第27話 それは月明かりのように B-side
由里佳が織部との再会を果たす少し前のこと。
明日のライブに向けたレッスンを終え帰宅した真以子は、ひとまずシャワーを浴びてさっぱりしてから、自室にあるシングルサイズのベッドの上に横になった。
うつぶせに、ぼふ、と勢いよく枕に顔を沈めて、真以子はわけもなく足をぱたぱたさせた。それに飽きて不意にごろりと寝返りを打つと、今度は仰向けになって天井を見つめる。そこにある人の顔のような木目に名前を付けようとして、一人目で飽きてすぐにやめた。
それから枕元に置いてある目覚まし時計をゆっくりと持ち上げて時刻を確認する。十九時三十分。流石にまだ寝るには早いが、一度気を抜くとたちまち疲れが押し寄せてきてどうにもいけない。立ち上がる気力が沸くまで一休みとしばしの間目を閉じると、少しして、ベッドから離れた位置にある机の上で、そこに乗せたままの携帯端末がブルブルと振動してメッセージの着信を知らせた。
上半身を軽く起こしてそちらに目をやる。正直、立ち上がるのが面倒くさい。
再びベッドに身を沈めて目を閉じたかと思いきや、唐突にぱちりと目を開け意外に素早い動きで起き上がると、端末を手に取って引き返し、少し迷ってからベッドの縁に腰掛けた。
一息ついて、手元の画面に目を落とす。
届いたばかりのメッセージを開き、そこに記された簡潔な文章を一読して、真以子は小さく安堵の吐息を漏らした。
すると、
ほぼ同時に手の中の端末が再び小刻みに動きはじめ、音声通話の着信を示すアイコンがチカチカと点滅した。真以子は発信者を確認すると、左手の人差し指を大儀そうに持ち上げて通話開始のボタンを押す。
ベッドに腰掛けたままの姿勢で左手に持ち替えた端末を耳にあてがうと、すぐさま耳慣れた声が頭の中に飛び込んできた。
「真以子聞いた? 由里佳さん、見つかったんだって!」
「うん、今さっき、わたしの端末にもメッセージが来た」
「そっか。――でも、良かったよね」
「うん。本当に良かった」
真以子は相手に見えないのは承知の上で、こっくりと頷いてそう言った。
「何日も寝たきりかと思えば、次は家出だもんね。プロデューサーからそう知らされた時は、びっくりしちゃってもうどうなることかと思ったよ」
「寝たきりっていうのは語弊があると思うけど」
「そうかな? まあ細かいことは気にしない気にしない。それよりさ、由里佳さんは 送ったメッセージ、見てくれたかな。明日のライブ、来てくれるかな」
椎奈と真以子は何日か前にそれを知らせるメッセージを由里佳の端末へと送ったが、結局未だに返事は来ていない。
もちろん、真以子としても由里佳には是非とも明日のライブを観に来てほしかった。けれど、今さら何をどうしたところでどうなるものでもないと思う。
「……ライブと言えば、腕の具合はどうなの」
「それならもう痛みもないし、全然問題ないよ。むしろとっくに治ってるんじゃないかと思うぐらい」
「あまり調子に乗って悪化してもしらないから」
「あはは、でも心配してくれてありがとね」
「わたしが心配してるのは、ライブに支障が出ないかどうかってこと。別に椎奈の心配をしてるわけじゃない」
思わずいつもの調子で素っ気なく返すと、
「うん、それでも。ありがとう。……そのことだけじゃなくて、色々とね」
椎奈にしては珍しく、しおらしい声が返ってきた。
「急にどうしたの」
「もし真以子がいてくれなかったら、今頃、わたしはどうなっちゃってたかな、と思ってさ」
「――椎奈はいつだって椎奈でしょ」
「うん。でも、やっぱり今のわたしがあるのは、真以子がいて、由里佳さんがいてこそだもの」
椎名のその声は、いつもと同じようでどこか違う響きを持っている。
こんなことは滅多にないことだと真以子は思う。
椎奈が今どんな顔をしているのかわからない。
わたしはどんな言葉を掛ければ良いのだろう。
いつもなら、そんなこと考えるまでもないのに――。
「わたしね、もしかしたら真以子は後悔してるんじゃないかと思ってた。わたしと一緒に今のグループに入ったことを」
予想もしていなかった言葉に動揺して、真以子はかすかに震える声で問う。
「……椎奈はどうしてそう思ったの」
「だって最初の頃の真以子は、あまり楽しそうじゃなかったもの。そりゃ、結成したばかりでまだ名前も決まってないようなグループだったしね。不満の一つや二つはあるだろうなと思ったよ。それに、真以子ひとりだけならもっと良いところに入れてもらえたかもしれないし。そもそも、前のグループが解散したのだってわたしのせいみたいな――」
「そんなことない……! それは絶対に違うからっ」
唐突に、椎奈の言葉を遮るようにして真以子は普段にない大声を上げた。それはまったく無意識の行動で、その声の大きさに自分でも驚くほどだった。
端末を通して、椎奈が同じように驚いている気配がする。
「――、えーと、違うって何が?」
何がって、そんなの何から何まで違うに決まってる。
兎にも角にも、違うと言ったら違うのだ。
だって――、
わたしはただ、椎奈のことが……。
「真以子? ごめん、良く聞こえない」
もしかしたら少し声に出ていたのかもしれない。
我に返って、真以子は取り繕うように普段以上にぶっきらぼうな声を出した。
「椎奈はどうなの」
「わたし?」
まったく心当たりがないとばかりに間の抜けた声を上げる椎奈に向けて、真以子は忘れ得もせぬ事実を矢継ぎ早に突きつけた。
「だって、せっかくセンターになれたのに、グループ内のくだらない諍いに巻き込まれて、椎奈は悪くないのに追い出されるみたいになって、そのくせ、追い出した方も結局はバラバラになってすぐに解散するなんて、そんなの踏んだり蹴ったりじゃない」
すると、椎奈はあたかも何でもないことのように、
「あー、そういえばそんなこともあったね」
それがどうしてか腹立たしくて、役立たずの言葉ばかりが次から次へと溢れてく。
「それなのに――、恨み言の一つや二つ言っても良いはずなのに、椎奈は一度もそうしなかった。それどころか、わたしに愚痴をこぼしたことすらないでしょ」
「そうだったかな。もう忘れちゃったよ」
そんなの嘘だ、と真以子は思う。
けれど、それが嘘か本当かなんて、今はどうでもいい。
自分が誰に対して怒っているのか、
何に対してむきになっているのか、それすらわからなくてもいい。
ただ、椎奈の〝本当の気持ち〟を知りたいと思った。
今までずっと聞けなかったこと。
聞くならきっと今しかない。
「椎奈はもう一度センターになりたいとは思わなかったの」
そして、真以子が一大決心をして口にした問いへ返って来たのは、拍子抜けするほどあっさりとした答えだった。
「うーんと、思わなかったって言えば嘘になるけど、初めからセンターはもう決まってるっていう条件だったし、それを承諾した時点で諦めはついてたよ。わたしのせいでまたギクシャクするのは嫌だったしね。それに今では、そういうのとは関係なしに『
その答えに心のどこかでほっとしている自分に気づき、真以子は戸惑いを覚える。
どうしてかな、あの頃のわたしは椎奈にまたセンターになってもらいたかったはずなのに。
その姿を誰よりも近くで見たくて、また一緒のグループに入れてもらったのに。
今のわたしは、
「わたしだって今はそう思う。でも――」
「そっか、最初の頃は違ったんだね」
思いがけないほどに優しい椎奈の声に導かれるようにして、真以子は〝あの頃〟の本音をポツポツと語った。
「由里佳さんに初めて会った時は、正直、どうしてこの子がセンターなんだろうって思った。可愛いとは思ったけれど、でもそれだけなら椎奈でも、わたしだって良いでしょ。それに何より、椎奈が由里佳さんと仲良くしようとしているのを見ていられなかった。……だって、もしかしたらまた同じグループのメンバーに裏切られるかもしれないのに。あんな理不尽なことがあった後なのに、わざわざプライベートでも仲良くする必要なんてないんじゃないかって」
「ふむふむ、なるほどね」
「何がなるほどなの」
椎奈が含み笑いをするように言って、真以子は訝しんだ声を出した。
「つまり、真以子はわたしが由里佳さんと仲良くするのが面白くなかったわけだ」
「間違ってはいないけど、そんな風に言わないで。まるでわたしが嫉妬してたみたい」
「えー、違うの?」
「ちゃんと人の話聞いてたの」
「聞いてたよ? 椎奈が構ってくれなくて寂しかったって」
「そんなこと言ってない」
「そう? あとさ、さりげなく自分のことを可愛いって言ってたよね」
「そんなこと言ってない」
「えー、ぜったい言ったよ。まあ、わたしとしても真以子は可愛いと思うから別に異論はないんだけどね? ……でも、そっか。真以子がつまらなそうにしてたのは、そういう理由だったんだ」
なぜか椎奈はひどく安心した様子でそう言った。
「だから――」
違うって、と言おうとして、でも――、と真以子は思う。
あるいは、そういう気持ちがまったくなかったと言えば嘘になるかもしれない。
だって、由里佳さんは可愛いから。椎奈が好きになりそうな女の子だったから。
あくまで、もしかすれば、の話だけれど。
「だから?」
「なんでもない」
「ふうん、そっか」
「何」
「なんでもない」
そう言って、ふふ、と小さく笑ってから、少しして椎奈はポツリと言う。
「ありがとね、真以子」
「それはもう聞いたってば」
「うん、でもなんとなく、もう一度言いたくなったんだ」
椎奈は今、いつも通りの笑顔を浮かべているに違いない。
やっぱり椎奈にはずっとそうしていてもらいたいと思う。
だって、椎奈はわたしにとって太陽みたいな存在だから。
その笑顔が翳ってしまったら、わたしはたちまち暗闇に取り残されてしまう。
だけど、
きっと、いつまでもただ一方的に照らしてもらって、温めてもらうだけじゃダメなのだ。
たとえ、それが取るに足らないような熱量でも、
彼女にもらった光を反射しているだけに過ぎなくても。
「大丈夫、平気だよ。何も心配いらないから」
それはまさしく、〝月並み〟な言葉だったけれど、
気の利いた台詞なんて言えなくても構わない、と真以子は思う。
そんなの自分には似合わないし、何より、
端末の向こうで、
「うん……!」
と弾むように答えた椎奈の声が、とても嬉しそうだったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます