第21話 羽虫を高く吊るせ!

 その後しばらくはセツカの先導で草原を走り抜けていたのだが、俺達は現在、鬱蒼とした森林の中を突っ切っていた。


 背の高い木々が日光を遮り、昼間だというのに辺りは薄暗く、じとっとした嫌な湿気が肌に絡みつく。地面は所々ぬかるんでおり、歩みを進めると足元からぐちゃぐちゃという音が聞こえてくる。そのぬかるみに足を取られそうになる度に、俺は慌てて周囲の木々に手をやって体を支えていた。咄嗟に手が使えるように、京四郎には肩車の状態で乗ってもらっている。


 土地勘の無い俺は「近道か何かなのかな」と黙って付き従っていたのだが、一向に森林を抜ける気配が無く、疑念はどんどん膨らんでいくばかりだった。またもや足を滑らせた時、さすがに堪りかね、俺はやや前方にいるセツカへと言葉を投げた。


「なあ、この道って街へ行くにはどうしても通らないといけないのか? ちょっとくらい遠回りになってもいいから、普通の道を通りたいんだけど……」

「ん? こっちは街の方角じゃないけど?」


 セツカがしれっとした様子で答え、俺は意味が分からず「はぁ?」と言葉を漏らした。


「えっ、じゃあなんでわざわざこんな森の中を歩いてるわけ?」

「なんかねぇ、出発前にマリーが『この森に大事な用があるから寄ってほしい』って頼んできたから、街へ行く前に寄り道してるんだよー」


 マリーが? と思いながら胸ポケットに目をやると、マリーも会話を聞いていたのか、にゅっと頭を出してきた。


「おいマリー、大事な用って何なんだ? 今じゃなきゃ駄目なのか? もしもくだらない用事だとしたら、突然の天候不良による雷がお前を襲うことになるが」

「ちょっ、雷は本当にやめて下さい! ただ、そうね……詳細は伏せておくけど、今じゃなきゃ駄目、とは確かに言えるわよ! まっ、慌てなくともそのうち分かるわよ」


 マリーがポケットの中で自信あり気にフフンッと胸を張った。こいつ、本当かよ……これまでの行いが酷すぎて全く信用できんのだが。


 今すぐに引き返した方がいいんじゃないか、と思っていると、前方のセツカが歩みを止めて「う~ん」と唸りながらきょろきょろとしているのが目に入った。


「どした? そんなとこで立ち止まって」

「いや、な~んか見られてるような気配がするんだけど、その気配の出所がつかめないんだよねぇ……全方向から見られてるような感じっていうか……シンタローは何か感じない?」

「えっ、見られてるような気配?」


 どきっとしながら、耳に手を当てて周囲の音を探ってみる。エルカイヤーで集中して音を拾ってはみるが、聞こえてくるのは「ギャア……ギャア……」という遠くから響く不気味な鳴き声だけで、近くに何者かが潜んでいるような感じはしなかった。


「う~ん、俺は何も聞こえないな……すごく遠くから変な鳴き声はするけど……」

「遠くじゃなくて、絶対に近くに何かいるんだけどなぁ……」


 セツカはそう言って、目を細めながら周囲をじろじろと観察していた。すると、唐突にマリーが「あっ、そうか!」とポケットの中から声を上げ、シュッと飛び出してきた。


「ウネ子、いるんでしょうッ! 素直に姿を見せなさい!」


 マリーが怒声を上げながら、鋭い目つきで周りを睨みつける。「うねこ?」と疑問符を浮かべていると、にわかに周りの木々がざわざわと揺れ、ざざあっと蠢き始めた。


 セツカがこぶしを構えつつ周囲を警戒し、俺も肩車している京四郎の足を掴んだ格好で身を縮こまらせて様子を窺っていると、俺たちの眼前で何かがウネウネとしているのが目に入った。蛇かと思って咄嗟に後ずさったが、よく見るとそれは植物の蔓のようだった。更に、地面から巨大なつぼみがボコリと生え出て来たかと思うと、ゆらりと大きな花弁が開き――中から、緑がかった少女が姿を現した。


 花弁から上の部分だけ見れば人間の少女そのものだが、体の所々に葉っぱや蔓が絡みついており、頭の上にはちょこんと小さな花が咲いている。こういうのって確か……アルラウネっていう魔物か? おお、ピーちゃんはもろに植物だけど、こっちは何か人型でかっちょいいな!


 新たな魔物の登場で少し興奮している俺とは裏腹に、目の前のアルラウネはギロッと鋭い目つきを俺たちの方へ向けていた。


「マリー……あんた、よくも私の前に姿を見せられたものね」

「ふんっ、それはこっちが言いたいわよ、ウネ子ッ!」


 アルラウネとマリーが睨み合い、刺々しい言葉が飛び交う。あっ、もしかしてアルラウネだから「ウネ子」なのか? こ、こう言っちゃ失礼だけど、安直だな……魔物は名前に無頓着なんだろうか。


 状況が良く飲み込めないまま眼前の光景を見守っていると、ウネ子が俺と京四郎に順に目をやり、更にセツカの方にもちらっと目を向けてから口を開いた。


「……その、背後にいる三人は何? 一人は殴道宗みたいだけど、金でも渡して雇った傭兵?」


 おお、仲間って選択肢が除外されてる辺り、確かにマリーの知り合いらしいな、と思っていると、マリーが「はっ」と小馬鹿にしたような声を漏らした。


「根っこだけじゃなく目まで腐ってるのかしら? このヘンテコな格好の人間は、あたしの新しい巣よ! それだけじゃないわ、この人間はね……なんと、エルカ・リリカの眷属なのよッ!」


 ウネ子が「えっ!?」と驚いた顔を俺に向ける。マリーの奴、あんなに妄想だの何だのと俺を散々馬鹿にしてたくせに、いつの間にか信じてたのかよ……。


「隠れてあたし達の様子を窺ってたところを見ると、こいつの尋常じゃない魔力はあんたの腐った目でも感じ取れたようね? ちょっと離れた場所に姿を見せたのは、いざとなったら地中に逃げ込んで広大な森を隠れ蓑にしようって算段なんでしょ? 殴道宗の奴らはしつこいけど、土の中までは簡単に追って来れないものね。ただ、残念だけど……こいつの肩の上に乗ってるのは、神の眷属の力によって戦闘力を遥かに飛躍させた迷宮土竜なの。あんたが地面に逃げ込もうが、ここら一帯を丸ごと掘り返す事だって可能なのよ! しかも無詠唱でね!」

「な、なんでそんな大物があんたなんかとつるんでるわけ……!?」

「不当に森を追い出された後にね、あたしはとあるダンジョンでこいつらと運命の出会いを果たしたのよ……。そこで意気投合したあたし達は、一緒にドラゴンとも戦い、苦戦しながらもあたしの妖精汁の活躍もあって何とか撃退し、激しい戦いを経て、あたし達の絆はより深くかつ確固たるものになったってわけよ!」


 調子よくベラベラと喋るマリーに対し、ウネ子は愕然とした顔で俺たちの方を見つめていた。なんか、好き勝手に話が進んでいくんだが……確かに一緒にドラゴンと戦って追い返したし、妖精汁も一応活躍はしたがな……。


 俺は事情を聞こうと、二人の方へ疑問を投げかけた。


「なぁ、そっちのウネ子さん? とマリーは、なんでいがみ合ってるんだ?」

「……詳細は聞いてないの? そこのマリーはね……私が楽しみにしてたクレールの果実を……あろうことか、収穫予定日の前日に全部もぎ取って食べやがったのよ!」


 ウネ子は荒々しい声でそう言うと、ギッと憎しみに満ちた目をマリーに向けた。


「はァ~? あたしは自生してた食べ頃の果実を偶然、たまたま、幸運にも見つけたから食べただけなんですけど? それがなんで責められなきゃいけないんですかァ~?」

「私があのクレールの実を丹念に世話してて、収穫の日を楽しみにしてたのはあんたも知ってたでしょうが! それを、よりによって前日に全部……!」

「はァァ~? あのクレールの実はね、あの日が最高に食べ頃だったのよ! もしもあれ以上時間が経ってたら味はガクンと落ちるところだったわ! 最高の状態で食べてあげたあたしに、むしろ感謝してほしいところよ! ちなみに最ッ高に美味しかったですッ!」


 マリーが「ぶひゃひゃひゃっ!」と高笑いし、ウネ子は「こ、この糞虫が……!」と苦々しそうに言葉を漏らした。俺はそのやり取りをぽかーんとした顔で黙って聞いていた。うん、これって、羽虫マリーが全面的に悪いですよね……。


「さぁ、覚悟は出来たかしら!? このあたしにいちゃもんをつけ、森から追い出したことを震えながら後悔するがいいわ! 逃げられるものなら逃げてごらんなさい? 運良く森のどこかへ隠れられたとしてもね、あたしの巣がその無尽蔵な魔力で火魔法を放ち続け、この森を火の海に変えてやるわ! 森なのに海とはこれ如何に! さあ、シンさんキョウさん、懲らしめておやりなさいッ! ひゃーっひゃっひゃっ!」


 調子に乗ったマリーの言葉を聞き、ウネ子は「ひぃぃ……!」と悲鳴を漏らしながら、その場にへたり込んだ。ガタガタと体を震わせ、顔面は蒼白で、その目には涙がにじんでいる。


 俺は、黙ったままマリーの方へと歩みを進め、右手でマリーを鷲掴みにし――


「どうぞ、煮るなり焼くなり好きにして下さい」


 と、ウネ子の方へ差し出した。ウネ子が「へぇっ?」と裏返った声を漏らし、マリーは「ちょっ!?」と驚きの声を上げた。


「おいゴルァ! あんたあたしの巣のくせして、あたしを裏切る気!? あたし達の絆はどこへ行ったの!? 一緒にドラゴン撃退した仲でしょうが! この人でなし!」

「裏切るも何も、俺はお前の巣になったと完全に認めたわけじゃないし、絆も何もねえよ。それにサイモンと和解出来たのは、俺のケツっていう尊い犠牲があったからだからな? そこを勘違いするなよ?」


 俺を説得するのは難しいと判断したのか、マリーは「ぐぎぎっ!」と呻きつつ、今度はセツカの方へと顔を向けた。


「ほ、ほらセツカ、あんたの待ち望んでた魔物よ! 思う存分に殴り愛しなさいな! あたしが許可するわ、遠慮はいらないわよっ!」

「ええ~? 魔物って言っても、私が望んでいるのは強者であって、そんな木っ端程度じゃ食指が動かないよ?」


 セツカはつまらなそうな顔をして返事をし、マリーが「うごごっ!」とまた呻いた。当人を前にして木っ端呼ばわりとは失礼な奴だなと思いつつも、セツカもマリー側に付きそうには無いので、俺はほっと胸を撫で下ろした。


 俺はへたり込んだままのウネ子へと近づき、「ほら、思う存分こいつに復讐していいですよ」とやさしく声をかけた。呆気に取られたような顔をしていたウネ子がハッとした顔になり、


「や、優しいおじさん……」


 と、ぽつりと言葉を漏らした。


「『お兄さん』、ね」


 思わず語気を荒げてしまい、ウネ子が「ひぃっ!」と小さく悲鳴を上げ、右手で握ったままのマリーは「ぐええっ」とカエルのような声を漏らした。おっと、いかんいかん、ちょっと力んでしまったようだ。また怖がらせてしまったかな。


 ウネ子は「や、優しいお兄さん……」と引きつった顔で言い直しつつ体を起こし、遠慮がちに口を開いた。


「えっと……それじゃ、妖精汁を搾り取らせてもらってもいいでしょうか……?」

「妖精汁? そんなのでいいの?」

「は、はい……こいつの妖精汁には、植物の育成を促進する作用があるので……」


 そういえばそんな事も言ってたような、と思っていると、蔓がウネウネとしながら木々の間から何かを運んで来るのが目に入った。運ばれてきたのは、木の幹を切断して中をくり抜いて作ったような、巨大な木製のバケツだった。


「それじゃあ……とりあえず、これに入るだけお願いします」


 ウネ子はそう言って、木製のバケツをひょいっと持ち上げた。巨大バケツを目にしたマリーは「ひいっ!」と悲鳴を上げ、「無理無理! こんなに妖精汁出せないってば!」と手の中でジタバタし始めた。


「おい、大人しくしろよ。お前の自業自得だろうが。クレールの実とやらを横取りして散々甘い汁を吸ったんだろうから、そのツケを妖精汁で支払えばいいだけだ。単純な計算だろ?」


 俺の言葉を聞いてもマリーは手の中で暴れ続け、それを抑え込んでいると、不意に頭上から「話は聞かせてもらったわ! 私もちょっと良いかしら?」と女性らしき声が聞こえてきた。


 驚いて顔を上げようとするが、それよりも早く、頭上から何かがどさっと地面へ降り立った。眼前に現れたのは、大人びた感じの女性の上半身に、蜘蛛のような下半身を持つ魔物――いわゆる、アラクネだった。


 唐突な新しい魔物の登場に面食らっていると、マリーが「げぇっ! クネ子!」と叫び、ウネ子も「あら、クネ子もいたんだ」と声を漏らした。こ、今度はアラクネだから「クネ子」なのか?


「ええ、マリーがやたら強そうな人間を引き連れてるから、様子を窺ってたんだけど……どうやら話の分かる人間さんみたいで良かったわぁ。私もこいつにヴィダーの実を全部かっ攫われた事があってね……私の分の妖精汁もお願いしていいかしら、『優しいお兄さん』?」


 クネ子がそう言いながら、俺の方にちらりと目を向けた。俺はクネ子の顔を真っ直ぐに見据え、


「どうぞどうぞ! この際だから、マリーに恨みのある魔物を一気に全部引き連れて来てくれても構いませんよ! 俺が責任をもって、きっちり取り立てますからね!」


 と、満面の笑顔で答えた。


 それを聞いたクネ子もぱあっと顔を輝かせ、「まあ! それじゃマメ子も呼んできましょうか! 確かマリーに魚を根こそぎ食われたことがあるって言ってたわよね?」とウネ子へ声をかけた。ウネ子も「確かそのはずよ! じゃあ私、皆の分の入れ物も用意するね!」とウキウキした様子で答える。マメ子……魚……あっ、今度はマーメイドで「マメ子」かな?


 和やかな雰囲気になる俺やウネ子たちとは対照的に、マリーは俺の右手の中で真っ青になり、ガタガタと震え始めていた。


「ま、まさか……こ、こんなことが……! あっ、そっ、そうだわ! 引き分け! 引き分けにしましょう! 北方のプッツィン大司教も、引き分けによって都市間の争いを収めたと聞いたことがあるわ! 無駄な争いは憎しみを生み出すだけよ! 憎しみの連鎖は今ここで断ち切らないといけないわ! ねっ? だからこんな不毛な争いは今すぐやめて、寛容の精神をもって、輝かしい未来へ共に一歩を踏み出しましょうッ!」

「輝かしい未来へ一歩を踏み出すために、今ここでお前の悪行を清算してやろうって話をしてんだろうが。知ってるか? こういうのを因果応報って言うんだよ。良かったなァ、身をもって学べて。これでまた一つ賢くなれたから、妖精から小人へ昇格する日もまた一歩近づいたな?」


 マリーの往生際の悪い言葉を一蹴すると、マリーは「いいから離しなさいよ! このド低能がァ――ッ!」と手の中でより一層暴れ始めたので、俺は手を強く握り直してそれを押さえつけた。


「あっ、そういえばラミ子とハピ子も恨みがあるって言ってたような……」

「よし、入れ物持ってきたよー」

「おっ、じゃあ、とりあえず今ある入れ物に妖精汁を搾っていこうか」


 マリーを無視して段取りを進めていると、マリーは「ひっ、ひひい!」と悲鳴を漏らし、


「だっ、誰でもいいから助けて下さ――――――――――――――いッ!」


 と、絶叫した。

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