4 わたしらピーマンか

 空腹というやつは、どんな目覚まし時計よりも早起きに効くようだ。


 結局昨夜は麦茶を飲んだだけで済ませた。その気になれば夜中に冷蔵庫を漁ることだってできたし、父に泣きつけば夜食にカップ麺の差し入れくらいは期待できただろうが、カンナは敢えてそうしなかった。だって、これは意地の問題なのだ。

 しおらしく母に謝って、夕食にありつくか。

 意地を通して朝まで空腹をガマンするか。

 正直言って九十パーセント以上の気持ちは「夕食」に傾いていたが、母が風呂から上がる音を聞いた途端、反射的に階段を駆け上って部屋に立て篭もってしまった。

「あっほやん、あたし。肉じゃが食べたかったー……」

 ぐうぐう鳴って抗議するお腹をネコの縫いぐるみで押さえつけながら、そのままカンナはふて寝したのだった。

 

 お陰で翌朝いつもより早く目が覚めたのには感謝したほうがいいかもしれない。

 カンナが一階に下りた時、観光市場でパート勤めをしている母は既に家を出た後だった。

 テーブルにきちんと並んでいる茶碗と汁椀。味噌汁の鍋の隣にあるのは鮮やかな黄色い卵焼きと、昨夜食べ損ねた肉じゃが。てっきり父に食べ尽くされたかと思っていたが、ちゃんとカンナの分も小鉢に取り分けてくれている。

 これは、あれか? 母からの休戦もしくは停戦の申し出か?

 なんでもええわここは素直に腹の虫の言うことを聞くべきだ、とカンナは大喜びでご飯をよそった。

 父はとっくに食事を終えたはずだ。庭でタバコをふかしながら隣家のおじいさんとしゃべっている。

 母ほどではないにしろ、缶詰工場に勤める父もまた出勤時間が早い。いつもギリギリの時間まで寝ているカンナを起こし、朝食をちゃんと食べるように言い聞かせてから慌てて職場に向かうのが日課だ。

 ご飯は家族揃って食べるもの、なんてのは母の理想論なんだろうなあ可哀想に、と思いながら味の良くしみたじゃがイモを頬張っていると、父の声が聞こえてきた。

「いーや、あれでうちの娘もきかんヤツでね。反抗期、ちゅうやつよ。もう母娘で戦争始めたら怖い怖い。ああいう時は父親なんかおり場が無いわ、ははは」

 なにが『ははは』だ。カンナは箸を卵焼きに突き立てた。

 誰が反抗期だって? 昨夜までは自分の味方のように思っていた父が急に憎たらしく思えてきた。


***


「ね、チハルちゃん。親とかに反抗期って言われん? あれ、すっごいムカつくことない?」

「んー、どうかなあ」

 のんびりした声で返しながら、小柄なチハルちゃんは通学鞄を背負い直した。中学指定の通学鞄は、一年生のカンナ達にとって制服と同様、まだしっくり身体に馴染まない。これなら小学校のランドセルのほうがまだ背負いやすかったな、と思いながらカンナも鞄を揺すり、昨夜からの一部始終を話した。

「ひゃははは。それでキレてお鍋ひとつダメにしたん? カンナちゃんらしいわぁ」

「反省はしとるよ、一応。けど、お父ちゃんにはがっかりした。自分だってお母ちゃんの言うこと聞かずににタバコ吸いよるくせに。ああいうのは『反抗』やないん?」

 足元の石ころを思い切り蹴飛ばし、カンナは制服の襟をパタパタさせた。朝だというのに、通学路の坂道は蒸し暑い。頭の上では梅雨を思わせるような重い色をした雲が広がっている。

 「だいたいね、『反抗期』て大人が自分の都合で作った言葉やろ。小さい頃はなーんも分からんし、とりあえずハイハイと言う事聞くしかないやん。だんだん大きくなっていろんな事分かってきたら、大人のおかしいとこにツッコミ入れたくなるのは当たり前と違うん? それをよ、自分のことは反省せんと子どものこと『反抗期』てひと括りにしてごまかそうとしよる。ずるい!」

「カンナちゃん、面白いこと考えるね。ハンコーキかあ。なんか、市場のダンボールに印刷されとる記号みたいやね。『秀』とか『糖度○○』とかと変わらん感じ」

「うっわ、そしたらあたしら、ピーマンや八朔はっさくと同じ扱いか。腹立つー」

 二人がおしゃべりしながら校門に駆け込んだ直後、ついに雨が降り始めた。



 

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