第4話 陽だまりに咲く花
あくる日、
午前十時前に由里佳が事務所に着くと、珍しく五島が既に来ていた。
「おはようございます。今日は早いですね」
「あー、岡田のやつが遅れるっていうもんで、代わりにな」
「寝坊ですか?」
「まったく、あいつも困ったもんだよな」
この一週間足らずの付き合いでわかったことがある。
五島は自分のことを棚に上げるのが上手い。
〝棚上げの世界大会〟があればおそらく上位に入るのは間違いない。
もしかしたら優勝だって狙えるだろう。
そんなものがなくて、本当に良かった。
岡田が少し不憫に思えた由里佳は、
「遅くまで仕事していたんじゃないですか?」
と、ここにはいない岡田に助け舟を出すつもりで言った。
すると五島は、おや、という顔をして由里佳を見た。
「織部さんからダンスの件聞きましたよ。岡田さんがプログラムを書いてるって」
由里佳はそこで五島の言葉を待ってみたが、彼は無言のまま、由里佳を見つめている。何かを思案しているようだ。
それは五島にしては珍しい行動である。
だから由里佳は、間を持たせるために気になっていたことを聞いてみた。
「岡田さんってロボットプログラマーだったんですか?」
「――ああ、学生時代にはそっち方面を目指して、自作ロボットのプログラミングに明け暮れていたらしい。ロボコンで優勝したこともあるとかないとか、な」
五島はふと我に帰ると、思い出すようにしながら岡田のことを語った。
ロボコンとは『ロボットコンテスト』の略であり、ロボットで様々な競技を競わせる大会である。その歴史は長いが、ロボット業界が活発化してきた近年はとりわけ盛んに開催されている。エントリーするロボットは参加者が自分で制作するのが基本で、そのため比較的小型なロボットが多いうえに、そもそも人型のロボットですらないこともままある。
「でも、そういうロボットとわたしみたいなアンドロイドでは、同じプログラミングでもかなり勝手が違うんじゃ……」
由里佳は、至極もっともな疑問を口にした。
「……まあ、そうなんだろうな。岡田も昨日は泣き言を言ってたし、実際難儀してるみたいだし」
と、五島はまったく他人ごとのように言う。
「専門のプログラマーに頼めば良かったんじゃないですか?」
「なんだ、岡田の仕事じゃ不満か?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど」
にやりと笑いながら問う五島に、由里佳はかぶりを振って答えた。
そういうわけではないけれど――、
不満はないけれど――、
不安がないと言ったら、嘘になるかもしれない。
なぜって、由里佳はまだ岡田という人間をよく知らないから。
そしてそれは、もちろん岡田に限ったことではない。
知識として知ってることは多いけど、
でもやっぱり、知らないことばっかりだ、と由里佳は思う。
自分の周りの人のことさえ、まだよくわからない。
それとも、一週間程度の付き合いでは、それが当然のことなのか。
それは由梨佳には判断がつかないことだった。
由里佳の表情が微妙に翳ったのを、五島が見抜けたかというと疑問である。
しかし、少なくとも何かを感じ取ったのか、
それにしても――、と五島は話を変えて言う。
「うちのセンターアイドル候補がまさかダンスが下手だとは思わなかったぜ」
ロボットなのにな――、と。
あえて傷口に触れるような話し方をするのは五島なりの気遣い故か。
あるいは、何も考えていないということもあり得る。
――五島はそういう人物だ。
そういえば、五島のことはわかりやすいかもしれないと由里佳は思った。
だから、全然腹の底が見えない人間よりかは好感が持てる。
そしてその歯に衣着せぬ言いざまも、今の由里佳にとっては好ましく思えた。
五島のそれに合わせるように少し皮肉っぽい口調を意識して、
「わたしだって、思いませんでしたよ。何日も、何時間もレッスンした挙句、全然上達しないなんて」
ロボットなのにね――、と。
由里佳は肩をすくめるようにして言った。
それに対して、五島は思うところがあったようで、少し考えてから口を開いた。
「悪いな。――そのつもりなら最初からそうしとけって話だよな」
五島は今までのレッスンが徒労になったことを言っているのだろう。
由里佳の実力に任せるのではなく、プログラムによる自動制御に任せるという判断を、悪く思っているのだろう。
「いえ、わたしは気にしてませんので、五島さんも気にしないでください。それに、そういう、〝裏技〟みたいなことができちゃうのもロボットの特権ですし?」
と、由里佳はいたずらめいた笑みを浮かべて見せる。
――そうか、と五島は少しだけ肩の荷が下りたように、息を吐いた。
そして、急に真面目な顔になったかと思うと、
「ところで、その五島さんってのはやめろって言わなかったか。俺のことはプロデューサーと呼んでくれ」
由里佳は、急に何を言ってるんだろうという顔をした。
由里佳にとって、それは正直どうでも良いことだった。
だから、
「でも、誰もそう呼んでないじゃないですか。それに――、何となくしっくりこないので、嫌です」
由里佳はにべもなくその要求を切り捨てた。
午前十一時を回った頃、岡田が事務所にやってきた。
遅くなりまして、すいません、という岡田の言葉も聞き終わらぬうちに、
「できたのか?」
と、五島が短く尋ねた。
もちろん、例のプログラムのことである。
「ええ、なんとか。まだシミュレーションでしか走らせてないので、実際にやってみて調整が必要でしょうが」
そう答える岡田はげっそりとしているが、それは無理もないだろう。
何せ、五島の思い付きのお鉢が回ってきたのが昨日の昼休み後のことで、それからというもの岡田はこの作業にかかりきりだった。
当然、定時までにその作業の目処がつくことはなく、三時間の残業をした時点で、これはもう、続きは家でやろうと決めた。
帰宅途中も、ああでもない、こうでもないと考えて、これはもしかすると徹夜になるぞという恐ろしい可能性に思い当たった。
土台、この手のプログラムを僅か一日で完成させようとは無茶な話だ。
専門のプログラマーならいざ知らず、岡田は学生時代にちょっとかじっただけである。今も趣味でたまにロボットのプログラミングはしているが、由里佳のように大型のロボット、それも最新型のアンドロイドを相手にした経験などない。シミュレーション上で安定動作するまでに、その仮想上の由里佳を何度転倒させたかわからなかった。派手に転ぶ由里佳を見て、最初の頃はちょっと気にしたが、夜が明ける頃には何とも思わなくなっていた。
無茶なことをさせられている自覚はもちろんあった。
しかし、どうしても明日までに、由里佳のダンスをある程度仕上げておきたい理由があるのというのを岡田は聞かされていた。
五島のたっての願いである。正直聞く義理はない気がするのだが、聞かないと多分その後が面倒くさい。
そういうわけで岡田は、
腹を括ることに決めた。
括らざるを得なかった。
そして、それはもちろん徹夜になった。
「しかし、本当に一日で完成させるとは、なかなかやるじゃないか」
五島が上機嫌に言うのに対して、
あなたが「明日までに絶対終わらせろ」ってどやしたんじゃないですか、と岡田はぶつくさ言っている。
そんなやり取りを、由里佳は聞くともなしに聞いていた。
由里佳は、病院で検査の際に用いられるような白い貫頭衣に着替えて事務所のソファに横になっている。
と言っても別に、ちょっと疲れたから横になろうというわけではない。
それが証拠に由里佳の首の後ろ辺りから細いチューブのようなものが伸びている。
と言ってもまさか、貧血で倒れたから点滴で栄養補給しようというわけでもない。
それが証拠にそのチューブようにも見えるケーブルは、岡田が操作しているパソコンと接続されている。
種明かしをすれば、それは。
何のことはない、岡田が組んだプログラムのインストール作業である。
由里佳の首の後ろの人工皮膚の下には、外部アクセス用の端子が設けられている。
しかし、その部分の皮膚はまったく継ぎ目がなく滑らかで、子細に調べてみても、その下に何があるなどということは全く分からない。
何せ由里佳は、外見上は人間と全く同じということが売りであり、事実その通りに作られた完璧なアンドロイドなのだ。
――少なくとも見た目は。
では、端子に接続したいときはどうするのか。
いちいち皮膚を裂いて端子を露出させるなどという、非合理的でスプラッタな手順は当然不要である。
これには、接続に用いる専用のケーブルの方にも仕掛けがあって、その先端は鍼灸治療に用いられる非常に細く小さい鍼のようになっている。
それを皮膚に直接突き刺して、その下の端子に接続するのである。
刺した穴は非常に小さく、ケーブルを抜いた後は勝手に塞がり目立つこともない。
この方式は、端子を外部に露出させることもなく、皮膚に継ぎ目もつくらない。少なくとも外見上は人間と同一であることを至上原理とする由里佳のようなアンドロイドにとって、合理的な仕様であった。
しかし、もちろんデメリットもいくつかある。
まず、接続に専用のケーブルが必要なこと。由里佳と同規格のアンドロイドが他に存在しない以上、このケーブルは完全に由里佳専用ということになる。
そのせいで、ケーブル一本当たりのコストも馬鹿にならない。そもそもケーブル先端の鍼状の端子は完全に特注で、物凄く高い。おまけに見た目通り耐久性に乏しく、無理な力を掛けると簡単に折れ曲がるのだ。
そのくせ、一本当たりにつき伝送できるデータの容量がそれほど大きくない。なので、大容量のデータをやり取りする場合には、数本のケーブルをまとめて接続する必要があった。
つまり、とにかく金が掛かるのだ。
そしてもうひとつ、これは個人的な問題なのだが。
接続するときにチクチクとするのは、どうにかならないものかと由里佳は思うのだった。
今回のプログラムはそこまで容量がないので、接続は一本のケーブルで事足りた。
その一本の細く頼りないケーブルが、由里佳とパソコンを繋いでいる。
由里佳が先述の貫頭衣に着替えているのは、万が一にもどこかに引っ掛けて、このケーブルを破損することがないようにという配慮からである。
もちろん、極力身動きしないようにとも言われている。
首を動かすなんてもってのほかだ。
だから由里佳は、さっきからずっと、ソファの上で背もたれの方に顔を向けて横になったまま死んだようにしている。
でも、そこまで神経質にならなくてもいいんじゃないかな、と由里佳は思う。
この裾の短い貫頭衣は、うっかりすると下着が見えてしまいそうだし。
それくらい、年頃の女の子のロボットなら気になって当然だと思う。
なのに五島と岡田のふたりときたら、根本的にデリカシーというものが欠けているのだ――、
ひたすらにじっとしながら、とりとめもなく考えていたところ、由里佳の思考に割り込むものがあった。
由里佳のオペレーティングシステムに搭載されたセキュリティによる確認信号だ。
『外部からのアクセスを検知。認証コード確認。アクセスを許可しますか?』
――許可。
『システム領域へのアクセス要請を受諾。アクセスを許可しますか?』
――許可。
『インストールプログラムを確認。実行を許可しますか?』
――、許可。
最後の応答だけ、一万分の一秒という単位で遅れが生じた。
人間には知覚することが不可能なほど極めて小さな遅延である。
それはほとんど無意識下のことだったので、由里佳自身も気づくことはなかった。
だから、その意味を正確に掴めるものは誰もいなかった。
さて昼休みを挟んで、午後一時半。
由里佳と五島、そして岡田の三人は、事務所からほど近い場所にある、スタジオの一室に集まっていた。
やや古ぼけた外観に見合う、年季の入った内装。
細かな傷が無数にある床や機材が、数多くの夢追う若者達がここで苦楽を共にしてきたことを物語っている。
それはどこにでもある、何の変哲もない貸しスタジオだった。
由里佳がこの一週間、毎日ダンスと歌の練習に明け暮れていたのもここである。
ただひとつ、いつもと違うのは、今日は講師となるインストラクターがいないことだった。
「とりあえず、さっそく試してみるか」
「――じゃあ、準備はいいか。由里佳」
五島の言葉を合図に、岡田が機材に音源をセットしながら尋ねた。
はい、と答える由里佳は、ふたりから少し離れた場所に立って深呼吸した。
先の貫頭衣からまた一転して、今は動きやすい服装に着替えている。
「といっても、岡田のプログラムがうまく動けば、由里佳自身は何もしなくていいわけだろ」
五島はまた身も蓋もないことを言う。
「まあそうなんですけどね。――でも、身体の力は抜いておけよ」
余計な力が入っていると、プログラム通りにスムーズに動かずエラーが出るかもしれないからだ。それはもう何度か説明されていて、正直耳たこだった。
「わかってます」
と答えた由里佳はしかし、その身体が少しだけ強張っているのを自覚した。
これで本当にうまく踊れるんだろうか?
もし、ダメだったら、わたしはどうすればいいんだろう。
――どうなってしまうんだろう。
そんな由里佳の胸の内を知る由もなく、はじめるぞ、と岡田は再生機器のスイッチを入れた。
音楽がはじまると、身体がひとりでに動きはじめる。
ステップ、ターン、またステップ。左右に身体を振ってから小さくジャンプ。
まるで、重りが取り除かれたように滑らかで軽やかな動きだ。
そして、由里佳は一度もミスすることなく曲の終わりまで踊り切った。
それは、由里佳にとってはじめてのことだった。
最初は、驚きを隠せない表情だった。
次第に、気づけば笑顔になっていた。
最後のポーズを決めたまま、しばし肩で息をする。
汗が床にしずくとなって落ちていく。
――これなら、と由里佳は思った。
「――どう思います?」
由里佳のダンスを見届けると、岡田は五島に向かって言った。
「悪くないな。――強いて言えば、ちとできすぎてるか」
見違えるようにはなったが、見方によっては作り物めいて少し不自然だ。
自然に見えるように、わざと適度な揺らぎを与えるのは実は難しいことである。
「その点はこれから微調整が必要でしょうね」
と、岡田も認めて小さく肩をすくめるようにした。
「でも、いけるぞこれは」
と五島はにわかに勢い込んで言う。
「自分も今ようやくそんな気がしてきましたよ。なんかアイドルみたいだな、って」
「――ようやくとはなんだ。今までは思ってなかったってのか」
「そりゃ、まあ正直……」
「お前がそんな気でいてどうする。お前は由里佳のマネージャーでもあるんだぞ」
だから、しっかりしろ、と五島は檄を飛ばす。
自分が無理やり押し付けた役職であることなど五島はすっかり忘れているようだ。
はぁ、やれやれ――、と岡田は内心でため息をこぼした。
それから一時間ほど後。
由里佳はさすがに疲労を覚えて、その場に座り込んでいた。
体力的というよりも精神的な疲れだ。
あの後、調整用のデータを取るためという名目で何度も踊らされた。
疲れたけど、でも嫌ではなかった、と由里佳は思う。
楽しかったかもしれない。
だけど、やっぱり好きにはなれないかな。
それにしても、と由里佳は壁掛けの時計をちらと見た。
――岡田さん遅いな。
飲み物を買ってくると言って岡田が出て行ってから十五分は経っている。
五島はといえば、それよりも前にふらりと出て行ってそのままだ。
つまり、今ここには由里佳しかいない。
少し休んだし、もう一度踊ってみようかなと由里佳は思った。
データを取るだけなら、岡田さんがいなくても問題ないしね、と――。
そして由里佳が踊り始めて少しすると、部屋に誰かが入ってくる気配がした。
由里佳はその時、入り口とは反対側の壁の方を向いていた。だから誰が入ってきたのかは分からなかった。
岡田かそれとも五島だろうかと思いながらも、もうすぐ一曲が終わるところだったので、そのまま踊り続けることにした。声を掛けられたら止めるつもりだったが、そうはならなかった。 ダンスを終えて、ドアの方を振り向くと、
――目と目が合った。
そこには見知らぬ少女が、ひとり佇んでいた。
窓から入った日差しが部屋を斜めに切り取って、向こう側を明るく照らしている。
そのせいもあったかもしれない。
それだけではないかもしれない。
光の中の少女は、
ただそこにいるだけで、キラキラと眩いほどに可憐だった。
ふたりは、しばし無言のままお互いを見つめていた。
その少女は由里佳と同じぐらいの年頃だ。
長くさらさらとした髪を二つに結っている。いわゆるツインテールというやつ。
すると、
「こんにちは。あなたが野々川由里佳さん?」
少女がだしぬけにそう尋ねた。
「――ええ。野々川です。こ、こんにちは」
あなたは誰、とか、わたしに何の用、とか聞き返すことは色々あるはずだ。
しかし、由里佳は突然のことに思考が回らず、しどろもどろになりながら挨拶だけを返した。
「突然お邪魔してごめんなさい。……その様子だと、もしかしてプロデューサーから何も聞かされてないのかな?」
プロデューサー。
――聞きなれない言葉だが、最近どこかで聞いた気がする。
あ、と思い当たって、
「五島さんのこと?」
「そうそう、五島プロデューサー」
少女はそこでいったん言葉を切ってから、由里佳のそばまで歩いてくる。
その歩みはとても軽やかで体重を感じさせないものだ。
そして彼女は立ち止まって、由里佳に手を差し出すと、
「わたしは、
そう言って、陽だまりに咲く花のような笑顔を見せた。
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