第50話 夜の訪問者

 森の中に潜んで部隊の到着を待ち受けていると、木に寄りかかったライタが手元で何かをガリガリと削っているのに気がついた。ライタの出番はまだしばらく無い予定なので山頂で待機してもらっていたのだが、何日もただ待つだけというのは流石に退屈だったのか「暇だ暇だー!」と不満を漏らしていたため、今日は見学として一緒についてきているのだ。


「お、ライタ、それ何作ってるんだ? 彫刻か?」

「ああ、これは面を作ってるんだっ。クロが兜になってる時の見た目がなかなかカッコイーからな、おれもああいう感じを真似して作ってみよーと思ってな! ほらどーだ、自信作だぞっ」


 ライタが作りかけの面を俺の方へ差し出す。表側には顔のように見える複雑な文様が丁寧に掘られており、なんだかジャングルの奥地に住んでる部族とかが被って踊ってそうな感じのお面に仕上がっていた。


「ははあ、こりゃ良く出来てるじゃないか。禍々しいというかエルカエルカしいというか、なんかこう邪神の力でも宿ってそうなイカれた、じゃなかったイカした文様だな!」

「だろだろっ? 思った以上にうまく作れたからな、これはムツメにあげよーと思ってるんだ! きっと喜ぶに違いないぞっ」

「確かにな、これだけの出来栄えならムツメも驚くと思うぞ」


 そう言いながら面を返してやると、ライタは「だろっ!」とニコニコと無邪気な笑顔を浮かべていた。結局、ライタは草原から俺を連れ去ったあの時以来、ムツメに会えてないもんなぁ。長いこと会えてなかった旧友同士が再会する機会を得たんだし、心配事は解決した上で気持ち良く仲直りさせてやりたいもんだ。


「……そうだ、その面ってもっと作れるか?」

「ん? 作れるけど、シンタローも欲しいのか?」

「ああ、本当に良く出来てるし、部隊を撃退する作戦でも使えそうだと思ってな。三、四個ほどでいいんだけど」

「おお、そういうことなら任せろっ! 渾身の出来を期待しててくれっ!」

「おっ、頼もしいな! 期待してるぞ!」


 俺の言葉を聞いたライタが「おうっ!」と嬉しそうに頷く。仕事を頼んでおけば暇も潰せるだろうしな、一石二鳥ってやつだ。


「旦那~、お話中のところすみませんが、そろそろ敵さんがやって来ますぜ~」

「おっと、もうそんな時間か。そんじゃライタ、ばっちり見学して行ってくれよ」


 ライタに軽く手を振って別れ、呼びに来たハタケと一緒に迎撃地点へ向かう。今日はハタケ、クネ子、ハトちゃん、俺というチーム分けだ。僅かではあるが、こうして面子を変化させないと攻撃もワンパターンになっちゃうだろうしな。


 迎撃地点についた俺はハタケと一緒に茂みに身を隠し、部隊が通って来るであろう道の曲がり角の方を見据えた。まだ部隊の姿は見えないが……そうか、木の上で待機してるクネ子がハタケに知らせて、それでハタケが呼びに来たのかもな。ちょっと確認してみるか。


「おおーい、クネ子、部隊ってもうそこまで来てるのか?」

「ええ、もう少しでそこの角から出てくると思うわ」

「そうか、じゃあそろそろ作戦開始するから、そっちも準備してくれー!」


 クネ子の「はぁい、了解~」という返事が聞こえた後、頭上からガサガサと木から木へと移動する気配が伝わってきた。よし、残るは俺の「下準備」だな。


 視線を下に戻し、両手を胸の高さで構えて「スチームッ!」と気合いを込めて唱えると、たちまち俺の手のひらから猛烈な勢いで水蒸気が噴出し始める。魔力のこもった水蒸気は霧散することなく留まり続け、周囲は段々と霧に包まれたかのように白く霞んでいった。


 と、ちょうど部隊の方も角を曲がって来たらしく、立ち込める霧の向こうからスコットさんが「霧が出て来たぞ! はぐれないように気を付けろ!」と大声で指示を飛ばしているのが聞こえてきた。


「よし、じゃあハタケも取り掛かってくれ。作戦上仕方ないけど、視界が悪いからな。くれぐれも加減間違ったりすんなよ?」

「いやいや、このくらい屁のカッパでさ! そんじゃ行ってきやす!」


 意気揚々と立ち上がったハタケが小走りで森の中を移動していく。ハタケもクネ子も霧の中でも普通に動けるとの事なので、本日の作戦は「ミスト作戦」だ。『ジョーズ』しかり『エイリアン』しかり『ミスト』しかり、見えない敵に襲われるってのはやっぱホラーの基本だしな。


 そろそろ十分に霧も行き渡ったので水蒸気を噴出するのをストップすると、霧の中から「わああっ!」「どわっ!?」「ぐえっ!」といった兵士たちの悲鳴が上がり始める。ハタケとクネ子が攻撃を開始したらしい。ただ待ってるだけってのもなんだし、ささやかながら俺も攻撃に参加するとしよう。


 じっと目を凝らし、エルカイヤーやエルカノーズなどの五感を研ぎ澄ますと、おぼろげながら霧の中にいる兵士たちの位置が感覚的に伝わってくる。そして足元から石ころを拾い上げ、狙いを定めて霧の中に投げ込むと、ガツンッと甲冑に直撃する音が耳に届いた。よっしゃ、うまく命中したみたいだ。この調子でどんどんいくぜ!


 そうして感覚を集中させながらポイポイと石を投げ込むことしばらく、霧の中で動いている兵士の気配もだいぶ無くなってきたが……どうやら数人が一か所に固まってかなり粘ってるようだ。強引に気絶させてもいいけど、折角だから仕上げは向こうで待機してるハトちゃんに任せるとするか。


 右手を霧の方へかざして、振り払うように動かす。するとたちまち俺の魔力のこもった霧は消えて無くなり、道の真ん中あたりで固まっているスコットさんたちの姿が露わになった。四人で背中を合わせて死角を無くし、四方に対処していたらしい。なるほど、ここまで粘れるわけだ。


 さて、どうやってハトちゃんの所まで誘導するかな……と思案していると、背後からガサリという物音がし、そちらへ振り向くと、クネ子が「あの四人残っちゃったけどどうする? まとめて糸で縛り上げちゃう?」と言いながら茂みから姿を見せた。霧が晴れちゃったので指示を仰ぎに来たようだ。


「う~ん、それもアリだけど、ハトちゃんが出番無くてまた『長老なのに……』って落ち込んでたから、ハトちゃんの方に誘導してあげようと思ってな」

「ああ、なるほどねぇ。じゃ、武器だけ奪って釣り出してみるとか?」

「おっ、それいいかも。俺が気を引くから、その隙に武器を奪い取ってくれるか? ハタケにも伝えておいてくれ」

「はいはーい。じゃあ向こうに戻って準備するわね」


 クネ子が茂みの中に戻っていき、それを見届けた俺は地面に手を突き「錬成っ」と唱えてカンタ君のゴーレムを作り出した。続けて、指をパチンと鳴らしてゴーレムに火をつける。先日も作ったバーニング・カンタ君だが、今日は更にそれを走らせて突撃させる――名付けて、陽動魔法「炎のランナー・カンタ君」だ。


 炎のランナー・カンタ君が茂みを抜け出して猛ダッシュすると、それに気がついたスコットさんたちは「な、なんだあれは!?」「新手の魔物か!?」と驚愕の表情を浮かべ、ゴーレムの方へ気を取られているようだった。直後、その隙を突くようにして森の中からクネ子の糸が飛び出し、瞬く間にスコットさんたちの武器を絡め取ってしまった。


「ああっ! わ、私の剣がっ!」

「た、隊長どうしましょう!?」

「ぐっ、このまま道の真ん中にいても仕方がない! 少なくともあの方向に敵が一匹いるのが分かったし、倒れている者の武器を拾って後を追うぞ!」

「は、ははっ、分かりました!」


 スコットさんの指示で全員が近くに落ちている武器を拾い、固まって森の中へと駆けこんで行った。良し、上手く釣れたな。俺もハトちゃんたちの方に移動するか。


 立ち上がってハトちゃんが待機している池に真っ直ぐ向かうと、ちょうどクネ子の糸で引っ張られた武器が池ポチャするのが目に入った。スコットさんたちもその瞬間を目撃したらしく、木々の向こうから「ああっ!」という短い悲鳴が上がった。


 身を低くしつつ、池の様子とスコットさんたちの姿の両方が窺える位置までこっそりと移動する。と、にわかに池がボコボコと泡立ち始め、それに気づいたスコットさんたちも警戒して武器を構える。そして――水しぶきと共に、ざばあっとハトちゃんが池の中から姿を現した。


「おわっ!? な、なんだお前は! 魔物か!?」

「御覧の通り、私は通りすがりのカッパです。あなたが落としたのはこの金のカンタ君人形ですか? それともこの銀のヨウカちゃん人形ですか?」


 ハトちゃんが両手に持った人形を順に掲げる。スコットさんたちは全く心当たりが無いからか、きょとんとした顔で二つの人形を見つめていた。


「いや、我々が失くしたのは人形ではなく剣なんだが……」

「なんと……あなた方は正直者ですね。そんなあなたの今日のらっきぃからぁは黄色! 気になるあの子と急接近の予感!? でも無理は禁物、あせらずじっくりと取り組むのが吉! それでは皆さん、今日も良い一日を! また明日~」

「いや剣を返せよ!? お、おいこら! 待たんかぐえッ!」

「ぐはッ!?」


 手を振りながら池の中へ戻って行くハトちゃんに気を取られていたスコットさんたちの背後をハタケが風のように駆け抜け、四人の首筋に連続して手刀を叩き込むと、スコットさんたちは糸が切れたようにその場にバタバタと倒れ込んでしまった。


「これぞセツカ姐さん直伝、連続首チョンパでい! ふっ、決まったぜ……」

「いや、それって確か『首にドカン!』って技じゃなかったか? まぁ俺の技じゃないし、どっちでもいいんだけどさ……」


 技が見事決まって余程嬉しいのか、手刀を崩さないまま感じ入っている様子のハタケに声をかけつつ近寄っていく。すると木の上からクネ子とライタが姿を現し、ハトちゃんも水を滴らせながら池から上がって来ていた。


「お~、やっぱ山のてっぺんで待機してるより現場にいたほうがずっと楽しいなっ! 長老も役がバッチリはまってたぞっ!」

「ええ、私もずっと待機ばかりでしたので、今回こうやって長老の責務を果たせて良かったです。肩の荷が下りた思いですよ」


 ライタとハトちゃんの両人が楽し気にワイワイと盛り上がる。でも俺が教えた事とはいえ、一方的に占いをして去っていくというのが長老の責務を果たした事になるんだろうか……まぁ本人が納得してるなら別にいっか。


「それじゃ、倒れてる人たちを山の麓に送り返すぞ。そこの四人は俺が連れてくから、みんなは向こうの道で倒れてる人たちを運んで行ってくれ」


 俺の指示を聞いたハタケたちが「へーい」「はぁい」と多くの兵たちが昏倒している道の方へ引き返し始める。結構な人数を麓まで運ばなきゃいかんし、セツカたちのチームの様子も確かめに行かないとだしな。何気にまだ残ってる仕事は結構あるなぁ……と思っていると、不意に背後から「む、ううん……」という微かな呻き声が耳に届いた。


 驚いて振り向くと、ハタケの手刀で倒れた兵隊の一人がモゾモゾと動いているのが目に入る。完全には気絶していなかったらしい。まだはっきりとは覚醒していないようだが、今にも体を起こしそうな雰囲気だ。


 このタイミングで目を覚まされるのはまずい、と大慌てで駆け出そうとした、まさにその時――ヒュンッ、と何処かから石ころが投げ込まれ、「ガンッ!」と勢い良く兵士の兜に直撃した。その兵士は「ぐほっ!?」と悲鳴を上げて再び突っ伏してしまい、今度こそ気を失ったようだ。


 あ、危ねええっ……! ライタたちと一緒にいるのを見られたら面倒な事になるところだったぞ……肝が冷えたわ……。しかし、石が飛んできたあの方向には誰もいないはずだが……。


「旦那ーっ! なんか今でっかい音しませんでしたー!?」

「……ん、ああ、そこの気絶してる兵隊さんの一人が目を覚ましかけててな。今はもう完全に気絶したから大丈夫だぞ」

「えっ、本当ですか? おっかしいなぁ、ちゃんと気絶させたと思ったのに……やっぱ魔力も吸い取っとくべきだったかぁ。付け焼刃はよかないですね!」

「剣の魔道具のお前が付け焼刃云々って言うと妙にしっくりくるな……念のため、少し魔力も吸い取ってから向こうに運んでくれるか?」


 ハタケは「へいっ、合点承知!」と元気に返事をしつつ、倒れているスコットさんたちの方に小走りで戻ってきた。俺は石が飛んできた茂みの方をちらりと一瞥してから「じゃ、俺は先に向こうに行っとくわ」とハタケに言い残し、その場を後にした。





 その日の夜。もうみんな寝静まったであろう頃を見計らい、こっそりと家の引き戸を開いて外へと出た。辺りは二つの月の灯りによってぼんやり照らされている。これなら光石を使わなくても問題無さそうだ。


 ゆっくりと引き戸を閉め、村の中を静かに移動する。もう誰も起きてないだろうけど、念のためだ……と、村を抜けた辺りで人影らしきものが目に付く。慌てて隠れかけるが、そのシルエットには何やら覚えがあった。近くで確かめようと、抜き足差し足で接近していくと――


「死ねオラアッッ!!!」

「ぐええッ!!?」


 目にも留まらぬ凄まじい回し蹴りが俺の膝辺りに叩き込まれ、俺は悲鳴を上げながらその場に派手に倒れ込んでしまった。うう、めっちゃ痛い……。


「ん? その声……なんだ牧野かよ。こんなとこで何してんだ?」

「サ、サラみたいな人影が見えたから確かめようと思って近づいたら、膝に蹴りをぶち込まれてこうなりました……」

「後ろから接近してくるお前が悪い。賊かと思ったっつーの」


 サラは倒れた俺の方に近づいて「ほら、立てるか?」と手を差し出してくれた。その手を取って立ち上がり、懐に入れた「荷物」が壊れていないか確かめる。ほっ、よかった無事だ。


「ん、そこに何か入れてんのか?」

「ああ、ちょっとな。それよりサラはこんなとこで何してんだ? おしっこか?」

「お、お前、もうちょっと言葉は選べよ……オレは見回りだよ。他の皆は連日の山攻めでクタクタだからな。余裕のあるオレが夜警を買って出たのさ」


 言い終わると同時にサラが顔を横に向ける。その視線の先にはスコットさんたちの部隊が野営している場所がある。毎回毎回オフュルスさんの村まで戻るのは大変ということで、数日前からこの村のそばに陣地を作ってそこを拠点にしているのだ。ちなみに、姿を見られたらまずいセツカたちには山の反対側でキャンプをしてもらっている。


「なるほどな、そういうことか。そうだ、折角だしサラも一緒にくるか? あ、言っておくが連れションじゃないぞ。神の眷属はおしっこなんかしないからな」

「いや、別にそんな事聞いてないんだけど……」

「ちなみにやろうと思えば際限無くおしっこ出来るんだわ。最初は干ばつ対策なのかなとも思ってたんだけど、そもそも俺って水魔法が使えるじゃん? それで結局何のためなのか良く分かんなくてな……」

「だから聞いてねえって言ってんだろ! 全く、お前の体はどうなってんだよ……」

「おい、俺をこんな体にしたのは他ならぬエルカさんだぞ? つまり今の言葉はエルカさんを侮辱したに等しいってわけだ。エルカさーん! 聞こえますかー! サラがエルカさんの事をおかしいって言ってますよー!」

「お、おい待てこら! そうは言ってねえだろが! 悪かったって! だから告げ口はやめろ!」


 サラは俺がサラ経由でエルカさんへ直接訴えに出たのを見ると慌てて制止した。ふふふ、やり様によってはエルカさんのおっかなさもこうして有効利用出来るのだ。僕が一番、エルカさんをうまく使えるんだ!


「はぁ、全く……で、結局どこへ行くんだよ?」

「ああ、ちょっと待ってくれ。場所はまだはっきりとは分からないんだ。今から匂いを辿っていくから……クンクン、クンクン……」


 警察犬のようにエルカノーズをクンクンさせると、微かではあるが覚えのある匂いが空気に溶け込んでいるのが分かる。どうやら莱江山の方から漂ってきてるようだ。


「うん、こっちみたいだ。よし行くぞサラ……って、どうかしたか?」

「いや、なんかお前、やってる事が魔物みたいだなって……」

「おい、俺をこんな体にしたのはエルカさんだって言っただろ。エルカさーん! 聞こえますかー! サラがエルカさんの事を魔物みたひでぶッ!??」


 密告中の俺の脳天をサラの強烈な空手チョップが直撃し、俺の口はガクンッと強制的に閉じられてしまった。い、いてえ……頭割れるかと思った……。


「あんま調子に乗ってっと出張裏懺悔室送りにすっからな? 覚悟しとけよ」

「は、はい……すんませんした……裏懺悔室は勘弁して下さい……」


 サラがギロリと俺を睨みつける。月明りだけでは細かい表情まではハッキリ見えないのだが、エルカさんに負けず劣らずのプレッシャーを肌にひりひりと感じる。二回連続はやりすぎだったな……自重しよ……。


「ほれ、向こうに行くんだろ。真面目にやれよ、いいな?」

「はい……クンクン、クンクン……」


 サラの監視の下、真面目にクンクンしながら山の方へと向かう。流石に山中は月明りが届かない部分も多く薄暗いので、光石を取り出して道を照らしながら匂いの元へ近づいていく。


 そのまましばらく山道を進んで行くと、やがて開けた空間へと辿り着いた。俺が錬成した小曲輪のひとつだ。匂いはこの辺からしてる、ってことはあいつはこの小曲輪周辺にいるはずだ。


「おーい、ムツメ! いるんだろーっ! ちょっと出てきてくれよー!」


 周囲の木々の方へぐるりと顔を向けつつ声を張り上げる。すると、微妙に間が空いたのち、少し離れた場所の茂みがガサガサと揺れ始め――暗闇の中から、ムツメがぬっと姿を現した。横にいるサラがビクッと肩を震わせる。


「うおっ、本当にいたのか……全く気配が無かったからちょっとビビったわ」

「……久しぶりじゃのう、シンタロウにサラ。何の用じゃ?」

「ちょっと話がしたくてな。昼間の石ころってムツメが投げてくれたんだろ?」

「まぁ、そうじゃが……昼間も今も気配は完全に消しておったはずじゃぞ。わしがここにいると良く分かったな」

「へっ、俺の神の嗅覚を舐めるなよ? ムツメの匂いを頼りにここまで来たんだよ。気配は完全に消せても匂いまでは消せなかったようだな!」

「ははあ、匂いを……でもなんというか、ちょっと変態くさいのう……」

「おい、俺をこんな体にしたのはエルカさ……あ、何でもないです……」


 対象がサラじゃなきゃセーフかなと思ったのだが、横のサラにギロッと鋭い眼差しで睨まれたため、俺は慌てて口を閉じた。ひゅう、おっかねえぜ……。


「お主らは相変わらずじゃのぉ……で、話とは何じゃ?」

「ああ、とりあえず昼間の礼を言いたかったのと、これを渡そうと思ってな」


 ムツメの方へ近づいて行き、俺は懐から布切れにくるんだ「ある物」を取り出した。布を外し、ムツメに手渡しする。


「ん? なんじゃこれは……板? 盾? いや皿か? しかしそうなると、この紐のようなものは一体……」


 ムツメは受け取ったお面をひっくり返したりしながら不思議そうな顔をしていた。そう、ライタが昼間にせっせと作っていたお面だ。月明りだけだと彫られた文様が良く見えないからか、お面だと分かっていないらしい。


「お面だよ、お面。ライタが『ムツメに渡す』って言って作ったんだ」

「ああ、なるほど、皿じゃなくて面か……ふ、言われてみれば、この不格好な感じはいかにもあやつらしい」


 手元の光石で面を照らしてやると、ムツメは面を見つめながらわずかに頬をゆるめ、嬉しそうな、はたまた困ったような表情を浮かべていた。その様子からはライタに対する怒りといった感情は読み取れない。むしろ……慈しんでいる、と思う。


「なぁ、もうライタのことを怒ってるとかじゃないんだろ? そろそろ会ってやってくれよ。お前が姿を見せるのを今か今かと楽しみに待ってるんだぜ?」


 そう言いつつムツメの顔を覗き込んでみるが、ムツメは俺の言葉には何も答えず、黙ったまま面を持った手を高く上げて空の方へとかざした。空には二つの月が出ている。転生したばかりの頃に見た時よりも、二つの月の距離が近づいているような気がする。


「……お主は中々上手く対処しておるようじゃが、あやつは基本的に移り気じゃからな、結構大変じゃろ? と言っても、それはあやつに限った話ではなく、わしらの仲間は全員そんなふうじゃったんじゃがな」

「確か……王家との争いとかで仲間が段々減っていったんだっけ?」

「ああ、正確にはわしとライタしかもう残っとらんのじゃが……あやつが長い眠りにつく前の時もそりゃ大変でのぉ。戦いに行くなと言うとるのに全く耳を貸さんし、戻って来たと思うたら深手を負っとるし……分かるじゃろ?」

「ああ、その時の騒ぎ具合が容易に想像つくな……マジ大変だったろうなぁ……」


 深く頷く俺を横目で見ながらムツメは「ふっ」と短く笑いを漏らし、空へかざしたままだった面をゆっくりと下ろして、顔にひたりと合わせた。そして紐を頭の後ろに回して面を固定し、手を離す。


「あの時の気持ちはの、時を経た今でも良く覚えておるのよ。じゃからじゃろうなぁ、こうして踏ん切りがつかんのは……」


 誰かに向かって話しているというよりも、自分に向けた、独り言を呟くような言い方だった。顔は面で覆われているため、どんな表情を浮かべているのかは分からない。静かに呟いたその言葉だけが辺りの薄闇に溶け込んでいくようだった。


 俺も黙って空を見上げる。二つの月が、そこにある。距離が近づいた分だけ輝きの強さも増しているような、そんな気がした。


「……ムツメとライタ、たった二人の生き残りなんだろ? まぁ、ハトちゃんとかも一緒に数えてやんないと拗ねるだろうけど……数少ない家族みたいなもんじゃないか。仲直り出来るうちにしとかないと、いつ何が起こって急に会えなくなるか分からねえぞ? これ豆な。経験者は語るとも言う」


 そこまで喋ってムツメの方をちらりと見てみると、黙って聞き入っている様子だったので、俺はそのまま言葉を続けた。


「まあ、お前は俺より相当長生きしてるんだし、わざわざ言わなくても重々承知だろうけどな……あんまツンツンとツンデレ装ってるのもどうかと思うぞ。自分の年を冷静に考えてもみろよ、千歳超えてんだろ? 千歳超えてツンデレって痛々しくねえか? それに頑固な年寄りほど厄介なもんは無――」

「おい、黙って聞いとれば誰が年寄りじゃと!? まだまだ若いってことを今から証明してやろうか!? オォン!?」

「ひぃぃ――ッ! すみませんでしたっ! 怖いからお面つけたまま凄むのやめてッ!」


 それまで黙っていたムツメは突然ぐるんとこちらに顔を向け、物凄い気迫で俺に向かって吠え立てた。夜の闇とライタの作った禍々しいイカれたデザインのお面も相まって恐ろしさ倍増だ。ふぇぇ、急にキレる長寿妖怪怖いよぉ……。


 いきなり癇癪を起したムツメの横でブルブルと震えていると、ムツメは小さくため息を漏らしながら面をスッと頭の上にずらし、俺の方に向き直って口を開いた。


「……お主も、別の世界に残してきた者と会いたくなる時はあるのか?」

「ん? まぁ……そもそも両親とは一人暮らししてた時からあんまり連絡取って無かったしなぁ……でも、杉下さんや吉田とはちょっと会いたくなる時はあるかな。もう無理だけど……」

「あっ、通話なら出来ますよ? 今からしますか?」

「うわっ!? ちょっ、そ、その声、エルカさん!!?」


 いきなり背後からエルカさんの声が聞こえ、ビックリ仰天しながら振り向くと――髪の毛と双眸がぼんやり赤く発光し、何故か神降り状態になったサラが、そこにいた。

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