第8話 スタートライン
――見られた。
――たぶん。おそらく。ばっちりと。
それも二人だ。
どうしてくれよう。
そりゃ元はと言えばわたしが悪いんだけど――、
それでも、そう簡単に割り切れないのが乙女心というやつだ。
由里佳の内心を知ってか知らずか、
岡田は「大丈夫か、ほら」と言って手を貸してくれたが、由里佳はその手には頼らずに自力で立ち上がった。すると岡田は、少しだけ面食らったような顔をしていたが、特に気にするでもなくそのまま事務所の奥へ入っていった。
五島に至っては、
「まったく、気を付けろよ」
なんて言って軽くその場を流してくれた。
つまりは二人とも、見て見ぬふりというやつだ。
大事がない様子を見て取った菅原は、五島に挨拶をすると、「検査も終わりましたので、僕はこれで」と言って、さっさと帰ってしまった。
三者三様の、別にどうということはないと言わんばかりの対応に、そんなに気にすることでもないのかなとも思うが、
――いやでもやっぱり気にするでしょう普通は。女の子なんだから。
そして、さっきから由里佳はソファのはじっこに座っていじけている。今はもう着替えているが、スカートで体育座りのように膝を抱えて座っているので、下手をすればまた見えてしまいそうだ。
流石に見かねた五島が、
「おい、ほら、これでも食べて元気出せよ」
と言って、手に持っているコンビニ袋から取り出したものを差し出した。
「食べたことあるか? うまいぞ」
由里佳は無言でそれを受け取った。
――冷たい。
それはどこのコンビニでも売られている、何の変哲もないアイスだった。
薄い皮に包まれたクリームと、その間に挟まっている板チョコの断面が目を引くパッケージ。
いわゆるモナカアイスというやつだ。
食べたことはない。
「ほらこの暑さだろ。急に食いたくなってな、来る途中で買ってきたんだよ」
五島はそう言いながら自分の分を取り出すと、袋を開けて一息に齧りついた。
「――うん、モナカアイスといえばやっぱりこれだな」
そのまま、ひと口、ふた口と実にうまそうに食べる。
だから、それは言うならば不可抗力である。そんなものを見せつけられて、平常心でいられる人間がいるとしたら、それは人間ではないと思う。血も涙もない、ただのロボットである。
「どうした、いらないなら俺が食っちまうぞ」
五島はすでに一つ食べ終わりそうな勢いだ。
だから、由里佳にそれを拒むことはできなかった。どうにも抗いがたい衝動が由里佳のうちに生まれて、
気づけば、袋を開けてひと口。パリッとした食感に続いて、柔らかいクリームと絶妙なチョコの歯ごたえと、それらが一体になった甘みが口の中に広がり、
「――おいしい」
思わず声に出ていることにも気づかずに、そのまま無心で頬張る。
ひと口、ふた口。さん口――、
「な、うまいだろ」
その言葉で我に帰った時には、アイスは半分ほど平らげられていて、五島がにやにやとした顔でこちらを見ているのに気づいた。
すると、さっきまで一人でいじけていたのが急に馬鹿馬鹿しく思えて、けれどそれを素直に認めるのも恥ずかしくて、
「――これは、あげませんからね」
代わりにそう言って、由里佳は残りのアイスを一息に平らげた。
三十分ほどが経って、経由里佳は今三つ目のアイスを食べるかどうか悩んでいる。
まだいっぱいあるし、もうひとつくらい食べても良いんじゃないかなと思う。
実際いっぱいあるのだ。
事務所の流しの近くに置いてある、小さな冷蔵庫の小さな冷凍室には、同じパッケージのアイスが二、三十個ほど詰め込まれている。もう他には何も入る余地がない。
五島は近場のコンビニのモナカアイスを買い占めてきたらしい。
岡田が由里佳の検査中に買い物に出かけたのも、つまりはそういう理由だった。
「モナカアイスあるだろ。チョコが入ってるやつな。あれがふと食べたくなって、家の近くのコンビニに寄ったんだが、これが間の悪いことに売り切れでな。でも、どうしても食いたい。なんとしても食いたい。食わなきゃ仕事頑張れない。だから頼む、事務所の近くのコンビニを探して、見つけたら買っておいてくれ。なるべく沢山な。金は俺が出す」
それが、あの時五島から送られてきたメッセージの内容だった。
実に呆れた理由である。
けれど、目的がこのアイスだったとなれば話は別だと由里佳は思う。
実に現金なものである。
そして、岡田がこの近辺のコンビニを三軒ほど回って買い集めていたところ、別の方角からやはり近場のコンビニを漁っていた五島と出くわしたらしい。
真昼のコンビニで、同じアイスが詰まった袋を両手に、大の大人が鉢合わせ。
実に間抜けな光景である。
しかし五島の指示とは言え、それ相応の理由がなければ、岡田はこんな馬鹿げたことに唯々諾々と従いはしなかっただろう。
その〝理由〟というやつが、ふたりばかり、首を揃えて事務所にやってこようとしていた。
ピンポーン、という少し間の抜けたような音が聞こえた。
事務所のインターホンのチャイムである。
「お、きたか。由里佳出てくれ」
自分のデスクに座っていた五島が顔を上げて行った。
その時、ソファに腰かけていた由里佳も内心で、
ついにきた――、と思った。
緊張を表に出さないように努めて、はーい、と軽く返事をして由里佳は立ち上がり、玄関へと向かった。
ドアの横にある端末の画面には、果たして予期していたふたりの顔が映っていた。
「今開けますね」
とインターホンのマイク越しに声をかける。
顔を合わせたわけじゃないのに、どきどきする。
ひとつ呼吸をしてから内側の端末でセキュリティを解除すると、滑るようにドアが開いた。
「こんにちはー。由里佳さん久しぶり!」
ツインテールを弾ませるように入ってきた椎奈が、嬉しそうに小さく手を振って見せる。
続いて、
「こんにちは」
いつも通り、言葉少なに入ってきたのは真以子だ。ぺこりとお辞儀するのがまた彼女らしい。
二人を正面で出迎えながら、
「こんにちは。ふたりともいらっしゃい」
由里佳は少しだけぎこちない笑顔で応じた。
「ふたりとも、暑い中ご苦労様」
と岡田。
「おう、よく来たな。とりあえず座れよ」
これは五島。
おじゃましまーす、といって椎奈はソファに座った。その隣に、少し間を開けて真以子が座る。由里佳は少し迷ってから二人の対面にあるソファに座ろうとして、
「え、由里佳さんもこっちにおいでよ」
と思いがけない言葉を掛けられて、その場で固まった。
え、えっと、ど、どうしよう――。
由里佳が逡巡していると、それを別の意味にとったのか、
真以子が渋々というように(由里佳にはそう見えた)腰を浮かせて、横にずれる。そうしてできた空間をぽんぽんと叩きながら示して、
「ほら、ここ座れる」
と椎奈が笑って言った。屈託のない笑みだ。
〝断ることのできない笑み〟である。
よりにもよって、ふたりの間である。
由里佳は意を決して、けして狭すぎるというわけではない空間に、身を縮めるようにして収まった。
かつてない距離に二人の身体がある。
その体温が伝わるほどの近さである。
外はあいにくの良い天気で暑苦しいぐらいだが、それより少し涼しいという室内で、それは不思議と心地良い。
この前の、カラオケの時よりも近い。
もはや二人の息遣いまで感じられるようで、ほのかに甘い香りがする。
それは果たしてどちらのものなのか――。
それとも、女の子という生き物はみんな甘い香りがするものなのか――。
想像もしていない展開と味わったことのない感覚に、頭がくらくらする。
「由里佳さん、大丈夫?」
椎奈が由里佳の目をのぞき込むように、首を巡らせて言った。
「え、えっと」
「なんかぼーっとしてるから。って前もこんなことあったっけね。――あ、もしかしてわたし達が汗臭かったりする?」
〝わたし達〟という言葉に反応したのか、真以子は少し訝しむような、抗議するような目を向けた。由里佳は慌ててぶんぶんと首を振って、
「あ、いやそうじゃなくて、こういうのあまり経験ないので、少し緊張しちゃって……」
「えー、そんな緊張なんかしなくていいのに」
そう言って、椎奈が抱き着くようにして身を乗り出してくる。
と思ったら、本当に抱き着かれた。
由里佳は思わず、ひゃあっ、と声を漏らした。
「あはは、由里佳さん変な声」
悪びれもせずに笑いながら、椎奈は身を預けるようにして由里佳の首元あたりに手を回した。
「ほら、こうしてれば段々慣れて来るんじゃない?」
いよいよ、由里佳は言葉も出ない。椎奈の腕の中で、まるで壊れかけのロボットのように身動きひとつしない。できない。
「椎奈は、やり方が強引過ぎると思う」
見かねた真以子が、珍しく口を挟んだ。
「ほら、野々川さん嫌がってる」
「えー」
そして、椎奈は由里佳の耳元で囁くように言う。
「そんなことないよね?」
そんなことはない、そんなことはないが――、
壊れかけの由里佳は、こくこくと頷くのが精いっぱいである。
「もう離してあげたら。あんまりしつこくして、本当に嫌われても知らないから」
真以子の、ついに呆れたようなその一言が効いたのか、
「うーん、しかたない」
渋々という風に椎奈が手を放して、由里佳はやっと一息つくことができた。
動悸がようやく落ち着いたかというところで、椎奈が身体をこちらに向けた。
すわ今度は何事か、と由里佳が身構えるよりも早く、
「ごめんね、ちょっと調子に乗っちゃったかも」
と言ってから、
恥ずかしそうに笑って、
「由里佳さん、あったかくて、いい匂いがしたから、つい」
容赦のないトドメの一撃だった。
「いつの間にか随分と仲良くなったみたいですね」
遠目に三人の様子を窺って、岡田が言う。
声を掛けられた五島は、顔を上げて、ふむ、と賑やかな一座に一瞥をくれた。
「まあ、良い傾向だな」
五島のその言い方に、引っ掛かるものを感じた岡田が問う。
「なんか気になることでも?」
しかし、五島は首を振って、
「いいや、何でもない。それよりそろそろ本題に入らないとだな」
「この後の予定もありますしね。――でも、本当に〝アレ〟でいくんですか?」
五島は何を今更という顔をした。
「何か他に良い案でも思いついたってんなら、聞くだけ聞いてやるけどな」
「いいやそれが全然、さっぱり、何も思いつきません」
「なんだ何にもないのか。――それなら言うなよな。ったく」
「こういうの苦手なんですよ」
五島はやれやれという仕草をして見せた。
「――なあ、お前達、アイス食いたくないか」
五島がそう声を掛けた時、三人は額を寄せあって何事か囁きあっていた。
――反応がない。
なあ、ともう一度呼ばわるも、誰一人として気づいてくれない。
「何してんだあれ」
「さあ――」
面白いものがあるんだけど――、そう言って携帯端末を取り出して見せたのは椎奈だった。
位置の関係で、由里佳さんこれ持ってもらっていい、と渡された椎奈の端末を両手で持って、二人が見やすい位置でキープする。じゃ、ここ押して、と言われた部分を指で触れると、動画が再生された。
猫の動画である。
数匹の子猫が互いにじゃれあったり、でたらめな動きで奔放に走り回ったりしているかと思えば、撮影者の持つねこじゃらしを追って、全ての子猫が寸分違わぬ動きで首を振ったりする。
――かわいい、と由里佳は思わず頬が緩んだ。
動画は他にもいくつかあって、どれも猫を撮影したものだ。すべてネットに投稿された動画であるらしい。
次の動画も夢中で見ていると、
「由里佳さんはこういうの好き?」
椎奈が画面に目を向けたまま聞いてきた。
画面の中では白色の毛足の長い猫が、お腹を見せて気持ち良さそうに眠っている。
「私はどっちかって言うと犬派なんだけどね。でもあんまり可愛いから思わず保存しちゃった。真以子にも見せたくて」
そこで椎奈はちらと横を見た。釣られて由里佳もそちらに目をやる。
真以子は、さっきから一言も喋らずに画面に釘付けになっている。大きめの瞳をじっと向けて、画面の中の猫の動きに合わせて左右させる様子は、まるで彼女自身が猫のようだ。
――東雲さんもやっぱりかわいい、と由里佳は思った。
見た目の話をすれば、可愛いというのは間違いない。方向性は若干違うが、椎奈と負けず劣らずだ。けれど、それだけではない。とっつきにくいところはあるが、言葉遣いだったり仕草の端々に、可愛らしさが滲み出ていると思うのだ。むしろ、そのとっつきにくさがあるからこそ際立って感じられるのかもしれない。
「真以子は猫好きなんだよ。ふふ、気に入ってくれたようで何より」
「何だか、東雲さんも猫みたい」
思っていたことを口にすると、
確かに、と椎奈も同意して笑う。由里佳の好きな笑みだ。
由里佳はそこではたと気づいた。
今手に持っている、椎奈の携帯端末。その連絡先を由里佳はまだ知らない。
椎奈が、未だにそのことを忘れているだけなのかどうかはわからないけど。
〝それ〟についてはもう気にしないことにした。
聞かれないなら、自分から聞いてしまえばいい。ただ待っているだけじゃ何も変わらない。
それにもしかしたら――、今なら、さりげなく聞けるかもしれない。
少しだけ躊躇ってから、よし、と気合を入れて口を開こうとして、
「――おいってば、なあちょっと聞いてくれよ」
まったく予期しないところから、絶妙のタイミングで邪魔をするやつが現れて、
「っ――――、」
由里佳は、完全に出鼻を挫かれた。
「――アイス? 食べたいっ。食べます食べますっ!」
ようやく気づいてもらえた五島がアイスのことを話すと、それを聞いた椎奈のテンションが急に上がった。右手を挙げて、座ったまま飛び跳ねるようにしている。
その反応に五島はまんざらでもないという風に、
「おお食え、好きなだけ食え。そん中にいっぱいあるからな」
と言って冷蔵庫を指し示した。
わーい、と椎奈が席を立とうとしたので、由里佳も立ち上がろうとして、しかし、真以子がまだ手元の画面に齧りついていることを思い出した。
「私が取ってくるから、由里佳さんと真以子は座ってて」
それを心得ていたとばかりに椎奈が言って、颯爽と冷蔵庫の元へ歩み寄っていく。そしてしゃがんで冷凍庫の扉を開けると、わっ、と小さく驚きの声を上げた。
「――もしかして、これ全部同じやつですか?」
半ば呆気にとられたように椎奈が問う。
「おう、もしかしなくても全部同じだ。うまいだろ、それ」
「わたしも好きですけど、でも同じのばっかりこんなに買わなくても」
椎奈は珍しく少し引き気味だ。
「そりゃお前、急に食べたくなった時にな、近場のコンビニで売り切れたりしてたら悔しいだろうが」
「はあ。……気持ちはわからなくもないですけど」
わかったような、わからないような返事をして、椎奈は五島との会話を切り上げたらしい。
同じパッケージの袋を三つ抱えて椎奈が戻って来る。
それに合わせたかのように、最後の動画の再生が終わった。
椎奈が真以子に近づいて声を掛ける。
「どうだった?」
真以子はこくんと頷いてから一言。
「満足した」
「そっか、よかった。じゃあはい、これ」
椎奈は手に持っていた包装を椎奈に差し出す。
「なに、これ」
「モナカアイス。プロデューサーが食べていいって」
「わたし、食べたことない」
「ほんと? 美味しいよ、ほら」
真以子は、ぐい、と差し出されたそれをしっかと握って、パッケージを物珍しそうに見ている。
「ほら、ここから開ける」
「――それぐらいわかる」
口を尖らせて言う真以子の仕草が可笑しくて、由里佳は思わず笑みをこぼした。
む、とそれに気づいた真以子が憮然とした顔になって、無造作に包みを開けた。
それがまた可笑しくて、椎奈もやっぱり笑いながら、
「はい、由里佳さんも」
と、もう一つの包装を由里佳に手渡した。
「ありがとう、椎奈さん。あの、これ」
由里佳はアイスを受け取ると、代わりに、預かっていた携帯端末を差し出した。
「ああ、そうだった。こちらこそありがとうね、由里佳さん」
そう言って笑う椎奈に、由里佳は少しだけ曖昧な笑みを返した。
――あああ、結局ふつうに返しちゃった……。
五島め許すまじ、と由里佳が自分のヘタレっぷりを棚に上げて内心で怒りの矛先を向けていると、
――よいしょっと、と言って椎奈が元通りの位置へ座った。
「じゃあ早速食べよっか」
椎奈がアイスを取り出すのを見届けて、由里佳も自分の包みに手を掛けた。ふと気づくと、視線を感じる。左を向くと真以子がこちらをじっと見ていた。彼女の手の中にある包みから半分だけ顔を出したアイスは、まだ手が付けられていない。
――どうしたのかな、と由里佳が思うのとほぼ同時に、真以子が口を開いた。
「野々川さんは、これ好き?」
と言って、手元のアイスに視線をやる。
「あ、えっと、わたしも実は今日初めて食べたんだけど、美味しかった、です。すごく」
真以子はふむ、と頷いた。
「わたしたちが来る前に? それで二つ目ってこと?」
その質問にはっとして、由里佳は迷った。
かなり迷った。
迷った後で、やっぱり正直に答えることにして、
「――これで四つ目。……その、あんまり美味しかったからつい」
正直に答えて、途端に恥ずかしくなった。
流石に食べ過ぎだよね、うんわかってる。
恐る恐る見ると、真以子が目を丸くしている。
そうしていると、やっぱり猫みたいだと思う。
すると、今度は笑みを浮かべて、
「そんなに食べたくなるなんて、よっぽど美味しいんだね」
と言った。それはいつもの真以子の雰囲気とは似つかない、あどけない笑みだ。途端にいくつか幼くなったようにさえ見える。
――東雲さんってこんな表情もするんだ。
由里佳が目を瞠ると、真以子は少し眩しいような、恥ずかしそうな表情をしてから、手元のアイスにかぷっと噛みついた。控えめで可愛らしい食べ方だ。真面目な顔をして、もぐもぐと咀嚼してからごくんと飲み込む。
それからこちらを見て、うん、おいしい、と言った。笑っている。先ほどとはまた違って、にんまりと、それこそ猫の様な笑みだ。くるくると表情が変わって、見ていて飽きないと由里佳は思った。
「ねえねえ、由里佳さんは食べないの?」
それまで二人の様子を見守っていた椎奈が声を掛けた。見れば、もう半分近く食べ終わっている。
「――その、やっぱり食べ過ぎかなと思って……」
由里佳はまた恥ずかしさがこみ上げてきて、少し俯くようにして答えた。アイスの包みはまだ開けてもいない。
「それなら――、」
と、椎奈が自分の分を半分に割って、
「これ、はんぶんこしよ」
そう言って全体の四分の一ほどになったそれを差し出した。
由里佳は目を白黒させてそれを見つめた。
すると、
「わたしも」
どういう風の吹き回しか、真以子が同じく四分の一に割ったアイスを差し出す。
由里佳は、恥ずかしいやら嬉しいやら申し訳ないやら――、
よくわからない気持ちになって、
「あ、あのありがとう、ふたりとも。――えっと、いただきます」
と、ふたりが差し出したアイスをおずおずと受け取った。
結局この日、由里佳は同じモナカアイスを三つと半分、食べることになった。
最後に食べたやつが、一番美味しかった。
三人が食べ終えたタイミングを見計らって五島が、話がある、と言った。
由里佳は、何だろう、と思う。
〝この後の予定〟ならみんな知ってるはずだし、と考えて、どうやらそれとは別のことらしいと結論した。
二人の様子を窺ってみる。椎奈は由里佳と同じように「はて?」という顔をしているし、真以子に至ってはあまり興味がなさそうだ。
全体としては、いまいちノリが良くない雰囲気である。
しかし、それを気に留める様子もない五島は、
「聞いて驚け――、」
と、無駄にもったいぶってから言った。
「ついにお前達のグループの名前が決まったぞ――!!」
それは、色々な意味で衝撃的な発表だった。
三者三葉の驚きの声を以下に記す、
「まだ決まっていなかったことに驚きました」とS子。
「そういえば……、完全に忘れてました」とY子。
「もういっそ、〝無銘〟でいくのかと」とM子。
ノリが悪いどころか、完全に白けていた。
「お前らなぁ……、結局誰も、何も思いつかないから、俺が必死に考えてきてやったっていうのに――。まあいい、岡田」
呼ばれた岡田が、部屋の隅に置いてあるホワイトボードをカラコロと運んできた。
適当に位置を調整して、この辺でいいですか、と聞く。
「――うむ、ご苦労」
五島は性懲りもせずに得意気にそのホワイトボードを示すと、何も書かれていない板面を押してくるりと反転させた。裏側に隠れていた面が表側に現れて、
『STAR&LINEミ☆☆☆』
と大書きされている。
あまり綺麗とは言えない字である。
五島はどうだ、とばかりに胸を張った。
「すたーあんどらいん?」
椎奈が口に出して読む。
すると、ちっちっ、と指を振って五島は訂正した。
「そうじゃない、この『&』はな、『と』と読ませるんだ」
――つまり、スターとライン?
由里佳は、なんだそれ、と思った。
「スタートライン」
真以子がぼそっと言うと、五島がパチンと指を鳴らした。
「そう、それだ。こう書いて、『スタートライン』と読ませる。――これがお前達のグループの名前だ」
五島はビシッと決めたつもりだろうが、先ほどからその動きがいちいち気に障って仕方ない。
「……駄洒落」
と、苛立ちも隠さずに真以子が呟いた。
「というか、これ五島さんが書いたんですか?」
と由里佳が指差すのは、最後にくっついているかわいこぶった☆マークだ。
アラフィフのおっさんが書いたものとは、あまり思いたくない。
二人の釣れない反応に、
「なんか文句あるか」
と五島は居直った。
「まあ、心機一転再スタートしようってわたし達には、ぴったりな名前じゃないかな?」
と、椎奈が真以子を窘めるように明るく笑って言った。
真以子はまだ何か言おうとしていたようだったが、むう、と不承不承に言葉を飲み込んだ。
由里佳は、特にそれ以上言いたいことはなかった。
まあ響きは悪くないかなと思うし。
――それよりも、これでやっと何かが始まったような気がする、という気持ちの方が大きかった。デビューライブまで残り一週間もないというのに、悠長に過ぎる気はするが、それでも、気持ちの区切りを付けるというのは大事なことだと思うのだ。
由里佳はもう一度ホワイトボードに目をやって、
そこに書かれている文字を見つめた。
そうだ。始めるんだ、ここから。
わたし達の『
そういうわけで、〝特別良くもないけど特別悪くもない〟というのが、三人の最終的な見解となった。
それを聞いて、五島はつまらなそうにしていたが、まあそんなところだと思いましたよ、と岡田が言った。
「とりあえず、無事に決まって良かったじゃないですか。――あのアイスが功を奏したのかはわかりませんけど」
「けっ、一言多いんだよ。お前は」
そう言って、五島は悪態を吐く。しかし言葉とは裏腹に、その顔にはフッと力を抜いたような笑みが浮かんでいた。
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