第二章 エルカ・リリカ感謝祭編

第20話 ナイトメアー・ビフォア・エルカ・リリカ感謝祭

 声が、聞こえたような気がした。


 自分の体の境界が曖昧になり、溶け出して周囲と混ざってしまったような感じで、意識がはっきりとしない。


 暗闇の中を手探りで灯りを探すかのように、意識を研ぎ澄ませる。


――…………牧…………さん…………――


 また、声が聞こえた。


――……牧野さ…………聞こえ……か……――


 今度は、さっきよりもはっきりと。


――牧野さ…………牧野さん、聞こえますか……――


 ようやく聞き取れたその声は、どこか懐かしく、かつ穏やかな声色だった。


 この声の主は……まさか、エルカさんなのか!?


――ああ、良かった……やっと通信が安定しました……牧野さん、実はお伝えしたいことが……――


 ひっ、ひいいいッ! エ、エルカさんが化けて出たッ!


――あれっ……ちょっ、牧野さん!?――


 ひぃ――ッ! ごめんなさいごめんなさい! お前の父ちゃんコネ魔神って言ったのはほんの出来心だったんです! そんなつもりじゃ無かったんです! 大人しく成仏して下さい! 南無妙法蓮華経……! エロイムエッサイムエロイムエッサイム……我は求め訴えたり……!


――えっ……コネ魔神って一体!?……そ、それよ……落ち着……また通……不安定……――


 エルカさんの声がノイズのようなものに包まれて聞き取りにくくなるが、俺は気に留めず、一心不乱に呪文を唱え続けた――。




「ひぃ――ッ! ごめんなさいごめんなさい! 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮……あれ?」


 長い悪夢から飛び起きると、そこはログハウスだった。心臓がバクンバクン脈打ち、それに連動して上半身も僅かに揺れ動く。ハァハァと荒い息を漏らしながら周囲を見渡すと、開いた突き上げ窓から朝日が差し込み、室内を爽やかに照らしていた。良かった、俺、確かに生きてるぞッ……!


 生の喜びを噛み締めていると、マリーがぶ~んと羽音を響かせながら飛んできて、ちょんと俺の肩に乗っかった。


「あらま、ようやく目が覚めたのね。なんかずっとうなされてたけど、よっぽど悪い夢でも見てたの?」

「ああ……何か、とんでもなく恐ろしい夢を見てたはずなんだが、内容はもうすっかり思い出せないな……」


 ふぅ、と小さく息を吐く。大量の冷や汗で体中がじっとりとしており、ぐいっと腕で額の汗をぬぐうと、ぬぐった汗が妙にべたついている事に気が付いた。


「あれ? おいマリー、一つ聞くけど……お前、俺に妖精汁かけてないよね?」

「かけたけど? 随分とうなされてるようだったからぐえええ! ちょっ鷲掴みはやめぐえええ!」

「やっぱりか! 妙にべたべたするからおかしいと思ったんだよ! 悪夢の原因はお前の妖精汁じゃねえだろうな!?」


 俺の手からしゅぽっと抜け出たマリーが、俺を睨みつけながら口を開いた。


「失礼ね! あたしの妖精汁には鎮静作用もあるんだから、良かれと思ってかけてあげたのよ!?」

「結局うなされて飛び起きたんだから効果無かったって事だろうが!」


 俺とマリーが怒鳴り合っていると、俺の横で眠っていた京四郎が布団の中でモゾモゾしながら「んん……」と声を漏らした。叫び声がうるさくて目が覚めてしまったようだ。


「おっと、京四郎ごめんな、この羽虫の羽音がでかすぎて目が覚めちゃったか。おいマリー、近所迷惑だから今すぐにその羽をむしって小人に昇格しろよ」

「キィーッ! 上等よ! この超神聖妖精王マリーに逆らった者には降伏すら許さないわ! 超神聖妖精王マリーに逃走は無いのよ――ッ!」


 襲い掛かって来たマリーを布団から抜け出て迎え撃っていると、突如、扉が勢い良く「ドカァン!」と開かれた。大きな音に体をビクッとさせて扉の方を見やると、セツカがこぶしを突き出して突っ立っているのが目に入った。


「おいセツカ、お前いい加減扉を殴って開けるのはやめろ! いくらエルカさんが頑丈に作ってあるといってもな、何度も殴ったら壊れるかもしれんだろが!」

「いやぁ~、尋常じゃない魔力がずっとこの家を包み込んでるから、なぁんか殴り愛したい衝動に駆られちゃって……つい、ねっ?」


 セツカがぽりぽりと頭をかきながら、特に悪びれた様子も無く家の中へと入って来た。ムツメやサイモン達がいなくなってから早数日、俺とマリーが朝から喧嘩をし、その声で京四郎が目覚め、更にそこにセツカも乱入してくるという流れが定番のようになってしまっていた。


 セツカが「よいしょっ」と言いながら、椅子を引いて腰かける。サイモンも帰っちゃったんだから、この周辺にはもうろくに強者もいないだろうに、こいつは一体いつまで居座り続ける気なんだろうか……。マリーも引き連れて、さっさと新たな強者の元へと旅立って欲しいもんだが。


 じっと見つめている俺に気づいたのか、セツカが俺の方を向いて口を開いた。


「おっ、どうしたの? 殴り愛でもしたくなった? それとも殴道宗に入門したいとか?」

「どっちもちげぇよっ! ったく……そういや、こんな朝早くから外で何してたんだ? ピーちゃんの世話でもしてたか?」

「そそ、ちょっとピーちゃんに朝ごはんとしてヨーカンをあげてたんだよっ」


 ピーちゃんというのは、この前ムツメが持ってきた種から芽生えた化け物植物の事だ。結局あの後、目を覚ましたムツメとサイモンが植物の大半を吹き飛ばしてしまい、ほんのちょっとだけ残った部分をペットとして皆で飼っているのだった。

 ちなみに「ピーちゃん」という名前は、ムツメ達が植物を一掃した時に花弁が「ピィィ~ッ!」と悲鳴を上げていた事から、セツカが思い付いて命名した。


「まぁ、お前に分け与えた羊羹から更に分ける分には文句は無いけどな、あんまり調子乗って与えすぎんなよ? この前みたいに暴走したらたまったもんじゃないからな」

「大丈夫大丈夫! ちゃんと分量には気を付けてるし、ピーちゃんも角が取れてすっかり丸くなっちゃってて、かわいいもんだよっ!」


 セツカは自信満々に答えたが、俺は不安を消し去れなかった。こいつのことだから、羊羹をせっせと分け与えて「ピーちゃんを強者に育てる!」なんて言い出す可能性も捨て切れんしな……。今のところは食い気が勝って、ピーちゃんにはちょびっとしか与えてないみたいだが。


 俺が怪訝な視線をセツカに向けていると、セツカが「あっ、そうだ」と言葉を漏らした。


「植物で思い出したんだけど、そろそろカルネとかウォルシュとかの収穫時期だから、エルカ・リリカ感謝祭が催されるはずだよっ。そこでさ、皆で一緒に最寄りの街へ見物に行かない?」

「エルカ・リリカ感謝祭? なんだその、そこはかとなく不安を覚えるお祭りは……?」


 そこまで喋ったところで、俺は自分の手がブルブルと震えている事に気が付いた。ば、馬鹿な、何故この俺が「エルカ・リリカ感謝祭」のたった一言でこれほどの震えを……ッ!? この俺が恐怖しているッ!


 手の震えは次第に全身に広がっていくが、セツカはガタガタと震え出した俺などお構いなしに説明を続けた。


「この辺はクレメンタイン地方って言ってね、比較的新しく開墾された歴史の浅い地域なんだけど、農耕に適した気候や土壌だから、豊饒を司るエルカ・リリカ様を守護神にしてる都市が多いんだよね。で、穀物の収穫時期になると、その年の豊作を感謝して、エルカ・リリカ様に感謝を捧げる『エルカ・リリカ感謝祭』があちこちの都市で行われるってわけだよっ」


 説明を聞いて「エルカ・リリカ感謝祭」の詳細が分かると、俺の震えは徐々に収まっていった。なるほど、収穫祭みたいなもんか。「感謝の『エルカさんは出来るッ!』一日一万回!」とかやらされるのかと思ったわ。ちょうど都市にも行ってみたいって思ってた所だし、見物しに行くのもいいかもしれないな。


「あらっ、エルカ・リリカ感謝祭ですって? いいわね、あたしも一度は行ってみたいと思ってたのよ!」

「あれ、マリーって一度もその感謝祭とやらに行った事無いのか? お前の事だから、祭りで唾吐きまくってとっくに出禁でもくらってるもんだと思ったけど」

「妖精汁だって何度言わすんじゃ! 残念なことに、これまでは結界が邪魔で一度も祭りに参加出来なかったのよねぇ。でも今はヨウカンを食べたおかげで入れるはずよ! とうとう時代があたしに追いついたみたいね! ぶひゃひゃひゃひゃ!」

「お前、魔物のくせに神様の祭りに参加する気満々かよ……」


 俺は高笑いし始めたマリーを冷ややかに見つめる。ムツメがここの結界と各都市の結界は似てるって言ってたし、確かに結界内に入れそうではあるけど、こんな小汚い魔物を連れ込んじゃっていいんだろうか……俺が責任取らされて処刑でもされたらたまったもんじゃないが。


 どうしたもんかな……と頭を悩ませていると、京四郎が布団から抜け出て俺の足元へと近寄って来たので、「うん? どうした京四郎?」と声をかけた。すると京四郎は俺をじっと見つめ、


「かんしゃさい、いきたい」


 と、ぽつりと呟いた。


「おお、そうか! 京四郎もお祭りに興味があるか! それじゃ、マリーにはこの家の警備を任せて、俺達はセツカに最寄りの街へ案内してもらうか!」

「おいゴルァ! 何が警備じゃ! あたしも連れていかんかい!」

「いやだって、お前なんか街に連れて行ったら絶対に面倒な事をしでかすだろ? その巻き添えで、俺や京四郎が街の住民に石投げられたり唾吐かれたりするハメになったらどう責任を取ってくれるわけ?」

「あらやだ、ちょっと忘れたの? あたしは壮麗で秀麗な翼を携えた超妖精王神マリー様よ? 面倒事を起こしたとしても、この翼で空に逃げればいいじゃない!」

「おめーだけ逃げても意味ねえだろうがッ! 面倒な事態を起こすなと言っとるんじゃ!」


 俺とマリーが再び熾烈な争いを始める中、セツカは「それじゃ私も準備してくるね~」と言い残し、俺達を放置して外へと出て行ったのだった。




 小一時間ほどして準備を終えた俺達は、ログハウスの前で整列していた。準備とは言っても、俺とマリーと京四郎は着の身着のままの状態なので、実際に準備に時間をかけていたのはセツカだけだった。セツカは家の前に置かれた巨大な手荷物の中から普通サイズのリュックを取り出し、その中に詰めていく物を選別するのに少々時間がかかったのだ。


「よしっ、これで必要な物は全部入ったかな」


 セツカがリュックの重みを確かめるように、軽くぴょんと跳ねた。それから俺達の方へ向き直り「それじゃ、そろそろ出発する?」と尋ねてきたが、俺はうろうろと歩きながら、「う~ん、そうだな……」と曖昧な返事をした。


「あんた、さっきから何をうじうじ考えてるわけ? そんな風にぐるぐる歩き回られると鬱陶しいんですけど。あたしの巣ならどっしりと構えてなさいな!」

「いやさ、枕を持っていこうかどうしようかずっと悩んでるんだよ……街へ行くとなると泊まりだろ? 枕が変わると寝付きが悪くってな……そもそも宿に枕があるのかも分からんし……でも枕ってかさばるしな……」


 ぶつぶつ呟きながら悩んでいると、マリーは呆れたように「小さい男ねぇ」とぼやき、セツカも「枕?」と小首を傾げた。


「シンタロー、そんなくだらない事悩んでたの? 寝付けるか心配なら、私に任せてよ! 殴道宗に伝わる良い技があるよ!」

「うん、『殴道宗に伝わる』って時点でお察しだけど一応聞いておこうか。技ってどんなの?」

「こう、首の後ろ辺りを『ドカンッ!』って……」

「そこは『トンッ』じゃないの!? それ絶対俺の首がモゲるだろが!」


 俺はセツカのろくでもない提案を一蹴し、枕は諦める事にした。セツカのリュックもぱんぱんだし、枕抱えて街中歩き回るのも変だしな……まぁ、なんとかなると願おう。


「あっ、そうだ、留守中にムツメとかが来た時のために書置きでも残しておくか。紙だのペンだのは無いから……土壁でも錬成してそこに文字書きつけておくか」


 両手をついて「錬成っ」と唱えると、たちまち土の壁がログハウスのそばに出来上がった。セツカあたりに文字を書きつけてもらおうかと思ったが、ふと思い付きで、日本語で壁に文字を彫ってみることにした。


「セツカ、俺達がこれから行く街の名前ってなんていうんだ?」

「『エルンスト・エルカリア』だよー」

「『エルンスト・エルカリア』だな。よし、錬成……っと。なぁ、お前ら、これってなんて書いてあるか読めるか?」


 振り返りながら尋ねると、セツカとマリーが「エルンスト・エルカリア」と答え、少ししてから京四郎も「えるんすと、えるかりあ」と呟いた。おおっ、俺が書いた文字にも翻訳機能が働いてるみたいだな。エルカさん様様だ。


「うっし、それじゃ今度こそ準備完了だな。案内は任せたぞ、セツカ」

「バッチリ任せてよっ! それじゃピーちゃん、しばしの別れだよ……私がいなくて寂しいだろうけど、良い子で待っててねっ!」


 セツカが少し離れた所にいるピーちゃんのそばに寄って、抱きつきながら声をかけると、ピーちゃんが「ピィィ~……」と寂しげな鳴き声を漏らした。留守中の餌とか水とか全く用意してないけど、まぁ一時はあんなに逞しかったんだから多分平気だろう。枯れたら枯れたで別に構わないしな。セツカに言うと腹パンされそうだから絶対に口には出さないが。


「そういや、ここからそのエルンスト・エルカリアまでの移動時間はどのくらいなんだ?」

「う~ん……私とシンタロウの足なら、少し飛ばして半日って感じかな……。よし、それじゃ、いざ出発っ!」

「あっ、おい!」


 セツカはそう言うや否や、地面を強く蹴り、一目散に駆け出し始めた。「少し飛ばして」どころか普通に走ってるように見えるんですが!?


 置いてけぼりの形となった俺は、慌ててマリーを胸ポケットに押し込み、京四郎を背負って、「おい待てっ! 置いて行かれたら道に迷うだろうがッ!」とセツカに怒鳴りながら急いでセツカの背中を追いかけていった。

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