2 勃発
***
「それ、晩ご飯のあとじゃいかんのん?」
「んー」
真剣な顔で、カンナは小鍋に向かう。ジャム作りはここが肝心なのだ。浮いてきたアクをせっせと取らないと、出来上がりがキレイにならない。
「放っとけ放っとけ。大喰らいがおらんほうが、おかずの当たりが多いわ。ははー」
食卓では父がビール、いや発泡酒を片手に夕食をパクついている。
「お父ちゃん、それじゃ躾にならんて。カンナ、いいかげんにしなさいよ。ご飯は家族揃って食べるもんでしょうが。そんなもん食事の後にしたらええのに……」
「だって、途中で火止めたら変になるやん!」
カンナはわざと大きな音を立てて鍋の縁をお玉で叩いた。
分かっている。作り始めるタイミングが悪かった。一度苺を煮始めたら、砂糖が焦げないように鍋をずっと見ていなくちゃいけないんだから、母の言うように夕食後に始めるべきだった。けど、早く作りたかったんだからしょうがない。こういうことは気分が盛り上がった時に、その場のノリでガーッとやらなくちゃ。自分に言い訳しながらアク取りに集中する。
小鍋の中では苺が程よく煮崩れて、水分が少なくなってきた。そろそろレモン汁を投入。途端にジャムらしい粘りと鮮やかなルビー色のツヤが出てくる。木ベラで少し、皿に取って味見してみる。
「あちっ。でもおいしーっ!」
この瞬間がカンナは好きだ。本当は出来立てよりも少し冷ましてからのほうが甘いんだけど。頬っぺたを押さえて口の中の甘酸っぱさに思わずニンマリしてしまう。カンナがあまり嬉しそうなものだから、小言を言っていた母もやれやれ、と頭を振って笑っている。
「あ、そうだ。ビン出しとくの忘れた」
カンナは慌てて流し台の引き出しを開けた。お気に入りの瓶を何個か、きれいに洗って取っておいたはずだ。ジャム用のごつい保存ビンは売っているけど、やっぱり赤や金色の蓋のやつじゃないと、可愛くない。だから……
「あれえ、お母ちゃん、ここに入れといたジャムの瓶知らん?」
「瓶? そんなもん……あーっ、カンナ! 鍋、ナベ!」
慌ててコンロの上を見た時には、水気の無くなったジャムがチリチリ音を立てていた。
「あんたね、そういうことは火止めてからにしなさいて!」
「こ、焦げてないもん。それより瓶は?」
「えー、瓶? さあ、ええっとなあ……」
母は気まずそうに流し台の開き戸をあちこち開けて覗いている。
「まさか、捨てたんじゃないやろね?」
「さあー捨てたかなあ。この前引き出し整理した時になんか空瓶がガラガラしとると思うて……」
「なんで!」
カンナの大声に、テレビを観ていた父も驚いて振り向いた。
「なんで勝手に捨てるん? あたし、このために取っといたのに」
「そんなもん、要るなら要ると言っとかな。空き瓶何個も転がしとったら誰でもゴミと思うわ」
「転がしてないやん! 何よう、去年もお砂糖入れ勝手に変えたりして! 今年こそ、思うとったのに。お母ちゃん、なんであたしのしたいことジャマばっかりするん?」
怒りに任せてまくしたてるうちに、カンナの声が裏返った。涙まで出て来る。
「ばっかりってあんた。だいたい瓶なんか煮沸消毒して最初に用意しとくもんやろうに。そしたら早う気が付いて他の瓶用意したのに」
「そんなん関係ない、お母ちゃんが悪い!」
「ほー母娘戦争ぼっ発か。やれ、やーれい」
食卓から父が呑気な声を掛けるのを聞いて、カンナの頭の中でぷちっと音がした。
「もう知らん! こんなジャム、食べられやせんわ!」
ジャムが入ったままの熱い鍋を流しに放り投げ、その上で水道の蛇口をひねった。ジャーッと勢い良く流れる水と共に、赤い粒が無残な姿で飛び散る。
「かんなーっ!」
母の怒声。叩かれる、と思ってカンナは目をつぶった。
――食ベ物ヲ粗末ニシタライカン。
小さい頃からさんざん言われたことだ。母はビンタのひとつもくわせるに違いない。
けれど、その「一撃」はなかなか来ない。恐る恐る片方ずつ目を開いてみると、母は背を向けていた。黙って、流しの中をただじっと見ている。
「おいカンナさんよ。そらお前……」
「うっさいわ! お父ちゃんはテレビ見とったらええんよ!」
カンナは台所を飛び出すと二階に駆け上がり、部屋に飛び込んでベッドに突っ伏した。
こんなはずじゃなかった。
今日のために図書館で本を三冊借りて『予習』した。
ハタさんとこのおばちゃんにもジャムの作り方をしっかり聞いた。上手く出来たら親友のチハルちゃんにもあげるつもりで、パソコンの授業の時に可愛いラベルシールも作っておいた。
頭の中では何もかもカンペキ……のはずだったのだが。
肝心の保存瓶のことを忘れてたとは、我ながら間抜けすぎる。いや、忘れてたわけじゃない。思い出すのがちょっと遅かっただけだ。
「なんでこうなるんよう……」
枕元のネコの縫いぐるみをつかんで殴る、頭突きする。放り投げる。それでも胸のムカムカは治まりそうになかった。
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