第28話 Re : スタートライン
七月二十七日、日曜日。
その日の午前中、由里佳は織部とともに白金義体研究所を訪れ、不調を訴える足の応急処置を受けた。いなくなった菅原の仕事を引き継いだという担当者は、「前任者のせいで多大な迷惑をお掛けして申し訳ない」と終始平身低頭する有様で、むしろ由里佳が申し訳なく思うほどだった。
すべての作業が終わった後で、由里佳はその担当者から、〝耐久性を向上させた新型の脚部パーツ〟が近日中に完成するという話を教えてもらった。そして最後に、「今回の処置はあくまで間に合わせのものなので、新型が完成するまではできるだけ負荷を掛けないようにしてください」と彼はまた申し訳なさそうに言った。
そういうわけで、かろうじて歩くことはできるが、飛んだり跳ねたりはおろか走ることもままならない状態の由里佳が、一週間ぶりに〝いつもの〟ライブ会場に辿り着いたのは『
五島から聞いた話によれば、今日のライブは十七時からの一回だけらしい。
現在時刻は十六時四十五分。
つまり、開演十五分前の会場入り。
普段であればありえないほどの大遅刻である。
実のところ、由里佳は一時間以上も前にこの会場の最寄り駅に到着していた。
そこから徒歩で十分ほどの道のりを、まさか今更迷ったというわけではない。
それなら、一体どういうわけか――。
正直に言えば、由里佳は、またこの場所に来るのが少し怖かったのだ。
大きく分けて理由は二つある。
ひとつは、椎奈と真以子のふたりに、あれからまだ一度も顔を合わせていないということ。
早く会いたいという気持ちはもちろんある。それに、ふたりが端末に送ってくれたメッセージのおかげで、由里佳が抱えていた不安が杞憂だったこともわかった。――けれど、改めて面と向かって話すのはやっぱり気が重い。どんな顔をして会えば良いのか、最初に何を言えば良いのか、そればかり考えてしまう。
もうひとつは、自分のせいで、また誰かが傷つくような事態が起きる恐れがないとは言えないということ。少なくとも、この前と同じことは起らないはずだけれど、だからと言って何も心配するなというのは無理な話だ。
そんなことをぐるぐると考え続け、足を踏み入れるべきか否か迷っているうちにこんな時間になってしまったというわけだった。
お前がしたいようにすればいい、と五島は言った。だから由里佳は、一昨日の夜からずっと考えていた。この先、自分はいったいどうしたいのか。――どうすればいいのかを。
実のところ、その答えはまだ出ていない。
だからこそ――、
迷ったけれど、結局こうしてライブに来ることにしたのはその答えを出すためでもあった。
だけど――、
列をなす観客たちの一番後ろの方で由里佳が思いに沈んでいると、あっという間に開演の時間が来た。
ライブの始まりを告げるアナウンスが聞こえ、はじかれたようにステージを見上げると、視線の先に一週間ぶりに見るふたりの姿があった。
そういえば――、と今更のように思う。
こうして、こちら側からステージに立つふたりを見るのは初めてのことだ。
だからだろうか。
ふたりの姿は懐かしくすら思えるのに、どこか新鮮な感じもする。少し不思議な感覚。
いつもと違って持ち歌のイントロとともにステージに現れたふたりは、そのまま流れるように一曲目のパフォーマンスを始めた。
ハッと息をのむ――。
その瞬間、由里佳の目には、二輪の大きな花が咲いたように見えた。
様々な角度から放たれる七色の光を受けて、キラキラと輝くように舞う椎奈と真以子。
可憐で、華々しく、たおやかに咲き誇る花を思わせるふたりの姿は、見る者を、そしてなによりも由里佳を魅了する。
小気味良いリズムに乗せたポップでキュートなメロディーとダンスが、合わさり一体となって会場を飲み込む。それは由里佳に未だかつてない高揚をもたらした。
まるで初めて聞く曲みたいだ、と思う。
だって、知らなかったのだ。
ふたりとも、あんなに可愛くて、あんなに綺麗で、それにあんなに笑顔が眩しいなんて。
全部知っているつもりで、だけど全然知らなかった。
そして、
ようやく、やっと気づいた。
初めてふたりに会った時にも感じた、この焦がれるような、急かされるような思いの正体に。
多分、きっとこれが――、
一曲目が終わるとすぐに、椎奈がステージの中央から少し前の方に出てきて疲れを全く感じさせない声を出した。
「こんにちはー! 『
観客から歓声が上がり、それに笑顔で手を振って応えてから、
「今日は直前の告知だったのにこんなにたくさんのお客さんに来ていただいて嬉しいな! みんな、ちゃんとRe-CASの方もチェックしてくれてるのかな? えーとそれでね、告知を見てくれた人はもう知っているかもなんだけど、実は最初に残念なお知らせがありまして、見ての通り、今日はわたしと真以子のふたりだけのステージになります……!」
笑顔から一転して申し訳なさそうな顔になり、両手を合わせるようにして言う。
「先週もライブに来てくれた人たちは、突然中止になってしまって本当にごめんなさいっ。そうじゃない人もきっと心配を掛けてしまったと思います」
すると、椎奈の後ろにいた真以子も一歩前に出てきて、
「ごめんなさい」
と深々とお辞儀をした。
少しだけ重苦しい雰囲気が会場を包み込み、由里佳はにわかに胸が締め付けられて居たたまれない気持ちになった。
ついさっきまで、とても盛り上がっていたのに。
わたしのせいで――、と顔を隠すように俯きかけて、
「でもね――!」
と明るさを取り戻した椎奈の声に引き留められた。
「今日はふたりだけだけど、由里佳ちゃんももう少し休んだら戻ってこれるはずなので――、……それまでは、わたし達ふたりで精一杯頑張るから、みんな、応援よろしくねっ」
最後の方はふたりでハモるように息を合わせて言った。
椎奈と真以子の温かく弾むような声に、観客の声援が次々と重なっていく。
「がんばれー!」
「応援してるぞー!」
「また三人のステージを見せてくれ!」
「早く戻ってこい、ゆりかーーーーー!!」
いつの間にか会場は、今日一番の熱気で満たされている。
あのふたりはやっぱりすごいな、と思う。
何か熱いものに触れた気がして、その部分が痒いのか痛いのか苦しいのか、理由のわからない涙が由里佳の目の端に浮かぶ。
慌てて指先で拭うと、その滴もまた、思いがけないほどの熱を持っていた。
そして、歓声と声援が一段落した頃合いを見計らって、椎名がそれらに負けじと大きな声を張り上げた。
「ありがとー!! それじゃ、みんな次の準備はいいかな? ――いいよね? よーし、二曲目いってみよー!!」
それからというもの、あっという間に予定された時間が過ぎて、ライブは呆気なく終わりを迎えてしまった。正直なところ、物足りない。もっとステージの上のふたりを見ていたかったと由里佳は思う。熱に浮かされるような興奮にいつまでも身を浸していたかった。
けれど、それと同時に薄々ながら気づいていた。
自分が本当に望んでいるのは、ただのいちファンとしてふたりを応援することではないのだということに。
他の観客達が会場からはけるのを待って、由里佳はステージの裏手にある楽屋へと向かった。
きっとまだそこにいるはずの、椎奈と真以子に会いに行くために。
目指すべき場所が近づくにつれ、胸の動悸が増していく。
本当はまだ少しだけ迷っている。
これが正解かなんてわからない。
でも、もう決めた。
この気持ちをちゃんとぶつけるんだって。
スタッフオンリーと表示されたドアをこっそりと開け、少し前までの熱狂が嘘のように静まり返った通路を行く。途中で会場のスタッフと鉢合わせしたらどうしようと思ったが、運よく誰にも会わずに、由里佳は馴染みのある部屋の前に立った。
その塗装の剥げかかったドアをノックして、居住まいを正して少し待つ。
しかし、待てど暮らせど由里佳が期待した返事は一向にない。
もう一度ノックをする。
それからまたしばらく待って、ついにしびれを切らした由里佳がドアノブを掴んで捻ってみると、ガチャッという音とともにそれは何の抵抗もなく回った。どうやらカギは開いているらしい。そのまま恐る恐る押してみると、開いたドアの隙間から見えた室内は真っ暗で電気も点いておらず、中には誰もいないようだった。
もしかしたら、息をひそめて隠れているのかもしれない――、
そんなおよそありえない可能性にすがって、由里佳は室内に身体を滑り込ませるとドアのすぐ横にある照明のスイッチを入れた。
パチンという音がやけに大きく響き、瞬間、無機質な白い光が部屋を満たす。
たちまちガランとした部屋が目の前に広がり、
そして、誰もいない、という情け容赦ない現実を由里佳に突きつけた。
そんな――、と思う。
こちらから会いに行くという連絡をしたわけじゃないし、そりゃ仕方ないよね、とも思う。でも、何も言わずとも、ふたりはきっと待っていてくれるような気がしていたのだ。
どうしよう。
別にもう会えないというわけではないし、その機会だっていくらでもあるだろう。けれど、今日は類稀な、それこそこれ以上ないというぐらいのチャンスだったのだ。それを淡い期待に甘えて棒に振ってしまった。
由里佳は自分の愚かさと迂闊さに呆れて、肩を落としながらとぼとぼと来た道を引き返した。
ステージのわきを通って出口へ向かおうとして、その途中で異変に気づいた。
つい先ほどまでは消されていたステージの照明が、いつの間にか煌々と灯っているのである。確か、今日この会場で予定されていたライブはすべて終了したはずなのに、と訝しんでいると、急に音楽が鳴り響いた。
それは由里佳が聞いたことのない曲だった。
ハッとしてステージの上を仰ぎ見ると、果たしてそこには椎奈と真以子の姿があった。由里佳が誘われるようにステージに近づくと、それを合図にしたようにふたりが動き出す。
その口から、初めて聞くはずなのに不思議と耳に残る旋律が紡がれる。
その歌と、あの可憐で、華々しく、たおやかに咲き誇る花のようなふたりの踊りと、眩しいほどの笑顔。そのすべてが、今は由里佳ひとりだけに向けられている。そのすべてを、ステージに一番近い特等席で由里佳は見て、聞いて、感じた。
このまま、ふたりと友達のままでいられるなら、それだけでいいかもしれないと思っていた。
でもそれは違った。
気づいてしまった。
ふたりに初めて会った時から胸の裡にある、この焦がれるような、急かされるような思いの正体は、きっと〝憧れ〟だ。
わたしはずっと、あのふたりに憧れていたんだ。
憧れて、少しでも近づきたいと思ったからこそ、友達になりたいと思ったんだ。
ほどなくしてその願いは叶った。
初めてできた友達は想像していたよりも遥かに心地良いもので、一緒にいると、何でもないことが嘘のように楽しくて、おかしくて、嬉しくて。時に辛かったり悲しかったりもするけれど、そのすべてが本当にかけがえがなく愛おしいもので――、
いつの間にかそれだけで満足してしまっていた。
それ以上を望むのは贅沢に過ぎると思っていた。
だから、その気持ちに名前をつける前に、無意識のうちに蓋をしていたんだ。
だけど――、
こうして今、改めてあの日憧れたふたりの姿を、いつかよりも輝きを増したそのステージを、こんなに間近で目にしたせいで気づいてしまった。
この気持ちをなかったことにするなんて、そんなの絶対無理だってことに。
そして、今度こそ、憧れを憧れのまま終わらせたくないという強い衝動に。
ステージを所狭しと舞い踊るふたりを、熱に浮かされたように一心に目で追って、
もう一度、ふたりと一緒に同じステージに立ちたい、と由里佳は思った。
ただの仲の良いお友達としてではなく、アイドルグループの一員として。
「――どう、だったかな?」
曲が止まって間もなく、放心したようにステージを見上げる由里佳に向かって、少しだけ上気した顔の椎奈が問い掛けた。
「うん――、なんていうか……、ふたりとも素敵だった」
あれほど悩んでいたのが馬鹿らしくなるほどに、すんなりと声が出た。
「えへへ、ありがとう。やっぱり由里佳さんに褒められると嬉しいな」
「曲の感想を聞きたいんじゃなかったの」
頬を緩めて笑顔を浮かべる椎奈に真以子の鋭いツッコミが飛んだ。
「あ、そういえばそうだっけ。うん、そうだったそうだった。というわけで、えーとね、――是非とも曲の感想をお聞きかせ願えますでしょうかっ」
椎奈はわざとらしい真面目な声を出し、両手を合わせて拝むように言う。
「どうして敬語なの」
「いや、なんとなく――」
「そっちもすごく良かったよ。でもあの曲って……」
「うん、そう、ご名答! あれがわたし達の新曲です!」
「由里佳さんはまだ何も言ってないでしょ」
何だか椎奈はいつにも増してテンションが高い。
真以子が呆れたような声を出すのも聞いちゃいない。わー、と口で言いながらパチパチと小さく拍手までしている。
「新曲――」
「ほら、前にプロデューサーが仄めかしてたことがあったでしょ。正直あまり本気にしてなかったんだけど、本当に作ってたみたい。でね、一昨日ついに完成したんだって」
「でき立てほやほや」
真以子が同意するようにこっくりと頷いて言う。
完成してからまだ二日。つまり練習できる時間もほとんどなかったはずなのに、もうあんなにものにしているなんて――、と由里佳は改めてふたりの実力を実感する。
「どうして本番ではやらなかったの?」
今日のライブはいつも通り持ち歌二曲と、カバー曲が四曲という構成だった。持ち歌の少なさは如何ともしがたいところであり、実際ファンからも新曲を待ち望む声が日増しに多くなっている。サプライズで新曲の発表となれば、盛り上がるのは必至のことだ。
すると真以子が、思いがけぬほどに感情のこもった声で言った。
「だって――、新曲の発表は絶対にこの三人でやりたかったから」
予想外の答えに由里佳は思わずきょとんとする。
「ほら、今までの曲って、本を正せばわたし達が元居たグループの曲だったでしょ。そのせいで、わたし達的には『
「ふたりとも――……」
言葉を失う由里佳に向け、悪戯な笑みを浮かべて椎奈は言う。
「由里佳さんが戻ってきてくれないと、この曲もお蔵入りになっちゃうよ?」
「折角たくさん練習したのに」
真以子が真に迫った恨めしそうな声で言う。
恐らく、ふたりは気を利かせて、わざとそんな風な言い方をしているのだろう。
それがわかるからこそ、はいそうですか、じゃあ戻ります、なんて何食わぬ顔で元通りというわけにはいかない。
それにまだ、あの時のことをちゃんと謝れていない。
「でも、わたしは――。ふたりに秘密にしていたことがいっぱいあって、だから……」
「うん、知ってる。大体のことはプロデューサーが話してくれたよ。わたし達に黙っていたのは、由里佳さんの意思じゃなくて、そう命令されていたからだってことも」
「それなら、ふたりはどうしてそんなにいつも通りなの? わたしの正体を知っても何とも思わなかったの……?」
「ううん、やっぱり最初は驚いたよ。だって、そんなの全然わからなかったし、こうしている今だって全然わからないもの。あんなことがなければ、きっと信じられなかったと思う」
何気なく放たれた〝あんなこと〟という一言に由里佳は身を固くして、思う。
どうして、そんなに何でもないことのように言えるの?
すると、
その椎奈の言葉に同意するように、こっくりと頷いてから真以子が口を開いた。
「わたしもすごく驚いた。でも――」
「でも……?」
「そんなの関係ないと思う。たとえ由里佳さんがロボットだったとしても、由里佳さんは由里佳さんだから。それが変わるわけじゃないから」
「うん、それ。わたしもそれが言いたかった! やっぱり真以子はわかってるよね」
ビシっと真以子を指差してから、うんうんと頷いて椎奈は言う。
「それはそうかもしれないけど……、ふたりは本当にそれだけでいいの?」
「うーんと、じゃあね……、逆にそれだけじゃいけない理由はある?」
「それは……」
「例えば、意思疎通がちゃんと取れなかったりしたら問題かもしれないよ? でも由里佳さんはそうじゃないよね。むしろ、こうして面と向かって話していても、人間と何が違うのかわからないぐらいなんだから。それで問題がないなら、それだけで良いんじゃないかな。だって誰も知らないだけで、もしかしたら、わたしと真以子も本当は人間じゃないかもしれないでしょ。もしもそうだったとして、由里佳さんは、もうわたし達と一緒にはいられないって思う?」
思わない――。
思わないけど、本当にそんな単純な理由でいいんだろうか。
由里佳が何も答えられずにいると、
「つまり、椎奈はエイリアンかもしれないってこと」
真以子が至極真面目な顔でそう聞いた。
すると少し間を開けて、脱力した声で椎奈が答える。
「いや、まあ確かにそういう話ではあるんだけど……、他にもっと言いようってものがあるよね?」
「でもやっぱり緑色の血が流れてたりするんでしょ」
「流れてないよ!」
「じゃあ青色ってこと」
「普通に赤いです! もうエイリアンから離れてよ! それにさっきの話でいくと、仮にわたしがエイリアンなら真以子もそうだってことになるんだから」
「わたしは由里佳さんと同じが良い」
「えー、なにそれ! 自分だけずるくない!?」
どうしてだろう――。
ふたりのやり取りを聞いていると、何故か自分が余計なことまで考え過ぎているような気がしてくる。そして、まるでその思考を読んだように真以子が言う。
「由里佳さんは、きっと難しく考え過ぎてるだけ」
「そうそう、もっとシンプルに考えようよ」
「シンプルに……?」
「そうだよ。えーとね、たとえばこんな風に。――わたしは由里佳さんが好き。これからもずっと一緒にいたい。だからずっと一緒にいる」
柔らかい笑みを浮かべてそう言ってから、わー、流石にちょっと照れるね、と恥ずかしそうにはにかんで見せる。
その言葉が本当にうれしくて、抱えた葛藤も得体の知れない不安も、何もかも投げ出してしまいたくなる。
すべてを投げ出して、わたしも――、と頷きたくなるのを必死にこらえて、
「わたしのせいで、そんな大怪我までしたのに……?」
由里佳は椎奈の左腕に巻かれた、痛々しい包帯を目で示しながら問う。
すると、椎奈は「どうして?」と言いたげにきょとんとした顔をして、
「これは別に由里佳さんのせいじゃないし、大怪我って言うほどそんな大したものでもないよ。念のためにサポーターはしてるけど、もうほとんど治っているみたいなもんなんだ。ほら、わたし、昔から怪我の治りが早くてさ。お医者さんにも、まるで野性の動物みたいだねって褒められたよ」
「それ褒められてるの」
「褒められてるでしょ」
「……まあ椎奈がそれで良いなら良いけど」
「えー、ちゃんと納得してよう。ねえ、由里佳さんはどう思う? わたし褒められてるよね?」
「ええと――、」
「ほら、椎奈が恥ずかしいことを言うから由里佳さん困ってる」
「えっ、さっきのあれのせい!? その、急に変なこと言ってごめんね――」
あたふたと慌てる椎奈の様子がおかしくて、思わずと小さな笑みがこぼれる。
由里佳は、ううん、違うの、と首を振ってから、
「椎奈さんの気持ちは本当にとっても嬉しかった。本当は、わたしも、って答えたかった。でもその前に、ちゃんとわたしの気持ちをふたりに伝えておきたくて」
すると、少し間をおいて、椎奈がまじめな顔で答えた。
「――そっか。うん、聞かせて。由里佳さんの気持ち」
こっくりと頷いて見せる真以子に頷きを返して、由里佳はその胸の内を吐露し始めた。
「あのね、今日のふたりのステージを見て、わたしにとってふたりは、ずっと憧れの存在だったってことに気づいたんだ。ふたりとはずっと友達でいたい、でもそれだけじゃなくて、ふたりみたいになりたい、そして同じアイドルとして一緒のステージに立ちたいって思ったんだ。こんな気持ちを自分も他の誰かにあげることができるなら、それはとても素敵なことだなって。――でも、こうも思うんだ。ロボットのわたしにそんなことできるのかな。……やってもいいのかなって」
「できるし、やっていいに決まってるよ! だってわたしも、初めて由里佳さんのダンスを見たときに同じように思ったもの」
椎奈の言葉が胸に刺さる。引き裂かれるような思いで言葉を紡ぐ。
「でも、それはわたしの実力じゃなくて、本当は……」
「知ってるよ。だけど、そんなの関係ない。わたしはダンスが上手いって理由だけで由里佳さんに惹かれたわけじゃないもの。それもあるけど、それだけじゃないもの」
「椎奈さん……」
「でもね、それでもそのことが気になるって言うのなら――、今度は一緒に練習しようよ。由里佳さんが実力で踊れるようになるまで、ずっとそばについててあげるから」
すると、わたしも、と真以子が言う。
「もしうまくできなくても、その時はその時。由里佳さんの気が済むまでやれば良いと思う。由里佳さんが、もういいって言うまでわたしもずっと一緒にいる」
「真以子さん――、」
目の端にじわりと熱いものを感じ、慌てて顔を俯けてからぽつりと言う。
「……ふたりともありがとう。憧れの人にそこまで言ってもらえるなんて、わたしはきっと幸せ者だね――」
「やっと気づいてくれた?」
椎奈が由里佳の顔を覗き込むようにして、悪戯な笑みを浮かべた。
人差し指で目元を拭ってから、顔を上げて頷く。
うん、そう。やっと気づいた。
初めて憧れを抱いた人と友達になり、自分の存在を受け入れてもらって、あまつさえ同じステージに立つことを望まれるなんて、それがどんなに幸福で、望むべくもないものなのかということに。
だから、その気持ちに応えない人間やロボットがいたとしたら、きっと分け隔てなく罰が当たるに違いない。
由里佳は、控え目ながらどこか芯の通った声で言う。
「あのね、ふたりにお願いしたいことができたんだけど」
いいかな、と上目遣いに椎奈と真以子の様子を窺うと、ふたりは示し合わせたように頷いて先を促した。
小さく深呼吸して、胸の中にあるささやかな願いを空気と一緒に吐き出す。
「あの新曲のダンス、あれをわたしに教えてください……!」
由里佳が誠意を込めて頭を下げながらそう言うと、椎奈が少し残念そうに口を開いた。
「なーんだ、そっちかー……、ってウソウソ! もちろん望むところだよ!」
「いったい何を期待してたの」
「それは、えーとね……、秘密!」
「どうせろくでもないことでしょ」
真以子が指摘すると、椎奈は誤魔化すように「あはは」と笑ってから、
「――そんなことより、一緒に練習すると決まったからには容赦はしないよ! ビシバシいっちゃうからね」
すると真以子もこっくりと頷いて言う。
「スパルタ教育ならまかせて」
――ふたりの目は本気だ。
練習はきっと、一筋縄ではいかないだろう。
それは自分自身が一番わかっていることだ。
もしかしたら、新型の改良された足とやらもまたすぐに壊れてしまうかもしれない。でも、そのときは修理してもらえばいいし、それがだめなら新しいのを作ってもらえばいい。「先立つものがない」と五島は泣くかもしれないが、そのぐらいのわがままを言う権利はあると思うのだ。
なぜって、
わたしは、おそらく世界に一人だけの第七世代のアンドロイドで、今を時めく(予定だけど)のアイドルグループのメンバーの一人なのだから。
『
その名前がやっと決まったあの日、ようやく何かが動き出したような気がした。
でも、本当はまだ何も始まっていなかったのかもしれない。あるいは、自分だけひとりでずっと同じ場所をぐるぐると回り続けていたのかもしれない。
だとすれば、
本当のスタートラインがあるのなら、それは今この時に違いないと由里佳は思う。
切ろう。
今度こそ、スタートを。
ふたりがステージの上から手を差し伸べて来る。
その手を借りて、由里佳はステージに上がった。
そして、椎奈と真以子の顔を正面から見て由里佳は言う。
「うん――! ふたりとも、改めてよろしくね!」
今はまだ近くて遠いふたり。
その背に追いつき本当の意味で並んで、時に走り、時に歩く。
そして疲れたときは一緒に休む。そんな望んだ未来が訪れることを信じて。
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