第24話 エルカ・リリカなんかこわくない

「今日も元気だ朝ですよォ――――――――――――――――――ッ!」


 鼓膜を殴り倒すような叫び声と「バァン!」という騒音で、俺は「ほあっ!?」と飛び起きた。音がした方を見ると、薄暗い中、セツカが扉を大きく開いて仁王立ちしていた。セツカはそのままドカドカと乗り込んできて、鎧戸をこれまた勢い良く開くと、朝特有の白い光とひやっとした外気が一気に室内へと流れ込んでくる。


 照らし出された見慣れぬ石造りの部屋に、一瞬「あれっ」と思うが、そういえば教会の宿舎に泊まったんだったな、と思い出す。こいつが余りに平常運転すぎて外泊してる事を忘れてたわ。


「おい、他の巡礼者さんに迷惑だから朝っぱらからでかい声はやめろよな……」

「大丈夫大丈夫! 巡礼者はお祈りやら何やらで基本的に朝が早いからね! それに、マリーが起きる前に起こさなきゃ~と思ったからさっ!」


 俺はもぞもぞしている京四郎に布をかけ直しつつ、「マリーが起きる前にって?」とセツカに問い返した。


「ん~、まぁもうすぐ分かるよ。ちょっとマリーの部屋見に行こっか」


 一体何なんだと思いつつも、俺はセツカに促されるまま立ち上がり、マリーの寝泊りしているロドザネウスの部屋へと向かった。廊下には採光のための窓から朝日が筋となって差し込んでおり、なかなか趣のある光景に「早起きも悪くないな」と思っていると――突如、マリーがいる部屋から「ギョエエ――ッ!」と汚い悲鳴が上がった。


 俺はぎょっとして、急いでマリーの部屋まで駆け寄り、扉を開けると――


「おいマリーどうした! って、うわっなんじゃこりゃ汚ッ! そして臭ッ!」


 目に飛び込んできたのは、ゴミの山だった。昨日見た時には木製の長椅子があったはずの場所に、大量のゴミがこれでもかと積み上げられており、むわあっと嫌な臭いが鼻を刺した。こ、このゴミは一体どこから現れたんだ?


「おー、結構な量になったねぇ」


 後から来たセツカが鼻をつまみながらひょこっと部屋の中を覗き込み、そんな感想を漏らした。なんか、想定の範囲内ですって感じの口ぶりだな……さっき「もうすぐ分かる」って言ってたのはコレのことなのか?


「おいセツカ、これって一体何がどうなってんの?」

「えっとねぇ、昨日街に入った時に人工妖精を見たじゃん? 人工妖精は各都市の魔法協会が管理・運用してるんだけど、いくらゴミを拾ってくれるからって、皆が好き勝手そこら中にゴミを捨てるようになると魔力の無駄遣いになるからね。そこで、カーリー・ガリー魔法博士は『わざと大量のゴミを捨てたら、翌朝にその捨てた人の元へ数倍にして返す』って仕組みを追加したんだよっ」

「ああ、それでマリーが妖精汁を吐きまくった時に『あ~あ』って言ってたのか」

「そそっ。で、このロドザネウスって部屋は、教会が面倒見てる子とか近所の子とかが面白がってゴミを捨てすぎちゃった時、その子を寝泊りさせるための部屋なんだよね。ゴミで汚れる事を前提にしてるから、広めの間取りで物も極力置かず、井戸のある中庭にすぐに出られるように扉もついてるってわけさっ」


 説明を聞き、得心が行った俺は「ははぁ」と感嘆の声を漏らした。部屋の名前が勤労と清潔を司る神様の名前になってるのはそういうわけか。


「まぁ、大体の人は子供時代に一度やらかしてゴミ山に埋もれてるね。やらかして以降は、二度とゴミに埋もれたくないからなるべくゴミを道端に捨てないようになるんだけど」

「なるほどな。ゴミを回収してくれる便利な魔法が、ちょっとした情操教育も兼ねてるってわけか。いやあ~、カーリー・ガリー魔法博士ってのはなかなか大した人物だなぁ!」

「おいゴルァ! 埋もれたままのあたしの心配もせんかい!」


 ゴミ山の中からマリーがズボッと頭を出しつつ叫び声を上げた。その体には、よく分からないヘドロみたいなものや小さなゴミがへばりついている。


「おやあ? なァんかゴミの山から汚らしい小さな虫みたいのが這い出て来たぞぉ……あっそうか、ゴミに埋もれてるからゴミ虫かぁ!」

「上等じゃゴラ! あんたの口にもこのゴミをねじ込んでやるわ!」

「うわっ! 冗談抜きで汚いからやめろ! ほれっ、水で洗い流してやるから大人しく中庭に行くぞ。その後はお前がゴミを中庭に運び出すんだぞ。そしたら俺が焼却処分してやるから」

「ちょっと! なんであたしがゴミを運び出さなきゃいけないのよ! あたしは被害者なのよ!? もっと労わりなさいよ!」

「何が被害者じゃ! お前の自業自得だろうが! もし嫌だって言うんなら、今すぐお前ごと丸焼きにしても俺は一向に構わんのだが?」


 そう言って両手をマリーの方へ向けると、マリーは「ひっ! やりますやります! だから手を向けないで!」と一転して素直に従った。俺は「全く、最初からそう言えよな」と言いながら室内に入り、ゴミまみれのマリーに触れないように気を付けつつ、中庭につながる扉を開いてやったのだった。




「あ~、朝っぱらからひどい目にあったわ……あんな魔法作るなんてカーリー・ガリーとか言う奴、絶対に頭がおかしいわよ。きっと暗黒面に落ちた、ろくでもない悪逆無道の魔法使いに決まってるわ!」

「いやいや、お前みたいなのが悪さしない仕組みを作ってくれてんだから善良な魔法使いに決まってるだろ?」


 俺の反論を聞いたマリーが「そんなわけないでしょうが!」と胸ポケットからぎゃあぎゃあ吠えた。部屋のゴミの片づけをきっちりと終えた後、俺は京四郎を起こして身支度を済ませ、ヴェルヌイユさんの案内で第三礼拝堂へと向かって大通りを歩いていた。


「でも、全くの的外れとも言えないかもしれませんよ。神学校時代に私が聞いた話だと、魔法の研究を第一に置くあまりに周りの魔法使いと対立したとか、結界術を解析しようとして王家と揉めた、なんて話もありましたから。魔法の発展のためには犠牲を厭わなかった人物だったみたいですね。まぁ、あくまでも噂ですが」


 ヴェルヌイユさんの話を聞いたマリーは「ほら、やっぱり変人なのよ!」と喜びの声を上げた。う~ん、魔法の研究第一か。その道を究めるような人ってのは、何かしら常識から外れてる部分があるってことなのかな。


「あっ、私はちょっと漁業ギルドの親方の所に寄るからこっちの道行くね。用事が終わったら私もすぐに礼拝堂に行くから。んじゃ、サラっちによろしく~」


 手を振りながら横道に入っていくセツカに、俺も「おう、また後でな」と言って軽く手を振った。セツカと別れ、礼拝堂へ向かってまた歩き始めていると、ふとヴェルヌイユさんが「そうだ、サラといえば」と口を開いた。


「実はその、サラは魔物が少々苦手でして……非常に申し訳ないのですが、マリーさんは祭礼の予行が始まるまで身を隠していてもらえないでしょうか?」

「あらまぁ、魔物が苦手ですって? まっ、その辺の有象無象の魔物には品や格ってものが備わって無いものねぇ、苦手になるのも仕方がないわ。でも安心しなさい! この妖精界の至宝こと超神聖妖精王マリー様の気品と風格と麗しさと神々しさを目にすれば魔物への苦手意識もがぼぼぼっ!」

「おい、お前を目の当たりにした日には一生消えない傷が心に刻まれちゃうこと間違いなしなんだから、大人しくそこで姿隠してろよ。安心してください、俺が責任持ってこいつを押し込んでおきますから」


 マリーを胸ポケットに押し込みつつ、俺は自信満々に返事をした。俺の言葉を聞いたヴェルヌイユさんは「すみません、助かります」とほっとしたような顔になる。


「ちょっと! 魔物が駄目って言うんならキョウシロウも駄目じゃないの!? なんであたしだけ駄目なのよ! 妖精差別反対! 妖精にも権利を!」

「えっ、キョウシロウ君も魔物だったんですか!?」


 ヴェルヌイユさんが驚いた顔になり、俺と連れ立って歩いている京四郎に目をやった。ヴェルヌイユさん、京四郎が魔物って気づいてなかったのか。まぁ尻尾以外の見た目は完全に人間だし、肝心の尻尾はセツカが仕立てた服でちょっと隠れてて見えにくいから、気づかないのも無理は無いか。


「う~ん……確かに、魔物という点ではキョウシロウ君にも隠れていて欲しい所ではありますが……まぁ、これほど人間に近い見た目ならサラも気づかないでしょうし、キョウシロウ君はそのままで大丈夫でしょう」


 その言葉を聞き、マリーは「うごごっ! 不当判決~!」と不満げな声を漏らしたが、俺は「良かったな~、京四郎! 隠れなくていいってさ!」と京四郎の頭をくしゃくしゃっと撫でてやった。流石は京四郎だな。やっぱ羽虫なんぞとは格が違う、選ばれし魔物なだけあるわ。


 そうこうしている内に俺たちは大通りを抜け、開けた広場へと辿り着いた。教会のあった広場と同じく真ん中あたりに噴水があり、一角には教会によく似た造りの建物がそびえている。ヴェルヌイユさんはその建物の方へ向かい、正門の前に立って扉を数回叩くと、ほどなくして中からシスターさんが顔を覗かせた。


「おや、先生じゃないですか。どうなさいました?」

「客人に祭礼の予行をお見せしようと思いましてね。サラはいますか?」


 シスターさんは「サラさんですね、只今呼んで参ります。どうぞ中でお待ちください」と扉を開き、俺は胸ポケットのマリーに「いいか、大人しくしてろよ」と小声で釘を刺してから建物の中へと入った。


 目だけで軽く内装を観察してみる。玄関ロビーの造りは寝泊りした教会とほとんど同じ感じになっており、入ってすぐ真正面に大きな扉があるのも同じだ。この様子だと部屋の配置とかも同じなのかなと思っていると、「先生、いらっしゃったんですね! お客様もご一緒とか」と、綺麗に澄んだ声が耳に届いた。


 声のした方へ目をやると、横の廊下からこれまでのシスターさんとは少々雰囲気の異なる若いシスターさんが姿を見せていた。ぱっと見はセツカと同じくらいの年頃の少女なのだが、柔和な笑みからは落ち着いた大人かのような印象を受け、肘くらいまであるさらりと長い銀色の髪が光を穏やかに反射して輝くようだ。


「やあ、サラ。こちら、セツカの知り合いのマキノさんとキョウシロウ君です」

「まぁ、セツカさんのお知り合いですか? はじめまして、サラ・エルカリアと申します。どうぞ気軽にサラとお呼びになって下さい」


 サラさんは透き通った翡翠色の目を俺に向け、恭しく右手を差し出した。その手を握り返しながら、


「どうも、シンタロウ・マキノと言います。こっちは京四郎です。お祭りの準備でお忙しい中、俺達みたいな部外者のためにわざわざすみません」


 と言うと、サラさんは「いえいえ、とんでもない。どうぞごゆっくり見学なさって下さい」とにこりと微笑みを浮かべた。う~ん、ヴェルヌイユさんと言いサラさんと言い、セツカの知り合いなのにとんでもなく常識人だな。これくらい人間が出来てないとセツカとは付き合っていけないってことなのかね。本人に言ったらぶん殴られそうだけど。


「では、私は予行の準備に戻りますので失礼させていただきますね。先生、マキノさん、キョウシロウ君、また後ほど」

「ええ、分かりました。それでは私たちは礼拝堂の中で待ってましょうか」


 サラさんを見送ると、ヴェルヌイユさんは真正面にある大きな扉を開いた。中は予想通り礼拝空間となっており、奥の祭壇らしき場所では何人かのシスターさんがせっせと飾り付けをしていた。広々とした空間に長椅子が整然と並び、高い天井と壁が荘厳さを醸し出しており、窓には煌びやかなステンドグラスがふんだんに使われている。心なしか赤色のガラスが多いのは、エルカさんの事を意識してるからなのかな。俺はちょっとトラウマが呼び起されて怖いけど……。


 通路をある程度進むと、ヴェルヌイユさんが「この辺で座って待ってましょうか」と長椅子に腰を下ろし、俺と京四郎もその横にちょんと並んで座った。


「マキノさんは感謝祭は初めてなんですか?」

「ええ、今回が初めてです。祭礼って言うのはどんな事をやるんですか?」

「まず、神官が父神オルディグナス様に感謝する言葉を述べた後に一連の儀式を済ませ、次いで、穀持ちに選ばれた巫女がエルカ・リリカ様に扮して儀式を行うんですよ」

「あっ、その『穀持ち』って何なのか詳しく聞いてもいいですか? 確か、昨日もセツカが言ってましたよね」

「穀持ちというのは、その名の通り穀物を持つ役目の事ですね。神話によると、ウォルシュといった穀物を人々に授けて繁栄に導いたのはエルカ・リリカ様ということになってますから、儀式では穀持ちがエルカ・リリカ様に扮し、人々に穀物を授ける場面を再現するというわけです」


 説明を聞き、俺は「なるほど」と頷いた。エルカさんに扮して穀物を授ける、かぁ。「なまはげの格好をして子供たちを脅かす」みたいな感じかな、と考えていると、シスターさんの一人が近寄ってきて「では、そろそろ予行を始めさせていただきますね」と声をかけてくれた。いよいよか、なんだかこっちも緊張してきたぞ。


 軽く腰を浮かせて座り直し、居住まいを正していると、背後の方から扉が大きく開かれる音が聞こえた。俺は上体をひねって後ろに顔を向け――思わず、目を見張った。


 壮麗な白い衣装に身を包み、手に稲穂のような物を持ったサラさんが入口の所に立ち、後方に二人のシスターさんを引き連れてゆっくりと礼拝堂の中へ歩んできていた。エルカさんが着ていたギリシア風のワンピースと似たような衣装だが、スカート部分はふうわりとやや膨らみ、一見するとドレスのようにも見える。生地はシルクのようにさらりとし、所々に華やかな赤い刺繍が施されていた。白と赤の生地を織り交ぜて作られたヴェールの下からは翡翠色の瞳が覗き、とても神秘的だ。


 俺はサラさんを見つめたまま、ほうっと感嘆の溜息を漏らした。いやはや、こりゃたまげたなぁ。生のエルカさんに会ったことのある身だけど、実物よりもよっぽど神々しい気がするぞ。こんなに美麗に再現してもらえるなんて、エルカさんもさぞや本望に違いあるまい。


 そのまま通路を静々と進んでくるサラさんを眺めていると、ふと、サラさんが俺たちの横あたりでぴたりと歩みを止めた。俺は特に何も思わなかったのだが、後ろの二名のシスターさんが何やら顔を見合わせているのが視界の隅で見え、おやっと思っていると――突如、サラさんの綺麗な銀色の髪が見る見るうちに赤く染まり始めた。


 突然の出来事にぎょっとしてサラさんの顔を覗き込むと、翡翠色だった瞳もルビーのような赤い色へと変貌していた。お、おいおい、赤い髪に赤い瞳って、これじゃまるでエルカさんみたいだ――と、そうか、「エルカさんに扮する」んだから、髪の毛や瞳の色が変わるのも演出の内なのかもしれないな。何か魔法で髪や瞳の色を変えたんだろうか、と考えていると、周囲のシスターさんたちがざわざわと騒然としている事に気が付いた。


 あれっ、これって演出じゃないのか? と不思議がっていると、シスターさんの一人が「か、神降りだわ……」とぽつりと言葉を漏らす。「カミオリ」……? コリオリの親戚か?


 すると、それまで固まっていたサラさんがビクッと体を大きく震わせ、きょろきょろと忙しなく周囲を見渡し始め――ばちっ、と俺と目が合った。赤い目が大きく見開かれ、ずいっと俺の方へ近寄って来る。そして、がしっと俺の両手を掴み、


「よ、良かったあ! 牧野さん、いたあッ!!」


 と、叫び声を上げた。先刻までの大人びたサラさんの雰囲気とは全く異なり、顔には情けない表情を浮かべ、ぶんぶんと手に持った稲穂のような物を振り回して落ち着きの無い様子だ。そして何より、口から発せられるその声はサラさんの声とは全くの別物で、俺は驚きながらも同時に懐かしさも感じていた。


 そう、忘れもしない。この声は――


「ま、まさか……エ、エルカさんなんですか!?」

「そうです、そうです! 分かりますか!?」

「勿論ですよ! その返り血に染まったかのような真っ赤な髪と瞳、地獄の釜の蓋が開いたかのようなドス黒いオーラ、獲物を前にして逸る猛獣のような落ち着かない動き……よりによって、この俺が見間違えるわけがないでしょう!?」

「え!? 今なんか色々と比喩おかしくありませんでした!? ひ、ひとまず置いておいて……いや~、この街にいてくれて本当に助かりましたよ! 何度か夢枕に立って、霊力の高い子がいるこの街に来るように伝えようとしたんですが、何故か毎回失敗しちゃって……一体どうしたものかと悩んでたんですよ……」


 そう言うと、エルカさん(仮)は「はあぁ……本当に良かったぁ……」と深く息を吐いた。霊力の高い子、っていうのはサラさんのことだろうか。てか「何度か夢枕に立って」って……まさか、最近悪夢を見まくってたのはエルカさんのせいなのか!?


「エルカさん、今まで一体何してたんですか!? 俺、魔法の使い方も分からずにこの世界に放り出されて、殴られるわ尻を狙われるわドラゴンに襲われるわで、本ッ当に大変だったんですよッ!!」

「い、いえその……溜まってる仕事が一通り片付いて、ホッと一息ついてたら、そういえば牧野さんの愛読書に『ドラゴンボール』があったなあ~って思い出しまして……それから全巻一気読みして、劇場版も見てたら……その、ちょ~っと遅くなっちゃったというか……」

「いやおかしいでしょ!? そこは『そういえば牧野さんの様子見に行かなきゃなあ~。あっ、魔法の使い方教えるの忘れてた! 早く教えないと!』じゃないんですか!? 何ちゃっかり劇場版まで見てるんですか!!」

「いや確かに悪かったですけどテレビ版じゃなかっただけマシでしょう!?」

「そんなの大して変わりませんよ! 五十歩百歩です!」


 俺が舌鋒鋭く指摘すると、エルカさん(仮)は「うぐぐっ!」と呻き声を漏らして黙り込んでしまった。うん、変わらないね、このお方……。


 そのまま恨みがましい視線を向けていると、エルカさん(仮)はあわあわしながら「ま、まぁ、過去は過去! それよりも未来フューチャーに目を向けましょう! Yes We Can!」と、まるでマリーのような事を言い出し、更に言葉を続けた。


「私が遥々こうして霊力の高い子の体を借りてまでやって来た、本来の目的を果たさないと! いいですか、牧野さん! 魔法の使い方は――」

「いや、もう使い方知ってますよ」


 俺がいつぞやのようにエルカさん(仮)の言葉をすぱっと分断すると、エルカさん(仮)は目をパチクリさせて「えっ? えっ? もう使い方知ってる?」と戸惑い始めた。


「ええ、たまたま知り合ったムツメって奴に教えてもらいました」

「えっ、えっ、じゃ、じゃあ羊羹の出し方は知ってますか!? 一日一回、『羊羹食べた~い』って叫べばいいんですけど……」


 あ、「食いてぇー!」じゃなくて「食べた~い」でもいいんだ……。


「それは、自分で発見しました」


 俺の言葉を聞いたエルカさん(仮)は口をぽかんと開け、埴輪はにわのような顔になってしまった。そのまま魚のように口をパクパクさせ、言葉を紡ぐ。


「え、えっと……じゃあ、何か困ってる事は……ありますか……?」

「強いて言うなら……今、周りの人の注目を集めすぎて困ってますかね……」


 エルカさん(仮)は「えっ?」と言葉を漏らし、周囲にきょろきょろと視線を向けた。周囲の人々は先程から、俺たちのやり取りを唖然とした表情でただただ見守っていた。そりゃ、自分たちが信仰してる神様が降臨したと思ったら見学に来た客人と突然言い争いを始めたんだから、言葉も失うわな。


 状況を理解したエルカさん(仮)は、再びあわあわと情けない表情になり、


「え、ええっと、では魔法の使い方も羊羹の出し方も既にご存じなんですね! いやあ~、良かった良かった! そ、それじゃ、ひとまず私はこれで失礼しますね! この子にいくらか情報を残していきますから、何か困ったことがあったらこの子に聞いて下さい!」


 と言って、右手をびしっとさせて別れのポーズを取った。場を引っかき回すだけ引っかき回して帰るって、この神様は一体何のために降臨したんだ……。


 流石の俺も呆れた顔をしていると、エルカさん(仮)は「あっ、そうだ。最後に一つ、忘れてることがありました」と言うと、作り物のように均整の取れた笑顔を浮かべ、それまでの落ち着きの無かった雰囲気が一転して静かな佇まいとなった。


 あれっ、と思うや否や、周囲の空気が凍り付いたかのように寒々とし始め、エルカさん(仮)の背後から赤黒い靄がすうっと俺の喉元へと伸びて、ぐるりと絡みつき――


「『コネ魔神』の件は、後日、改めてお聞きしに伺いますからね」


 きゅっ、と俺の首を絞めてから、消えた。


 まるで死刑宣告のような脅しに、俺は「ヒ、ヒィィーッ!」と腰を抜かしてその場に倒れ込んだ。嫌な汗が体中から噴き出し、恐怖のあまり両足は生まれ立ての小鹿のようにブルブルと震えてしまっている。な、何故だ、コネ魔神の件、エルカさんにバレているぞ……!? も、もう駄目だ、お終いだ……。


 地面にへたり込んだままガタガタと震えていると、エルカさん(仮)の髪と瞳から赤い色がすうっと抜け始め、元のサラさんの綺麗な銀髪と翡翠色の瞳へと戻っていった。こ、これはエルカさんが帰って、サラさんの人格に戻ったってことなのか?


 ぽかんと呆けた顔をして固まっているサラさんに「あの、サラさん、だ、大丈夫ですか……?」と座り込んだまま声をかけてみると、サラさんがハッとしたような顔になり――ぎろっと鋭い目で俺を睨みつけた。


 まだエルカさんのままなのかとギョッとして「ひぃっ!」と小さく悲鳴を上げると、その次の瞬間には、サラさんの表情は最初に会った時のような穏和な笑顔に戻っていた。あれ、やっぱりサラさんに戻ってるのか? エルカさんの残留思念か何かで、一瞬気性が荒くなっちゃったのかな……立ち去ってからも俺をビビらせるとか、迷惑な神様だな全く。


 ようやく過ぎ去った台風にホッと胸を撫で下ろしていると、横の方から「ええと……サラ、マキノさん、今のは、一体……?」とヴェルヌイユさんの戸惑った声が聞こえてきた。目をやると、ヴェルヌイユさんは困惑した顔で俺とサラさんを交互に見比べていた。周囲のシスターさんたちも同様に戸惑い顔だ。


 う~ん、今までのやり取り、間近で全部見られちゃったな……こりゃ全部説明した方が良いかもな、と思っていると、サラさんが手で俺を制し、口を開いた。


「こちらのさん……エルカ・リリカ様の眷属、だそうです」

「は……? えっ、エルカ・リリカ様の眷属!?」


 サラさんの言葉を聞いたヴェルヌイユさんや周囲のシスターさん達が、驚愕の表情で俺を見据えた。衆目に晒された俺は、頭の後ろに手をやりながら、


「ど、どうも、エルカさんの眷属をやっております、牧野新太郎と申します」


 と、軽く頭を下げた。

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