第32話 熱狂はエルカ・リリカに達す

「上手く調理って……まさかサラも火魔法でカモンテさんを丸焼きにするつもりか? 京四郎に優しくしてくれたから、出来れば見逃してあげて欲しいんだけど……」

「直接的な意味じゃねえ! 例えだよ例え!」


 サラは「ったく」とぼやきつつ、懐から取り出した紐で髪を結ってポニーテールにまとめていた。舞台の上で身動きし易くするためだろう。それからサラはマリーの方へ向き直り、右手の人差し指でちょいちょいとしながら「おい虫、ちょっと耳貸せ」と声をかけた。


「虫だから耳はありませ~んぐええっ! わっ、分かったから鷲掴みはやめぐええ!」

「最初から素直にそう言えってんだ。いいか、良く聞けよ……」


 サラは鷲掴みにしていた手を離すと、口元を隠しながらマリーに何やら耳打ちをし始めた。サラがマリーにひそひそ話だなんて珍しいな、と思って様子を見守っていると、秘密の会話が終わったのかサラは口元を隠すのをやめ、マリーは「へぇ、面白そうね。いいわ、乗ったわ!」と機嫌良さそうに笑みをこぼした。


「おう、頼んだぞ。んじゃ、そろそろ舞台の方に行くわ。流石にやっぱ緊張するなー……」


 サラはそう言い残すと、少しそわそわした感じで舞台へと向かって行った。ある程度離れたのを確認してから、マリーに「おい、サラと何話してたんだ?」と尋ねてみる。


「ちょっと、今それを言ったら何の面白味も無いでしょうが。心配せずとも、試合が始まればすぐに分かるわよ。その時が来るのを震えて待ちなさいな!」


 マリーは自信満々に胸を張るが、対する俺は不安でいっぱいだった。こういう態度の時のマリーは本当にろくなことをやらんからな……前にこんな事を言ってた時は、知らず知らずのうちにウネ子たちの所へ連れて行かれてたし。でもまぁサラの頼み事なら多分大丈夫なのかな。


「さて、武道大会もいよいよ大詰めとなって参りました! 続く第六試合に登場するのは我らがエルンスト側の大将、サラ・エルカリア選手です! 既にお聞き及びの方も多いと思いますが、クレメンタイン地方では久々となる『神降り』のあった張本人です! その煌めく銀の髪は神々に愛されし証! カモンテ選手には神罰が下る前にさっさと降参する事を強くオススメ致します! 間に合わなくなっても知りませんよ!」


 司会者による紹介及び煽りが終わると、舞台へ上がったサラに周囲から「サラちゃん頑張れよー!」「期待してるぞ!」「エルンスト魂見せてやれ!」といった応援の言葉が飛び、サラは微笑みながら手を軽く上げて声援に応えていた。顔は笑ってはいるが、やはり体がどこか強張っているように思う。表面は取り繕っているものの、内心は穏やかでは無いのかもしれない。


 何か俺に手助け出来ることは無いかな、と思いつつサラを見つめていると、舞台の反対側からカモンテさんが甲冑を身に着け、剣を携えて舞台に戻って来るのが目に入った。京四郎の魔法を警戒する必要も無くなり、本来の姿に戻ったようだ。


「はい、カモンテ選手も準備が整ったようですね! 流石はマイルストン悪知恵大会優勝者! 誇りも無く鎧を脱ぎ捨てていたかと思えば、キョウシロウ選手の脅威が消えた途端に臆面もなく着込んでくるとは! この狡賢さが剣技大会で毎回優勝する秘訣なのでしょうか!? ロヴォ選手もこのセコさを見習えば次の大会ではひょっとすると万年二位からの脱却が果たせるかもしれませんよ! あっ、物を投げないで下さいロヴォ選手! 素行不良でマイルストン側を失格にしますよ!?」


 司会者に名指しで小馬鹿にされたロヴォは顔を真っ赤にしながら、石ころのような物を司会のロビンへ投げつけていた。ううむ、確かに容赦が無いように思えるけど、別に規則には違反していないしなぁ……脱いでた甲冑を元に戻しただけだしな。これくらいの臨機応変さは当然か。


「はい、それでは両者とも準備が整ったところで、いよいよ第六試合を開始させていただきたいと思います! 果たして戦いと勝利の神、クルスナス様が微笑むのはどちらの陣営か! ではお待ちかね、第六ふぁいと! れでぃーごおっ!」


 ロビンの試合開始の合図と共に、カモンテさんは剣をサッと構え、サラは両手を合わせて祈るようなポーズを取った。サラはそのまま小声で何か呟き始めたかと思うと、その体の周りがポウッと淡い光に包まれる。ひょっとしてあれが支援魔法なのかな、と思っていると、それまで沈黙していたマリーが突如としてシュッと舞台側へ身を乗り出し――


「サラ――――――ッ! あたしの仇とってくれ――――――ッ! そんな安っぽい鎧に身を包んだ三下野郎、兜ごとドタマかち割ったれ――――――ッ! おいカモンジャとやら! 頭かち割られても何の心配もいらないわよ! あたしが即座にかち割られた兜と頭にしこたま妖精玉ぶち込んで傷を治してやるからね! だから安心してドタマかち割られなさいな! まあ元通りになるか保証は無いけどね! せいぜいあたしの妖精玉の治癒効果が高いことを頭が原型を留めている今のうちに祈っておくことね! ぶひゃひゃひゃひゃひゃっ!」


 信じられないほど、汚い暴言を吐き捨てた。


 俺を含めた周囲の観客が言葉を失って視線がマリーに釘付けとなる中、当のマリーは「ふう、いい仕事したわ……」と、妙にすっきりした顔でぶ~んと俺たちの陣営へ戻って来ていた。


「お、おいこらマリー! いつもいつも頭のおかしい涎吐き虫だとは思ってたけど、まさか俺の予想を更に超えてくるとは思わなかったぞ!? ロヴォに斧で叩き潰されておかしさの限界の壁を超えてしまったのか? ロヴォに頼んでもう一回叩き潰して治してもらうか? あ、もし一人で頼むのが気まずいのなら、一万マルセル支払えば一緒に頭下げに行ってやってもいいぞ」

「おい涎吐き虫ってなんじゃゴルァ! あたしは正気よ! ふん、やっぱりあんたもまだまだ未熟者のようね。いつもあたしが『上辺にとらわれるな』と言ってるでしょうが! さっきのはサラに頼まれてやった事よ!」

「はあ? サラに頼まれた?」


 んなアホな、と思いつつサラに目線を戻すと、よほど気合いを入れて詠唱しているのか、まるで先程の騒ぎなど無かったかのように祈るポーズを取ったまま固まっていた。確かにさっきマリーに何かを頼んでいたようだけど、頼んだのが今のド汚い暴言だなんてこと有るのか? カモンテさんの方も唖然とした表情でこっちを見て……って、あれ? なんかカモンテさんの体の周りに薄っすらと靄みたいなのがかかってるような……。


 すると、横にいるムツメが「ほほう、面白い事をするのう」と何やら感心したように言葉を漏らした。


「おいムツメ、『面白い事』って何だ? あの靄と関係あるのか?」

「まぁ、見ておればすぐに分かるじゃろ。ほれ、カモンテが動くぞ」


 ムツメが舞台の方を顎でしゃくり、目線を戻すと、ちょうどカモンテさんがサラの方へ向き直って剣を構え直した所だった。そして、カモンテさんはグッと腰を低くしたかと思うと――サラへ向かって一気に踏み込んだ。まるで飛ぶようにして瞬時に間合いを詰めるが、サラも恐るべき反応の速さで左側へ身を捩ってそれを躱す。と、サラに避けられると思っていなかったのか、カモンテさんはぎょっとした表情になり、前のめりのような体勢のままガチッと固まったように見えた。


 そこへ身を捩っていたサラが素早く手を伸ばす。左手で胴体を、右手で兜の上をがっちり抱え込み――そのまま、体重を乗せてカモンテさんを舞台へ叩きつけた。前のめりだったカモンテさんはまるで吸い込まれるようにして石造りの舞台と衝突し、「ドゴンッ!」と乾いた鈍い音が周辺に響き渡る。


 余りに一瞬の攻防に、辺りの観客は一言も発さず、その目線は舞台に釘付けだった。サラはカモンテさんを下敷きにしたまま数秒固まっていたが、やがて小さく息を吐くと同時にその手を離した。もう自由になったはずのカモンテさんは舞台に寝転がったまま、起き上がってこない。


 司会のロビンもぽけっと口を開いたまま、立ちあがったサラと倒れ込んだカモンテさんの方を見つめて固まっていたが、少ししてから、ようやく思い出したかのように口を開いた。


「カ、カモンテ選手、戦闘継続不可能! よってサラ選手の勝利です! いやはやカモンテ選手、鎧を着込んで気合いを入れすぎてしまったのか、恐るべき踏み込みで猛烈に突っ込んだまでは良かったものの、体勢を崩し、その隙をサラ選手に上手く突かれてしまいました! こんな素人のような負け方をする人間が剣技大会で毎回優勝しているとは! どうしてロヴォ選手が万年二位なのか本当に不思議でなりません! あっ、ロヴォ選手! 物を投げないで下さい! マイルストン側を失格にするっていうのは脅しじゃありませんよ!!」


 舞台の向こう側にいるロヴォだけが相変わらず司会のロビンと激しく喧嘩しているが、辺りの観客はざわざわと騒然とした様子だった。耳を澄ましてみると、「すげぇ踏み込みだったけど詰めが甘かったな」「あっけねぇな」「こりゃあクルスナス様の加護かもな」といった事を話しているようだ。確かにカモンテさんが勢い余って突っ込みすぎたように見えたけど、俺はムツメが試合開始前に言っていた「面白い事」という言葉が気にかかり、ムツメの方へ向き直って疑問をぶつけた。


「なあ、今のってカモンテさんに『靄』みたいなのがかかってたのと何か関係があるのか? サラが何かしてたの? あ、ひょっとしてかく乱魔法的な?」

「相手をかく乱させる魔法は闇魔法の分類じゃからサラには使えんぞ。あれはの、こっそりと相手に支援魔法をかけておったのよ」

「相手に支援魔法? それって、カモンテさんに利するだけじゃないの?」

「かけられた、と気づいておればな。前にお主に『魔法を使うと周辺の魔力に影響を及ぼし痕跡を残す』と言ったじゃろ? サラは自分に支援魔法をかけたのと同時に、無詠唱でカモンテにも支援魔法をかけておったのよ。その時にマリーに暴言を吐かせたのは、カモンテが支援魔法をかけられたと気づかぬように気を逸らさせるためじゃろうな。そして気づかぬまま全力で踏み込んだ結果、自分の想像以上に勢い良く踏み込んで体勢を崩してしもうた、というわけじゃな」

「な、なるほど……あの暴言はただマリーの頭がおかしいだけじゃなくて、そういう意味もあったんだな……」

「おい『だけじゃなく』とか『そういう意味も』ってどういう意味じゃゴルァ! 端からそういう意味『しか』無いわよ!」


 耳元でマリーがごちゃごちゃとイチャモンをつけてくるのを無視し、俺は舞台の上へと目線を戻した。気絶したカモンテさんが担架で運ばれて行く。戦いを長引かせることなくサクッと相手の副将を倒しちゃうとは、流石はサラだな。こりゃ相手の四番手がどんな化け物だろうとイケちゃうかもしれないぞ。


「思ったよりもやるわねぇ、あの子。これは勝負が俄然楽しみになって来たわぁ」

「そうだろうそうだろう、サラはやれば出来る子だからな……ん?」


 普通に会話しちゃったけど、なんか聞き覚えが無い声だったような、と声がした方を振り返ると――女物の修道服に身を包んだ、優に身長二メートル以上はある浅黒い肌をしたドレッドヘアの巨漢が、いつの間にか俺のすぐそばで仁王立ちしていた。ドレッドヘアの先には一本一本赤いリボンの様な物が飾られており、その肩幅や胸板の厚さから、服の下は筋骨隆々のマッチョマンである事が容易に想像出来る。ギリシア神話の怪物ゴルゴンが無理矢理着飾ったらこんな感じになるんじゃないかという風貌であった。


「うおおおッ! へ、変態の化け物ッ!? お巡りさんこいつです!!」

「ちょっと! 変態だの化け物だのといきなりご挨拶ね! 『化け物』って色んな人に良く言われるけどねぇ、アタシはれっきとした人間の女よ? 定義上は、だけどね」


 変態の化け物はそう言うと、ニカッとボディビルダーの様なこれ見よがしの笑顔をこぼした。こ、こんな化け物がこの世に存在して良いというのか……!? あれ、でも「勝負が楽しみ」だとか、修道服を着てるってことは、ひょっとして……。


「まさか、マイルストン側が外部から雇った修道女ってあんたの事か!?」

「あら、良く調べてるのねぇ。アタシの名前はジェシカ。誰が呼んだか『血染めりぼんのジェシカ』とも呼ばれてるわん。愛と自由の女神スウィティスカ様を信奉する『愛の旅団』所属で、普段は真実の愛の探求のために『愛志合あいしあい』をしながら諸国を放浪してる身なんだけど、ヴァレリちゃんにはちょっと借りがあってね。この大会で大将を務めてくれって頼まれちゃったのよねぇ」

「血染めりぼんのジェシカ、じゃと……!?」

「なっ、知っているのかムツメ!?」


 俺は驚いた顔を浮かべるムツメに慌てて問い質した。あの変態尻魔神のムツメがここまで驚くなんて、この化け物の変態力は一体どれほど凄いと言うんだ!?


「いや全く知らん。妙ちきりんな呼び名じゃなと思っただけじゃ」

「おいふざけんな! 無駄にビビらせるんじゃねぇよ!」

「アタシが考案したわけじゃないからねぇ。どうせならもっと可愛いのが良かったんだけど……ま、それは置いておいて、詳しい事情は聞かされてないけど、何やらお兄さんの取り合いをしてるんですってね? 確かに中々のアタシ好みだし、お持ち帰りするのが楽しみだわァん」


 変態の化け物ことジェシカは、上から下まで舐め回すような目つきを俺に向け、思わず「ひぃっ!」と悲鳴が漏れ出た。セツカといいムツメといいこの化け物といい、なんで俺は変態共に体を狙われ続けるんだ!? エルカさん、何かの手違いで変態を寄せ付ける魔法を俺にかけてるんじゃないだろうな!?


 恐怖でガタガタと体を震わせていると、まるで俺を守るかのようにして、俺とジェシカの間にムツメがスッと割り込んだ。お、おお! 普段から俺の尻の所有権を勝手に主張してるだけあって、いざという時はちゃんと守ってくれるんだな。毒には毒を、変態には変態を、だ! ぶちかましてくれムツメ!


「その尋常じゃない気配……あなた、只者じゃないわね」

「ふん、お主のような青二才ではこやつの尻の真の実力は引き出せまいよ。このわしですら、こやつの尻の底知れなさには日々驚かされておるのじゃからな。もっと腕を磨いてから出直してこい!」

「あなたほどの実力者がそこまで言うなんて……この子の尻はそれほどの可能性を秘めているというの……!? 確かに、まだアタシの手には余るようね……」

「ほう、己が力の未熟さを素直に認め受け入れられる、か……中々出来る事ではないぞ。お主、存外見込みがありそうじゃな。良ければわしがこやつの尻の愛で方を指南してやろうか?」

「あら、これは嬉しい申し出ね! こんな思わぬ素敵な出会いがあるから旅はやめられないのよね……アタシたちの美しい友情の始まりに、乾杯!」


 あれあれ、変態と変態の相乗効果で大変な事になっちゃってるぞ?


 俺は握手を交わしている二人の手を目掛けて「ちぇいっ!」と渾身のチョップをかまし、その見るもおぞましい握手を急いで粉砕した。


「おいシンタロウ、突然なんじゃ? 空気の読めんやつじゃのう」

「空気もクソもあるか! 俺の尻は俺の物だっつーの! もし勝手に売り飛ばすってんなら俺はこの尻もろとも自爆するからな!」

「そ、そりゃ困る! ジェシカとやら、すまんが聞いての通りじゃ。尻指南はまたの機会にお預けという事で頼む。全く、ちょっとくらいええじゃろうに……ケチじゃのう……」


 それを聞いたジェシカは「あらま、残念ね」と肩をすくめるような動きをし、ムツメは不満げな表情で何やらぶつぶつと文句を垂れていた。その「ちょっと」でケツを弄ばれる俺の身にもなれよな。


「さて、名残惜しいけれど、楽しいお喋りはこのくらいにしてアタシもそろそろ舞台へ上がろうかしらね。ええっと……ちょっとそこの殴道宗の子の殺気、抑えてもらってもいいかしら……試合中もそんな殺気を向けられてたら流石に気が散っちゃうんで……」

「殺気……? うおっ!? セ、セツカいたのかっ! き、気持ち悪ッ!」


 ジェシカが気まずそうな視線を向けている先を目で追うと、俺の斜め後ろ辺りにいつの間にやらセツカが戻って来ていた。セツカは両目をぐわっと見開いて瞳を爛々と輝かせ、口からは涎がだらだらと垂れており、その様は正しく餌を前にした狂犬そのものだった。ジェ、ジェシカに反応してこうなってんのか?


「あ、そうだおいセツカ! お前、あれほど余計な事はするなっつったのにやりやがったな! おかげで後始末が大変な事になってんだぞ!」

「ちょっと、マリーも言ってたでしょ! 過去は過去! 過ぎ去った時間はもう戻らないんだから、そんな事で頭を悩ますのは無駄ってもんだよっ! それよりも今は目の前の殴り愛でしょ!?」

「お前はもう失格だから、その殴り愛も出来ないけどな……」


 指摘してやると、セツカは「そ、そうだった……」と珍しく気落ちしたように肩を落とした。まぁ結局殴り愛関連ではあるんだけども。


 セツカの殺気が収まったからか、ジェシカは「そ、それじゃよろしく頼むわねん」と言い残し、舞台の方へと近づいて行った。セツカは名残惜しそうにその背中を見つめている。あ、ふと思ったけど、この狂犬とあの変態をぶつけ合ったら共倒れになって俺が一番得するんじゃないか!? 武道会が終わったら試してみるかな。


「あ~あ、あんな美味しそうなのがいたんならもっと真面目にやるんだったなぁ」

「おいお前、今『もっと真面目にやるんだった』って言ったか? まさか真面目にやってなかったのか!?」

「え~、私はそういう意図で言ったのではありませんが、もし不快に思われた方がいたのなら謝罪いたします!」


 セツカは「いただきます」をするかのように、顔の前で両手をパンッと勢い良く合わせた。しゃ、謝罪の意思が全く感じられねぇ……。


「う~ん、惜しい、実に惜しい……こうなったら、アレをやるしかないか……殴道宗奥義がひとつ、『殴道奈明威苦おとなめいく』!」


 そう叫ぶや、セツカはこぶしを握り締めて中腰になり、「だあああああッ……!」と何やら気合いのこもった唸り声を上げ始めた。な、なんだ? 大気が震えている!? セツカの奴、一体何をするつもりだ!?


 尋常ではない様子のセツカを傍らからじっと凝視していると、セツカの髪の毛がにわかにざわざわと逆立ち――グ、グググ、と目に見えて伸び始めた。


「うわ!? なにそれ気色悪っ!」

「ハァッ! ハァ……ハァ……だ、だめだ、今の私じゃ、これくらいが、限界っ……みたい……!」


 セツカはガクッと脱力し、肩で息をしながら残念そうな声を漏らしているが、髪の毛は明らかに三センチくらいは伸びてしまっていた。こいつまさか、髪の毛を伸ばしてサラに変装でもするつもりだったのか……?


「ほんと殴道宗の技って変なのばっかりねぇ……髪の毛を自在に伸ばす人間なんて見たことないんだけど、こいつら実は全員魔物なんじゃないの?」

「わしが過去に会うた事のある奴らも随分と変なのが多かったし、魔物と考えれば確かに腑に落ちる点は多いのう」

「ちょっ……皆……ひど……ッ!」


 魔物扱いされてセツカは不服そうだが、さっきの髪の毛を伸ばす技でよほど力を消耗してしまったのか、息も絶え絶えといった様子だ。これなら余計な事は出来なさそうだし、むしろ良かったかもな。ちょっと気持ち悪かったけど。


「ほれ、それじゃセツカの無駄な努力も終わった所で大人しくサラの応援に戻ろうぜ。セツカもその様子じゃ大丈夫だろうけど、お前の後始末してやってんだから行儀良くサラの応援をするんだぞ」


 セツカが弱々しい声で「は~い」と呟くのを聞いてから、俺は舞台に視線をやった。サラは舞台に近づいてくるジェシカを見て、驚愕と嫌悪が混ざり合ったような複雑な表情を浮かべている。ああ、あんな化け物を見たらそういう反応になるよな……そんな変態モンスターに負けるんじゃないぞ、サラ……!


「さぁ、皆さん長らくお待たせしました! いよいよこの武道会も最終局面、両陣営の大将同士による第七試合に進みたいと思います! つい先ほどヴァレリ司祭からマイルストン側の大将の情報が私に手渡されたのですが、なんとあの『血染めりぼんのジェシカ』を大将として雇っているとの事です!」


 司会のロビンが手元のメモ用紙のような物を見ながらそう言うと、周囲の観客から「げぇっ!」「マジかよ、マイルストン……」「こいつはやべえぞ!」といった声が上がった。


「おっと早くも会場から絶望の声が上がっている模様ですね! おそらく過去にジェシカ選手を見た事のある方々でしょう! その気持ち、良く分かります! あの異様な容貌を目にしたら、その後の数日間は夢に出て来て悪夢にうなされますからね! さぁ、いよいよジェシカ選手の登場です! 心の臓の弱い方はすぐに目を閉じてください! 衝撃で気絶しても大会運営委員は責任を持てませんよ!」


 舞台へ上がったジェシカがサラと向かい合って立つと、再び周囲から「おお~っ」とその見事な巨漢ぶりに感心したような声が上がった。司会者も少しビクつきながらジェシカへ近づき、口を開いた。


「ええ~っと……ジェシカ選手、何か抱負はあるでしょうか?」

「抱負? そうねぇ……アタシは雇われ大将の身だけど、両陣営とも見事な戦いぶりで驚かされたわぁ。中々の『愛』を感じたわよん! アタシの所属する『愛の旅団』の面々は『愛さえあれば何でも出来る!』を合言葉に真実の愛を求めて各地を巡ってるけど、ここでも素晴らしい『愛志合』が出来そうで嬉しいわぁ!」


 ジェシカは言い終わると、観衆の方へ向かって「ニカッ!」とこれ見よがしの笑みを見せた。笑顔を向けられた観客席の方から悲鳴のようなものが上がる。司会のロビンは今回は何の茶々も入れず、「そ、そうですか。それは結構な事ですね~」と普通のインタビュアーのような返事をしていた。流石に面と向かってジェシカを煽る勇気は無いみたいだな。


「てか思ったんだけど、あの『愛の旅団』ってなんか殴道宗とちょっと似てないか? あいつが今言ったアイシアイだかなんだかもセツカがいつも言ってる『殴り愛』みたいだし」

「ちょっと! あんなのと一緒にしないでよねっ! 巡礼してるとたまに間違える人がいるから、こっちとしても迷惑してるんだよっ! 営業妨害だよ営業妨害!」


 ぷんぷんと興奮した様子のセツカに、俺は「難しい言葉知ってるね、ハハ……」と適当な返事をして、この話題には深く触れない事にした。多分、向こうの「愛の旅団」とやらも殴道宗に対して似たような事思ってんだろうな。


「さ、さて、それではジェシカ選手のお披露目もつつがなく終わりました所で、いよいよ運命の大将戦、第七試合を開始したいと思いますッ! 両者、準備はよろしいですね? それでは最終第七ふぁいと、れでぃーごおっ!!」


 開始の合図と同時にサラが素早く構えを取るが、一方のジェシカは腕組みをしたまま不敵な笑みを浮かべ、仁王立ちを崩さなかった。その様子を見たサラは怪訝な表情になる。


「アタシが構えないのが不思議かしら? 別に、さっきの妖精の子の真似をしてるわけじゃないわよん。アタシが見た所、あなたは何故か力を抑えて戦ってるわね? あなたの潜在的な修道力はそんなもんじゃないはずよ。そっちが本気を出さないのならアタシも本気は出さない。さっきみたいな小細工も通用しないわ。嘘だと思ってるなら、試してごらんなさい」


 ジェシカの強気な言葉を聞き、サラは苦々しい表情で小さく舌打ちを漏らした。そのままジェシカをギッと睨みつけて固まっていたが、ほんの少しだけサラの体が沈み込んだかと思った次の瞬間――サラはジェシカの懐に素早く飛び込んだ。その勢いに乗せて流れるように素早い打撃や蹴りが繰り出されるが、ジェシカは腕組みを崩さぬまま全てを躱し、サラの攻撃は虚しく空を切る。巨大な体躯からは想像出来ない身軽さだ。


 サラは諦めずにジェシカへと攻撃を叩き込み続けるが、やはり掠りもしない。と、何度目かになる右のハイキックをジェシカが後ろに身を反らせて避けた瞬間、サラの動きが目に見えて加速した。グンと体が瞬時に回転し、左足で鋭い回し蹴りを繰り出す、が――ジェシカは反った体勢のまま即座に左足を上げ、サラの蹴りをしっかりと受け止めてしまった。右足一本で巨体を支えている形だ。ジェシカが唇の端を吊り上げ、口を開く。


「一定の速さでの攻撃を繰り返し、慣れさせた所で瞬間的に力を出し、隙を突いて一撃を狙う……悪くは無かったけど、力を抑えてたんじゃその落差も大したこと無かったわよ? いい加減、無駄な小細工は止めて本当の力を見せなさい、なッ!」


 ジェシカは左足でサラの伸びきっている足を払いのけると、素早く足を入れ替え、右足でサラの上半身を強烈に蹴りつけた。肉がぶつかる嫌な鈍い音がし、サラの体が弾き飛ばされる。ずざあっ、と引きずるような音と共にサラは舞台に倒れ込み、「ぐ、がっ」とサラの短い呻き声が耳に届く。


 会場はしんと静まり返り、言葉も無く、ただ二人の戦いを見守っていた。サラが身を起こし、べっ、と傍らに唾を吐く。立ち上がり、ジェシカを睨みつける。そして再び、こぶしを構える。


 ふと両手に痛みを感じ、自分が手を握り締め、爪が手のひらに食い込んでしまっている事に気が付いた。息を吐き、手を緩めると、嫌な汗が流れる。じんと鈍い痛みが手から伝わる。身体がちりちりとする。まるで、サラの痛みがこちらにも伝わって来たかのように。


「ううん、サラっち、動きが鈍いね……私と組手してる時はもっと動きにキレがあるんだけど……やっぱ、緊張してるのかな……」


 セツカがしょんぼりとした様子で言葉を漏らした。この弱々しさの原因は、先ほど力を使ったからではないだろう。俺はセツカの言葉に何も言わず、再びサラへ視線を戻した。土埃のついたサラの額にも汗が浮かんでいる。だが、闘志はまだ、あった。


 そして、サラは再びジェシカとの距離を詰めた。サラが激しい攻撃を繰り出し、ジェシカがそれを腕組みのまま躱す。先ほどと同じ構図だ。何か考えがあるのだろうか、と思っていると、サラが鋭い左のローキックを繰り出し――と見せかけ、左足はそのまま強烈な踏み込みへと変わり、凄まじい右ストレートがジェシカへ叩き込まれた――かに見えた。


 瞬間、攻撃を仕掛けていたはずサラが「ぐあ、はあっ!」と大きな呻き声を上げ、ジェシカにもたれ掛かるように前傾となっていた。見ると、ジェシカは腕組みを解いてサラの右ストレートを受け止め、サラにみぞおちには、ジェシカの右膝がめり込んでいた。


「さっきよりは攻撃にキレがあったわん。腕組みも解いてしまったしね。でも、意図がばればれね。アタシの左上方に僅かに攻撃を集中させて意識を逸らし、右下からの蹴りが本命……と思わせておいて、実はそれも囮で、やっぱり真の狙いはアタシの左上方、って寸法でしょ。あなたくらい知恵が回る人間が仕掛けが一つだけの単純な釣りをするわけがないからね、これくらいなら読めるわ。相手を騙すには、相手が自分の事をどれくらい評価しているかも考慮しなきゃ駄目よん?」


 サラは咳込みながらも、ジェシカをぎろりと強烈に睨みつける。その様子を見て、ジェシカもニイィッと不敵な笑みを浮かべる。


「あらあら、そのド根性、やっぱりアタシが見込んだだけの事はあるわね。ほら、無駄だと分かったならさっさと真の力を見せなさいな。でないと、あそこのお兄さん、アタシたちがマイルストンに持って帰っちゃうわよ?」


 ジェシカが俺の方をくいっと顎でしゃくり、サラがちらりと俺に視線を向ける。俺も、黙ってサラを見つめ返す。声をかけたい。だが、どんな言葉をかければいいのかが、見つからない。と、ふいにサラが口角をほんの少し上げ、べえっ、と舌を覗かせた。何て顔してんだよ――と、言うかのように。


「あらぁん! いやねぇ、この子ったら! 増々気に入ったわ! これは是が非でも真の力を見せてもらわないと……ねッ!」


 ジェシカはサラに食い込ませている右膝を跳ね上げ、サラの体がそのまま少し浮き上がる。そこへ「しゃあッ!」という掛け声と共にジェシカが右手で掌底を叩き込んだ。サラの体が後方へ突き飛ばされるが、ジェシカは更にそれを追って「ハイハイハイハイハイ――ッ!」とサラ目掛けて連撃を叩き込み続ける。サラは身を縮ませるようにして両腕で身体を守っていたが、だからといってダメージが無くなるわけではない。肉を叩く鈍い音が続き、やがて、最後のひと際強い打撃と共にサラは大きく後ろへ倒れ込んだ。紐が解け、髪がばらける。もう何度目かになる掠れた呻き声が漏れる。余りにも、一方的だった。


「おっと、つい熱くなっちゃったわ……会場も静まり返っちゃってるし、これじゃアタシが丸っきり悪者ねぇ。これでも力を見せてくれないって言うんならもう、仕方がないわね。今回は諦めて、さっさと終わらせちゃいましょうか」


 ジェシカは小さく溜め息を漏らすと、倒れ込んでいるサラの方へとゆっくりと歩みを進めた。サラは舞台に手をつき、のろのろと上体を起こした。そして息を吐き、膝をつき、立ち上がった。そしてまた、こぶしを構える。ジェシカと向かい合って。


 負けるな。ふと、そう思った。


 負けるな。小さな呟きが、漏れる。


 負けるな。かける言葉が――ようやく、見つかった。


「負けんじゃねえぞサラ――――――――――――――――――――ッ!!」


 その時だった。


 サラの銀色の髪が淡く赤い光を発したかと思うと、瞬く間にさあっと朱色へと染まっていった。ジェシカがぎょっとして素早く後ろへ飛び退く。サラの表情を窺うと、ぽかんとした表情をしているが、翡翠色だった瞳も透き通るようなルビー色になっていた。


 会場が静寂に包まれる。そして――


「か、神降りだ……」


 誰かが、ぽつりと漏らした。


「うおおおおッ! 神降りだァ――――――――――――――――――――ッ!」


 途端、会場が凄まじい歓声で溢れかえった。歓声は大きさのあまり歓喜とも悲鳴とも怒号とも取れたが、その激情が向けられている先は、はっきりと分かっている。握る手に力が入る。爪が再び食い込む。だが、手から伝わってくる痛みは嫌な痛みでは無かった。


 舞台に意識を戻すと、サラは立ち上がってこぶしを構え直しており、相対するジェシカもようやく、引きつった顔で今試合初めてとなるちゃんとした構えを取っていた。


「本当の力を見せろとは言ったけどね……それはちょおっと反則なんじゃない?」

「はっ……安心しなよ。これから見せるのは、正真正銘、オレだけの力さ」


 ジェシカはサラの言葉の真意を計りかねているかのように眉をひそめ、しばし沈黙していた。それから、唇の両端をニイッと吊り上げ、これ見よがしの笑みを顔に拵える。


「正直よく分かんないけど……信じるわん。それじゃ楽しませて頂戴、ねッ!」


 気合いの声と共にジェシカは地面を強く蹴り、弾けるようにしてサラへ飛び掛かった。これまでで一番激しい攻撃がサラを襲うが、サラは真っ赤な髪を振り乱しながらその攻撃を全て捌いていく。ある程度攻撃を受け流したかと思うと今度はサラが猛攻を仕掛け返す。先ほどまでの小さくまとまった動きではなく、荒々しく、激しい攻撃を。


 炎みたいだ、と思った。ぼうぼうと燃えているみたいだ、と。火が燃えあがり、サラが舞い、火の粉が飛び、汗が散る。サラの渾身の蹴りがジェシカを直撃し、その巨体が後ろに追いやられた。二人の間に少し距離が出来、お互い肩で息をしながら相手に向かって身構える。決着の時が、近い。


 舞台の上で二人が睨み合う。呼吸が伝わる。空気が張り詰める。観客も自然と口を閉じ、その瞬間を見逃すまいと、ただ舞台を見つめていた。そして、どちらが先に動いたのか、それとも同時だったか、二人が地面を強烈に蹴り――その体が、ぶつかり合った。


 お互いの右手が相手の懐に突き刺さり、二人はもたれ重なり合う様にして立ったまま固まっていた。いや、目を凝らしてみると、サラはジェシカの右手をしっかりと左手で受け止めており、サラの右手だけが、ジェシカのみぞおちに深くめり込んでいた。ジェシカが「くふっ」と短い声を漏らす。呻き声にも、笑い声にも聞こえた。


「楽しい、闘いだったわよぉ。『愛さえあれば、何でも出来る』……やっぱり、愛、よねぇ」


 ジェシカはサラの方を向いてそう言うと、前傾の姿勢がより前のめりに傾いていき――そのまま、どさりと舞台へ倒れ込んだ。サラは突き出した右手を下ろし、深く、大きく息を吐いた。それから倒れ込んでいるジェシカを見やり、


「へっ……うるせーよ、ばーか」


 と、呟いた。


「ジェ、ジェシカ選手、戦闘継続不能! よって第七試合はサラ選手の勝利です! そして、都市間対抗武道大会はエルンスト側の勝利となりますっ!!」


 司会者による勝利宣言が静まり返っていた競技場に響き渡り、それを引き金として、再び会場が張り裂けんばかりの大きな歓声で溢れかえった。

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