第30話 オラ・オラ・オラ!

 武道会開催当日、入場券に書かれた番号の入口から競技場の中へ入ると、そこら中に人が溢れかえっており、俺は「うお~……こりゃ、すごい盛況だな」と感嘆の声を漏らした。更にゲートをくぐって舞台の設置してある会場の中へと足を進め、周囲の階段状になっている観客席を振り仰いでみると、そちらも多くの人が席について談笑を楽しんでいるようだった。


 はぐれないようにマリーを胸ポケットに差し込み、京四郎を肩車して「すみません、大会関係者です。通してくださーい」と断りつつ、人込みをかき分けていく。舞台の周囲は低い柵で囲って多少の隙間を作ったんだけど、関係者用の通路も設けておくべきだったかな。


 苦労しながらも何とか舞台へと近付き、視線を巡らせて先に到着しているはずの皆を探すと、最前列の一角にセツカたちを見つけ、横歩き気味にそちらへと移動して「よっ、皆いるな」と声をかけた。


「あっ、シンタロー達やっと来た! 遅刻するんじゃないかって心配したよ?」

「悪い悪い、めちゃくちゃ込んでてな。もうちょっと早く出発すべきだったわ。おっ、サラが着てるのは殴道宗の道着か? 今日の試合のためにセツカに借りたのか?」


 サラは綺麗な明るい青色の道着を身に着け、セツカと横並びに立っていた。青い色がサラの銀髪と良く調和しており、物騒な殴道宗の道着とは思えない上品な雰囲気を漂わせている。京四郎ほどじゃないが、中々の着こなしじゃないか。


「いや、殴道宗の道着と同じ作りだけどな、これは自前のだよ。セッちゃんと組手する時とかに使ってんだ。どうだ、似合ってるか?」

「う~ん、似合ってるけど、その服を着てお前ら二人が並んでるとなんか凶悪さも倍増っていうかって待て待て待て! お前ら二人がかりはまずいから! 俺を楽しませるための企画で俺を血祭りに上げる気か!? すみませんでした許して下さい!」


 横並びでこの二人にこぶしを構えられるという恐ろしい光景に、俺は慌てて謝罪の言葉を述べた。全く、その狂気は試合まで温存しておいてくれよな……。


「お主も女心の分からん奴じゃのぉ。余計な一言を言わんと死んでしまう病か?」

「ほっといてくれ……い、いや~、それにしてもすごい人だかりだなあ。ヴェルヌイユさん、やっぱ武道会って珍しいんですかね?」

「そうですね、私もこのような都市間対抗での武道会というのは今回が初めてです。マイルストンからの見物人も結構来ているみたいですね……と」


 ふとヴェルヌイユさんが視線を横にずらし、俺も釣られてそちらに目をやると、群衆の隙間からヴァレリさんが姿を現していた。ヴァレリさんも俺に目を向け、ニッと笑顔を見せる。


「どうも、マキノ様。今日は良い武道会日和になりましたね。それに何といってもこの大観衆! このような場でフランクを負かす事が出来るなんて、素晴らしい舞台を用意して下さったマキノ様には感謝してもし切れませんよ! おいフランク、祭礼の日を武道会よりも前に変更しなくて良かったのか? マキノ様を俺たちが連れ帰ってしまった後じゃ随分とみすぼらしかろう!」

「おやおや、随分と威勢が良いですねぇ、アンリ。そんな大口を叩いておいて、負けて急いで逃げ帰る事になっても知りませんよ」

「おう、言うじゃないかフランク! やっぱり昨日、肉をしこたま食べたのが良かったみたいだな! それに勝つのはこちらだぞ! それではマキノ様、私も自分の陣営に戻るとします。我々の戦いぶりを存分にお楽しみください」


 俺が「ええ、楽しみにしています」と言うと、ヴァレリさんは再び人込みの中へと分け入っていった。いよいよ本番が近づいているんだなと改めて実感が湧き、俺は最後にもう一度釘を刺しておこうとセツカの方へ向き直った。


「セツカ、もう一回確認しておくぞ。戦闘継続不可能になるか、『参った!』と言うか、この舞台から外に出るかしたら負けだ。それと――」

「降参した相手を殴り続けたり舞台を壊しすぎたら駄目で、あと武器や防具も使用可能だけど命は奪っちゃ駄目、でしょ? も~、散々聞かされたんだから流石に覚えたってば!」

「おい、俺がこんなにも口を酸っぱくして言うのはお前の日頃の行いのせいだからな? こんな大観衆の中でお前が何かやらかそうもんなら、エルカさんに授かった俺の神の胃袋ですら心労で大穴が開きかねんわ」

「大丈夫だって! 規則はちゃんと踏まえた上で観客を楽しませるからさっ!」


 セツカがむんっと自信たっぷりに胸を張る。俺はそれでもまだ不安で話を続けようとするが、ちょうど舞台の方から「観客の皆様! 長らくお待たせいたしました!」と威勢の良い声が響き渡り、喋るのを中断してそちらへ顔を向けた。


「司会進行は私、エルンストで一番の大声の持ち主との呼び声高い、ロビン・クロンナウアが務めさせていただきます! それでは、せめてもの情けとして、我々エルンストの代表団にこてんぱんにやられるために遠路遥々やって来たマイルストン側の先鋒から紹介させていただこうと思います!」


 いきなり飛び出した贔屓発言に、「おう、ロビンいいぞ!」「もっとやれー!」という同調の声と「ふざけた事言ってんじゃねえぞ!」「引っ込め!」という罵倒の声が入り乱れる。は、早くも騒がしくなったけど、そういや一応ホームグラウンドでの試合ってことになるのか。多少はこっちに有利なのかな。


 舞台上の司会者の手招きにより、俺たちがいる反対側あたりから赤茶色っぽい拳法着のような服を着た精悍な青年が柵を跨ぎ、舞台の方へと近づいて来た。


「はい、そこから舞台に上がってください。はいそうです。え~っと、お名前は……確かポニオ選手でしたか? 聞くだけ無駄だとは思いますが、何か抱負はありますか?」

「ジョニオです! ジョニオ・マムーリアンです! ええと、この度は史上初となる都市間対抗武道会の先鋒という貴重な機会をいただき、光栄の極みです! マイルストンからわざわざ応援に駆け付けていただいた方だけでなく、エルンストの皆さんにも楽しんで頂けるように精一杯戦わせていただきます!」


 アウェーにもかかわらず好青年らしい気持ちの良い抱負を述べるジョニオ選手の様子に、周囲に「おおっ」とどよめきが走った。う~ん、こりゃホームだから有利だとも言ってられないかもな。


「おいセツカ、油断せずに行こ……って、あれ? セツカは?」


 舞台から視線を戻すと、先ほどまで近くにいたはずのセツカは忽然と姿を消していた。軽く周囲に目線をやるも、やはり見当たらない。もうすぐ出番だってのに一体どこに行ったんだ?


「おう、セツカならポチオが自己紹介しとる時にそっちへ移動しておったぞ」

「ジョニオな。間違った名前を更に間違えてやんなよ……」


 ムツメが顎でしゃくった方を見てみるが、セツカらしき人影は無かった。い、嫌な予感がする……あっ、でもそうか、次に呼ばれるのはセツカだろうから出番に備えて移動したのかもな。うんうん、きっとそうだな。


「はい、それでは青二才の嘘くさい抱負が終わったところで、いよいよ我々エルンスト代表の先鋒、『何らかの手違いで都市に棲み付いてしまった一匹の猛獣』こと殴道宗のセツカ選手をお呼びしたいと思います! セツカ選手、舞台へお越しください!」


 司会者が言葉と共に、大袈裟な動きで観衆の方へ向かって右手を差し出した。さあ、いよいよだぞ、と俺は高揚と不安が入り混じった複雑な気持ちでセツカが舞台に上がるその時を待っていたが――何故か、セツカは姿を現さなかった。


「あれ? セツカの奴、出てこないな……」

「おいおいセッちゃん、何してんだよ……」


 俺とサラが怪訝な顔を見合わせていると、周囲の観衆にも次第にざわめきが広がり始める。誰かが「おいおい、びびって逃げちまったか!」と声を張り上げ、それに対して「馬鹿野郎、殴道宗が逃げるわけないだろが!」と怒号が飛ぶ。確かに、あのセツカが殴り愛を前にして逃げるわけが無い。あっ、まさかこの土壇場でお手洗いに行ってるとかじゃないだろうな?


 思わぬアクシデントに舞台上の司会者も「あ、あれ? セツカ選手? 居るなら今すぐ舞台に上がってきてください!」と、慌てた様子で周囲の観衆にきょろきょろと目線を向けていた。そして、対戦相手のジョニオも困惑した表情を観客側に向けた――その時だった。


 突如、群衆の中から橙色の閃光が弾けるように飛び出したかと思うと、その閃光がジョニオの懐へ「ズン!」という轟音と共に突き刺さった。石造りの舞台がビキビキと悲鳴を上げ、一陣の突風が舞台の中心から周囲へ向かってごうっと吹き荒れる。呆気に取られて一瞬思考が遅れるが、悪寒と共に良く目を凝らしてみると――セツカが、前傾の姿勢で右手をジョニオの腹へ向かって突き出し、固まっていた。


 会場がしんと静まり返り、周囲の人間が息を呑む気配が伝わる。競技場にいる全員が一言も発さぬまま、食い入るように舞台の中心を見つめていた。俺もしばし呆然と立ち尽くしていたが、ぶわっと全身から冷や汗が流れ出ると同時に正気に戻る。


 し、しまったああ……! 「戦いはゴングが鳴ってから」くらいは分かってると思って、全く教えてなかった……! や、やっちまった……ッ!


 俺は口をパクパクとさせ、金縛りにあったように舞台を見据えて固まっていたが、その時ふと何か違和感を覚えた。セツカの不意打ちを食らったはずのジョニオが、その場で立ったままなのだ。あんな凄まじい腹パンを食らったなら、今頃は会場の端まで吹き飛ばされているはず――と、良く良く観察してみると、突き出されたセツカのこぶしはジョニオの腹部の手前の、本当にギリギリの所で止まっていた。


 ぶはあっと大きな息が漏れる。よ、良かった、流石のセツカも腹パンをかますのは思い留まってくれてたか……! そういや「規則は踏まえた上で観客を楽しませる」みたいなこと言ってたもんな。これはセツカなりのパフォーマンスのつもりだったのかもしれない。ちょっとアウトな気もするけど、まあ寸止めして実害が無かったんなら何とかセーフだろ。うん、ノーカンノーカン!


 周囲の観客もセツカが寸止めしているという事に気が付いたのか、張りつめていた空気が弛緩し、ようやくざわつきが戻って来ていた。所々から「なんだよ演出か?」「おどかしやがって」「全く、こっちの腹まで殴られた心地だったよ」といった安堵の言葉が聞こえてくる。俺もサラの方へ向き直り、声をかけようと口を開きかけたその瞬間――突如、「パァンッ!」と乾いた破裂音が一帯に鳴り響いた。辺りの人間が一様にビクッと大きく肩を跳ねさせる。


 何事かと急いで舞台の方へ視線を戻すと、舞台の上で突っ立っているジョニオの上着の背中部分だけが大きく弾け飛び、その地肌が剝き出しとなってしまっていた。続けてジョニオの顔を窺うと、白目を剥き、口からはブクブクと泡を吹いて……って、あっ、これ……拳圧で、立ったまま気絶しちゃってますね……。


 再び観衆が息を呑んで静まり返る中、セツカだけが「あれっ?」と呑気な声を漏らし、


「この程度で気絶しちゃうんだ……君、強者じゃなかったねっ!」


 と、言い放った。


 途端、あちこちから「ふざけんな卑怯者!」「不意打ちすんじゃねえ!」「きたねえぞ!」「殴道宗は頭がおかしいやつばっかりだ!」「帰れ!」と激しい罵声が飛び、様々な物が舞台の方へ投げ込まれ始める。司会者が自分の身を守りつつ「物を投げ込まないで下さい! 物を投げ込まないで下さい!」と必死に制止するが、止まる気配は全く無い。


 こりゃとんでもない事になったぞと狂騒の中で戦慄していると、舞台上のセツカが投げ込まれる物を叩き落としながら観衆の方へ向き直り、「ちょっと私にも一言言わせて下さいっ!!」と馬鹿でかい叫び声を上げた。すると、観衆もセツカの申し開きに興味があるのか、物の投げ込みは次第に弱まっていき、やがて完全に止まった。俺も固唾を飲んで成り行きを見守る。


 セツカは静かになった観客を確かめるように、ゆっくりと視線を周囲に巡らせた。そして「ごほんッ」とわざとらしい咳を一つしてみせ、口を開いた。


「なんか『卑怯者』だとか『汚い』だとか『不意打ちすんな』って言葉が聞こえたけど、私は、皆さんにこの言葉を送りたいと思いますっ! 殴道宗十戒そのはち――『お前それ実戦でも同じこと言えんの?』」


 瞬間、会場が先ほどにも増して激しい罵声で溢れかえった。そこら中の人が顔を真っ赤にして「これ実戦じゃねえだろうが!」「ふざけた事ぬかすんじゃねぇ!」「引っ込め!」「やっぱり殴道宗は頭がおかしいわ!」と怒号を放つ。投げ込まれる物もより一層勢いを増し、司会のロビンは「ひいいッ!」とその場に伏せるようにして身を守り、セツカは「なんでーっ!?」と言い残して舞台からどこかへ逃げ出して行ってしまった。


 俺は唖然として口をぽかんと開いたまま、棒の様に突っ立って固まっていた。それから、恐る恐るゆっくりと横に顔を向けると、サラの方もぽかーんと口を開けて俺に顔を向けていた。そのまましばらく放心状態で見つめ合っていたが、ムツメの「だはははっ! ふ、服が弾けおった! ひーっ!」と笑い転げる声でハッと我に返った。


「お、おいムツメッ! 笑い事じゃねえぞ! す、すまん、サラ……俺がセツカをしっかり教育し切れなかったばかりに、こんな取り返しのつかない事態に……」

「い、いや、牧野のせいじゃねえさ……セッちゃんの事だからな、なんか、頭のどこかでこうなるんじゃねえかって予感はしてたよ……」

「ふん、あたしは繰り返し警告していたはずよ! セツカなんていう力を制御出来ない暗黒魔獣を安易に頼る事は危険だ、とね! いつだって制御出来ない力は己の身を滅ぼすもの……この結果は、あたしの貴重で有難い忠告を無視したあんたの慢心が招いたものよ! 恥を知り、そして先見の明を持つこの超神聖予言王マリー様を畏れ敬いなさい!」


 マリーは胸ポケットの中から偉そうに言い放ち、ここぞとばかりにふんぞり返っていた。く、くそっ……! めちゃくちゃ腹立つけど、俺の落ち度なのは確かだから何も言い返せねえ……!


 マリーへの怒りを抑え込みつつ舞台の様子を窺うと、ようやく物が投げ込まれるのが落ち着き、運営スタッフの面々が投げ込まれた様々な物を拾い集めていた。泡を吹いていたジョニオは担架に寝かされ、医療班が控えている方へと運ばれていく。もう少しで片付けが終わって試合再開出来そうな雰囲気だ。セツカは失格扱いだろうから、次はマリーの出番という事になる。


「こ、こうなってしまった以上は、とんでもなく微力とは言え、お前の力にも頼るしかない……少しでも醜く無様な戦いぶりを見せつけて、僅かでも相手に精神的打撃を負わせて後に繋いでくれ!」

「おいゴルァ! あんた味方に対してその言い様は何よ!? それに随分と弱気な事を言うじゃないの! あたしという強大で偉大な後ろ盾がいたとはいえ、サイモンに立ち向かっていった時のあんたの蛮勇は一体どこへ行ってしまったのかしら? 後に繋ぐだなんてショボくれた事を言わず、あたしが残る全員を片づけて見せるわ!」

「なんだ、妙に自信あり気だな……ま、まさか、マリーお前、相手の体内に自ら飛び込んで妖精汁を吐きまくり、内部から相手を溶かしてしまうつもりか!?」

「うげ、寄生虫の本領発揮だな……そんな奴に頼らないといけないなんて……」

「誰が寄生虫じゃ! 妖精汁にそんな効果無いわよ! ふん、このあたしがただヨウカンを貪っていただけだとでも思っているのかしら? 選ばれし魔物はキョウシロウ一人じゃない、ここにもいたという事よ……! 愉快痛快マリー劇場、とくとご照覧あれ!」


 「不快不愉快の間違いじゃねえの?」と突っ込みを入れる間も無く、マリーはまだ司会者に呼ばれてもいないのに勝手に舞台の方へ飛び出して行った。と、ちょうど片付けの方も終わったらしく、司会のロビンも舞台の上へと戻って来ていた。


「え~、思わぬ事態で一時中断してしまいましたが、気を取り直して試合を再開したいと思います! マイルストン側のジョニオ選手が不慮の事故で戦闘継続不可能となってしまったため、弟のジョニタ選手が代わりに出場となります! ジョニタ選手、舞台に上がって来て下さい!」


 司会者が観衆側へ呼びかけると、一人の青年が舞台の方へ歩み出て来た。顔つきや体格はジョニオによく似ており、カーキっぽい色の拳法着を身に着けている。


「はい、そちらから舞台へ上がってください。いやはや、兄弟だというだけあって背格好も兄のジョニオ選手にそっくりですね! ジョニタ選手の方が少しほっそりして背が高いのでしょうか? これだけ外見がそっくりなら抱負も似たようなしょうもないもんでしょうし、別に省いても構いませんよね! あっ、物を投げないでください! 物を投げないでください!」


 ジョニタ選手に対する司会者のぞんざいな扱いに抗議するかのように、観客席からまた少し物が投げ込まれた。セツカの凶行によって観衆がマイルストン陣営に同情的な空気に包まれる中、それでも司会者はエルンスト贔屓を止めるつもりは無いらしい。こ、これも一種のプロ根性なのかな……。


「はい、それではセツカ選手は残念ながら不戦敗ということになりますので、エルンスト側の次鋒であるマリー選手……はもう舞台に上がっているようですね! 流石は我らがエルンスト代表、戦意は十分のようです! ではマリー選手、何か試合前の抱負はありますか?」

「ふん、特に抱負なんか無いわ! 真の戦士とは強さを口で説明したりはしないのよ! 口で説明するくらいならあたしは牙を剥くでしょうね! でもそうね、あえて一言だけ言わせてもらうなら、あの程度の不意打ちをよけられないようじゃ弟のポニタとやらも程度が知れるってものね! 既に勝負はついているも同然よ! 観衆に無様を晒す前に潔く降参する事を強くオススメするわ! 今なら初回降参特典として樽入り妖精水もついてくるわよ! あっ、ちなみに一杯百マルセルで通常購入も可能ですので、観衆の皆様もこの機会に是非お買い求めください!」


 マリーの身の程を弁えない強気な発言に、観衆にどよめきが走る。自分だけでなく兄までも侮辱されたジョニタは目つきを鋭くし、憎々し気な視線をマリーへ向けていた。そんな有様に、俺の横にいるサラも流石に「おいおい、マリーのやつ大丈夫かよ……」と心配そうな声を漏らした。


「あんな心底うぜえ挑発なんかしたらボコボコにされちまうぞ……」

「う~ん、平常運転と言えば平常運転だけど、何か考えがあるとか……? あ、そうか、ひょっとしたらマリーも羊羹を食べた事で戦闘力が飛躍的に高まってるのかも……どうだムツメ?」

「確かに魔力は増えておるようじゃが、所詮は妖精じゃから大したことないぞ」


 微かな期待を込めてムツメに尋ねるも、物の見事に打ち砕かれてしまった。ば、万事休すか……こうなったら、怒ったジョニタがマリーを追いかけまわす内に舞台から誤って転げ落ちるなりすることを祈るしかないな。神様仏様エルカ様、もし見てるならゴッドパワーで奇跡を起こしてくれ……!


「はい、マリー選手の熱のこもった答弁により会場も程よく温まった所で、いよいよ武道会第一試合……じゃなかった、第二試合を開始したいと思います! それでは皆さんお待ちかね! 第二ふぁいと、れでぃいーごおッ! ……あ、試合開始って意味の言葉らしいので、どうぞ二人とも戦い始めて下さい」


 俺が運営委員に教えた掛け声だったのだが、意味までは伝わらなかったらしくジョニタもマリーもその場で微動だにしていなかった。司会者の催促でようやくジョニタが構えを取るが、一方のマリーは何故か空中でふんぞり返ったままだ。その様子を見たジョニタが怪訝そうな表情になる。


「どうした、お前も聞こえただろう……何故、構えない?」

「ふん、超神聖妖精拳に構えは無いわ! どこからでも打ち込んでらっしゃいな! それとも、ひょっとして兄のポチコの二の舞になるのが怖いのかしら? あなたの兄の服が派手に弾け飛ぶ様子は、まるで泡が弾けるみたいでなかなか乙だったわよ! 兄が上着だったということは、弟のあなたは下着でも弾けさせて楽しませてくれるのかしらね?」

「ぐっ……! 小物の戯言だと堪えてきたが、度重なる兄と俺への侮辱、もう我慢ならん! ずあっ!」


 ジョニタが憤怒の表情を浮かべ、気合いと共に地面を強く蹴ってマリーとの距離を一気に詰めた。その勢いのまま右手で鋭い正拳突きを放つが、マリーは素早く避け、ジョニタのこぶしが空を切る。ジョニタは更に激しい打撃を放ち続けるが、マリーはふんぞり返った姿勢のまま器用にそれらを全てかわしていた。おおっ、相変わらず逃げ足だけは一流だな。


 蚊のように羽音を響かせながら逃げ回るマリーに、ジョニタは「くっ、ちょこまかちょこまかと……!」と苦虫を噛み潰したような顔になる。ああ、その気持ち、俺にも良ぉ~く分かるぞ……なんだかジョニタを応援したくなってくるな。


「あらあら、攻撃が止まってしまったみたいだけど、もしかしてもう疲れてしまったのかしら? こんなんじゃ準備運動にすらならないんだけど? はぁ~、期待外れも良い所ね……ま、そっちが来ないというのならお次はあたしの番よ。さぁ、妖精汁いくわよーッ! ペペッペッペペッ!」


 今度はマリーが俊敏な動きで妖精汁を辺りに撒き散らし始め、狙われたジョニタは「うわっ! きたなっ!」と慌てて妖精汁を避け、舞台の上を逃げ惑い始める。目の前で繰り広げられる心底おぞましい光景に、会場からも「うげえええ」「き、きたねぇ……」「オエエーッ!」と悲鳴が上がった。くっ、耐えるんだジョニタ……粘ってチャンスが来るのを待つんだ……!


「負けるなジョニターッ! 憎っくき醜い羽虫を木っ端微塵にしてくれーっ! がんばぐええっ!」


 思わずジョニタに声援を送ってしまった瞬間、真横からサラの鋭い肘鉄が俺の脇腹へと突き刺さった。鈍い痛みに思わず身を屈める。


「馬鹿野郎! お前はどっちの味方だ! 敵を応援すんじゃねえ!」

「す、すまん……他人事だと思えなくて、つい……」

「全く……気持ちは分かるけどな、ちゃんとマリーの方を応援しろ! いいな!」


 サラに鋭い目で睨みつけられ、俺は「はひっ!」と慌てて返事をした。いや、理性ではちゃんと分かってるんだけど、感情がマリーを応援することを拒否しちゃうんだよな……でもセツカがやらかした今、贅沢は言ってられないか……。


 仕方なくマリーを応援する気持ちに入れ替えてから舞台に視線を戻すと、マリーは「ハァッ、ハァッ」と息を切らしながらジョニタと睨み合って固まっていた。


「あ、あんたも中々すばしっこいじゃない……まさか、あたしの妖精汁を全てかわすとはね。正直、これほどやるとは思ってなかったわ。素直に賞賛してあげるわ、光栄に思いなさい!」

「ふっ、減らず口を……随分と息が上がっているようだが、もうお終いか?」

「ふん、やっぱり前言撤回ね……まだ気づかないの? このあたしが何の考えも無く、妖精汁を適当にその辺に撒き散らしていたとでも思っているのかしら? 目ん玉ひん剥いて、自分が立っている場所を良く見て見なさい!」

「何……? あっ、こ、これは……!?」


 ジョニタが周囲に視線をやり、驚愕した表情となる。いつの間にやらジョニタは後の無い舞台の角に立っていたのだ。妖精汁を避けて逃げ回る内に、角へと追いやられてしまったらしい。


「鈍いあんたでもようやく気が付いたようね? 得意気な顔になっていたところ申し訳ないけど、あんたはあたしの手のひらの上でずっと踊らされていたってわけなの。ねぇねぇ今どんな気持ち? ねぇどんな気持ち?」


 マリーの腹立つ煽りに、ジョニタは「ば、馬鹿にしやがって……!」と顔をしかめつつも、マリーの方へこぶしを構え直した。正面に活路を見出すつもりだろう。


「おっと! 無駄な足掻きは止しなさい! その位置からどこへ動こうとも、あたしは妖精汁を外さない自信があるわ! でも、このまま終わってしまうというのもつまらないわね……そうね、せめて奥義で葬ってあげるわ! 喜びなさい、この技を見せるのはあんたが初めてよ! 妖精汁を超えた妖精汁――その名も『妖精玉』よッ!」


 そう宣言するや、マリーは両手のこぶしを握り締め、踏ん張るような態勢になって「かああああああッ……!」と奇声を上げ始める。な、なんだ? マリーの気が膨れ上がっていく!? 一体何をするつもりだ!?


 尋常ではないマリーの様子に、マリーと向かい合っているジョニタも真剣な面持ちのままぐっと身構える。周囲の観客も息を呑み、目線は舞台に釘付けだ。だが、俺は気合いを込めているマリーの様子に何か既視感のようなものを覚えていた。あの様子、というか、あの「掛け声」がどこかで覚えがあるような……? どこだったかな、と記憶を探っていると――ついにその答えに辿り着き、俺は愕然とした。


 あれ、道端でおっさんがたまに「かーっ!」ってやってるやつだ。


 ジョニタもその事に気が付いたのか、真剣そのものだった顔が見る見る青ざめ、「ひ、ひいいッ! ま、参ったあ! 俺の負けだ! だからやめてくれぇ!」と悲鳴を上げながら後ろへ倒れ込み、そのまま舞台からどてっと転げ落ちてしまった。その有様を見ていたマリーは「ペッ!」と妖精玉(?)を吐き捨てる。


「ふん、雑魚がッ! 隠していた実力に差があったようね。あたしはちゃんと最初に言ったはずよ? 『既に勝負はついているも同然』、とね! 相手の力量も見極められないからこんな無様を晒す事になるのよ! 妖精水を百杯飲んでから出直してきなさい!」

「ジョ、ジョニタ選手の降参により、見事、マリー選手の勝利です! 皆さん、勝者に大きな拍手を……って、物を投げないでください! 物を投げないでくだ……投げんなっつってんだろっ! 俺もいい加減キレるからな!!」


 一応俺たちが勝ったはずなのだが、マリーが色んな意味で汚すぎたせいか、観客席からはブーイングと共にまた色んな物が舞台へ投げ込まれていた。か、完全にアウェーの空気になっちゃってるんですけど……。


「ひ、ひでえ勝ち方だけど、勝ちは勝ちだよな……やったぜ初勝利~……」


 頬の引きつった下手くそな笑顔を向けてくるサラに、俺も強張った顔に笑みを無理やり拵えて、「は、初勝利、めでたいなあ~……」とぎこちなく返事をした。

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