第二章

※女の子成分多め。こちらから先に読んでも大丈夫です。

第3話 野々川ユリカの憂鬱

 野々川由里佳ののかわゆりかは、推定年齢十五歳の、至って普通の女の子である。

 その年頃の少女とどこか違うところがあるとすれば、

 身体のおよそ八割が、強化カーボンカーボンの骨格と有機グラファイバーの筋繊維で構成されていることと、

 その頭脳に、最新型の量子プロセッサが搭載されていることぐらいなものである。

 

 推定というのは、彼女の実年齢がまだ一歳どころか一カ月にも満たないからで、

 彼女の外見とパーソナリティから判断すれば、おそらくそうであるということだ。

 それは、彼女がアンドロイド、つまり人型のロボットであるからに他ならない。


 そしてそれは、由里佳が年頃の少女として当然持ちうるべき悩みを抱えていることに比べれば、であった。


 そう、彼女は悩みを抱えている。

 ロボットだって悩むのだ。

 それが推定年齢十五歳の女の子のロボットならば尚更だ。

 それもちょっとのっぴきならない悩みである。

 それは、前髪をちょっと切り過ぎたとか、

 発育不全気味なこの身体は果たして成長するのだろうか、

 といったありがちなものとは少し違う。

 もちろんそれらもあるのだが、一番重大な悩みは別にある。

 つまり何かといえば、

 アイドルとしてのデビューを、目前に控えているというのに、

 目下のところそれが、由里佳の存在意義のすべてであるのに、

 レッスンを始めて一週間、歌も踊りもまるでものにならないことである。 

 

 それは彼女が人間でないということよりも、

 アイドルとしてはなことであるらしい。

 

 だからこれはアイデンティティのクライシスなのだ――。


 

 

 六月初旬。

 梅雨入り前の、まだ過ごしやすい一日。

 由梨佳は朝から不貞腐れていた。

 それというのも、他ではない。

 昨日はついにダンスのレッスンを禁止されてしまったからだ。

 誰が悪いということではない。

 それは由里佳も承知している。

 それに、

 別に踊ることが、特別好きなわけではない。

 好きか嫌いかでいえば、嫌いかもしれない。

 だってそもそもうまく踊れないし。

 でも、

 もし上手に踊ることができたら、

 きっと好きになれるのではと思うのだ。

 だけど――、

 練習もできなくて、どうやって上達すれば良いと言うのだろうか。


 だから今日はダンスレッスンの時間も使い、一日歌唱の練習をすることになった。

 歌うことは好きかもしれない。

 でも、やっぱり苦手なのは変わらない。

 この音程というやつがやっかいなのだ。

 由里佳の言語処理野には日本語として正しい発音が記憶されている。

 けれどそれが歌になると、同じ言葉でもその発音はメロディーやリズムによって左右されることになる。

 意識的にメロディーに合わせて発音の高低を変えようとすると、結果的にエラーが起きておかしなことになるのだ。

 おそらく言語処理をバイパスできればうまくいくのではないかと思う。

 でも何度試してもうまくいかないのだ。

 聞くに堪えないほどではない。

 味があると言えなくもない。

 でも、これではとても満足できないと由里佳は思う。

 

 〝好きこそ物の上手なれ〟という言葉がある。

 好きなものほど人は熱心に研鑽を重ねて、その結果より上手になっていく、という意味だ。

 でも由里佳にしてみれば、好きだから上手になるのか。それとも上手にできることだから好きになるのか。

 それがよく分からないのだ。

 好きになるって大変だな――、と由里佳は思う。

 人間は色々と好きなものがあるらしい。

 ロボットにも好きなものはあるだろう。

 

 できれば、色々なものを好きになりたいと思う。

 ――そして、それがうまくいかない現状を歯痒く思うのだった。


 その日の午後八時過ぎ。

 由里佳はレッスンを終えて、最寄りの駅から京浜東北線に乗り、帰宅している途中だった。

 ロボットにも帰る家は当然ある。

 でもそのうち、わたしみたいなのが街に溢れて、野良ロボットなんて社会問題になったりするのかな。

 と、窓に映る自分の姿を見るともなしに見ながら、他愛もないことを考えている。

 ――今日も、歌はうまく歌えなかった。

 ――歌詞がなければ歌えるのに。

 歌詞がない歌だって良いと思うけど、でもそれだけじゃやっぱりだめだよね。


 そもそもアイドルを目指してどうするのか?

 そもそも、なぜこんなことをしているのか?


 それはもちろん、

 

 その様に命令されたからだ。

 そのために作られたからだ。

 

 だから、これはアイデンティティの証明なのだ。

 だから、別に好きになる必要など全くないのだ。


 ――ただそれだけ。

 

 命令されたことだとは言っても、別にそれが嫌なわけではないし。

 でも、やっぱりそれだけじゃ、何となく張り合いがない気がする。

 

 由里佳は京浜東北線を途中で降りて、反対側の山手線に乗り換えた。

 そこからまた目的の駅に着くまで、その線路のようにどこまでいっても堂々巡りの思考を繰り返していた。




 築数年という、まだ真新しい十五階建てのマンション。その十階の、右から五番目のドアの前まで来ると由里佳は足を止めた。

 このマンションの各部屋の玄関には、指紋認証と顔認証及び声紋認証を組み合わせたセキュリティシステムを搭載する、いわゆるスマートドアが設置されている。

 いま由里佳が前にしているドアの利用者登録に、彼女の情報が追加されたのはつい最近のことだ。

 由里佳がノブのない真っ平なドアの表面に右手を触れると、自動認証システムが作動し、それが登録された利用者のものであると判断したドアはひとりでに開いて由里佳を招き入れた。

 スマートドアの表面はすべてセンサーになっており、どこに触れても認証が可能だ。また手が使えない場合は音声による認証も可能で、指紋、顔、声紋のうちどれか二つの認証が行われると自動的にドアが開く仕組みだった。

 ただいま、と言いながら由里佳は玄関に足を踏み入れた。ドアが自動的に閉まる。

 由里佳が脱いだ靴を揃えていると、そのすぐ後ろに平べったい円型の物体が移動してきた。

 〝彼〟は由里佳の同居人(人ではないが)で、ヒエラルキー的には新参者の由里佳より上位に位置していると言えなくもない。

「ただいま、イコ。織部さんは?」

『台所。いま手が離せないって』

 イコと呼ばれたそのロボットはぶっきらぼうな調子で答える。

 不機嫌なわけではなくて、どうやらこれが彼の素のようだ、と最近わかってきた。

「そっか。これわたしの部屋に運んでおいてくれる?」

 そう言って、肩にかけていたトートバッグをイコの平らな胴体の上に置く。

『由里佳はロボ使いが荒い』

 今度は、少しだけ不機嫌になったかもしれない。

 しかし、イコはそれ以上は何も言わず、由里佳の部屋の方へスルスルと移動していった。 

「――まあ、わたしもロボットなんだけどね」 

 と由里佳は誰に言うでもなく呟いた。


 由里佳は洗面所で手を洗い、うがいをしてから居間へ向かった。

「おかえりなさい。ごめんね、さっきはちょっと手が離せなくて」

 居間のドアを開くなり、親し気な声が由里佳を出迎えた。

「えっと、ただいま、織部さん。気にしないで、お料理中だったんでしょ」

 部屋には美味しそうな匂いが漂っている。

「うん、もうできたとこだけどね」

 そして、台所と居間を隔てるカウンターから顔を覗かせているのが、由里佳の保護者役の織部である。

保護者役と言っても、織部は実年齢よりも幾分若く見えるから、ふたりで並ぶと少し歳の離れた姉妹にしか見えない。

 ロボットとはいえ、年頃の女の子に一人暮らしさせるのは得策ではないという判断なのか、このマンションの一室でふたり暮らしが始まってから一週間が過ぎた。

 はじめは少しぎくしゃくしていたふたりの関係も、そのやり取りも、今ではそこそこ自然なものになってきたと思う。

 本当の姉妹のようには、まだほど遠いけれど――。

 そもそも由里佳は、本当の姉妹がどういうものかよく知らないのだが。

 そうなりたいかというと、それもちょっと違う気がするし。

 

、今日はどうだった?」

 由里佳がテーブルについてくつろいだところで、織部が聞いてきた。

 織部は由里佳のことをその苗字からとって『のの』と呼ぶ。

 野々川の『のの』。それは別におかしな呼び方ではないけれど。

 周りにそう呼ぶ人は他にいないので、特別な感じがして、それが由里佳は少し気に入っている。

「ううん、まだちょっとしっくりこない感じ、かな」

 由里佳は少し、いや割と控えめな表現をした。

「そっか。でも焦らなくて大丈夫だよ」

 織部は優しい。

 だから甘えてしまいたくなる。

「でも、再来週にはデビューライブの予定なのに、ダンスはまだろくに踊れてないし――」

 由里佳がその気持ちを吐露してしまおうかと思い、

 ――やっぱりやめようかな、と逡巡したその束の間に、

「あのね、そのことなんだけど、」

 と、織部が少し言いにくそうに切り出した。

「五島さんがね、ダンスはプログラム制御にしたらどうかって提案してて。岡田さんが今そのプログラムを書いてるの」

 五島と岡田は、由里佳の所属する事務所のプロデューサーとマネージャーである。

 プログラム制御にするというのはつまり、由里佳が自分の意志で身体をコントロールするのではなくて、予め設定された手順に従って自動で身体を動かすということである。

 こうすれば、例え由里佳がどれほど踊るのが下手だろうと問題にはならない。

 プログラムの出来にもよるが、それこそ名高いプリンシパルのように完璧に踊ることだって不可能じゃない。

 だけど、そこには由里佳という〝人格〟は

 ただ仕組まれた通りに踊るだけであれば、物を考えることのない自動人形オートマタでもこと足りるのだから。 

「五島さんとしては、の気持ちを尊重したいみたいなんだけど。でも、やっぱり〝身体の負荷〟が心配だって。だから――」

 まるで歯に物が挟まったような言い方である。

 織部が何を気遣っているのか、由里佳には当然わかっていた。

 だから何でもないことのように、

「だいじょうぶ。わたしは、それでも平気だから」

 と言って、笑って見せた。

  

自分の力で踊れなくたって構わない、と由里佳は思う。

 これはきっと本心だ。

 いちばん大事なのは。

 わたしは、ステージに立たなければいけないということ。

 わたしは、そのために作られたんだということ。

 

 そのためには、

 何かを好きなる必要はないとわかっている。

 ――それだけで十分でしょ?


 むしろ自分でもわからない〝わたしの気持ち〟なんて、考慮するだけ無駄、と。

 その時、由里佳はそう思った。多分、それは本心だった。


 実を言えば、由里佳の身体は色々と厄介な問題を抱えている。

 とりわけ、両足の関節の強度不足はその設計段階から危惧されていたことである。

 それについては、一度完成品をテストしてから改善案を煮詰めて、しかる後に改良型を製造する計画だった。しかし、諸般の事情もあってそれは叶わなかった。

 そのため、日常生活の範囲では特に問題はないとしつつも、激しい運動などは極力避けるようにと製造元からも念を押されていたのだ。

 ダンスのレッスンは言うまでもなく、激しい運動に含まれる。

 想定外だったのは、由里佳のダンスの上達がまったく捗らないことだった。

 昨日行われた点検の時に、この一週間足らずのうちに、すでに予想以上の負荷が掛かっていることが判明した。

 このまま闇雲にレッスンを続けても、負荷が蓄積されるばかりではないか――。

 そういう事情と判断があって、一時的にレッスンの禁止が言い渡されたのである。

 機械の身体というやつは、基本的に頑丈にできていて生身に比べて色々と利点があるが、それと同じくらいに制約が多くて、ある意味でとても脆弱なのだった。 

 

 とりあえず、ご飯冷めちゃう前に食べようよ、という由里佳の提案で、

 ――あ、ごめんね、と慌てて言ってから、

「お腹すいたよね。今用意するから」

場の空気を変えようとしてか織部はやけに明るい声で言った。

「わたしも手伝う。――ううん、手伝わせて」

 と、由里佳が申し出て、ふたりで食器を用意したり、料理を盛りつけるのを分担してやった。 

 それから、間もなくして。

 食卓に並べられた色とりどりの夕飯は、どれも由里佳がまだ食べたことのない料理だった。

 それにしても、やけに品数が多い気がする。 

「――えっと、これ、全部織部さんが?」

「うん、そうだよ。ののがどんな料理が好きかまだ知らないから、色々試してみようと思って。それに、今日は仕事が早く上がったから時間もあったし」

「そっか、嬉しい。それに、みんな美味しそうだね」

 由里佳は素直な感想を口にした。

 そして、織部はやっぱり優しいなと思う。 

「見よう見まねで初めて作ったのもあるから、味は保証できないんだけど。喜んでもらえたら私も嬉しいかな」

 そう言って、織部ははにかんだ。

 そうすると一段と若く見えて、まるで学生のようだ。

 今ならもしかして、同級生みたいに見えたりもするのかな。

 ちらりとそんなことを考えた。

 

「それじゃあ、いただきます」

 と、手を合わせてから由里佳は、

 さてどれから食べようか、と考えた。

 衣がきつね色で、見るからにサクッと揚げられている細長い形のはエビフライ。

 そっちの、パリッと焦げ目のついた皮で具を包んだものはおそらく餃子。

 奥にある平たい皿の、焦げ茶色のルーにホワイトソースをかけたものはビーフシチューだろうか。

 他にもサラダのボウルや佃煮などの小品が並ぶ。

 それぞれの量は少ないが、全体としてはやはり結構なボリュームである。

 どれも知識にはあるが、食べるのは初めてのものばかり。

「よく考えたら、全然まとまりがないよね。量もちょっと多く作り過ぎちゃったし」

 ふと、織部が苦笑交じりにそう言う。

「へいきへいき、そんなの別に気にしないって。でも、確かに量は多いかも」

 と由里佳は笑って、

「じゃあこれ食べてみようかな」

 と、手近な場所にあった皿を手に取って一口。 

「これ……、」

 優しい感触が舌先で溶けて、甘さと絶妙の塩加減が口に広がる。

 黄色くて、ふわふわで、とろとろの、それは。

 まぎれもなく、今まで食べたものの中で一番美味な料理だった。

 とはいえ、由里佳がこの一週間で食べたものの数などたかが知れている。

 でも、

 そんなのは些末なこと。

 そんなのは関係がない。

「わたし、これ、好きかも――」

 少し考えて言い直す。

「ううん、好き。――すごく、美味しい」

「そっか。のの、好きなんだ。うん、良かった」

 今度は、織部は嬉しそうに笑っていた。

 そう、。溶いた玉子をフライパンで焼いた卵料理。

 もちろん知っている。

 でもこんなのは知らない。

 こんなに美味しいなんてことは、

 

 この味が、こんなに好きだなんてことは、知らなかった。

 



 結局、ふたりの奮戦も空しく、すべての料理を平らげることは叶わなかった。

 どれもみんな美味しいのに――。

 食べきれないことがなんだか無性に悔しい。

 実際それは、推定年齢十五歳の女の子には、少々荷が勝ち過ぎる量だった。

 それでも由里佳は思うのだ。

 ロボットのくせに、この程度で音を上げるなんて、と。

 そもそも、ロボットなのに普通に食事をしていることもおかしいのだけど。

 そんな由里佳を見て織部は、 

「いいよ、無理しないで。残ったのはまた明日食べよう」

 と言ってくれた。そもそも私が作り過ぎちゃったんだし、私が少食なのも悪いんだし、と付け加える。

 さらに、 

「オムレツはもうないけど――」

 ふと思い出したように織部が言うと、由里佳は捨てられた子犬のような顔をした。

「……うそうそ、また作ってあげるからそんな面白い顔しないで」

「えー、ひどい!」

 わざとらしい不機嫌な顔は、一瞬しかもたなかった。

 言葉とは裏腹に嬉しそうな由里佳を見て、織部はくすくすと笑う。

 笑いあうふたりは本当に姉妹のようで、

「あのね、織部さん。――ごちそうさま。すごく、美味しかった」

 由里佳は心の底からそう言えた。


 おかげで元気が出た、とは口に出さなかったけれど。

 やっぱり〝気恥ずかしいという気持ち〟は、ロボットにだってあるのだ。

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