第25話 招かれざる客

「どうぞ、ルロイ茶です」


 飲み物を出してくれたシスターさんに「あ、わざわざどうも」とお礼を言うと、シスターさんは「い、いえ、とんでもありません」と返事をし、俺をじっとガン見したまま退出していった。


 エルカさん降臨事件の直後、ヴェルヌイユさんは市長に報告しに行くと言って礼拝堂を後にし、残された俺は応接室のような部屋でサラさんと向かい合って長椅子に座っていた。京四郎は座りっぱなしで退屈してしまったのか、俺の横で座った格好のまま寝息を立てている。


「……こ、このルロイ茶って、なんだか色が麦茶に似てますね。あ、麦茶っていうのは俺が住んでた世界のお茶なんですけど……」

「ええ、そうですね」

「……あ、でも飲んでみるとハーブティーっぽい味なんですね。ちなみにハーブティーっていうのも、俺の住んでた世界のお茶なんですけど……」

「ええ、そうですね」


 黙って向かい合っているのも気まずいので幾らか話題を振ってみるも、サラさんは穏やかな笑みを浮かべたまま、同じ言葉しか返してくれなかった。その笑みも、どこかから切り取ってきて貼り付けたような感じで微動だにしない。


 う~ん、顔は確かに笑顔なんだけど、なんだか機嫌が悪くなってる気がするぞ。何か怒らせるようなことでもしたかな……それとも、エルカさんの残していった邪悪な思念がそうさせてるとか?


 どうしたものかと思いつつルロイ茶をすすっていると、胸ポケットがゴソゴソと動き始め、「ふあ~あ、良く寝たわぁ」とマリーがひょこりと頭を出した。こいつ、珍しく大人しいままだと思ってたら今までずっと寝てたのかよ。


「あら? 何なの、この小さい部屋は。祭礼の予行はまだなの?」

「いや、予行なら始まったけど不慮の事態で中断したぞ。結構な騒ぎだったのに全く気づかなかったのか?」


 俺の言葉を聞いたマリーは、「はぁ? 何で始まった時に起こさないのよ!?」とポケットから文句を飛ばした。寝てたって知らなかったのに起こせるかっての。


「なっ……ま、まっ……まま、魔物っ……!?」


 ふいに動揺した声が聞こえて顔を上げると、微動だにしなかったサラさんの笑みが崩れ落ち、真っ青になってマリーを凝視していた。しまった、魔物が苦手なんだったな。あんな騒ぎの後だから失念してたぞ。


「あらま、その反応、ひょっとしてあなたが魔物が苦手だっていうサラなのかしら? ま、どうせ普段は結界内の腑抜けた魔物ばかり目にしてたんでしょう? あんな堕落しきった奴らばっかり見てたら魔物に嫌悪感を抱くのも当然ってものよね。その気持ち、良く分かるわよ。でも安心しなさい! 結界外の弱肉強食の世界を生き抜き、鍛え上げられたこの超神聖妖精大王マリー様の野性味溢れる美しさに触れれば、魔物への苦手意識も塗り替えられること間違い無しよ! さぁ、妖精の里早食い大会準優勝者の実力、とくと目に焼き付けるが良いわ! ハァッ!」


 ベラベラ喋りながらポケットから飛び出し、空中で珍妙なポーズを取るマリーを叩き落とそうかと思っていると――


「おい、お前……魔物のくせにあんまり調子乗ってんじゃねえぞ」


 突如、サラさんがドスの利いた声で荒々しい言葉を呟いた。


 驚いてサラさんの顔を見ると、険しく鋭い目つきでマリーをギロリと睨みつけており、更に右手の人差し指と中指を合わせてマリーへ向け、クンッと上へ捻ると――マリーが光の柱に包まれた。


「ギエエエ――――――――――――――――――――ッ!!」


 熱した鉄板の上に肉を置いた時のような「ジュワアアッ」という音が部屋の中に響き、ほどなくして光の柱が消えるとマリーは机の上にボトッと落下した。体はぴくぴく震え、プスプスと煙が上がっている。


「なっ……今のを喰らっても消滅しねぇだと……!?」

「おいゴルァ! 今、川の向こうで初代妖精王マリアンヌ様が満面の笑みを浮かべて手を振ってたわよ! 突然何さらすんじゃ!」

「はっ、薄汚い体を見せつけてくるから浄化して欲しいのかと思ってよォ。残念ながら、汚染が酷すぎて浄化し切れなかったみたいだがな。オルディグナス流退魔術の味はどうだったよ?」

「こ、この小娘ェッ! ちょっと美人で若くて髪が綺麗だからって調子に乗るんじゃないわよっ!」


 マリーは褒めてるんだか貶してるんだか分からない言葉を机の上から飛ばし、サラさんはそれを「ハッ」と鼻で笑う。俺は、そんな二人のやり取りをただ呆然と見守っていた。


 サ、サラさん……なんだよな? 髪の毛も銀色のままってことは、エルカさんがまた乗り移って悪さしてるとかでもなさそうだし……。


 俺の怪訝な視線を感じ取ったのか、サラさんは俺の方に目を向けると、ハッとした顔になって固まってしまった。


「え、えっとこれはその……あっ、そうそう! そこの気持ち悪い魔物に精神を操られて無理矢理……」

「ちょっと! 自分の悪行をあたしの仕業にしてんじゃないわよ! 私はそんな能力持ってないわ! それにもし操ってるなら自分の事を『気持ち悪い』なんて言わせるわけないでしょうが!」

「お、おい! 余計な事言うな! また浄化すんぞ!」


 サラさんに再び睨みつけられたマリーは、俺の背後にサッと素早く身を隠した。珍しくマリーの方に筋が通ってる気がするが……と思っていると、サラさんは「うぐ、ぐぐ」と短く唸った後、はあっと大きな溜め息を吐きながら脱力した。


「ああ、くそっ、つい魔物にカッとなってやっちまった……」

「ええっと……ひょっとしてサラさんって、そっちが素……なんですか?」


 頭を抱えて俯いているサラさんにおずおずと話しかけると、サラさんは俺をじろっと睨みつけながら「ああ、そうだよ」と言葉を返した。


「なんだよ……なんか文句でもあんのか?」

「いえ、文句は無いんですけど……その、落差がすごいなぁって……」

「そりゃ、普段は素を見せないようにかなり気を使ってるからだよ……親しくない人に対して、こんな態度は失礼だろ? といっても、オレの素を知ってるのは先生やセツカとか、一部の人間だけだったんだけどな……」


 サラさんはそう言うと、再び「はあ」と溜め息をついて肩を落とした。こりゃ、自分の「素」を相当気にしてるんだなぁ。


「ふん! とうとう正体を現したわね、この神の奴隷め! 結局の所、聖職者なんて一皮むけばどいつもこいつも腹に一物ある奸物に決まってって嘘嘘嘘嘘! サラさんは裏表のない超素敵な聖職者ですッ! いよっ、未来の大司教!」


 急に背中から飛び出して威勢のいい暴言を吐いたかと思うと、再びサラさんに指を向けられたマリーは瞬時に手のひらを返し、ヘコヘコと媚びを売り始めた。こいつ、なんで毎回こうも見事な醜態を晒すわけ?


「ちっ、まったく目障りな魔物だぜ……しっかし、エルカ・リリカ様もとんだ面倒を持ち込んでくれたもんだよなぁ……」

「ええっと、その、エルカさんの手違いと怠慢のせいで予行が中止になっちゃって、サラさん達にとんだご迷惑を――」

「おい、とりあえずそんな他人行儀な話し方はやめろよ。オレはエルカ・リリカ様が残していった情報であんたがどんな人間かは大体把握してるし、オレの素も知られちまった事だしな……オレのことは『サラ』でいいし、オレもあんたの事は『牧野』って呼ばせてもらうからよ」


 きっぷのいい言葉に少々面食らいながらも、俺は「そ、そうか? じゃあ、今後はサラって呼ばせてもらうよ」と答えた。


「おう、それでいい。で、だ……牧野は、事態の面倒さをこれっぽっちも理解してねぇ。予行が中止になったなんてのは、この際どうでもいいんだよ。どうせこれからもっと面倒な事になるんだからな」


 何度目かになる溜め息をつくサラの様子を眺めながら、「もっと面倒な事」ってなんだろうと疑問に思っていると、コンコンコンと扉がノックされた。サラは一瞬で体勢を整え、


「はい、何でしょうか?」


 と、美しい声色でノックに返事をした。あまりに見事な変わり身に感心していると、シスターさんが扉を開いて「その、お二人にお客様方がお見えです」と困惑顔を覗かせた。「お二人に」って……サラだけじゃなく、俺にもってことか?


 サラは笑顔を崩さずに「すぐ伺います」とシスターさんに答え、シスターさんが扉を閉めるや「ほら、もうおいでなすったぞ」とうんざりした顔になる。


「おいでなすったって、一体誰が? 俺、街に来たばっかりで知り合いなんて特にいないんだけど……」

「早くも『神降り』の件を聞きつけたんだろ。オレが対応するから、牧野はここで待っててくれよ」

「いや、俺にも用があるんだろ? 事態を把握したいし、新参者がお客を断ったってなると心象も悪いだろ。まだしばらくはこの街に滞在するつもりだし、俺もついていくよ」

「……お前がそう言うんなら構わないけどよ。じゃあ、キョウシロウ君はそこで寝かせたままでいいとして……口うるさい虫は役に立つかもな。お前も一緒に来い」


 虫呼ばわりされた羽虫マリーは「誰が虫じゃ!」と言いつつも、俺の胸ポケットに素早く潜り込んだ。こいつが役に立つ局面なんて全く想像出来ないが……まあ、邪魔になったらポケットに押し込めばいいか。


 立ち上がって部屋を出ていくサラに続いて廊下を進んで行くと、玄関のロビーにちょっとした人だかりが出来ていた。集まっている人のほとんどは四十代くらいの男性で、皆一様にがっしりとした逞しい体格をしている。隅っこにいる黒っぽいローブを着た女性だけ一人場違いな感じだ。その人たちの目が一斉に、玄関ロビーに到着した俺達を見据える。


「おお、サラちゃん! 『神降り』の件、聞いたよ!」

「どうも親方、ご無沙汰しております。お耳が早いですね、どなたからお聞きになられたんですか?」

「いやま、誰からってわけでもないがよ……ほら、感謝祭を前にしてこんな目出度いことは無いだろ? そこで、折り入ってサラちゃんにギルド所属の聖職者になってもらえねえかなと思ってさ」

「おいこら、林業の! 抜け駆けすんじゃねえぞ! サラちゃんにはうちのギルド付きになってもらうんだからな!」

「ふざけんな、てめえの所はもういるだろうが! 偉い先生がいる王都の学校で勉強したとかいうありがた~い奴がよ!」

「別に一人しか駄目って決まりはねぇだろうが!」

「おい、うちを忘れんなよ! こちとらサラちゃんとは普段から懇意にしてるんだよ! てめぇらはこんな時にだけ押しかけやがって!」


 屈強な体をした男性たちがギャアギャアと言い争いを始め、ロビーはあっという間に喧騒に包まれた。め、面倒な事ってこういうことか……皆、サラを自分のギルドに引き込みたがってるのかな。


 一歩引いて喧嘩の輪を眺めていると、輪の中から一人がこそっと抜け出して来て、俺をチラ見しながら「なぁ、サラちゃん。横にいる変な格好の兄ちゃん、いや、お方がもしかして例の……?」とサラに問いかけた。サラも俺を一瞥し、少し間を置いてから「ええ、そうです」と答える。


「おお、やっぱりそうか! どうも、お目にかかれて光栄です眷属様! 私は石工ギルドの親方をしております、クレイボーンと申します!」

「あ、ど、どうも。そんなに畏まらなくても構いませんよ」

「いやいやいや、そんなわけには! しかし流石はエルカ・リリカ様の眷属様だ、実に心が広い! どうです、一度うちのギルドに見学でも」

「あっ、おい石工の! てめぇ、この前に続いて今回も抜け駆けしやがって!」

「ああ? うちを見学したらどうかって提案してただけだろうが! ふざけた言いがかりはよしやがれ!」

「ふざけてんのはてめぇの顔だよ!」

「んだとコラ!」

「え~っと、それじゃギルドじゃなくて魔法協会に見学に来ていただくっていうのは……」

「魔法協会は黙ってろ!」

「姉ちゃんはすっ込んで人工妖精の管理でもしてろや!」


 黒いローブの女性は集中攻撃され、涙目になりながら「だから来たくないって言ったのに……なんで私が……」と呟いた。ああ、この毛色の違う人は魔法協会から来た人だったのね……貧乏くじ引いちゃったんだろうな、可哀そうに。


 そうしてる内にも喧嘩はますますヒートアップし、どうやって収拾をつけたものかと悩んでいると、ポケットからマリーが顔を出して「ええい、静まれ静まれ! 一同頭が高い、控えおろう!」と叫び声を上げた。その声を聞いた親方たちは「な、なんだ? 妖精?」「おい、あの妖精、眷属様の服に入ってるぞ」とざわめき始める。


「全く……このマリー様を通さずに勝手に話を進めてもらっては困るわね」

「な、なあ、あんたは一体?」

「はじめまして、あたしは超神聖妖精王マリー。この神の眷属はあたしの巣よ! なんと、あたしの見事な助力によってドラゴンを撃退したこともあるんだから! どこに出しても恥ずかしくない眷属に育ったのは、このあたしのおかげと言っても過言では無いわね!」


 過言そのものだろと思ったが、親方たちが面食らって静かになっており、もうちょっと放置して様子を見てみることにした。


「さっきから黙って聞いてれば、自分たちの長所を伝えるのでなく相手をけなすばかりで、実に不毛で情けないったらありゃしないわ! 果たしてそれがこの大都市エルンストでギルドを率いている者たちのやることかしら? いいこと、一つあんたたちにも有難い助言をしてあげるわ。この神の眷属は、大恩のあるあたしの言葉を無視できない。そして、あたしは美味しい食べ物が好き……その意味が分かるわね?」

「……あっ、じゃあうちのギルドに見学に来なよ。ちょうど良い肉が入ったんだ」

「お、おい精肉の! ずるいぞ! うちは食べ物なんてねぇってのに!」

「安心しなさい! あたしは選り好みはしないわよ! 美味しい食べ物だけじゃなく、華美な装飾品や豪華な住宅とかも大いに好きよ! 各自、ギルドの威信をかけた見事な一品を用意がぼぼぼぼっ!」

「はいはい、そこまでな。あんまり親方さんたちに迷惑かけんなよ」


 俺は際限なく調子に乗っていくマリーを胸ポケットに押し込んで黙らせた。うん、やっぱ駄目だ。マリーはマリーだわ。


 一度は静かになっていた親方たちだが、今度はどこが見事な一品を用意出来るかで揉め始めてしまい、こりゃもう疲れ果てるまで放っておくしかないかなと思っていると――


「はい、皆さん静粛に! 眷属様も困ってらっしゃいますからね」


 と、男性の良く通る声がロビーに響き渡った。目をやると、いつの間にやら入口の所にヴェルヌイユさんが立っていた。市長さんへの報告から帰って来たようだ。


「市長から皆さん方に『決して早まった行動は取らないように』と伝えるように言われています。こんなに親方たちが集まってたら派遣官に感づかれますよ。皆さんもそれは避けたいでしょう?」


 その言葉を聞いた親方たちは顔を見合わせ、「まぁ、確かに」「それもそうだな」と納得した様子だった。


「市長が今後の対応を考えてから、改めて皆さんに通知すると仰ってました。今日のところは皆さんお引き取りになって仕事に戻って下さい」

「まぁ、そういうことなら……おい林業の、もう抜け駆けすんなよ」

「そりゃこっちの台詞だ」


 親方たちはまだ小競合いしつつも、ぞろぞろと引き上げていった。最後の一人が出ていって扉が閉まると同時に、俺とサラは揃って「はああ……」と大きく息を吐いた。


「ヴェルヌイユさん、助かりました……いやはや、あんなに騒ぎになるとは。サラが『面倒』って言ってた理由が分かったよ……」

「だから言ったろ……しかし、誰が漏らしたのか聞き出せなかったのが痛いな。それに、これからもっと噂が広がるだろうし……」


 サラと顔を見合わせて肩を落としていると、ヴェルヌイユさんが「おや?」と言葉を漏らした。


「サラ、その様子だとマキノさんに『素』をお見せしたんですか?」

「あっ、そ、そうなんです……妖精が飛び出して来てびっくりした拍子に……」

「す、すみません、ヴェルヌイユさん……サラにマリーを見せないように気を付けるって言ってたのに、結局失敗しちゃって……」

「全く、このあたしの有難くも美しい肢体を目にしておいてあんな態度を取るなんて、あんた頭がおかしいんじゃ嘘嘘嘘! 大人しく隠れてま~す!」


 マリーの言葉に反応してサラの手がぴくっと動いた瞬間、マリーはまた即座に胸ポケットに身を隠した。ヴェルヌイユさんは「ふむ」とマリーが入っている俺の胸ポケットに目をやり、少し考えるように黙ってから言葉を続けた。


「まぁ今後のことを考えると、早い段階で二人が打ち解けていた方が良いでしょうから、結果的に良かったかもしれませんね。とりあえず、部屋に戻りましょうか」


 俺たちは再び連れ立って部屋へ戻り、長椅子に腰を下ろした。少し間が空いたせいか口を開くタイミングが無く、それぞれの顔を見合わせたまま場に気まずい沈黙が流れる。と、とにかくなんか喋った方が良いよな。


「ええと……ヴェルヌイユさん、市長さんの反応はどうでした?」

「あ、ああ、そうですね。市長には『上への報告は自分が事実関係を確認してからするから、むやみに噂を広げないよう周りにも言っておくように』と言われました。神の眷属がいる事を派遣官に知られるのを気にしてるんでしょうね。本来なら王都にすぐ報告した方が良いんでしょうが、私もマキノさんの意思を確認してからの方が良いと思いまして……」

「その、『派遣官』っていうのは何なんですか?」

「王都から各都市に派遣されてる役人です。表向きは都市運営の助言をする役目ということになってますが、実際は王都との連絡役兼監視役ですね。もし派遣官に知られたらすぐに王都へ連絡が飛んで、王都から役人やらが大勢やって来るでしょうね」

「え、でも、もうあんなに噂になってたら知られちゃってるんじゃ……」

「いえ、街のギルドには知れ渡るでしょうけど、それ以上には広まらないと思いますよ。クレメンタイン地方は元々、中央の食糧等を担うために開墾された土地ですから、中央には結構無茶な要求を出されたりしてどの都市も不満がくすぶってますからね。派遣官に伝わらないように身内以外には話を漏らさないはずです」

「な、なるほど。そういう事情なら確かに……」


 う~ん、食糧問題か。異世界も世知辛いなぁ、と思っていると、ヴェルヌイユさんが少し険しい顔つきになりながら再び口を開いた。


「その……私としては、騒ぎがまだこの都市内に収まっている今のうちに、マキノさんたちに街を去ってもらうのも良いかもしれないと考えています」

「えっ、俺たち……やっぱ邪魔、ですか?」

「いえ! そういうわけではなく……かつて神の眷属が降臨した都市は、その事を交渉材料にして王家と揉めたと聞いたことがあります。その時は、王家側がそれなりに譲歩するはめになったとか。王家は必死に隠ぺいしたみたいですが、噂は完全には消せませんからね。この街の市長も、マキノさんを使って中央と交渉する腹づもりかもしれません。そうなると余計なゴタゴタに巻き込まれるはめになり、マキノさん、ひいてはエルカ・リリカ様にも申し訳が立ちません」


 ヴェルヌイユさんは真剣な面持ちで俺をじっと見据えた。俺たちの事を気遣って、か。でも神の眷属を逃がしたなんてバレたら、自分もただじゃ済まないだろうに……全く、セツカの知り合いなのに本当に人が出来すぎだよ。


「……俺たちの事、気にしてもらってありがとうございます。でも俺たち、この街には感謝祭を見に来たんですよ。まだお祭りを見れてないですし、それに、いざとなったらエルカさんがいるじゃないですか。確か、エルカさんって父神オルディグナス様の一人娘なんですよね? 王家に加護を与えてる神様の愛娘なんですから、エルカさんに頼めばコネで何でもちょちょいのちょいで解決ですよ! あっ、今エルカさんいないよね? サラ、大丈夫だよね? ちょ、本気で怖いから黙らないで何か喋って!」


 真顔で黙り込んでいるサラに必死で確認していると、ヴェルヌイユさんは「……そうですか、分かりました」と穏やかな笑みを浮かべた。


「では、マキノさんたちが祭りを楽しめるように、私も微力ながら手助けさせていただきますね」

「あっ、すみません、ご迷惑おかけします」

「……牧野には残ってもらわないと、オレだって困るよ。眷属様は好きな場所へ逃げれば済むだろうけどな、オレはそうはいかないんだからよ。『神降り』のあった聖職者としてあちこち引っ張り回されるはめになるんだから、せめて道連れがいなきゃやってらんねーよ」


 頬杖をついて「あーあ」と面倒そうな声を漏らすサラを、ヴェルヌイユさんは「こら、マキノさんの事情も考えなさい」とたしなめた。


 そうだったな、サラも俺と似たような立ち位置になっちゃってるんだから、放り出していくのも酷だよな。全く、エルカさんが考え無しに降臨しちゃうからこっちは大変だよ。今度エルカさんが「コネ魔神」の件を聞きに来た時はそう言って誤魔化そっと。


 一通りの話を終え、空気が緩んでほっとしていると――突然、「バン!」と扉が思い切り開かれてセツカがばたばたと入り込んできた。


「ただいまーっ! サラっちにエルカ・リリカ様が降臨したんだって? 漁業ギルドで話聞いたよー! あ~っ、私も見たかったな~! 勿体ないことしたよっ! 親方との打ち合わせなんて後回しにすれば良かったー!」


 帰って来るなりぎゃんぎゃん騒ぎ立てるセツカに呆れていると、にわかにサラがセツカを睨みながら立ち上がり、


「ちょっとセッちゃん! こいつがどんな奴か知っててここに連れて来たの!?」


 と、俺を指差しつつ言葉を荒げた。おいおい、まるで人を犯罪者か何かみたいに……てか、サラって面と向かうとセツカの事を「セッちゃん」って呼ぶんだな。口調もまた少し変わってるし。


「そだよ? シンタローはエルカ・リリカ様の眷属だし、サラっちと引き合わせたらなんか楽しい事になりそうだな~ってびびっと勘が働いてね! そしたらやっぱり楽しい事になったよっ!」


 セツカの適当な返事を聞き、サラは「な、なんなの、それ……」とガクッと肩を落とした。うんうん、俺にもその気持ち良く分かるよ……なんか親近感がわくな。


「セツカ、マキノさんがエルカ・リリカ様の眷属であることを言い触らさないようにして下さいね。大騒ぎになってお祭りどころじゃ無くなっちゃいますから」

「今のところは誰にも言ってないんだけど、それはそれでお祭りより楽しくなりそうな気が――」

「ちょっ、セッちゃんそれだけは本当にやめて!」

「おいセツカ、もしお前がそんな事したら俺は自暴自棄になってムツメのいる莱江山に駆け込むからな! 尻を滅茶苦茶にされた方がまだマシだ!」


 俺とサラが必死の形相で釘を刺すと、セツカは「も~、ちょっとした冗談なのに」と軽く口を尖らせた。だからお前が言うと冗談に聞こえないんだっつの。


「せ、セッちゃんは本当に……お、おい牧野、セッちゃんが余計な事をしないように二人でしっかり監視するぞ、いいな?」

「……奇遇だな、俺も今ちょうど同じことを考えてた」

「なんだよ、お前もか? オレたち気が合いそうじゃねえか!」

「おう、俺の世界の実験でな、対立し合う者同士でも共通の課題や難敵に直面すると協力し合うってことが分かってるんだ。共に力を合わせて、セツカという不安要素を何とかするぞ!」

「ちょっとシンタロー聞こえてるんだけど! 誰が難敵で不安要素だって!?」

「お、おいやめろ! お前、エルカさんの眷属であるこの俺を殴り飛ばす気か!? 不敬だぞ、控えい控えい!」

「おいこら牧野! いきなり自分でバラしてんじゃねえか! 虫の魔物みてーなこと言ってないで、もっと気を引き締めろや!」

「ちょっと黙って聞いてれば誰が虫ですって!? あんたが寝てる間に妖精汁を超えた妖精汁をぶち込むわよ!」


 ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた俺たちの横で、京四郎はようやく目が覚めたのかパチパチと目を瞬かせ、ヴェルヌイユさんは「さ、先が思いやられますね……」と大きな溜め息を漏らしていた。

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