第6話 ふたりだけのステージ
椎奈に連れてこられたのは、駅前の繁華街にある一軒のカラオケボックスだった。
彼女が唐突とも思える提案をした時、
わたしは用事があるから、と真以子は言った。有無を言わさぬ調子だった。
それに対し椎奈は、特にこれといった反応は見せず、
「そっか。じゃあ仕方ないね」
と言っただけだった。
そういうわけで、真以子とは駅前で別れることになった。
「またね」
椎奈が言うと、真以子はこっくりと頷いて、すぐに踵を返して駅へと消えた。
その時、真以子の後ろ姿を見つめながら、椎奈が少しだけ寂しそうな笑顔をしたのに由里佳は気がついた。
――あれはどういう意味だったのだろう、と由里佳が考えながら歩いていると、
「ついたよ。ほら、ここ」
と、数歩先を歩いていた椎奈がこちらを振り返って、大袈裟に手を広げて見せた。
華美な装飾の施された入り口を入ると、そこは少し広めのホールになっていた。
奥の受付には、店のマスコットキャラクターを模したと思われるロボットが二台いて、他に人間の姿は見えない。
椎奈は慣れた様子で受け付けに近づくと、
「えっと、高校生ふたり。――時間は、二時間、でどうかな。由里佳さん?」
「はい、大丈夫、です」
「そしたらドリンク選んでね」
そう言って、受付のロボットが差し出す端末を指さした。
そこには数種類のソフトドリンクが表示されていて、その中から好きなものを選べるようだ。
由里佳は少しだけ迷ってから、
「えっと、じゃあこれで」
無難にアイスティーを注文した。
「わたしはこれ」
すでに決めていたのか、椎奈は迷うそぶりも見せなかった。
必要な手続きはそれで済んだらしい。
由里佳がはたと気づいて、慌てて財布を取り出そうとすると、
「あ、ここ後払いだから、まだ大丈夫だよ」
気づいた椎奈が、周りには誰もいないのに、耳打ちするようにこっそりと教えてくれた。
それが何やら余計に気恥ずかしく思えて、由里佳は顔を赤らめて財布をしまう。
由里佳の内心を知ってか知らずか、
ロボットが差し出した、少し厚みのあるカード状のものを受け取ると、
「じゃあいこっか」
と言って、椎奈は由里佳の手を引くようにして、横手にあるエレベーターの前まで来るとそのボタンを押した。
ドアは待っていたようにすぐに開いた。
ふたりが乗り込むと、エレベーターは自動的に動き出す。
椎奈は黙って、階数表示を見つめている。
先ほど軽く触れた手の熱が、まだ残っている気がしてどうにも落ち着かない。
由里佳は何か話そうと思い、椎奈が右手に持っているそれに目を止めた。
その手元を覗き込むようにして、
「それって――」
と、先ほどのカードを指さした。
「ああ、うん。カードキーだよ。割り当てられた部屋に入るのに使うの。今時、カギが必要な扉なんて珍しいよね」
「椎奈さんはよく来るんですか? こういうところ」
「うん、でも久しぶり。あ、ここの店は初めて来たかも」
大体どこも同じようなものだけどね、と言って椎奈は笑う。
「というか、野々川さんはもしかして初めて?」
〝こういうところ〟に来るのが、という意味だろう。
もしかしたらそれは、普通の高校生としては沽券に関わることなのではないか――。
と、にわかに不安になったが、類稀なる素人ぶりを発揮した後だったので、今更どうしようもないと由里佳は素直に認めることにした。
「えっと、実はそうなんです。どんなところかは知ってるけど、実際に来るのは初めてで――」
「そっか、じゃあ初体験だね」
不意討ちのように向けられた屈託もない言葉に、少しだけどきっとした。
そうこうするうちに、エレベーターが止まり、またひとりでにドアが開く。階数表示によると八階まで来たらしい。
エレベーターを降りると、すぐ正面が目的の部屋だった。
「開けてみる?」
ドアの前まで来ると、椎奈がカードキーを由里佳に差し出して言った。
「あ、はい。折角なので……」
由里佳はカードキーを受け取ると、ドアの横にある端末の溝にそれを通した。
ピッという短い電子音のあとで、端末に「ロックを解除しました」という文字が表示された。
ドアにはノブがついている。つまり、手動で開くタイプだ。
ノブを掴んで捻る。押してみるとガチャっと音を立てて扉が開いた。
由里佳を先頭に室内に入る。
広々とした部屋の片側に、四人掛けと思しきソファが一台と背が低めのテーブルが置いてある。もう片側は不自然なほどに何もない。どうやらこの部屋は最大でも四人用ということらしいが、それにしてはやけに広い。あの何もない空間は何なのだろうと不思議に思いながら見ていると、
「ほら由里佳さん、座って座って」
と椎奈が由里佳をソファのある方へと促した。
「う、うん」
由里佳は慌てて、促されるままにソファに座った。
そして、当然のことながら。
ソファは一台しかないわけで、
よいしょ、と椎奈が座ったのは果たして由里佳のすぐ隣だった。
少しだけ間を開けて、思いがけないほど近くに椎奈の顔がある。
由里佳はにわかに胸がどきどきとするのを感じた。
さっき、エレベーターの中でも思わずどきっとさせられちゃったけど、
女の子同士なのにこんなのっておかしいよね、と由里佳は思う。
きっと、こういう経験は初めてのことだし、それに
――うん、多分、絶対そう。慣れればこんなのなんてことないはず。
そして、そんな由里佳の内心は知る由もないと、
「さて、じゃあ、由里佳さんは何か歌いたい曲ある?」
荷物を置いて一息ついた椎奈が、早速そう聞いてきた。
見ればもう手元にマイクまで用意している。それを「はい」という感じでこちらに向けながら、由里佳の反応を待っている。
由里佳は努めて平常心を装うとして、そこではたと気が付いた。
そういえば、わたしが知ってる曲って他に何があったっけ――。
知識として知っているものは幾つかある。例えば国歌とか。学校の教科書に載っているような古い曲とか。でも多分、それを今ここで歌うのは違うと思う。さすがにそれぐらいは由里佳にもわかる。
――というか、わたしはそれすらも満足に歌えないわけだし……。
と、由里佳が答えに窮しているのを見て取って、
「ああ、ごめんごめん。由里佳さん、初めて来たんだもんね。勝手がわからないよね。――それじゃ、わたしが適当に選ぶから一緒に歌ってみる?」
椎奈は助け舟を出した。
由里佳はこの提案に異を唱えるべくもなく、こくこくと頷いて見せた。
そんな由里佳の様子を見て、ふふ、と笑うと、椎奈はテーブルに埋め込まれている端末を操作して、
「それじゃまずはこのへんかな」
すると、どこで聞いたものか、耳に覚えのあるイントロが流れ始めた――。
流行りの曲を続けて二曲歌い終えたところで、部屋の外にロボットがやって来たのに気がついた。受付にいたものとは別の型だ。それは見たところ、ソロテック社製の汎用給仕ロボットのようだ。とてもシンプルなデザインの人型ロボットで、足の代わりに車輪が付いている。それは人型ではあるが、人間とは似つかないシルエットをしていた。
「飲み物が来たみたい」
椎奈はそう言ってマイクを置くと、ドアを開けるために席を立った。
果たして、そのロボットが持ってきたものは、一杯のアイスティーと、黄金色の液体を満たしたグラスだった。
飲み物を届け終えると、ロボットはぺこりと一礼して去っていった。その姿を見送って、「なんか可愛いよねあの子」と椎奈は笑いながら席に戻ってきた。椎奈の反応に、由里佳は何故か複雑な気分になった。
「はい、アイスティー」
渡されたグラスを受け取って由里佳は「ありがとうございます」と礼を言った。
清涼感のある、澄んだ紅色の飲み物をひと口飲んで、由里佳は「ほう」と息をつく。いつの間にか喉が渇いていたらしい。続けて、ごくごくと三分の一ほど一息に飲んでしまった。
「いい飲みっぷりだね。歌うと喉が渇くよね」
椎奈はそう言って、自分の飲み物に口を付けた。控えめにひと口、ふた口と飲む様子までもが、由里佳の目にはとても可憐に映る。由里佳は、ストローを浅く咥えたその口元やこくこくと動く喉元につい目が惹き寄せられ――、
「――ん、どうかした?」
と、飲みながら、端末を操作していた椎奈がふとこちらに目を向けて言った。
思い切り目が合った。
「え、ええっと」
――ど、どうしよう。思わず見惚れてたなんて流石に言えないよね……。
由里佳の頭脳が超々高速で〝うまい言い訳〟を探し始めた。
言わずもがな、由里佳の頭脳には最新型の量子プロセッサが搭載されている。
0と1を重ね合わせた状態の量子ビットが、その特性により全ての可能性を同時に計算し尽くして、
――〝うまい言い訳〟なんて、都合の良いものはどこにも転がっていなかった。
「由里佳さん、さっきからこっちをちらちら見てるから、何か言いたいのかと思って」
わたしの気のせいかな、と笑いかけられて、由里佳は余計にしどろもどろになった。
と、とにかく何か言わないと――、
「あ、あのそれっ」
と、追い詰められて震える指を差す。声も明らかに上擦っている。
「何、飲んでるのかなって」
「これ?」
椎奈は手に持っていたグラスを少し掲げて見せ、由里佳がこくこくと頷いた。
「ジンジャーエ―ルだよ。珍しいものでもないと思うけど、もしかして飲んだことない?」
こくこく。
「へぇ、そっか。――わたしはこれが好きでね、見つけるといつも頼んじゃうだ。でもたまに置いてないファミレスとかあってね。そういうときは、なんでないんだよ~~~って、」
こくこく。
「飲んでみる?」
こくこく。
――えっ?
「はい。炭酸きついかもしれないから気を付けてね」
そう言って、笑顔で差し出されたストローを今更無下に断ることもできず、
かと言って、じゃ頂きます、なんてクールに口を付けることもできなくて、
というか、これってあれだよね? いわゆる――、
その時、えいっ、と軽くストローが押し出された。それはポカンと開いた由里佳の口に、ぱくんと収まった。
こくこく。
――けほっ。
「あはは、やっぱり炭酸きつかったか。ごめんね」
由里佳は目を白黒させて、その笑顔を見た。
――初めて飲んだ炭酸は、間接キスの味でした。
そんなフレーズが頭に浮かんで、泡のようにはじけて消えた。
「それじゃ忘れ物ないかな?」
椎奈がドアノブに手をかけたまま、振り返って聞く。
「――はい、大丈夫です」
由里佳は念のため、室内をもう一度見直し、手荷物を改めてからこくこく頷いた。
室内の端末に、退出を促す通知があったのは五分ほど前のことだ。
曰く、
『利用時間が残り十分となりました。退出の準備をお願いします。時間内に退出が確認されなかった場合、自動的に延長オプションが適用され、追加料金が発生致しますのでご了承ください』
それを見とめて、「あれ、もうこんな時間か」と椎奈が呟く。その時、由里佳も全く同じことを考えていた。
――二時間なんて、あっという間だった。
「延長しちゃう?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、椎奈が言う。
それはもちろん冗談だとわかっていたが、由里佳にはその提案が魅力的に思えた。
「――、えっと」
「あはは、冗談冗談。さすがにもうそろそろ帰らないとね。お腹もすいてきたし」
後ろ髪を引かれる思いだったが、あまり遅くなると織部が心配するだろう。
「――ですね。名残惜しいですけど、帰りましょう」
由里佳も笑顔を返してそう言った。
というわけで、利用時間をきっかり五分残して、ふたりは部屋を後にした。
下りのエレベーターの中で椎奈が、
「楽しかったね」
と言った。屈託のない笑みだった。
支払いは、協議の末に折半することになった。「わたしが払うからいいよ」という椎奈に対して、由里佳が「わたしも」と言って譲らなかったのである。最後には、椎奈は「野々川さんて以外に頑固なんだね」とまた笑って、折れてくれた。
店から出ると、まだ辺りは明るかった。遠くの空が、少しだけ夕方の色をしている。時刻を確認すると、もうすぐ午後六時。
週末ということもあり駅前の繁華街はいつにない賑わいを見せている。人の流れに逆らって駅まで歩く。
そして、ふたりは駅で別れた。そこから先は別々の方向だった。
「今日は付き合ってくれてありがとう。また一緒に行こうね。」
別れ際に椎奈が言った。
「わたしの方こそ。――今度は東雲さんも一緒に」
由里佳は手を振って答えた。
うん、と頷き手を振り返してから、椎奈は雑踏の中へ歩き出した。可憐で凛とした彼女の姿は、人だかりの中にあって一際目立つようで、どこにいても見つけられそうだと由里佳は思った。
少しの間、その後ろ姿を見送ってから由里佳も歩き出す。
改札の手前で、定期券代わりの携帯端末を取り出そうとして、
「野々川さん!」
思いがけない声に呼び止められた。振り返ると、先ほど別れたはずの椎奈が少し先に立っていた。息が上がっているのか、呼吸を整えようと華奢な肩が上下している。
由里佳は、目を丸くしてその姿を見つめた。突然のことに気が動転して、掛ける言葉が見つからない。出会ったその時のように、目を合わせたまま数秒が経って、
そして、
あのね、と椎奈が口を開いた。彼女にしては珍しく言葉を探すようにしてから、
「――良かったら、由里佳さんって、呼んでもいい?」
そう言って、恥ずかしそうにはにかんだ。こちらまで恥ずかしくなってしまいそうな表情だった。
電車に乗る前に、織部に連絡をしておこうと思い立った。「もうすぐ帰るから、心配しないでね」とメッセージを送ると、すぐに「わかった。気を付けてね」という返事が来た。
由里佳は今、まったくのひとりぼっちで、ホームの端っこで電車を待っている。
携帯端末に表示されたそのメッセージを見ながら、椎奈さんと連絡先を交換しておけば良かったな、と思う。知識によれば、わたしぐらいの年頃の女の子は、友好の証として連絡先を交換するらしい。それは、ある種の〝儀式〟のようなものだろうか。
色々あって、完全に忘れていたけど。
――こんなこと初めてだし、仕方ないよね。
由里佳はそう自分に言い聞かせた。椎奈さんも、忘れていただけだったら良いな、と思う。
多分そうだろう。ううん、きっとそうだ。
だって、
「由里佳さんって、呼んでもいい?」
彼女はそう言った。
「わたしのことも椎奈って呼んでね」
そう言ってくれた。
それはまるで――、ほら、あれみたいじゃないか。
――そう、〝友達〟。
それが欲しいとは思っていなかったけど。
そんな人ができるとも思わなかったけど。
でも、
きっとそれは、友達というものがどんなものか知らなかったからだ。
知っていたけど、知らなかったからだ。
今なら、そう、はっきりと言える。
椎奈さんともっと仲良くなりたい、と由里佳は思った。
彼女と過ごした時間は楽しかったから。
――あれは凄かったな、と由里佳はカラオケでの一幕をふと思い出す。
こんなのもあるよ、と得意気に椎奈が言って端末を操作すると、
照明が暗くなり、部屋の片側の、不自然にがらんとしていた空間に立体映像が投影された。 椎奈に誘われるままそこに立ってみると、さっきまで何もなかったはずの空間がまるで本物のステージのようになっていた。
そして、ふたりだけのステージの上で、
わけもなくはしゃいで、
声を揃えて何曲も歌った。
おかげで、なんとなくコツみたいなものは掴めた。
何より、歌うことがもっと好きになれた。それは確か。
仲が良いから友達になるのか、友達になったから仲が良くなるのか。それは良くわからないけど、多分どっちでもいいんだと由里佳は思う。
連絡先を交換するのを忘れていたって、友達と呼べないわけじゃない。
順番が少しぐらい前後したって大した問題じゃない。
それに何より、彼女はこれから一緒に活動する同じのグループのメンバーなのだ。
これからまた少しずつ仲良くなっていけば良い。
ひとつひとつ、彼女のことを知っていけば良い。
そうすればきっと、
歌だってもっと上手くなって、
色々なことをもっと好きになれるはず。
それは関係ないとか、それこそ関係ない。
電車の到着を知らせるアナウンスが鳴り、たくさんの人を乗せた銀色の箱がホームに滑り込んでくる。その先頭が由里佳の立っている場所の少し先まで行ったところで、それは音もなく止まった。
ホームに設置された転落防止のドアがするりと開いて、電車の乗客を吐き出した。それと入れ替わりになって由里佳が乗車する。車内はそこそこの混み具合で、見たところ席は埋まっているようだ。
由里佳は反対側のドアの近くに立って、すぐ傍の手すりにつかまった。発車を知らせるアナウンスが聞こえ、やって来た時と同じように、電車は音もなく滑るように動き出す。
窓の外を流れる景色を、見るともなしに見た。遠くに見える夕焼けがむやみに赤くて、綺麗で、少し切ない。
今日は思いがけないことばかりだったけど、
思い出すと、我ながらそのポンコツ具合に、
腹が立つのを通り越して呆れて来るけれど。
思いがけず思い出になるぐらいには、良い一日だったなと由里佳は思った。
そして、もうひとりの名前を頭に思い浮かべる。
――東雲真以子。
寡黙で大人しくて、クールな雰囲気の女の子。
彼女のことはまだそれぐらいしかわからない。
今日はほとんど喋れなかったけれど。彼女とも友達になれたらいいな、と思う。
――ううん、そうじゃない。
なろう、友達に。
帰ったら、織部さんに報告しよう、と由里佳は決めた。
わたし、友達ができたかもしれない、って。
――その日は本当に色々なことがあった。由里佳にとってはどれも初めての経験で、予想もしない発見の連続だった。
だから、忘れてしまっていたとしても無理はないかもしれない。
けれど、正確に言えば由里佳は、
忘れていたのではなく、
考えないようにしていたのだ。
初めてできた友人に、嘘をついて自分の正体を隠しているということを。
そのことが、いつか彼女たちの関係に与えるかもしれない影響のことを。
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