第7話 アイドル的下着についての考察
悩みがあろうがなかろうが、
一大決心があろうがなかろうが、
時間というやつはそんなことにはお構いなしで、我が物顔に過ぎていく。
そして、あの出会いの日から指折り数えて七度目の、新しい一日が始まった。
ここ最近の例に盛れず、今日も朝からとても暑い。家を出てから徒歩五分足らず、出来るだけ日陰を選んで歩きながら、由里佳はもう汗をかいている。何ならベソもかきそうだ。いや、さすがにそこまではしないけど。
六月も半ばを過ぎたというのに、未だに連日の好天気が続いている。天気予報ではここ数日、記録的と言う言葉の大安売りが行われ、今年は梅雨入りのないままに夏本番を迎えるのかという勢いだ。
由里佳が椎奈と真以子のふたりに出会ってから、もう一週間。そして、運命のデビューライブの日まで、あと一週間。
結果から先に言ってしまうと、
そもそも彼女に会えたのは、あの次の日、つまり先週の日曜日の一度きり。初対面の日を入れても、まだ二回しか会っていないということになる。
そんなの無理である。
それで仲良くなれるものなら、今ごろ友達百人できている、と由里佳は思う。
椎奈さんならできるかもしれないけど。
わたしも椎奈さんみたいになれたらな。
そう思ってはみるものの、ほぼ初対面の相手を自分から遊びに誘うなんて、とてもできそうにない。というか無理である。逆立ちしたって多分無理。というか、わたし逆立ちできたっけ――。ロボットなんだし、できるよねそれぐらい。いやいやそんなことより――。
そもそもにして、椎奈との仲もあれからほとんど進展していないという事実を思い出して、由里佳は暗澹とした気分になった。なんだか身体まで重い気がして、歩く速度が目に見えて遅くなる。日陰が遠い。暑い。喉乾いた。あ、やっぱり涙も出そう。
そんなことではいけないと思う。こんなことでへこたれている場合ではない。
なぜって、今日こそは。
この何の成果も得られなかった不毛の七日間に、終止符を打つ日なのだ。東雲真以子と仲良くなって、あわよくば友達になってやるのだ。そのための
何しろ、昨晩は二十三時頃に布団に入り、ああでもないこうでもないと頭を捻っていると、いつの間にか気づけば今日の朝六時になっていた。しかし不思議なこともあるもので、徹夜した割に頭はすっきりとしている。よくよく
つまり、寝ずに考えたというのは少し言い過ぎた。
言い直そう、
昨日はよく寝た。
おかげで「友達になってください」という切り札的殺し文句を、どのタイミングで切り出すべきかという肝心なことについては答えが出ないままだ。それを口に出したが最後、もし断られでもしたら立ち直れないかもしれないと思う。言わずとも、〝いつの間にか自然と〟友達になっているというのがベストだとも思う。でも、どうせなら言ってみたい。自分から言い出すというのが、大事なのだ。
だからタイミングが重要だ。折を見てさりげなく、ここぞという時を狙って。
うまくいけば、きっと頷いてくれるはず。
そうなればもう晴れてわたし達は友達だ。
そう考えて由里佳はにわかにやる気を取り戻した。頭の中で昨晩の続きを始める。
いちいち日陰を探すのはもうやめた。日差しの中をぐいぐいと歩いていく。
紫陽花の花壇を通り過ぎた。坂道を下って、つきあたりの角を左に曲がる。
その先の、少し急な階段を足早に登った。塀の上で猫がにゃあと鳴いて、額に汗がじわりと浮かぶ。ふと見上げた空が抜けるように青くて、
気が付けば、駅はもうすぐそこだった。
午前十一時より少し前。つまりほぼ予定通りの、いつもと同じ時刻に事務所に着くと、岡田ともうひとり、見知った顔の男が出迎えた。五島はまだ来ていない。これもいつも通りだ。
その男の名前は菅原と言い、由里佳の義体の製造を担当した『白金義体研究所』の所員である。彼は毎週金曜日にこちらに出向いて、由里佳の義体の検査を行っている。しかし、先週の金曜日(二日前のことだ)は研究所の方でトラブルがあったらしく、こちらに来ることができなかった。そういうわけで、今日は延期になっていた検査を行う為にやって来たのだった。
何も日曜日に来なくても、と思うところだが、今日を逃すと次の検査の日まではどうしても都合がつかないらしい。出来るだけ一週間ごとのデータを取って研究に活かしたい、と彼の方からこの日程を打診してきたということだった。
しかし向こうの都合もあったとはいえ、自分の為に休日出勤になるわけで、由里佳は少し申し訳なく思った。そう伝えると、
「僕から言い出したことですし、どちらにせよ、今日は白金の方にも顔を出すつもりだったので、気にしないでください」
と言って菅原は笑った。
仕事熱心な男である。どこかの某プロデューサー気取りの男とは違う。
その某五島はまだ来ていなかったが、いてもいなくてもどちらでもよい(実際はもう少しオブラートに包まれていたが)と菅原が言うので、それなら早速と検査を始めることになった。
例の、裾が短めで背中も開いた、あの貫頭衣の出番である。由里佳は慣れたもので、普段は物置のようになっている奥の一室で手早く着替えを済ませると、すぐに戻ってきてソファに横になった。
「それじゃできるだけ動かないでね」
いつものように菅原が言って、由里佳の首筋にあの細いケーブルの端子を挿した。
チクリとして、痛いというよりも何とも言いようのないぞわぞわとする感覚に、わかっていても、少し身じろぎしてしまう。こればっかりは慣れないなと思う。
そんな由里佳の様子を見て菅原が、
「今日は一つ試してみたいことがあるんだけど、良いかな」
「? 何をするんですか?」
「首筋の神経に接続して、感覚を一時的に遮断してみる。そうすれば、ケーブルを接続している間の不快感もなくなるよ」
「えっと、そんなこともできるんですか」
自分の身体のことながら、全然知らなかった。
「うん。安全設計上、外部からのコマンドがないとできないようになってるんだけどね。接続を解除したら元通りになるから心配はいらないよ」
「――そういうことなら是非、お願いします」
由里佳にとっては渡りに船の提案で、断る理由もないので、二つ返事で了承した。
「ОK。じゃあ接続するよ」
菅原が手元のパソコンを操作する。
由里佳の意識に、接続の開始を告げるシステムメッセージが現れた。
外部からのアクセスを許可すると、ついで神経接続が行われ、すぐに頸椎周辺領域の感覚が遮断された。
確認するまでもなく、あの嫌な感覚が嘘のように消えてなくなった。
「――どうかな?」
「すごい! ぞわぞわとするような感じがぴたっと止まりました」
「それは良かった。今後の検査のときもこうするね。ただ感覚遮断のためにはケーブルの接続が必要だから、最初だけはやっぱり我慢してもらわないとだけど」
「それは平気です。ケーブルを繋ぐ時のチクっとする痛みよりも、その後の不快感の方が気になってましたから。――ありがとうございます、菅原さん」
本当は顔を向けて礼を言いたいが、何しろ身動きができないのでそれは諦めた。
「この機能は元々実装されていたものだから、僕は特に何もしてないんだけどね。後で岡田さんにも教えておくよ」
そう言って、菅原は笑った。
「――そういえば、岡田さんはどこかに行ったんですか?」
着替えて戻ってきた時から姿が見えないとは思ったが、トイレかなと考えて特に気にしてはいなかった。
「ああ、さっき五島さんから連絡があって、何かしら買い物を頼まれたみたい。検査の間は特にやることもなくて暇だから、今のうちに行ってくるって」
「……そうですか、なんかすいません」
菅原さんがこうして仕事をしに来てくれているというのに、うちの責任者と来たら――。
にわかにまた申し訳なさがこみあげて、謝らずにはいられない由里佳だった。
三十分も掛からずに、検査はすべて終わった。
結果は、特に異状なし。懸念されている足の関節についても、ここ最近は過剰な負荷の蓄積は見られないとのことだった。
岡田の作ってくれたプログラムのおかげだろう。
検査が終わった後に、「すでに岡田さんの許可は得てあるから」と言って菅原が取り掛かったのは、〝改良した歩行プログラム〟の実装であった。これは、ここ二週間ほどで収集された由里佳の歩行データを元に、より安定性の高い歩行が行えるよう、元々実装されていたプログラムの運動パターンを修正したものであった。
人それぞれに動作の癖があるように、ロボットにもそれはある。由里佳のように起動して間もないロボットは特にそれが顕著で、環境や様々な要因によって、元々プログラムされていたパターンと、経験によって確立されたパターンに若干の齟齬が生じてくる。そうして齟齬が大きくなると、最終的には致命的なエラーを引き起こす原因と成り得るのだが、これは近頃のロボットにはそうそう起こらないことである。
というのも、当然その対策が行われているからだ。多くの場合は、定期的かつ自動的に、ロボットの人工知能がこの齟齬が生じている部分を調整し、均衡を取ったパターンを再構築するというものだ。そしてもうひとつ、定期的なメンテナンス作業でプログラムを書き換えて、こうあるべきという状態を保つというものもある。これは昔ながらのやり方で、前者に比べると保守に手間が掛かる点がデメリットであるが、絶対的に決められた動作が求められる環境、例えば工場などで作業に従事するロボットには今だに主流である。もっとも最近では、定期的なプログラムの書き換えまでが自動化されている場合がほとんどであった。
つまるところそれは多様性が許容されるか否かの違いと言っていい。
そして由里佳の場合であるが、今回のこれは少し特殊である。
当然由里佳にも、近頃のロボットの多くがそうであるように、自身でパターンを最適化する仕組みが備わっている。由里佳が人間に似せるということを目的として作られている以上は、多様性は重要な要素として扱われるからだ。しかし、それだけに任せておくのを良しとしない理由が二つある。
第一に、由里佳に実装されていた歩行プログラムは、実は未完成のものだった。
その未完成なプログラムを元に最適化を行った場合、結果的により良いものが得られるかと言えばそんな筈はあるまい。可能性としてはゼロではないかもしれないが、高望みというものだ。
そして第二に、由里佳の足は爆弾を抱えている。そのため、経験的に確立された歩行パターンがその負荷の軽減に役立つという可能性も考慮に入れるべきである。
以上の理由から、由里佳の未完成の歩行プログラムの更新に当たっては、由梨佳自身が構成したパターンを元にして、『白金義体研究所』で由里佳の歩行データを解析したものも参考に、その所員の手ずから新しくプログラムを組むという、複合的な方法が採用されていた。
今回の更新プログラムがうまく動作すれば、歩行はよりスムーズになり、また足への負担も軽減されるだろうということだった。
由里佳にとっては、願ってもないことである。
つつがなくプログラムの書き換えを終え、ケーブルを取り外した後で、
「試しにちょっと歩いてごらん」
起き上がろうとする由里佳に手を差し出しながら菅原が言った。
由里佳はその手を借りて起き上がると、あまり広いとは言えない事務所の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてみる。すると、最初はわくわくといった面持ちだったのが徐々に怪訝なものに変わっていく。
何か変わったかと言われると正直よくわからない。
由里佳はちょっと難しい顔をして、
「うーん、少し足が軽くなったような……。でも正直、あんまり違いがわからないですね」
嘘をついても仕方ないと、正直に感じたことを述べた。
「まあ今すぐにはね。とりあえず違和感がなければそれで大丈夫」
菅原はその答えを予期していたようで、何気ない風でそう言った。
ふーん、そんなものかと由里佳は思う。
もしかしたら、少し期待し過ぎていたのかもしれない。
だって、足の負担が軽減されれば、もっとダンスが踊れるかもしれないし。
そうなれば、レッスンを一緒にやったりして、あのふたりともっと会えるかもしれないから。
そう考えながら、諦めきれない様子でぐるぐるしていたら、事務所の入り口の傍に置いてある観葉植物の鉢に足を引っかけて、
――あっと思った時には、もう遅かった。
たたらを踏んで、その場でくるっと回ってから、
由里佳は盛大にすッ転んだ。
菅原が慌てて、「由里佳ちゃん、大丈夫!?」というのと事務所のドアが開いて岡田と五島が入ってくるのと、あいてて、と転んだ拍子にぶつけたお尻が痛いのが同時だった。
一時、その場の誰もが言葉を失って、
「何やってんだ、お前」
五島が半ば呆気にとられた様子で呟いた。
由里佳はちょうど岡田と五島の前で、尻餅をついている。
その姿勢のまま、バツの悪い笑みを浮かべようとして、
はっと気が付いて、猛然と動いた。
検査着(貫頭衣)の短い裾を思い切り引っ張って抑えながら、思う。
――み、見られた――!!!
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