第三章
※第一章と第二章を読んでからお読みください。
第16話 もうひとりのユリカ
デビューライブの日から一カ月ほど時は戻って、五月も終わりに差し掛かった頃。
五島ら先技研のメンバーは、五島の考案した計画を進めるに当たって、ある課題に直面していた。
すなわち、柏木によって持ち去られた『ユリカ』の代わりとなる、アンドロイドの頭脳となり得るAIを、どのようにして用意するべきかという問題である。
もう一度同じものが作れればそれに越したことはないのだが、ユリカのような、人間と遜色ないレベルで高度に完成されたAIを一から構築するとなると、それは一朝一夕にどうにかなるものではない。たとえ蓄積されたデータやノウハウがあったとしても、最低でも三カ月から半年の期間が必要になることが予想された。そして、彼らにはその時間的猶予は存在しなかった。
そればかりか、開発の過程で収集されたデータも、今はユリカと一緒に『事業拡大向上推進設計部(事推進)』へと引き渡されてそこで管理されていた。社内機密の漏洩を防ぐために、コピー等は存在しないため、利用価値の高いそれらのデータを閲覧して参考にすることもできないのだった。
こうなると、新しく別のAIを構築するという案は諦めるより他ない。
そこで、急遽検討されたのが、既製品のAIを独自にカスタマイズして使用するという案である。
今日日、その質を問いさえしなければ、市場には多種多様のAIが溢れている。専門家の分析によれば、世の中にAIを搭載したロボットが浸透し始めた、いわゆる『第一次普及期』にボトルネックとなったのが、搭載されたAIの規格やオペレーティングシステム(OS)の不統一である。そしてとある大手企業が、汎用のOSを搭載したAIを各ロボット開発企業へ提供し始めたことにより規格が統一され、この問題は収束に向かい、『第二次普及期』の幕開けとなったのが五年前のことである。以来、いくつかの企業が同一規格の汎用型AIの開発に着手し、現在では、それぞれ別の企業が開発した三つの製品が市場の主流となっている。これらは搭載されたOSこそ違うものの、根幹の規格は同じものが採用されており、ある程度の互換性を有していた。
その主流の一つである、日本の『藤和電算』が開発した『ソクラテス』は、カスタマイズ性が高く、各ロボットの用途に向けて調整が可能というのが売りの、ロボマルでも運用実績の多い汎用型AIである。このAIをベースに、『ユリカ』の人格を再現したらどうかと言うのが、課長の佐々木が提案したアイディアであった。
「織部さんは佐々木さんの案、どう思います?」
先技研のオフィス内、わずか三人だけの会議の席上で岡田が問う。
「――色々と問題はあるんですが、正直、他に選択肢はないと思います」
「問題というと?」
織部の反対側に座っている佐々木が目を上げて言った。
「ソクラテスは汎用型のAIですから、アンドロイドの様な人型ロボット向けに最適化されていません。それどころか、基本的にはその用途で使うことを想定されていないんです。これはコストカットのためには合理的な判断なので仕方ないことですが、それ故に人型ロボットには不可欠の、専用の運動制御系がまったく実装されていないんです」
「つまり、二足歩行用の制御プログラムとかですね」
岡田が補足して言うと、佐々木は納得した顔で頷いて、
「こちらでそのプログラムを用意する必要があると」
「ええ。ただそれについては、初めからアンドロイドとしての運用を主眼にして開発していた『ユリカ』ですら、義体の特性との兼ね合いも含めた調整に難儀した部分ですので、言うほど簡単にはいきません」
「開発途中で逐一仕様が変わっていた頃はいざ知らず、今は義体は既に完成しているし、『ユリカ』を調整する過程で得たノウハウもある。となれば、今までの手探り状態よりはかなりマシなのでは、とも思いますが」
「たしかにそれはそうなんですが、その制御系の実装を考慮せずに完成されたAIに後付けするとなると、バグやらエラーやら、『ユリカ』の時にはなかったトラブルに見舞われることになると思います」
それは考慮に入れるべきです、と織部は断言する。
「ふーむ、なるほど。なかなか一筋縄では行かなそうですね」
「それともうひとつ、大きな問題があるのですが、正直こちらに関しては手の施しようがないかと思います」
「いかんせん、時間が足りなさすぎますね。五島さんが持ってきたイベントの話は、たしか一カ月後の予定でしたか」
「六月二十二日ですね」
「準備期間も考えれば、やはり今月中になんとか起動まで漕ぎ着けたいところ、か」
「しかし、こんな時にまた部長はどこほっつき歩いてるんですかね。今回の計画だって、蓋を開けてみれば見切り発車でライブの話まで勝手に決めてるし、もう事務所まで契約してあるだなんて。最初から反対されても強行するつもりだったのが見え見えですよ」
岡田はいつになく辛辣だった。
先日、五島から半ば強制的に、アイドルグループのマネージャーに指名されたせいかもしれない。また面倒ごとを押し付けられた、と嘆いていたのは織部と佐々木の二人も知るところである。
「まあ五島さんもやる時はやるっていうことですよ。仕事が早いのは良い事じゃないですか」
織部は微妙にフォローになっていないフォローをした。
「――とりあえず今は、我々でできることを進めましょう」
そして佐々木は、五島についての言及を避けたまま場を締めた。
その日の夜遅く、
一日中どこかをほっつき歩いていた五島が最後に向かったのは、東京都は港区、麻布十番にある、行きつけの居酒屋だった。
そこそこ広さのある店内には二十席ほどのカウンター席が設けられいて、今は数人の客がそこに座って、思い思いに酒を傾けている。
「あら、五島さん。お久しぶり」
五島が来たことに気付いて、カウンターの向こうから女将が声を掛けてきた。
「おう、伊予さん久しぶり。――今日はタマちゃん来てないのか?」
「もうとっくにお帰りになりましたよ」
「そうか、しまった。――そう言えば、こんな時間だもんな」
五島は、思い出したように時計を確認して顔をしかめる。
「約束していたんですか?」
いいや、とかぶりを振ってから、
「なあ、伊予さん。伝言頼まれてくれないか。俺はまた、しばらくここには来れそうにないもんでな」
「ご自分で連絡取ったらいいじゃないですか」
「いやそれが、俺はタマちゃんの連絡先知らないんだわ。もう長い付き合いだが、何か今更改まって聞くのもどうかと思ってな。用があるときは、ここに来れば大体会えるし」
「今日はその当てが外れちゃいましたね」
と女将はくすりと笑った。
「――でも、何だかそういう関係もちょっと良いですよね」
五島は目顔で、そうか? と聞く。
「ええ、少し憧れます。ただ――」
「ただ?」
「わたしを伝言板みたいに使うのはやめてくださいね?」
「――う、それはスマン。今回だけと思ってそこを何とか」
「もう、仕方ないですね。その代わり――、」
今日は沢山飲んでってくださいね、と言って艶っぽく笑う女将に、五島はただ頷くしかなかった。
そして次の日、
昨夜の狂宴で負った深手から回復しきらないまま、昼過ぎに五島が出社すると、果たして岡田が目くじらを立てて待ち受けていた。
「昨日は結局会社に来なかったと思えば、今日はまた大遅刻で、おまけに二日酔いですか――。良いご身分ですね」
「まあ、そう言うなよ。これも仕事のうちなんだから」
五島は何時にもまして面倒臭そうに言う。
「一体どんな仕事ですか」
「まあまあ。五島さんがそんな状態にも関わらずにちゃんと出社してくるなんて、よほど重大なことがあるとお見受けしますが」
流石に佐々木は察しが良い。
「それなんだが、実は昨日は白金の方に行ってたんだ」
白金と言えば、『ユリカ』の身体となるべき義体の製作を担った『白金義体研究所』のことである。今月の中ほどに遂に完成を見たその先進技術の結晶は、今は研究所で厳重に保管され、最終テストを行っているところだった。
「義体見てきたんですか? どうでした、直に目にした感想は」
「おう、いやあれは期待通りというか、それ以上の出来だな。映像で見るのとは大違いだぞ」
実のところ先技研のメンバーは、今まで誰一人として、完成した義体を直接その目にする機会に恵まれていなかった。それというのも、奇しくも白金から完成の連絡が届いたのと丁度同じ頃に、ソロテックの不祥事に端を発するあの一連の騒動が巻き起こったからである。
「部長だけずるいですよ」
岡田が恨めしそうに言った。
「お前も観に行けば良いじゃねーか」
「こっちはそれどころじゃないんですよ! 誰のせいだと思ってるんですか」
「? なんだ、何かあったのか?」
「何かあったのかって、――」
五島は本当に分からないという顔をした。
まさか俺のせいじゃないよな、などと戯けたことをのたまっている。
岡田はいよいよ呆れて物も言えない。
「――それで、白金の方で何か問題があったという話ではないんですか?」
「ああ、そうだったな。それがな、昨日聞いた話によると、耐久テストをした結果、やっぱり足の関節の強度が基準値を下回ってることが確認されたらしい」
「設計段階の無理が生じたってやつですか」
その可能性は以前から周知の事実ではあった。
「とりあえず、普通に歩いたり走ったりするぐらいは問題ないらしいが――」
「しかし我々はその義体でアイドルをさせようというわけですからね」
アイドルと言えば、飛んだり跳ねたりするものと相場は決まっている。
「どうするんですか部長。スペアパーツなんて気の利いたものもないんでしょう?」
「何せ、金がないからな。本来なら最初の一本を使い潰すつもりでテストをして、そのあとで改良型の製作に取り掛かる予定だったらしいが、向こうさんもこっちから金が出ないことにはこれ以上の開発は続けられないらしい」
「ということは、とりあえずは騙しだましやるしかないですね」
「ああ。――ひとまずはそう言うことになるが、なに心配するな。手は打ってある」
不敵な笑みを浮かべて五島は親指を立てて見せた。
それから、更に六日が経過して。
「一応、完成の目処は立ちました」
時刻は朝の九時丁度。
先技研のオフィスに全員が揃うなり、開口一番に織部が言った。
織部はここ数日、『ユリカ』の代わりとなるAI、通称『Y2』を構築する作業の効率化を図るために、ロボマルには出社せず時田研に籠って作業を行っており、ほとんど自宅にも戻っていないらしい。
久しぶりに見るその顔はそれと分かるほどにやつれ、目元には濃い隈がある。
「このまま順調にいけば今日中には完成すると思います。けれど、明日いっぱいはデバッグやら何やらに当てたいので、起動テストは明後日ということでどうでしょう」
「私はそれで問題ないと思います。五島さんはどう思います?」
一応、という感じで佐々木は五島の意見を伺った。
「おう、織部がそういうならそれで行こう」
佐々木の意見に異を唱えるほど、五島は愚かではない。続けて口を開いて、
「白金には事務所の方に義体を運んでもらう手筈になってる。恐らくそっちは明日になるだろうな」
「ええ、それが一番効率的でしょうね。問題があるとすれば――」
と、佐々木は織部の顔を見つめるようにした。
「? わたし、ですか?」
織部は、はて、という顔をしてから、
「大丈夫ですよ。ちゃんと間に合います。――間に合わせます」
「いえ、そういうことではなく」
「――織部さん最近ちゃんと休めてないでしょ。デバッグなら僕がやりますよ」
だから明日はゆっくり休んで、と一応ロボットのプログラミングを齧っている岡田が言った。
「でも――、」
「最悪一日か二日ぐらい遅れても問題ないですしね」
と、佐々木が岡田の言葉に頷いた。それから「ねえ、五島さん?」と顔を向ける。
「――ああ、そうだな。疲れた頭で作業してまた別のバグを作っちまったら元も子もないからな。仕上げは岡田に任せとけ。何なら俺も手伝ってやる」
「そういうことなら、お言葉に甘えて……」
「おう、そうしろそうしろ」
「あ、でもやっぱり――、」
まだ何かあるのか、と五島が身構えると、
「五島さんのは、お気持ちだけ頂くということで良いですか?」
あ――? 、と間抜けな声が五島の口から洩れた。
つまり、
お前は触ってくれるな、と。
織部がそう言っているのだと理解するまでには、少しの時間が必要だった。
『Y2』の感情表出指数は、十分な数値が出ている、と織部は言った。
これはつまり、人間と同じような思考形態に基づき、入力された情報を適切に処理し感情として出力することができるということを意味し、同時に『ユリカ』の人格をほぼ完全に再現することが可能である、ということを示す。これには、ベースになった『ソクラテス』というAIが、人間のように親しみやすい、いわゆるヒューマンライクインターフェースを目指して開発されたものであるため、元々感情表出指数も高めに設定されていた、ということが貢献している。
完成度の高さ故に、あとは織部がパラメータを調整してやることで、『ユリカ』のそれとほぼ遜色ないレベルにまで感情表出指数を上げることが可能であったのだ。
というわけで、不安が残るのはやはり、運動制御系である。
こちらは、シミュレーション上でテストをしながら調整を行うのだが、深刻なバグやエラーこそなかったものの、短期間で最適化するのは困難を極め、最終的には通常の歩行を行うには問題ないというレベルで妥協して実装が行われた。試しにシミュレーション上で簡単なダンスを躍らせてみたところ、まるで満足に踊ることができなかった。その運動性能を一言で言い現せば、物凄い運動音痴、である。
しかし、それはあくまでシミュレーション上のことだ。実際に動かしてみたら、もう少しマシなのではないか。きっと何とかなるのではないか、とこの時は誰もが多少なりとも楽観的に考えていた。時間がない以上、後ろ向きなことを考えてみても埒が明かないという理由もあってのことだ。
その期待が完膚なきまでに裏切られるのは、もう少しだけ先の話である。
そして、それから、更に二日後。
六月一日。日曜日。
午前十時十一分。
佐々木を除いた先技研のメンバーが、いつものオフィス、ではなく、五島が契約してきたという二階建ての事務所の一室に集まっていた。
十畳ほどでフローリング敷きの、何もない、がらんとした部屋の中央に、しっかりとした作りのストレッチャーが一台だけ設置されている。その周りを取り囲むようにして、さっきから誰も一言も発さずに、固唾を呑んで、
ストレッチャーの上にある〝それ〟を見つめている。
〝それ〟は、
まるで人間としか言いようのない姿をしている。
まだ幼さが残るあどけない、端正だけど少し地味な顔立ち。
黒髪を肩の下まで伸ばして、前髪を目蓋の上あたりで切り揃えた髪型。
胸元が膨らみ始めたばかりの、華奢な、それでいて少しだけ丸みを帯びた身体を白い貫頭衣に包んでいる。
〝それ〟は、どこからどう見ても、人間以外の何物でもあり得なかった。
より正確に言えば、十代中頃の少女としか言いようのない姿をしていた。
ここに集まった三人が三人とも、画像や映像で何度も目にしている姿だ。
五島に至っては、先日、その目で直に見てもいた。
けれど三人が三人とも、まるで初めて見るかのように目を見開いて〝彼女〟の姿に視線を注いでいる。
そうさせる何かが、そこにはある。
そうせざるを得ない感情が、確かにそこにあった。
強いて言うなら、畏怖の念とも言うべきものを抱いて、
良く知っているはずのその顔に、
けれど全く見覚えのない、全然知らない〝少女〟を見ているのだった。
その〝少女〟はしかし、眠っているように瞳を閉じて、微動だにしない。
それどころか、呼吸もなければ心臓の鼓動ひとつない。
それもそのはず、
まるで人間としか言いようのない姿をしたそれは、今はただ中身のない〝人形〟でしかなかった。
「それで、名前は決まったのか?」
五島がふと思い出したように、織部の方を向いて言った。
織部は少し考えるようにしてから口を開く。
「――やっぱりこれにしようと思います」
用意していたように、携帯端末の画面を見せる。
「ふーむ。――まあ良いんじゃないか」
五島は差し向けられた画面を見て、少しだけ意外そうな顔をしてから頷いた。
「……本当に良いんですか?」
何故か織部は拍子抜けしたようにそう聞き返した。
「そりゃどっちかっていうとこっちの台詞だな。――でも、お前がそう決めたんなら俺はそれで構わないぜ。岡田も良いだろ?」
ええ、と岡田が頷いて、
「それじゃあ最後の仕上げといきますか。ほら織部さん、これ押してください」
岡田が、ストレッチャーに取り付けられた端末の画面を示して言った。
そこに表示されているボタンを押せば、AIのインストールプログラムが実行されて、しかる後に自動的に起動プロセスが始まるようになっている。
つまりそれは、〝眠り姫を起こすためのキス〟。
「――わたしが?」
「記念すべき瞬間は、お前に譲ってやるよ」
五島がにやりとして言った。
少しの逡巡の後で意を決すると、織部はそこへ指を触れた。
触れた指先に、温かくて、少しだけ冷たい感触が伝わるのと同時に、ピピッという電子音が鳴ってAIのインストールが始まった。
そして、それから少しして。
まるで眠りから目覚めるように自然な所作で、
〝もうひとりのユリカ〟は、目をぱちくりとさせ、むくりとその体を起こした。
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