときね そろ(旧:まつか松果) @shou-ca2
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