第5話 無名のアイドル

 結論から言えば、ふたりの出会いはまったくの茶番だった。

 ほどなくして、戻ってきた五島と岡田はあっさりとそう白状した。

 そのうえ、もうひとり別の女の子を連れていた。

 ふたり目の少女の名前は『東雲真以子しののめまいこ』と言って、黒髪をショートボブにした少し大人しい雰囲気の女の子だ。

 椎奈と比べると控えめだが、彼女も相当実力がありそうだと由里佳は直感した。

 岡田による軽い紹介が終わった後、

 何も言わずじっとこちらを見つめる真以子を前にして、蛇に睨まれた哀れなカエルの心境を味わいながら、由里佳は恐る恐る声を掛けた。

「こんにちは、わたしは野々川由里佳と言います。――えっと、これからよろしくお願いします」

「東雲です。よろしく」

 果たして、ショートボブの女の子はぶっきらぼうな調子でそれだけ言うと、

 ぺこりと深々の中間ぐらいのお辞儀をした。

 言葉とは裏腹に、折り目正しい仕草だった。

 顔を上げた真以子と目が合う。

「?」

 すると彼女は不思議そうな顔で、首を傾げてこちらを見つめ返した。

「あ、その、ええと――、よろしくお願いしますっ!」

 由里佳は慌てて、深々とお辞儀を返す。

「野々川さんそれさっきも言ってたよ」

 頭の上から椎奈が楽しげに笑う声がする。

 顔を上げると、まだ不思議そうな顔の真以子と目が合って、

 今度は、その顔がこっくりと縦に動かされた。

 どうやら、頷いたらしい。

 その子供っぽい仕草が、何だかやけに由里佳の印象に残った。

 

 岡田から聞いたところによれば、元々この日にメンバーの顔合わせをする予定で、真以子は少し前から別室で待機していたらしい。そのまま引き合わせるのも芸がないと考えたのか、一方の椎奈には先にこの部屋に来るように伝えてあったのだとか。

 五島の考えることだから、どうせ大した理由などないだろうと由里佳は思う。

 由里佳を驚かせて楽しもうという魂胆だったのかもしれない。

 ――恐らくはそんなところだろう。


「このふたりはな、アイドルの経験者なんだぞ」

 五島が自分のことのように得意気に言った。

 あの只者じゃない雰囲気はそういうことだったのか、と由里佳が納得しつつも目を丸くしてふたりの方を見ると、

「実はそうなんです」

 てへへ、と少し恥ずかしそうに笑いながら椎名が言った。

 それに続いて、真以子がまたこっくりと頷いて見せる。

 ふたりの話によると、その筋ではそこそこ名の知れたアイドルグループで一年ほど一緒に活動していたが、先月の中頃にグループが突如解散してしまったらしい。

 そして、行く当てのないふたりを見つけてグループに勧誘したのが五島だったというわけだ。

 それを聞いて、ふたりがここにいる理由については納得しながらも、何もうちみたいな無名のグループに入らなくても、と由里佳は思った。

「でも、こう言っちゃなんですけど――、行く当てがないと言っても、うちより良いところは他にあったんじゃないですか?」

由里佳が疑問を口にすると、椎奈は、あはは、と曰くありげな笑顔をした。

「?」

 由里佳が首を傾げていると、それにも理由があってな――、と五島が言う。

「ここ数年、アイドルの人気は下火でな。細々と続けてたグループがどんどん解散したり活動が減って自然消滅みたいになってるんだ。この辺りではもう、彼女たちが在籍していたようなアイドルグループは数えるほどしか残ってない」

 つまり、こういうことらしい。

 彼女たちはアイドルとしての活動を続けたいが、それを受け入れる余裕のあるグループがどこにもなかった。

 単純明快な答えである。

 それにしても、人気が下火になっていることがわかっていて、どうしてアイドルグループを新たに立ち上げようとしているのか。

 新しく浮かんだ疑問を五島にぶつけると、

「だからこそ――、だ。競合する相手が少なければ少ないほど、注目を集めるのには都合が良いだろ? 人気が落ちているなら、俺たちで取り戻せばいい」

 という極めて五島らしい答えが返ってきた。

 五島の話を聞いていると、あれこれと悩むのが何だか馬鹿らしくなってくる。

 どういうわけか、椎奈と真以子のふたりはこの五島のスタンスに惹かれてうちのメンバーになることを決めた節があるようだった。

 

「理由があるとはいえ、経験者がふたりも、うちみたいな無名のグループに入ってくれるなんて未だに信じられませんよ」

 その場で軽く自己紹介を終えた後、そうこぼしたのは岡田だ。やっぱり彼も同じことを考えていたらしい。

「岡田さんは、ふたりのことを知ってたんですか?」

「一応、話には聞いてたけどね。会うのは今日が初めてだよ。でもまさか、こんなにちゃんとしたアイドルって感じの子が来るとは思わなかった」

「まだデビューすらしてない、無名の事務所の無名のグループですもんね……」

 すると、何やら言いたそうにしながらも黙っていた五島が、ついに口を挟んだ。

「おまえら、さっきから聞いてれば無名無名って言うけどな、有名になる前はみんな無名なんだよ――」

 確かに、五島の言うことは一理あるとは思うのだが。  

 しかし、ひとつ大事なことを忘れてはいないだろうか――。

 そして、それまであまり発言しなかった真以子が決定的な一言を放った。

「――ところで、?」

 全員の目が、五島を向いた。

 五島の目は、遥か遠くを泳いでいた。

「いや、それを今日はみんなで考えようと思ってだな――、」 

 

 わたしたちはどうやら正真正銘〝無名のアイドル〟であると、

 その時、三人の少女は思い知らされたのだった。 

 



 結局その日、グループの名前は決まらなかった。

 スタジオの利用時間が残り少なくなったところで、一回だけ、三人でダンスを合わせてみようということになった。

 これは後で聞いたことだが――、

 由里佳のグループのデビュー曲となるいわゆる持ち歌は、元々椎奈たちが在籍していたグループの新曲として発表される寸前のものだったらしい。もう使うこともないだろうということで、五島がその使用権利を譲り受けたのだという。

 ――つくづく、ちゃっかりしている男である。

 当然と言えば当然だが、椎奈と真以子のダンスは既に完成されていた。

 そしてその事情を抜きにしても、ふたりの実力が確かというのは明白だった。 

 つまり、このグループを生かすも殺すも由里佳次第であるということが、白日の下に晒されたのである。

 ダンスは何とかなった。

 いや本当はなってないんだけど、とりあえずはごまかせる。

 でも――、

 由里佳には、もうひとつ〝悩みの種〟があるのだった。


 十六時前には、一行はスタジオを引き上げていた。

 五島はこの後用事があるようで、ひとりでさっさと帰ってしまった。

 岡田も片付けたい仕事(恐らく由里佳のプログラムの再調整だろう)があると言う話だったので、事務所には戻らずにこの場で解散ということになった。

「三人とも気を付けて帰れよ」

 という岡田に別れを告げて、由里佳と椎奈と真以子の三人は、最寄りの駅に向かって歩き始めた。

 駅までは徒歩で二十分ほどの距離だ。

 三人はさっきから無言のまま五分ほど、とぼとぼと歩いている。

 日増しに夏の訪れを感じるこの時期、夕方とはいえまだ日は高く、僅かに傾いただけの日差しが三人の背後に短い影を落としている。

 由里佳は、何か話した方が良いよね、とは思うのだが、いったい何を話せば良いのかわからない。何せ、同じ年頃の女の子とこうして肩を並べて歩くというのが初めての経験である。それどころか、言葉を交わしたのですら今日が始めてのことだった。

 由里佳がああでもない、こうでもないと煩悶していると、

「野々川さんって

 と、椎奈が沈黙を破って言った。

「――え?」

 まさかそんな風に言われるとは露ほども思っていなかったので、由里佳は狼狽して、聞き返すのが精一杯だった。

「だって、最初に見たときも思ったけど、三人で合わせたときだって、野々川さん凄く綺麗だった」

 椎奈はにこにこしながら言う。

 ――内心、いつボロが出るかとびくびくしていたんだけど。

 とは、口が裂けても言えない雰囲気だ。

「でも、万木ゆるぎさんと東雲しののめさんの方が――」

「そりゃ、わたしたちは前のグループの時からあの曲をずっと練習してたからね。でも、野々川さんはこの一週間ぐらいでしょ? 振付も結構難しいところあるし、才能がないとその短期間であそこまではできないと思うよ」

 ――どうしよう、と由里佳は思う。

 〝本当のこと〟を話した方が良いのだろうか。

 そもそも、このふたりはわたしがロボットだって知ってるのかな。

 さすがに知ってるよね?

 と、今更な疑問が浮かんできた。

 今にして思えば、今日は一度もそういう話は出なかった。由里佳としては、当然五島あたりが話しているものだと思っていたのだが、もしかすると――。

「部活とか、何かやってるの?」

 黙り込んでしまった由里佳に椎奈が話題を振ってくる。その気遣いはありがたいのだが――。

「えっと、ぶかつ、ですか?」

「うん、ダンス部とかそういうの、やってるのかなって。というか、野々川さんって高校生だよね?」

 ――これは、

「……もしかして中学生だった?」

 椎奈は由梨佳の沈黙を別の意味で捉えたようだ。それはもちろん無理もないことだった。

 ――どうやら、

「ええと、高校生、です」

「一年生?」

 由里佳はとにかく、こくこくと頷いて見せる。

「あ、やっぱりそうなんだ。ちなみにわたしは二年生。真以子も一緒だよ。ね」

 話を振られた真以子が軽く頷いて見せた。

 ふたりはわたしを、だと思っているらしい、と由里佳は判断して話を合わせた。

 わざと知らないふりをしている、という可能性もあり得る。

 だけど、

「野々川さんってなんか妹みたいだもんね」と言って屈託のない笑みを浮かべている椎奈を見ると、そんな風に疑うのは的外れな気がするのだ。

 それに何よりも、

 本当のことを話そうかと迷っていたのに、気づけばまた嘘をついてしまっている。

 その後ろめたさが由里佳を苛んだ。

 五島からは、〝由里佳の判断で他人に正体を明かすこと〟は固く禁じられている。

 ロボットである身としては、それに従わないわけにはいかない。

 だから、これは仕方のないことなのだ、とも思う。

 悪いのは五島なのだ、とも思う。

 何か理由があってのことか、それとも、

 単に伝えるのを忘れただけなのかはわからないけど――。

 恐らく後者だと思うけど――。

 とにかく、今は話を合わせて、正体を隠し通すしかないと決めた。

 だから、そのために、

 由里佳は、少しだけ本当のことを話すことにした。

「あの、実は、ちょっと悩んでいることがあって」

 そう切り出してから、いきなり過ぎたかなと少し後悔。

 引かれてないだろうか、と心配になり、ちらと椎奈の方を見た。

 果たして椎奈は少しだけ面食らった様子だったが、

「――なになに、わたしで良ければ相談に乗るよ?」

 と言ってくれた。

 あの曲のことなんですけど、と前置きしてから由里佳は、

「ダンスは何とかカタチになったものの、歌の方が全然で――」

「あー、うん。歌も結構難しいし、慣れないとダンスと一緒には大変だよね」

 わかる、わかる、と椎奈は頷いた。

 それから、ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべて、実はわたしもあんまり得意じゃないんだよね、とこっそり耳打ちするように言った。

 そして椎奈は、ととと、と早足で数歩先まで行くと、

 立ち止まって、くるりと振り返った。

 じゃあさ――、と笑顔を見せて言う。

「このあと暇なら、一緒に〝特訓〟しない?」

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