第一章
※設定&おっさん成分多め。早く女の子を出せ!という方は第二章からどうぞ。
第1話 五島の憂鬱
その日は、麗らかな春の日差しが心地よい
ここ数日の曇り空は嘘のように晴れ渡っている。
申し訳程度に散りばめられた幾ばくかの雲が、その名残を留めるに過ぎない。
そして、抜けるような青を背景に、東の空を昇る太陽がきらきらと輝いて、一条の雲を茜に染めている。
それは、最高の一日の訪れを予感させて止まない、
〝非の打ちどころのない朝〟であった。
そんな佳き日にあって、ここ『株式会社ロボマル』の『先進技術研究開発部』(通称:先技研)は、
今まさに〝存亡の危機〟に瀕していた――。
時刻は午前九時を少し過ぎた頃。
本社ビル七階にあるオフィスの片隅で、
五島はこの先技研の部長を務めているが、それはほとんど名ばかりで、
日がな一日こうして寛いでいるか、もしくは、
手隙の部下を見つけてはちょっかいを出すことを生きがいにして日々を過ごしているという、傍から見れば実に迷惑千万な男であった。
しかし、何故か不思議と人望がある。
――あると思う。
――――決して、ないわけではない。
ともかく、良くも悪くもその人柄のせいで、〝疎まれることはあっても、恨まれることはない〟というのが数少ない長所のひとつであった。
そんな男が部長を務めているほどだから、先技研は社内で閑職と見なされている。
これまでに幾度も慈悲のないお沙汰を受けながら、先技研が何とか生き永らえて来られたのは、ひとえに五島の陰ながらの努力の賜物である――、
という事実は、残念ながら一切ない。
――単に、運が良かっただけである。
――――悪運が強いと言った方が良いかもしれない。
こういうわけだから、
つい先ほど朝礼の場で、五島の口から〝目下進行中の一大プロジェクトの凍結〟が決まったと知らされたとき、
ついに年貢の納め時か――と、部内の誰もがそう考えたのも無理はなかった。
ただ一人、
織部という女性社員を除いては――。
部下の岡田が、五島のデスクの傍に来て声を掛けた。
「あれ、なんだ大人しいと思ったら、珍しく考え事ですか。流石の部長でも、さっきのはこたえたってとこですか」
「――珍しくは余計だぞ」
五島はいつになくむっつりとして答えた。
さっきの、とはほんの十分ほど前に、部内で起きたあの事件のことだ。
プロジェクトの凍結という名の、事実上の業務停止命令が周知された時
誰もが突然のことに驚きつつも、その運命を受け入れようとしていた時、
彼女だけはそれを良しとしなかった。
「ちゃんと説明してもらわないと納得できないし、したくないし、むしろするつもりもありません――!」
そう言って、仮にも上司である五島を相手取り徹底抗戦の構えを見せたのだ。
彼女、つまり織部は、一見して、化粧っ気がなく慎ましい。
身も蓋もなく言えば、地味な娘である。
茶色の大きなフレームの眼鏡が印象的で、それがまた地味さに拍車を掛けている。
黒髪を後ろで束ねて結い上げ、前髪は目蓋の上あたりで切り揃えたその髪型が、あどけなさを醸し出して、まるで女学生のようにも見える。
常であれば、少し奥手で控えめな印象を与えるその目元が、
あの時は別人のように、意志の強い光を宿し五島の目をひたと見据えていた。
――五島としても、無理もないとは思うのだ。
「織部さん、すごい剣幕でしたね。あれは相当怒ってますよ」
だから、そんなことは言われなくてもわかっている。
とはいえ、岡田相手に素直に非を認めるのも癪であったから、
「言っておくが決めたのは俺じゃないぞ」
五島はコーヒーを一口啜ってから、憮然とした顔でそう言った。
「そりゃそうですけど――、部長の言い方も悪かったと思いますよ?」
それも、自覚がないわけではなかった。
だから、これ以上追及されたら適わないと、五島は話を変えるべく言う。
「――というか、お前もそうだが、他のやつらは逆に落ち着き過ぎじゃないかね」
「そりゃ、ちょっとは驚きましたけど、でも大体みんな察していましたからね。遅かれ早かれこうなるだろうってことは。それこそ今更ですよ」
岡田は入社四年目にして、もはや達観の境地であらせられる。
――五島は、〝腐っても部長〟である。
先技研を預かる身としては、何とも複雑な気分だった。
実のところ、五島が今回の上層部の決定について知ってから、まだ一時間も経っていない。
久方ぶりの上天気も手伝い、気分良く出社してきた五島は、
いつもより少し早くここに着いたということもあり、普段なら絶対にそんなことはしないのに、始業前に社内メールのチェックを片付けようという気になった。
他の社員からすれば、すわ明日は大雨かそれとも大雪か、と思うほどには異例なことである。
ところがそれは、明日どころかその日のうちに現実のものとなってしまった。
――まさに青天の霹靂である。
そのメールには、昨日行われた役員会議で決定されたことについて、簡潔に記されていた。
曰く、
「先進技術研究開発部で現在進行中のプロジェクトに関する全ての業務を直ちに停止し、二週間以内に諸々の残務処理を完了し報告書を提出すること」
いや、そもそも俺、会議に呼ばれてすらいないんですけど――、
それはまさに後の祭りという他はなく、たとえ呼ばれていたとしても、五島に何ができたわけでもないだろう。
結果的に先技研は、朝も早くに〝大雨と大雪と雷と竜巻の直撃を同時に受けたような、絶体絶命の壊滅的状況〟に陥っているのだった。
「それこそ、織部さんぐらいですよ。ほら先日の、『順風満帆、プロジェクトも佳境に入ったことだし、この調子で張り切っていこうぜ』なんて部長の与太話を真に受けてたのは」
岡田が思い出したようにそう言った。
確かにそんなことを言った気もする。というか、頼むから話を戻さないで欲しい。
五島はよっぽどだんまりを決め込もうかという気持ちになっていたが、そこに第三者の声が割り込んだ。
「――だから彼女にしてみれば、今日のことは裏切られたも同然だったんですよ。それは怒るのも無理ないでしょう」
お前いつからそこにいた、と詰問するように五島はその闖入者に目を向けた。
「――、もう、驚かせないでくださいよ佐々木さん」
どうやら岡田も、今の今まで全く気付いていなかったらしい。
そんなふたりの反応を意に介すでもなく――、
「つい今しがたですよ。部長に用事がありましてね」
やはり五島の部下で課長の佐々木は、普段通り至極マイペースにそう答えた。
佐々木は表向きは部長補佐として、日々頼りない屋台骨を支えているが、実際には彼こそが真の頭目であると見る向きも多いという、影の実力者である。
「俺に用事だって?」
はて、何のことやら――。
そうは思いつつも、話の流れを変えるには渡りに船だと、五島はとりあえず食いついた。
「ええ、ほら朝礼の時は結局うやむやになっちゃいましたけど、これからのことをちゃんと決めないといけないでしょう。だからその段取りを相談しようと思いまして」
うやむやになったのは、もちろん織部の件があったからである。
「とりあえず、十時から主だった面子で部内会議を開くというのはどうでしょう。みんなには私から伝えておきますから」
相談と言いつつも、五島の意見はほとんど必要とされていない。
これもいつも通りのことである。
五島としてもそれで不満はないので、
「そうだな、じゃあそれで頼む」
と、この場で唯一必要とされている職務を遂行した。
「はい、では後ほど――」
すると、
去りかけた佐々木を岡田がやにわに引き留めて言った。
「あの、佐々木さんはどう思います?」
「どう、というと?」
「――ほら、やっぱり先日の〝あれ〟が原因ですかね。こんなに性急な決定が下るなんて」
――先日のあれ、とはもちろん五島も知っている。
日本のロボット業界最大手が起こした不祥事。
この業界にいるものなら誰でも知っているし、そうでないものも、ここ数日のうちにどこかしらで目にし、耳にしているというくらいに、今世間を賑わせている例の事件のことだ。
「よりにもよってうちのプロジェクトが佳境って時にやらかしてくれやがって。そのくせ肝心なところはずっとだんまりだもんな。そのせいでメディアはやたらと大袈裟に騒ぎ立てるし、まったく勘弁して欲しいもんだ。なぁ――?」
「この業界が今、それだけ注目されているってことですよ。他社のこととはいえ、これほど取り沙汰されているとなれば、明日は我が身と保身に走りたくなるのも当然といえば当然じゃないですか」
と、佐々木はどこか達観した風に言う。
それなんですが――、と岡田がズボンのポケットから携帯端末を取り出してふたりに見せた。
「ついにあの〝ソロテック〟が、記者会見をするみたいですよ。――ほら、今日の十二時から」
東京都は千代田区、丸の内のオフィス街。
ここには国内外で有数の大手企業が軒を連ねている。
天を衝くように巨大なビルが立ち並ぶその中にあって、ひときわ威風堂々たる巨容を誇るのがソロテックの本社ビルである。
普段であれば、一日の中で最も弛緩した時が流れているはずの正午過ぎ――。
地下一階にある会議室は、その隔絶された空間という特質も相まって、世間の長閑さ《のどけさ》とは無縁の異様な雰囲気に包まれていた。
流石は天下に名だたる大企業と言うべきか。
その部屋は、会議室と呼ぶにはあまりにも大きい。
〝講堂〟と呼ぶ方が、遥かに理にかなった広さである。
実際これだけ広いとなると、会議を行うには逆に不便であろうと思われた。
今その空間に、すし詰めには少し足りないくらいの密度で、人間がひしめき合っている。
予定の時刻よりも遅れること十五分。
一堂に会したマスコミ関係者達が一様に焦れ始めた頃、
五島の昼飯の、社食の定食Aセットが半ば冷めかけたその時に、
まるでタイミングを計ったかのように、ようやく記者会見が始まった。
日本のロボット産業を牽引する、業界屈指の巨大企業『(株)ソーシャル・ロボテクニクス』(通称:ソロテック)。
その新型アンドロイドが、〝秘密裏に自衛隊と在日米軍が共同運用するとある基地に搬入された〟という情報がさる関係筋からリークされたのは、つい四日ほど前のことだ。
ネット、テレビを問わず主要な各メディアが、これは〝人型ロボットの軍事利用を制限した国際条約〟に違反する由々しき事態であると大々的に取り上げたために、このニュースは瞬く間に日本中を、そして日付が変わる頃には、世界各国を駆け巡ることとなった。
それから、少なくとも日本国内では、未だにここ数日のトップニュースとしてお茶の間からネット、SNSにと幅広く話題を提供し続けている。
事が発覚した翌日には、事態を収拾するために防衛省により緊急の記者会見が開かれた。
そこではまず、〝ソロテックから新型アンドロイド数体を受領したこと〟が事実であると認められた。
そのうえで、
今回の導入は試験的なものであり、その目的も国際条約で既定された範囲には抵触しないこと。またそのために、今も世間を騒がせている様々な憶測について、そのすべてが全くの事実無根であるという主張が繰り返された。
だが、肝心の〝導入の目的〟が機密とされ秘匿された結果、それが新たな憶測を生んでしまったことは果たして誤算というべきか――。
結果的に、事態は沈静化するどころか益々悪化の一途を辿っていた。
ソロテックの幹部役員数名とスポークスマンとが壇上に並んで着席し、遅刻の謝罪もそこそこに会見の始まりを告げた。
フラッシュがパシャパシャと途切れることなく焚かれ、まるで、壇上の人々を背後の壁に焼き付けようと躍起になっているかのようですらある。
その洗礼が終わった後、壇上の人物が口を開くまでの間に一瞬の静寂が訪れた。
彼らの前にずらりと並べられた無数のカメラやマイク。
そして携帯端末や小型のパソコン、果ては古風な手帳とボイスレコーダーで武装する大勢の記者達。
そのすべてが、決定的な一言、その瞬間を逃すまいと目を光らせ、耳を澄ませているのだった。
しかし彼らの熱意や期待とは裏腹に、企業側の発言は、既に知られている通り一遍の事態の推移とそれについての釈明に終始した。
結局、ほとんど新しい情報がもたらされぬままに、僅か十分ほどで企業側の陳述が終わった。
――予想通りと言えばその通りの展開だ。
とはいえ、彼らにとっては、ここからが本番であり勝負所で、また腕の見せ所でもある。
経験と勘と巧みな話術を総動員して、真実を白日の下に晒すのだ。
待たされた時間とその実入りの少なさを思えば、一層力も入ろうというもの。
そうして会見は、予定されていた質疑応答へと移った。
ここぞとばかり異口同音に、発言を求める声が十重二十重、そこかしこから湧き上がる。
次から次に壇上へ数多の質問が投じられた。しかしそれらは大体において似通ったもので、大雑把にまとめると次のようなものだった。
「いわゆるアンドロイドによる戦闘及び作戦行動への参加は、国際条約、いわゆる『アシモフ法』で禁止されておりますが、既定されている範囲外での軍事利用についてはどのようにお考えでしょうか」
「本物の人間とまったく見分けがつかないアンドロイド、つまり第七世代モデルが既に製造され、各国の諜報機関で採用が進み、中にはその運用が始まっているものもあるという話につきまして、何らかの見解がおありでしょうか」
「此度の自衛隊及び在日米軍への納入の他に、民間以外へ御社や同業他社のアンドロイドが供給されているという例はありませんか」
「ズバリお聞きしますが、今回の件は米軍側の主導であったという噂は本当ですか? また導入されたアンドロイドの実際の用途は――」
馬鹿馬鹿しい――、と五島は思う。考えることはどこも同じというわけだ。
ロボマルの社員食堂の一角、壁に取り付けられた大型のモニタがよく見える位置に陣取り、五島は昼食を食べる手もおろそかに、いつになく真面目な面持ちで、生中継の記者会見の模様を見分していた。
〝ロボットの軍事利用の拡大〟、それは昨今のこの業界の目覚ましい進歩について考えるときに避けては通れない一大要素のひとつである。
この三十年ほどの間に、多種多様な軍用ロボットが開発され、採用され、実戦に投入されて成果を上げてきた。
ときにそれは、砂漠の炎天下、もしくは極寒のツンドラで。
およそありとあらゆる場所で、約束された信頼性と恒常性を提供し続けてきた。
その任務は、爆弾解体や物資輸送などの支援及び小規模な戦闘に始まり、活躍の場を広げ続けた今では、むしろ〝ロボットのない戦場はない〟と言われるほどである。
つまり、およそ大国といえる国家の軍隊においてロボットは、欠くことのできない重要な戦力の一部となっていた。
拡大する需要に次ぐ需要が供給を呼び、結果的にロボット産業の今日の発展がある。それは業界の関係者ならば誰もが認めざるを得ないのは事実で、五島としてもそこに異論はない。
〝戦争の歴史は人間の歴史〟であると云う。
であればこそ――、
その言葉の誕生から百年あまり。ロボットという歯車は、人間の歴史を動かす歯車と噛み合って、あたかも初めからそこにあったかのようにがっちりと組み込まれ、変わることなく回り続けているのだった。
しかし、そんな時代の最中にあって戦争とは袂を分かって発展してきた分野が人型ロボット、いわゆるアンドロイドの研究である。
それはおよそ二十年前に、国連で人型ロボットの軍事利用が大幅に制限されたことに端を発する。当時この分野はまだ黎明期であったが、加速する一方のロボットの軍事利用に倫理的、および人道的な危機感を覚えた人々が先手を打ったのである。
あるいはこの条約の締結がなければ、
この分野の研究及び開発も日進月歩に進み、ひとつの到達点とされる人間と全く見分けのつかないアンドロイド、いわゆる〝第七世代モデル〟は既に世に生まれていたことだろう。
そして今まさに、五島ら先技研が数年の歳月をかけて取り組んでいた一大プロジェクトというのが、この第七世代モデルのアンドロイドの研究開発なのであった――。
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