第三章

3-1

 アオジタと黒沼は吸血鬼だ。

 高原台のお屋敷の警備担当で、この時間、ふたりは詰所で談笑していた。

 かれらは不死であり、もうずいぶんとこの世に存在し、雑談をしてきた。話題がなくなりそうなものだが、そうにはなっていない。話さなければならない、とアオジタは考えている。現代の吸血鬼は哲学的な存在だからだ。無理にでも話をするべきなのだ。

 アオジタは、背が低い。華奢な身体つきの美少年風、顔が小さくて、顎のラインがシャープだ。目は三白眼で、いつも誰かに嫌な印象を与えている。

 黒沼のほうは身長が二メートルに近い偉丈夫。全身に筋肉をつけていながら、太っているようには見えない。顎が角張っていて、眉が太かった。

 ふたりは、最近のテレビ番組について話し、気候について話し、月夜市に分布するモンスターの現状について話した。真実や、真理や、結論について興味はなかった。ただ話を続けることがアオジタにとって重要だった。

 舌を動かして喋ることが、ではない。思慮・思考することが大事なのだ。『我思う、ゆえに我あり』、これである。それしか、吸血鬼という存在に意義はない。

 そもそも、人間を襲って血を吸えないのだ。現代に生きる吸血鬼の掟で、厳重に禁止されている。生き血をどうしているのかといえば、伯爵の養豚場から届く豚の血を、買って飲んでいる。処女の首筋に牙をたてられない現代の吸血鬼は、己の意義に悩む。哲学的にならざるを得ない。

 吸血鬼は普通の食事も楽しめる。たくさん食べれば満腹感を得られるし、酒を飲めば気持ちいい酩酊感を味わえる。しかしその後には、憂鬱な排泄が待っている。吸血鬼がトイレで出すのは、臭気だけは一丁前の、排泄物を擬したなにかだ。悪くすると咀嚼した食べ物がそのまま出てくる。おしっこも、いい加減な代物だ。牛乳を飲んだりすると白く濁った尿が出たりする。

 満腹感も嘘なら、酩酊だって幻だ。本物ではない。身体のためになる栄養など、なにひとつ吸収できやしない。

 セックスの問題、というのもある。人間だった時の繁殖に対する執着がまだ残っているのか、吸血鬼の男性は、いい女を見るとペニスが充血する。性交すれば快感があり、絶頂に逹っすれば精液を噴射する。だがその精液で、女が生命を結晶させることだけは、決っしてない。精液に見せかけているだけの、単なる粘液だ。偽物なのである。自分、というものが宿るなにもかもが、嘘の固まりで出来ている。

 吸血鬼は人間の形をたもっているにすぎない、まごうかたなき死者なのだ。

 ならば、脳髄はどうだろう。

 この思考は、感情はなんだろう。これも嘘か。幻なのか。死者の夢なのか。

 そういう疑問に逢着するとき、現代の吸血鬼は哲学的ならざるを得ないのだ、とアオジタは思う。この思考だけが、今、信じられるものの全てである。

 そんなわけで、アオジタは黒沼を相手に雑談を続けた。話題は、日本列島、最強の生物はなに、というものに移った。

「海は?」

 黒沼はいった。

「海はナシだ。動物に国境はないからね。日本列島最強、を考察しよう」

「海なら、シャチなんだがな」

「海のことは後で考えよう。日本列島最強を今は決めたい」

「アメリカ海兵隊は?」

 アオジタはちょっと考えて、いった。「いや、武器はナシにしよう」

「じゃあ、スズメバチだな」

「そんなわけない。馬鹿か、きみは。そんなわけないだろ。どうしてそうなる? スズメバチって」アオジタは人差し指と親指を、五センチほど離して見せる。「こんなもんだぞ。踏みつぶしたら終わりだ。最強はクマに決まってるだろ」

「スズメバチは、クマを追い払う」

「追い払うとか関係ない。どっちが強いか、だ」

「クマさんは蜂蜜が欲しいから、蜂の巣を襲う。だが蜂さんは、クマさんを刺して追い払う。クマさんは目的を逹っせられなかったことになる。蜂さんの勝ちだ」

「勝ってない。クマは逃げただけで、負けてない。だいたいそれ、蜜蜂じゃないか」

 アオジタは例を挙げることにした。

犬目組いぬめぐみの深沢さん、覚えてるかい?」

「行方不明の?」

「そう。伝説の深沢さんだよ」

「人狼どもに消されたって話だがな。警察と通じてたって」

 狼男だけで構成されている宵町の暴力団組織「犬目組」には、武勇伝がある。十五年ほど前、破門された人間のヤクザが二十名ほど集まって、横浜あたりにギャング集団を作ったことがあったらしい。組から追放されたヤクザというのは惨めなもので、贅沢が身についてるから、カタギの地味さには耐えられない。正業についた経験がないから、生活能力を持たない。破れかぶれになって、凶悪犯罪に走りやすい。そんなのが二十人も集まれば、なにを仕出かすかわからない。

 某広域暴力団から、壊滅せよとの命が下った。

 名乗りをあげたのが犬目組で、なんと、たった三人で二十人全員を消してしまった。一晩である。殺した、というより、消した、というほうがふさわしい。まさしく血の一滴、骨の一片も残さずに消しさってしまった。人狼の筋力は人間よりはるかに強いが、一晩二十人はあまりにむごい。死体を消した、というのも冴えている。死体がない以上、警察も動けないのだ。犬目組の武名は、この件でずいぶん上がった。結果、犬目組は宵町のほぼ全域を「シマを借りる」という形で手中におさめた。

 ヤクザの死体がどこへ消えたのかは、おしょうばんにあずかった人狼たちの胃袋にでも聞くしかない。ともかく。

 その英雄的な三人のうちの一人が深沢さんだ。二、三年ほど前から姿を見せなくなっている。

「警察に情報提供してたのがバレて、密殺されたって噂もあるけどね」アオジタはいった。「ぼくは別の噂も耳にしている。北海道でエゾシカが増えすぎたっていうニュース、知ってるだろ?」

「聞いたことあるな」

「犬目組の連中がそれを聞いて、ツアーを企画したんだ。鹿狩りツアー。わざわざ満月の夜を選んでさ。狼に変身して北海道の原野を駆けめぐり、思う存分に鹿を食べようっていう」

「面白そうだな」

「なかなか面白かったらしい。深沢さんもそのツアーに参加して、機嫌よくエゾシカを狩って、野生を満足させていたらしいんだが、運が悪かった。深沢さんは森で、ヒグマに出くわした。一撃だったらしいよ。ヒグマの一撃で、あの深沢さんがボロボロになったって」

「本当か? 誰に聞いた?」

「クラブの女だ。そういう噂があるらしい」

「深沢は死んだのか。ヒグマにやられて」

「ともかく、ぼくがいいたいのは──」

 電話の内線ブザーが鳴ったのは、そのタイミングだった。

 黒沼が電話に出た。「警備室。はい。はい。……ええ、はい。……了解しました」

 黒沼は壁の時計に目をやってから、受話器を置く。

「面白い話があるぞ。ヤモリがしくじったらしい」

「本当か……いや、クマの話がまだ途中なんだ。聞いて欲しい」

「いいとも」

「黒沼、ヒグマに勝てると思う?」

「勝てると思う。しかし、深沢の話が本当なら、苦戦するかもしれん」

「ぼくらは、ヒグマを恐れるべきだ。誰もヒグマのことに注意を向けていない。いまに、悲惨な事故が起きるぞ」

「埼玉にヒグマはいないだろ」

「しかし、日本列島にはいる。ぼくはこの件、伯爵に上申しようかと思ってる。高原台のすべての吸血鬼に注意喚起すべく、伯爵から声明を出して欲しい」

「埼玉にヒグマはいないけど、日本列島にヒグマはいる。埼玉も日本列島だから、みなさん、ヒグマに注意しましょう、って、伯爵がいうのか?」黒沼は首を振って、席を立った。「草上さんのところへいってくる」

 詰所から出ていった黒沼は、十分ほどで戻ってきた。手に角二型の封筒をたずさえている。中身は分厚い。

「あざみ野寧々ねねって知ってるか?」

「ああ。牝狼の不良だろ?」アオジタは答える。

「その牝狼が、眠り男をとっ捕まえたらしい。あのヤモリが取り逃したんだ。今からいって、この封筒と引き換えに、眠り男をもらいうける」

「それ、中身は金かい?」

「懸賞金さ」

 アオジタと黒沼は準備を整えて、屋敷を出た。

 まだ午後一時だ。

 中世暗黒期の東欧ではどうだったか知らないが、現代日本の吸血鬼は、ある程度、日差しに耐えられる。肌を隠して日陰に入れば、真夏だって外に出られる。曙光だけは、季節に関係なく目に入ると視力を奪われるものの、時間がたてば回復する。だがもちろん、完全に日光を克服したわけではない。裸で砂漠にでも放り出されれば、すぐに灰になってしまうだろう。

 二人はサングラスをかけて、ベントレーの黒いセダンに向かった。

 アオジタは助手席に乗りこむ。と、ズボンのポケットに振動を感じた。携帯を取り出し、発信者を確認してから電話に出た。

「ヤモリ女か、無様にしくじったな」

『もう草上さんから聞いてるんだな?』ヤモリ女はめずらしく早口だった。『おまえらが賞金を渡しにいくのか?』

「今出るところだ」

『アオジタ、その役目、わたしらに任せろ』

 アオジタは短い嘲笑で答えた。

『まだキナ臭いんだ。なんかあるぜ』

「ほう、なにがある?」

『情報提供者が姿を消した。だいたい、わたしらは朝から眠り男を追ってるんだ。わたしらに始末をつけさせろよ』

「残念だな。おまえじゃつとまらなかった。もうお屋敷に帰ってこい。おとなしくしてろ。じゃあな」

 アオジタは通話を終わらせた。

「なんだって?」

「役目を代われ、とさ。ごちゃごちゃいってた。いこう」

 運転席の黒沼が、車を発進させながらいった。「ヤモリの野郎、たまらねぇ」

「彼女、調子に乗ってたからな。いつかこんな失敗をすると思ってたよ」

「そうじゃねぇ。あの尻だよ。すけべな女だぜ、あれは。そういう顔だ」

「彼女のフェラ、知ってるかい? 凄いらしいよ」

「ああ。舌の先が二股に分かれてるんだろ。それで、男の気持ちいいところを挟みこむんだ」

「ヤモリ女はそれで出世したんだ。能力じゃない。単にフェラで出世しただけなんだ。フェラ女に改名すべきだ」アオジタは窓を開けた。「今度の件、ぼくは問題にすべきだと思う。伯爵に上申するつもりだ」

「フェラ女に改名させろって、伯爵にいうのか?」

「違う。悪魔を取り逃がしたんだぞ。大問題だ。しかるべき処分が必要じゃないか。それに、きみは、ヒグマの話も誤解してる」

「またヒグマか」

「ぼくが問題にしたいのは高原台の気の緩みだ。吸血鬼は強い。吸血鬼は死なない。そういった慢心が惰気だきを生む。日本にはまだ吸血鬼より恐しい敵がいる、と伯爵が発表すれば、みなの気も引き締まるんだ。ヒグマのことを知っていれば、ヤモリ女だって、こんな失敗しなかったはずだ」

「ヤモリのやつが降格したら、高原台の女の子に制服着用を義務づけよう。フーターズみたいなやつを」

「悪くないな。しかし、ヒグマの声明のほうが先だ」

 伯爵のお屋敷は、高台にある。道は下りで、曲がりくねっている。木が生い茂っていて、見通しがよくない。その上、道幅が狭い。

 とあるカーブを曲がった瞬間、黒沼がブレーキを踏んだ。

 進行方向に、バンが斜めに止まって、道をふさいでいる。

 アオジタは、ほんの二、三秒、不心得者ふこころえものがあり得ない車の止め方をしている、という可能性を考慮してしまった。が、すぐに気づいた。これはマズい。黒沼を見てそのことを伝えようとしたら、向こうも何かいいたそうだった。引き返せ! そういえれば良かったのだろうが、咄嗟とっさのことでアオジタは言葉が出せなかった。黒沼がなにかいうのを待ってしまった。黒沼が、顔を動かした。サングラスの奥の目が、アオジタの背後を見ていると感じた。

 振り返ると、茂みが音を立てて震え、体長二メートルほどのヒグマが飛び出てきた。肩の筋肉を波打たせ、大きな胴を揺すぶって、鈍重そうなのに恐ろしい速度で突進してくる。

「クマだ!」

 叫ぶのと、ヒグマの衝突でベントレーが傾くのが同時だった。衝突音とともに、アオジタの身体は運転席側に投げ出された。いや、ヒグマじゃない。アオジタは頭の中で訂正した。月輪熊つきのわぐまだ。なぜなら、ここは埼玉だからだ。

「クマじゃねぇよ」

 黒沼がいう。アオジタは黒沼に抱えられていた。

「クマだ! クマだ!」

「違う。よく見ろ!」

 クマは、皮手袋をつけた毛むくじゃらの腕を窓から突っこんで、助手席のダッシュボードにある小物入れを開こうとしている。どうやら懸賞金を探しているようだが、クマだけに知能が低い。こういう場合はドアロックを外してドアを全開にしたほうがいい。

 アオジタは急に気づいて叫んだ。「こいつ、クマじゃない!」

 こいつは、ゴリラのマスクを被った単なる巨漢だ。雰囲気からして人間じゃない。顔を隠したモンスターで、これは……。

「くそ、襲撃だ」

 アオジタはゴリラ野郎の手首を蹴った。ゴリラによってグローボックスから取り出された、札束入りの封筒が、車の床に落ちた。銃声がしたのはその時だ。アオジタと黒沼は首をすくめた。二発目が轟かない。

「タイヤを撃ちやがった。ヤモリだ!」

 黒沼が、ドアを開けて外に出る。

 アオジタも素早く動いた。機先を制されたとはいえ、状況さえわかれば、どうということはない。助手席から降りようとするアオジタの襟首を掴もうと、ゴリラの腕が伸びてくる。アオジタは拳を固めて肘を引きながら、巨漢のふところに飛びこんだ。顎に打撃を叩きこむ。

 アオジタの打撃は弱くないはずだが、ゴリラに効いた様子がない。しかし目的は逹した。ゴリラのマスクがずれた。ゴリラがマスクを直す間に、アオジタは距離をとった。

 距離が出来れば料理のしようがある。アオジタは技持ちだ。両手を上着のポケットに入れ、ボーラ、という捕具をそれぞれの手に取った。

 日本においては分銅と呼ばれている。細いロープの先端に錘のついた、隠し武器だ。アオジタのボーラは、ロープの先が三つ叉に分かれていて、それぞれに金属球がついている。ロープの長さもさまざまだ。アオジタは右手の短いボーラを回転させて、ゴリラの顔に投げつける。

 蜘蛛の巣のように広がった三つ叉のボーラを、ゴリラは手で払いのけようとした。が、三つの錘は相対した者の予想を裏切る軌道を描く。ボーラはゴリラの腕に絡みついた。その隙に、アオジタの左手で風切り音を鳴らしていた長いボーラが放たれた。丈の長いボーラはカウボーイの投げ縄のように使える。狙いは敵の足、三つの錘は初め遅く、回転とともに早くなりながらゴリラの足に巻きついた。あとは引っぱってやればおしまいだ。ゴリラは尻もちをついた。

 体重差のある相手なので、じたばたされると、こっちの体勢が崩される。仕上げにもう一本、首に巻いておこうとアオジタは思った。

 その時、唐突に、見えない何かが顔に衝突した。風船の割れるような音が響く。

 熱のない爆発で、アオジタは吹っ飛ばされた。

 さすがに向かっ腹が立った。これを喰らったのは昨日に続き、二度目だ。相手を探すまでもない。ゴリラの巨漢のすぐそばに、緑色のマスクをつけた女の子が立っている。スターウォーズのヨーダのマスクだ。たずさえた杖の先をこっちへ向けていた。昨日、発煙筒を転がしてお屋敷のカーペットを駄目にした魔女である。

 はっとして、ゴリラの巨漢を見た。

 クマでもなければ、ゴリラでもなかったのだ。

 こいつのマスク、チューバッカだ!

 くそっ、と思い、黒沼のほうを見た。黒沼は両手を股間にあてて、うずくまっている。金的をやられたらしい。「ヤモリ、てめぇ、どうなるかわからんぞ」

 チューバッカは、身体に巻きついたボーラを軽々と引きちぎり、むしりとった。のろのろと立ち上がって、車のドアを開けて、封筒を拾い上げる。

「やめておけ」アオジタは、ヨーダマスクの魔女に目を移した。「ヤモリ女にそそのかされたんだろ? 伯爵は甘くないよ?」

「ヤモリ、てめぇ! 覚えてやがれ!」黒沼はまだわめいている。「マイクロビキニ着せて土下座させるぞ!」

「彼は本気だよ」アオジタはマスクの少女を諭す。「きみだって、スク水で土下座させられる」

「ヤモリ、糞が! ムダ毛の処理しとけよ、こら!」

 少女はたじろいだように見えた。今だ、と思い立ち上がろうとしたが、魔女が杖を構え直したので、ふたたび地面に座った。

 巨漢と少女は目配せしあって、ともにバンのほうへ駆け出した。光学迷彩で姿を消したヤモリ女も乗りこんだのだろう。バンは急発進で市の中心部方面へいってしまった。

 終わってみれば、あっという間の出来事だった。


 挨拶の時、ゴローちゃんはもそもそと口ごもるだけだった。

 けれど事を終えたら、急に喋りはじめた。

「良かったよぉ」

 車はトヨタのバン、姫里ひさとは後部座席にいる。脱いだマスクは、二枚とも隣の座席に重ねてある。その下にのぞくのは、大金の入った封筒だ。

 バンは、アスファルトの継ぎ目を越えて国道に出た。

「姫里ちゃん、やるねぇ。助かっちゃったよぉ」

 ハンドルを握る巨漢の男──後家蜘蛛ごけぐも一族に籍を置く「鬼」と、ヤモリ女から聞いた──は、メロメロに崩れた達磨だるまみたいな顔になっていた。

「あの、違いますよ。わたしなにもしてませんから」

 姫里は自分の肩を抱いて、自らが犯した大罪をふり返っていた。

「謙遜しちゃうんだもんなー。可愛いんだよなぁ」

 ゴローちゃんの声が大きい。

「いや、関わってない。わたしは関わってない、関わってないことになりませんか?」

「さっすが古森町の魔女。鮮かな手並みだったよぉ」

「姫里」助手席のヤモリ女が険悪な声でいう。「ゴローちゃんに褒めてもらったからって調子に乗るな」

「乗ってないよ!」

「いいか、姫里。ゴローちゃんがお前を評価したのは、お前が魔法を撃ったからだ。それ忘れんなよ。おどおどしてたら承知しねぇところだぞ」

「本気でいってる? それどころじゃないの、わからない?」

 車は国道を西に進んだのち、また山道に入っていった。

 山道の真ん中で、ゴローちゃんは停車した。車を降りて、木々に埋もれたようなゲートを開ける。人目を忍ぶような、高い鉄製の塀があるのだ。

 ゴローちゃんが戻って、車を塀の中にゆっくり進行させた。

 自動車整備工場が、塀のなかにあった。鉄の囲いに囲まれた、整備工場である。門構えからして怪しかったので、姫里にもこの場所の目的が予想できた。

 盗難車を預かって整備し、海外の中古市場へ出荷する場所に違いない。テレビで見たことある。ヤード、とか呼ばれているはずだ。

 モンスターたちが良からぬことをしているのは、なんとなく察していた。

 こんな近くに日常の裂け目があって、まさか自分が関わることまでは予想していなかったけれど。

 ゲートを閉めて、ゴローちゃんはトタン屋根の車庫に車を入れた。

「姫里、封筒から十万円数えて、ゴローちゃんに渡せ」

 姫里は封筒を開いた。

「サンキューねぇ」とお礼をいったゴローちゃんの頬は、赤々としている。

「あの、ゴローさん、さっきのことは秘密にしましょう。きょう限りで忘れてください、お願いします」

「さっきのことって?」

「武装強盗のことですよ!」

 ゴローちゃんは無邪気にうなずいた。「わかった。約束する。またなんかあったら、仕事しようね。おい、ヤモ。あっちに停めてある車、好きなの持っていってくれていいから。明日中には返せよ? それと、道具はどうする?」

 ヤモリ女は銃の握りをゴローちゃんに向ける。「返すよ。助かったぜ。それでさ、この後、なんかあんの?」

「仕事しなきゃ。悪いな。とっとと着替えないと、親方に怪しまれる」

「ここで着替えろよ。わたしと姫里で、夜のオカズにするから」

 ゴローちゃんは恥ずかしそうに、「ば、馬鹿」といい残し、車を降りた。事務所らしい建物のほうへ歩いていく。

 ヤモリ女は腕組みをして助手席から動かない。

 話しかけようとした時、

「おまえ、ひょっとしてビビってんのか?」

 ヤモリ女がいった。

「わたしの正体、バレたかも」姫里は訴えた。「いや、バレたと思う。だいたい、なんで拳銃なんか、しかも発砲してるし——」

「なんでビビる? きのうは高原台で大暴れしたろ?」

「あれは救出作戦だよ、ぜんぜん違う。さっきのあれは、単なる泥棒だもん。アウトローだよ、なに巻きこんでくれてるわけ?」

 ずっと笑いたそうな表情をしていたヤモリ女がついに笑い出した。

「変な女だよ、お前」

「なに?」

「それでもゴローちゃんのために魔法をぶっ放したのか。まぁ、褒めてやる。ゴローちゃんがめちゃめちゃ喜んでたからな。いいか、姫里。単なる泥棒なんかじゃない、眠り男を確実に捕捉するのに必要だからやった。眠り男さえ捕まえれば、さっきの強盗なんか不問になるから安心しろ」

「でも……犯罪者にはなりたくないよ」

「もうひとつ、教えとく。お前がきのうやったこと、さっきの強盗の百倍もヤバいからな」ヤモリ女はまた笑い声を上げた。「どうかしてるよ、まったく」

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