第23話 きっかけ

 「――ほら、これを見てくれ」

 五島がそう言って取り出して見せたのは、運よく財布に挟まっていた一枚の名刺だった。するとその喫茶店のオーナーらしき老婆は、手渡された紙片を矯めつ眇めつしてから、

「ロボットの家出、ねえ――。それで、その写真の女の子が件のロボットってわけかい?」

 鋭い視線を五島の手元の端末に向けて訊ねた。

「ああ、そうだ。簡単に信じてはもらえないかもしれないが――」

「ふむ。確かに、俄かには信じられない話だね」

 そう言って、老婆は物思いに耽るように黙り込んだ。

 まあ、そうだよな――と五島は今更のように思う。

 五島が、訝しい目をこちらへ向ける老婆に対し、自分がとあるロボット製造会社の社員であり、そこで製造したロボットが数日前に〝家出〟してしまい、その消息を追っているということをかいつまんで説明したのは、つい今しがたのことだ。

 しかし、改めて説明してみると、実に荒唐無稽な話である。

 その事実が簡単に受け入れられる世界なら、五島も苦労はしないというものだ。

 下手な嘘をつくよりは、と思い事実を打ち明けることにしたのだが、たとえそれが事実でも、相手に下手な嘘だと思われてしまえば何の意味もないのである。

 次にこの老婆の口から出るのは、更なる追及か、それとも糾弾か――。

 今のうちに逃げた方が良いかもしれない、と五島は思う。

 ところが、五島の予想に反して、

「まあでも、まるきり嘘を言っているというわけでもなさそうだね」

 しばしの黙考の後、老婆は少しだけ声の調子を和らげてそう言った。

「……信じてくれるのか?」

「まだあんたのことを信じたわけじゃないさ。でも、わたしは人を見る目にかけては自信があってね。――ただの勘だが、少なくともあんたは悪人ではなさそうだから。……それだけじゃ不満かい?」

「いいや、この際、ただの勘でも何でもありがたいよ。それで、さっきの話なんだが――」

 五島が満を持して、由里佳の消息について知っていることがないか聞こうとすると「まあちょっとお待ち」とそれを制してから、

「こっちも他に聞きたいことはあるけど、立ち話も何だし、とりあえず中へお入り」

 そう言って、老婆は店の扉を開いて五島を招いた。

 ありがたい申し出ではある。

 けれど果たして、これ以上ここで道草を食っていても良いものか――。

 五島が何と答えたものか迷っていると、

 店の中からにわかに食欲をそそる匂いが漂ってきて、過敏に反応した五島の腹の虫が盛大な音を立てた。そして、ぐう、というそのデリカシーの欠片もない虫の音は、雨の音にかき消されることもなく老婆の耳にまで届いたらしい。

 扉を開ける手を途中で止めて振り返り、胡散臭そうな顔で五島を見る。

「なんだい、腹が減ってたのかい」

 それから、一転して不敵な笑みを浮かべて言った。

「――あんた、運が良かったね。うちは軽食もやってるんだよ」


 


 うらぶれた場末の喫茶店然とした見かけによらず、その店内は小洒落た大人の隠れ家という味のある趣だった。もしかしたら、知る人ぞ知る、という店なのかもしれないと五島は思う。

「どうだい、なかなか良い店だろ?」

 自慢げに胸を張る老婆に顔を向けて、「ああ」と答えようとして五島はそれに気がついた。

 そして、『あ』と『お』の中間ぐらいの中途半端な声が口から洩れた。

 カウンターの奥にある別の部屋の出入口から、一台のロボットが現れたのだ。

 製造されてから十年以上は優に経過しているようなとても旧式なロボットだが、五島はその姿に見覚えがあった。

「おお、ただいま。ほら、今日最初のお客さんのお出ましだよ」

 それを見とめて、老婆が嬉しそうに破顔する。

「イラッシャイマセ」

 するとそのロボットは、特徴のある声で五島を迎えて、愛嬌のあるデザインの円筒形のボディを窮屈そうに折り曲げてお辞儀をした。

「こいつは、『MaruCOマルコ』じゃないか。――それも、初期型の」 

「ほう。流石に詳しいね」

「まあ多少はな――」

「この子はわたしのお気に入りでね。もう随分古いが、うちではまだまだ現役で頑張ってもらってるんだよ」

 そう言って、まるで孫でも見るように愛情のこもった眼差しをロボットに向ける。

MaruCOマルコの初期型と言えば、製造中止になって久しいし、確かメーカーサポートも終了していたはずだ。消耗品のパーツなんかはどうやって調達を? 見たところ良く整備されているようだが……」

「特別なつてがあってね。実はわたしの知り合いがこの子を作った会社に務めているんだよ。そういうわけで、そこの倉庫に眠ってる部品をちょいと工面してもらってるのさ」

「へえ、知り合いがね……」

「おや、何か思うところがありそうな口ぶりだね」

 思わず口をついて出た言葉を耳ざとく聞きつけて、探るように女性が言った。

「――実は、俺が勤めているのもそこなんだ。ほら、さっき渡した名刺にも書いてあるだろ。株式会社ロボマルって。その記念すべき初の市販モデルのロボットがこいつってわけだ」

「ふむ、やっぱりさっきの話は信じてもよさそうだね」

 その言葉を聞いて、五島も流石にピンときた。

「あんた、知ってて試してたな」

 五島がそう言うと、老婆は悪びれもせずに真相を明かした。

「そりゃ、この子がどこで作られたかぐらいもちろん知ってたよ。あんたの名刺にその社名が書かれていたのには少し驚いたけど、それなら丁度いいと思ってね。この子について、あんたが何か頓珍漢なことを言うようだったら、その時はさっきの話も全部ウソってことにするつもりだったのさ」

 やれやれ、まったく食えない婆さんだ――。

 五島が心の内でぼやくと、それを見透かしたように老婆が言う。

「今、何か良からぬことを思わなかったかね?」

「いいや、全然」

 五島は慌てて首を振って答えた。  

「ふん、そうかい。……ところで、これは別に試すわけじゃないんだが、もしかしたらわたしの知り合いのことも知ってるかもしれないね。『王子つかさ』という名前なんだが、どうだい、聞き覚えあるかね?」

「そいつは――」

 聞き覚えがあるなんてものじゃないぜ、婆さん――。

 内心の驚きを隠しつつ、五島は頷いて見せる。

「……ああ、知ってるよ」

 一呼吸置いて、老婆の目を見て言う。

「何たって、『王子つかさ』といえば、うちの、株式会社ロボマルの現社長、その人だからな」

「――あれま、そういえば今はそうだったっけ。それならむしろ、知らなきゃおかしいってものだね」

 と、驚き半分納得半分という顔で老婆が頷く。

 どうやら、今度は本当に失念していたらしい。

 それはそれとして、五島には彼女のことをよく知るもうひとつの理由があるのだが、そちらは今は置いておくことにする。

「ところで、そろそろ何か食わせてもらえるとありがたいんだが……」

 少しだけ収まりを見せていた空腹がにわかにぶり返してきて、五島はたまらず呻くように言った。思い直せば今日一日、ぶっ続けに由里佳の捜索をしていたせいでまともな食事にありついていない。恐らく、朝食代わりに口にした携行栄養食の他には何も口にしていないはずだ。

 それは腹が減るのも無理はないというものだった。

 そういうわけで、

 どうせ今更焦ったところで由里佳がすぐに見つかるわけもない。ここらで腹ごしらえをしておくのが賢明だと思えばこそ、五島はこの店に足を踏み入れたのだ。

「ああ、そういえば腹ペコなんだっけね。とりあえずこっちに座りな」

 と言って、カウンターの席を手で示す。

 五島がそこへ大儀そうに腰掛けると、

「ドウゾ」

「お、サンキュー……、ってなんだこれ――、今日のおすすめ?」

 カウンターの向こうにいたあのロボットが、おしぼりと手書きと思しきメニューをこちらへ寄越した。

 目を落とすと、そこにはどこか見覚えのある気がする文字で、

 卵焼き、目玉焼き、スクランブルエッグ、オムレツ、オムライス……、と馴染みのある料理の名が並べられている。

 何だかやけに卵を使った料理が多い気がする。

 というよりもむしろ――、

「これ卵料理ばっかりじゃねーか」

 それに気づいた五島が思わず声を上げると、

「良く気付いたね。何を隠そう、うちは今〝スペシャル卵デー〟を開催中なんだよ」

 ニヤリと笑みを浮かべて嘯くように言う。

「何だそりゃ……」

 せめてもう少しマシなネーミングはできなかったのか、と五島は思う。

 すると、

「実のところ、メニューは他にもあるけれど材料を切らしていてね。ほら、この雨だろ。仕入れに行くのも億劫じゃないか。――とにかくそういうわけだから、今すぐ用意できるのはそれだけだよ」

 女性はそのわけを話すと、有無を言わせぬ調子で締めくくった。

 飲食店の経営者として、本当にそれで良いのかと思わぬではないが、材料がないのならば仕方ない。そもそも五島としても、行きずりの間に合わせの食事にこれといった拘りがあるわけもなく、

「――それならこのオムライスを頼む」

 とりあえず比較的腹持ちの良さそうなものを選ぶことにした。

「カシコマリマシタ」

 と言うなり、ロボットはカウンターの奥の部屋へ消えた。どうやらあの中に厨房があるようだが――、

「あいつが料理を?」

「大丈夫、味は保証するよ」

 何とはなしに五島が訊ねると、カウンターの向こうで何やら手を動かしていた老婆が、目線を手元にやったまま自信ありげに言う。

 それから、ふん、と鼻を鳴らしてこちらに目をやって、

「何だい、あんた、自分とこが作ったロボットを信用できないってのかい?」

 挑むようにそう言った。

「そんなんじゃねえけどよ」

 五島が首を振って答えると、そうかい、とだけ言って、また手元に目をやる。

 一時ふたりの間に流れた沈黙を、彼女の手元から立つガリコリと小気味良い音が埋めた。

 

 ――ところで、

 ロボマルが初めて世に送り出した家庭用ロボット『MaruCOマルコ』は家事全般を人間と遜色なく行えることを売りにして、実際その高性能とリーズナブルな価格によるコストパフォーマンスが評判になり、次第に販売数を増やしてベストセラーになったモデルである。

 発売から二十年近く経つとはいえ、ちゃんと整備もされているらしいあのロボットが、そこらの下手な料理人よりもよほど美味しい料理を作るだろうということに疑いはない。五島はそれをよく知っている。

 だから先の五島の一言は、別に味のことを心配してのものではなかったのだが、その一連のやり取りがふと思いがけず昔のことを思い出させた。

 

 五島が珍しく物思いに耽っていると、

 ことり、とカウンターの上に何かが置かれた音がした。

 その音に気づいて顔を上げると、

「はいよ、おまちどおさま。――ブラックで良かったかね?」

 待ち構えていたように老婆が言った。

 カウンターの上には、湯気を立てるマグカップが小さな皿とセットになってちょこんと置かれている。そしていつの間にか店内は、そこから薫る淹れ立てのコーヒーの匂いで満たされていた。

「俺はまだ何も注文してないぞ」

「こいつはサービスだよ。野暮なこと言ってないで、冷めないうちに飲んじまいな」

 ニヤリと笑みを浮かべてそんなことを言う。

 冷めないうちにとは言うが――。

 五島はマグカップを手元に寄せると、少し迷ってから一息に口をつけようとしてやっぱりやめ、まだ湯気の上る焦げ茶色の液面にフーフーと息を吹き掛けた。

 ふと視線を感じて、カップを口元に寄せたまま上目遣いに正面を見る。するとそこには、訝しむようにこちらを見つめる一組の目があった。

「何か言いたいならはっきりと言ってくれ」

 五島が憮然とした声を出すと、

「あんた、そんな成りしてもしかして――。いやなに、別に悪かないよ。気にしないでおくれ」

 女性は取り繕うようにそう言うと、一転して笑みを抑えられないという顔になり、次いでくつくつと忍び笑いを漏らした。

 五島は不機嫌な顔で「むう」と唸ると急に冷ますのをやめ、止せばいいのに、まだ適温とは言えないコーヒーをごくりと飲み下す。案の定、舌先を焼くようなひりひりとする感触に思わず顔を顰めると、

「いい歳した男が意地張っちゃって、おかしいねえ」

 いよいよ愉快そうな、大きな笑い声が上がった。

 五島はマグカップを手に持ったまま、むっつりと黙り込んでから一言。

「――悪かったな。こんな成りして猫舌で」




 いい歳して不貞腐れた五島が、コーヒーを啜り始めて十分ほど経った頃、

「オマタセシマシタ」

 再びやって来たロボットが、カウンターの上にでき立ての料理を並べて置いた。

「ゴユックリドウゾ」

 と言って窮屈そうに一礼すると、また奥の部屋へ戻っていく。

 オムライスの皿と、卵焼きが二切れ乗った小皿を目の前にして、

「こいつもサービスか?」

 五島は小皿の方を指差してそう言った。

 すると、

 言われて初めてそれに気が付いたというように、おや、という顔をして、老婆は言った。

「さあてね。わたしは何も言ってないけど、大方卵が余ったもんで付け合わせに作ったんじゃないかね。まあ、それも金は取らないでおいてやるよ」

 味なことをするもんだ、と思う。

 しかし、あの旧式なロボットにこんな芸当命令されてないことができただろうか。少なくとも発売当時はそんな機能はなかったはずだ。もしかすると、誰の手によるものか、後から独自にAIを改良したのかもしれない。

 そこまで考えたところで、まあ後で聞いてみれば良いか、と思い直して、五島は目の前の皿を平らげるのに集中することにした。

 


「どうだい、うまかっただろ?」

 五島が最後に残した卵焼きを食べ終えるなり、老婆が顔に皺を刻むような笑みを浮かべて聞いてきた。

 ああ、と頷いて見せると、

「なんだい、それだけかい。もちっと他に何か言うことはないのかね」

 と急につまらなそうな声を上げる。

 それには答えずに、五島はしばし考えてから口を開く。

「――なあ、ひとつ聞きたいんだが、あんたにとってみればロボットが飯を作るってことは当然で当たり前のことなんだよな?」

「今時、ロボットが料理をするなんてことは珍しくも何ともないさね」

 老婆は何を今更という顔をする。

「それなら、同じように、例えばロボットが楽器を演奏したり、絵を描いたりすることはどうだ?」

「――質問の意味がわからないね」

「えーと、つまりだな……、人間がそうするのと、ロボットがそうするのでは何か違いがあると思うか? 同じものを作ったとして、人間の方がより価値があると思うことはないか?」

 ふむ、と頷いてから老婆は質問を返した。

「どうして急にそんな話を?」

「さっき、あんたと話してて不意に昔のことを思い出したんだ。俺がロボマルに入社してすぐの頃の話だよ。――その頃は丁度、あのMaruCOマルコの一般家庭への販売が始まったばかりだったんだが、時を同じくして、同業他社からも競合する製品が次々と市場に出回り始めて、それに影響されて世間はちょっとしたお祭り騒ぎみたいになってたのさ」

「ああ、その時のことは覚えてるよ。連日のようにテレビで、ロボットの導入拡大による雇用の減少がどうのとか騒がれてたね」

「そう、テレビはもちろん、ネットも似たり寄ったりだった。世間がそんなだからな、当然うちの会社にも色々と〝ご意見〟が寄せられて来るわけだ。ロボットの活躍の場が増えると人間様の肩身が狭くなるだろっつってな。ほとんど言いがかりみたいなもんだが、まあ無理もないとは思ったよ。何せ世間の連中にとってみれば、ロボットが一体どんなものかっていう根本のところからしてあやふやだし、それが普及することによって世界がどう変わるかなんてことはまるでわかっていなかったんだから」

「まあそれはそうさね。――それで、あんた達はわかってたってのかい、その先の未来ってやつがさ」

 五島は、いいや、と首を振り、

「実のところ、俺達にだってそんなもんはわかっちゃいなかったね。朧げな展望みたいなものはあるにはあったが、何せ一年も経たずに、それまでの常識が変わっちまうくらいに業界全体が右へ左へ大騒ぎするような時勢だぜ。この業界で今も生き残っている連中は、その世間の荒波に揉まれながら、その時その時で小まめに舵を操って、進むべき未来の方向ってやつを修正し続けることでやっとここまで辿り着いたやつらだ。一貫してずっとひとつの道を進み続けるなんて望むべくもなかったよ」

 少し遠い目をすると、五島はコーヒーの残りを飲み干してまた口を継いだ。

「そういうわけで、この二十年かそこらでの世間の意識の変化ってやつは、俺達にしてみればむしろ意外なことだったんだよ。最初の頃はあれだけ抵抗を露わにしていたってのに、いつの間にかロボットがいる日常ってのが当たり前になっちまった。――けれどな、それでもずっと変わらないものもあるんだ」

「それがさっきの質問と関係があるんだね」

「――ああ。変わらないものってのは、〝人間にしかできないことがあるはずだ〟っていう妄信めいた想いのことなんだ。人間がすること成すことを忠実に再現して、時にはそれ以上にこなしてみせる存在がこの世に生まれてからもずっと、人間はその想いに囚われ続けてる。この業界に身を置く人間ですらそれは例外じゃない」

「あんたもそうなのかね?」

「――あるいは、自分でも気づかないところでそう考えている部分はあるかもしれないな」

 老婆は、ふむ、と頷いただけで先を促した。

「例えば、ピアノの素晴らしい演奏を耳にしたとして、それがロボットによるものだとわかった途端に急に裏切られたような気になって、価値がなくなったように感じられるということが人間には往々にしてある。そういう時は大抵、確固たる根拠なんてないはずなのに、感情が籠っていないとか何とか言って自分を騙そうとするんだ」

「何となく言いたいことはわかるよ。――つまりあんたは、人間よりもロボットの方が優れているということを認めてもらいたいってのかい」

 老婆が問いかけると、五島はしばし考えを巡らせてからゆっくりと口を開いた。

「平たく言えば、そういうことになるかもな。――でも、俺が真に言いたいのはそこじゃない。もしかしたら、〝人間にしかできないこと〟っていうのは本当にあるのかもしれない。実際に、ロボットよりも人間の方が得意なことだって沢山あるさ。だけど今はまだ、それを正確に判断できる時期じゃないと思うんだ。ロボットという存在とその発展を通じて、彼らができることとできないことを冷静に見つめたうえでこそ、それが初めて見えて来るんじゃないかと俺は思うんだよ。――盲目に信じ込んで、それを脅かすものから目を背けているだけじゃだめなんだ」

「ふむ、それならいつになったらその〝正確な判断〟ってやつができるのかね」

「偉そうなことを言っといて何だが、正直なところ、わからないとしか言いようがない。恐らくそれは、きっと誰にもわからないはずだ。少なくとも、今はな。だから今はただ、人々に、ロボットのありのままの姿を受け入れて欲しいんだ。あれから二十年も経つんだ。――もうそろそろ、そうしても良い頃合いになっていると思うんだがな」

「そうは言っても、何か〝きっかけ〟がなきゃねえ」

 老婆の言葉に、ああ、と強く頷いて五島は言う。

「だから俺はずっと、その〝きっかけ〟を作りたかったんだよ」

「つまり、あの子がそれってわけかい」

「あの子?」

「ほら、例の写真の子。由里佳って言ったかね」

「――あ、ああ」

「ふむ、それでアイドルねえ……。しかしあの子がロボットだなんて、やっぱり未だに信じられないね」

 思わず聞き流しかけていた言葉の中にある違和感に気づいて、五島は慌てて聞き直した。

「おい、ちょっと待ってくれ。アイドルだって……? どうしてそこまで知ってるんだ? 俺はそんなことまで言ってないぞ」

「あれ、そうだったっけねえ。――どうしてって、あんたが喋ってないなら、そりゃ本人に聞いたからに決まってるだろう」

「本人? 由里佳に会ったのか!? 今どこに!?」

「どこにもなにもずっとそこにいるさね。あんたがさっき食べてたオムライスも卵焼きも全部あの子が作ったんだよ」

 何でもないことのようにそう言って、老婆は後ろ手に親指でカウンターの奥の部屋を指差した。

 なんだって、と五島が思わず立ち上がって視線をそちらへ向けると、

 その中から、バタンと戸が閉まるような音がして、次いで外の方から何かが倒れたようなガチャンという大きな音がした。慌てたようにバチャバチャという足音が、ぐるりと店の裏から表へ回り、遠ざかって雨音に消えていく。

「ありゃ、しまった。まだ話すのは早かったかね。また傘も持たずに、裏口から飛び出して行っちまったよ」

 事の成り行きを追い切れずしばし呆然とする五島に、

「何ぼさっとしてんだい、早く追いかけておやりよ!」

と言うが早いか表側の入り口に駆け寄ってドアを開けると、

「こっちから出た方が早いよ。ほら、これ」

 玄関脇に置いてある傘立てから、手ごろな傘を二つ見繕って五島に手渡した。

「――、ああ。助かる」

 五島は受け取った傘を開くのももどかしく、二つ一緒に脇に抱えて走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る