第25話 小さなファンクラブ

 由里佳と五島が這う這うの体で例の店に辿り着いた頃には、長く降り続いた雨はいつの間にかほとんど止んでいた。

 そして、「やれやれ、これで一段落か」と入口の扉を開こうとして、五島はそれに気がついた。ようやく雨が上がりかけ、まだ日も落ち切ってはいないというのに、扉に掛けられた看板が再び「Closed」になっているのである。言葉通り、扉は施錠されているらしく押しても引いてもびくともしない。

「閉まってますね」

「閉まってるな……」

 その事実を認識した途端、急にどっと疲れを感じて五島は大きなため息を一つ。

 それにしても先刻店を開けてからまだ二時間も経ってはいないのに、すでに閉店しているとはどういうことか。とてもじゃないが商売をする気があるとは思えない店である。

 恐らく、今日は五島以外の客はなかったに違いない。

 そして、その恐らく唯一の客であるところの五島とて、まだ食事の代金を支払ってすらいないのだ。

 流石にそのまま帰ってしまうわけにはいかないと思う。けれど、少し強めにドアを叩いてみても、待てど暮らせど一向に開く気配がない。

 

 途方に暮れたふたりはダメ元で裏口の方へ回ってみることにした。店の外壁に沿って角を曲がると、向こうの角の辺りで、丸々として愛嬌のあるデザインのロボットが雨に濡れたコンクリートの上に窮屈そうに腰をかがめて、何やら作業をしているのに出くわした。

あの老婆が可愛がっている初期型の『MaruCO』である。

「あいつ、あんなところで何してるんだ?」

 五島は思わず立ち止まって疑問を口にした。

 すると由里佳が、あっ、と何かに気づいたような声を上げ、少し急ぎ足になって五島を追い越しロボットのそばへ近づいていく。

「おい、そんなに急ぐなって。ったく、足の調子も良くないってのに」

 ぼやきつつ歩いていくと、ふたりの足音に気がついたのか、背を向けていたロボットが立ち上がってこちらを向いた。

「オヤ。ドウモ、オフタリトモ。オカエリナサイ」

 特徴のある声でそう言って、丸っこいボディの上にちょこんと乗った、丸まっちい頭部にある二対のまん丸な目をピカピカと光らせる。片手には、ガラスの破片のようなものを入れた大きなビニール袋を握っている。

 先ほどまで丁度その体の陰になっていた辺りに、同じようなガラス片らしきものが幾つか転がっていることに五島は気づいた。どうやらロボットはそれを拾い集めようとしていたらしい。さらに近づいてよく見ると、それらがすべて酒瓶で、おそらく日本酒のものであるということが知れた。一升瓶よりも小さな四合瓶というやつだ。

「あの、ごめんなさい、こんなに散らかしちゃって」

 そのすぐ近くまで行くと、由里佳は両手を合わせ申し訳なさそうな声で言った。

「問題アリマセン。コレモ私ノ仕事デスノデ」

「――これ、お前がやったのか?」

「ええと、たぶん……。あの時は無我夢中で、何にぶつかったかまで考えを回す余裕がなかったんですけど……」

「そういや、お前が飛び出して行った時に何か派手な音がしてたな。あの音の正体がこいつか」

 破片の量からして割れたのは二三本というところか。近くには他にも十数本の空き瓶がきれいに並べて置かれている。

「あれが全部割れてなくて良かったな。危うく大惨事になるところだぜ」

「エエ。ソレデ、オ怪我ハアリマセンデシタカ」

「ええと――、おかげさまで、何とか」

 答える由里佳の声はどこか歯切れが悪い。

 あるいは、足の不調の原因の一端はそれにあるのだろう。元々へたっていた関節の部品に強い衝撃を加えた上、更に負荷を掛け続ければどうなるか。深く考えるまでもなく明白なことである。

「あの、わたしも手伝います」

 取り繕うようにそう言って、由里佳がしゃがんで手を伸ばそうとすると、

「おや、戻ってきてたのかい」

 あの老婆が、ふいに裏口の戸から顔をのぞかせて声を掛けてきた。

 すると、しゃがみかけた中途半端な姿勢で顔を上げた由里佳が、か細い声でその名前を呼んだ。

「乙倉さん――」

「なんだい、ふたりともずぶ濡れじゃないか」

 乙倉ってのか、この婆さんは――。今更ながらにその名前を知って、そういえば自己紹介もまだだったな、と五島は思う。

「ごめんなさい。……その、いろいろと」

 姿勢を正して頭を下げながら由里佳が言うと、

「別に今更どうってことないよ。そんなことより、そのままじゃ風邪引いちまうだろ。こんなこともあろうかと、風呂を沸かしておいたから入っていきな」

 予想外のことの成り行きに、由里佳は困惑気味の顔を五島に向ける。

「家に帰るにしろ、濡れネズミのままってわけにもいかないしな。それに、折角の好意を無碍にする手はないだろ」

「でも、ここの片付けがまだ」

「いいよ、そんなの。うちの子がすぐにやってくれるから。ねえ、小太郎?」

 小太郎と呼び掛けられたロボットは、

「オマカセクダサイ」

 と胸を張るように、分厚い体を無理に反らして得意気な声を出す。その仕草が絶妙にコミカルだったせいだろう。由里佳が小さく笑みを浮かべて言った。

「ええと、それじゃあその、お言葉に甘えさせてもらおうかな――」




 乙倉の店の二階部分は彼女の自宅になっていて、由里佳がそこに備え付けの風呂に入っている間、他に客のいないガランとした店内でくつろぎながら、五島は現状を確認するために岡田に連絡を取ることにした。

 岡田の携帯端末に宛てて由里佳が見つかったことを知らせる簡潔なメッセージを送ると、すぐに向こうから音声通話の着信が入った。

 通話が始まるなり、

『見つかったんですか? それで由里佳は無事なんですか?』

 開口一番、捲し立てるように岡田が言った。

「ああ。無理が祟って、足に抱えた爆弾が破裂しかけてる以外はピンピンしてるよ。これから家へ帰そうと思ってたとこなんだが、織部にもそう伝えておいてくれないか?」

「わかりました。どのぐらいで着きそうですか?」

 五島は由里佳が準備を終えてここを出るまでの時間と、道中に掛かる時間を頭の中で大雑把に計算してから答えた。

「――たぶん今から一時間後ぐらいだな。ところで、そっちは何か進展があったか?」

 すると、岡田は声のトーンを少し落とし、 

「それがこっちも色々と大変なんですよ。実は社長が――」

 そう言って、事推進の柏木から聞かされたという事の顛末を語り始めた。


 岡田からの報告を聞き終え、明日のライブについて簡単な打ち合わせをしてから五島は通話を終えた。それから、由里佳を自宅へ帰すためのロボットタクシーを手配した。

 一通りやるべきことを終えて一息つくと、

「何か良い知らせでもあったのかい?」

 カウンター席をひとつ空けて隣に座った乙倉が、淹れ立てのコーヒーのカップを傾けながら聞いてきた。

 すると五島も、淹れてもらったコーヒーを一口飲んでから答えた。

「まあ、ようやく風向きが良くなってきたってところだな。それでなんだが、やっぱり俺も後でシャワーを借りて良いか?」

「別に構わないけど、どうしたんだい? ついさっきは『俺はいいよ』なんて言ってたじゃないか」

「ちょいとこの後行く場所ができたんでな。――ちなみに、あんたも良く知ってる人のところだよ」

「つかさのことかい?」

 五島は、ああ、と頷いてから、

「行きつけの居酒屋があってな。あんたも来るか? あの酒の空き瓶、客に出したものってわけじゃないんだろ?」

「今回は遠慮しておくよ。わたしはひとりで飲む方が好きだからね。それにしても、一緒に酒を飲むような仲だったのかい?」

「まあな。社長とは今の会社に就職する前から付き合いがあって、その縁のおかげで俺は今ここでこうしてるってわけさ」

 すると少しの間を開けて、乙倉は探るような目を五島へ向けて言った。

「もしかしたらとは思っていたけど、あんたが五島さんかね?」

「――ああ。でも、どうしてそれを」

 五島は思わず、コーヒーを持ち上げたまま飲む手を止めて聞き返した。

「前につかさが話してくれたのを思い出してね。うちの会社に面白い男がいるって」

「あの玉ちゃんがそんなことを?」

「たまちゃん?」

 なんだいそれは、と乙倉は訝しむような視線を五島へ向ける。

「あ――、えーとその、昔からのあだ名みたいなもんだよ。ほら、玉子好きで、名前も似てるだろ?」

 五島が説明すると、「なるほど、そういうことかい」と合点して乙倉はくつくつと笑った。

「それなら、つかさによろしく言っといてくれよ」

「ああ、いろいろと世話になっちまったしな。それくらいお安い御用だよ。正直、本当に助かった」

「礼なんていらないよ。孫が遊びに来たみたいでわたしも楽しかったからね」

「そうかい? まあそれなら良かったぜ」

 五島がそう言うと、

 飲み干したカップをコトリと皿に戻してから、付け加えるように乙倉が口を開いた。

「それでさ、あの時の質問の答えだけどね」

 五島が「一体何の話だ?」という顔をすると、

「やだねえ。これだから、忘れっぽい男は」

 と乙倉は大袈裟に肩を竦めるようにしてから、

「ロボットがピアノを弾いたり何だりって話だよ。それをどう思うのかって聞いたじゃないか」

「ああ、そういえばそんなことも言ったっけな――」

「あの時は、正直、わたしの意見は参考にならないだろうと思って何も言わなかったんだよ。何せ、曲がりなりにも十年近くロボットと一緒に暮らしてるんだ。そりゃ情も移るし、客観的な判断なんてできないさ。それにこの先、世間のロボットに対する認識がどうなるかなんて、そんな未来のことは老い先短い婆にはよくわからないよ」

 そこで一度言葉を切ってから、乙倉は、ただね――、と言って、

「あの子とあんたを見ていて思ったんだよ。あの子が――、由里佳が、アイドルとしてステージに立って歌ったり踊ったりするのは是非とも見てみたいし応援もしたいし、いつかそれがテレビで見られたりする日が来たら、それはとても楽しくてわくわくすることに違いない、ってね。それが、この婆の偽らざる本音ってやつだね」

 海千山千という表現が相応しく思えるその顔の、人生が深く刻まれたような皺を更に深めて、乙倉は、十も二十も若く見える溌溂とした笑顔を浮かべて見せた。

「そうか――」

「あの子のこと、ちゃんと見守ってやるんだよ」

 すると五島もまるで子供のような笑顔を返して言った。


「言われなくてもそのつもりだよ。何せ、俺はあいつのプロデューサーで、それと同時にあいつのファンでもあるんだからな」

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