2-3

 ヤモリ女についていった先は、またもや喫茶店だった。このあたりは宵町よいまちという、月夜市で一番の繁華街だ。飲食店、パチンコ、キャバクラ、ゲーセン、風俗店、どぎつい屋号、大きな看板、蛍光色の立看、道にはみ出すのぼり。日が暮れると色とりどりのネオンが競いあって明滅し、不夜城さながらになる。

 休日で、人通りが多かった。ヤモリ女は知り合いが多いと見えて、二、三人の、人間の男から目礼を受け、うなずき返していた。やがて横道に入り、裏通りへと折れる。ラブホテルの並びの、『東京吉原』という、なに考えてるんだかわからないカフェバーみたいな店があった。

 でかでかとガラスをはめた、こげ茶色の扉を開けて、薄暗い店内に入っていく。

 入るや否や、カウンターの向こうから、お店のママさんらしい中年女性が、「注文は?」と、聞いてくる。

「珈琲ふたつ」ママさんのほうを見ないで、ヤモリ女は店の奥へ真っ直ぐ向かっていった。一番奥の席に、中年の小男が座っている。

「チョコレートちゃん」小男は顔を上げた。

 ヤモリ女は小男と向き合って座り、姫里ひさともその隣に腰かけた。

「待ってたんだ。そっちのハッカ飴ちゃんは? チョコレートちゃんの友達か?」

 耳障りなキンキン声だった。

 固い職業を思わせる、四角い黒縁眼鏡をかけ、頭は白髪まじりの角刈り、ペーズリー柄のシャツのうえに、コーデュロイの茶色いジャケットを羽織っている。

「こいつは古森町の魔女の娘だ」ヤモリ女がいう。「心配いらない。高原台が保証する」

 高原台、というのは伯爵と吸血鬼一味をあらわす符牒ふちょうだろう。

「マシュマロちゃんの?」小森はまばたきした。「こんなに大きな娘さんがいたんだ。そういえばあるな、面影が」

「姫里、こいつは小森。道具屋だ。ニンベンみたいな──ニンベン師って聞いたことあるか?」

「知ってる。部首だよね?」姫里はうなずいた。

「いや、違うけどまぁいい。とにかくいろんな物を調達するやつなんだ」

「なるほど」姫里は小森氏に向きなおった。「はじめまして。ハッカ飴ちゃんってわたしのことですか?」

 相手は目尻を下げて笑った。

 姫里が、初対面の人と会って最初に見分けるのは、その人が人間か、そうではないか、だ。小森氏は人間だった。

 人間はふつう「モンスター」の存在を知らない。モンスターは一見、人間と見分けがつかないのだから、無理もない。人間世界を見渡せば、吸血鬼も魔女も架空の存在として扱わわれている。人間は、人間とモンスターの違いを見分けられないのだ。

 モンスターは違う。怪物たちはみな、ある種の毒気をまとっている。モンスターはそれを感知できる。モンスターは、モンスターによって正体を見抜かれる。人間たちはだませても、仲間の目はごまかせない。

 人間社会がまったくモンスターを認知していないか、といえば、それも違う。

 たとえば警察は、地域に棲息する、人間じゃない者の数を、かなり正確に把握しているという。

 警察以外でも、モンスターの存在を知る人間はいる、と姫里は母親から聞いていた。人間社会からはみ出した者が、よくモンスター社会と接触するそうだ。

 小森もそんな人間なのだろう。モンスターでは手の届かない物を、人間社会から調達し、逆にモンスターにしか持ち得ない物を人間たちに届ける、といったような。

「ハッカ飴ちゃんのお母さんに、いろんなものを用立てたよ。ベラドンナとかエジプト狼の心臓とか、変な注文が多かったな。最近、全然きてくれないけど、どうしてる?」

「マシュマロちゃんのことは、チョコレートちゃんに聞いてください」

 小森は不思議そうにヤモリ女を見る。

「ミサさんは今、事情があって伯爵のところにいるんだ」

「ああ、そうか。眠り男に備えてるのか」少し居心地悪そうに、小森がいう。

「まぁな」

「あいつと会ったのは二十年ぶりだよ」

 小森は腕組みして話した。

「昨日の正午ごろだな。いきなりそこのドアを開けてきやがってさ。一目でわかったよ。あいつは変わらねぇ。二十年前からやってきたみたいだった。ヨレヨレの予備校生みたいな格好でよ。『どうしてた』って聞いたら、『東北でバイトしてた』っていってたな。とにかく携帯と拳銃が欲しいって話なんだよ」

「銃?」

「そう。昨日はそれで帰った。やつがあのドアを閉じるや否や、すぐ高原台に電話したよ。眠り男が月夜市に帰ってきたって教えといた方がいいと思ったわけだ」

「賢明だよ。携帯はどうした?」

「別に。データSIMのスマホをレンタルしたよ」

「GPSは?」

「そんなの切ってるよ。それで今朝だ。九時すぎだったかな。眠り男から電話があった。銃は用意できるって教えてやったよ。『なにするんだ?』って聞いたら、デカいことをする、っていうんだ」

「なんだ? デカいことって」

「『この町で一番悪いやつを殺す』とさ。あいつ、どうかしてるな」

 ヤモリ女は黙りこんだ。不機嫌な顔になっている。

「チョコちゃん、平気だよ」

「もちろん平気だろうさ。野郎は銃なんか手にできない。そうだな」

「チョコちゃんのいう通りだよ。おれだって客は選ぶからね。変なやつに危ないものは売らない」

「弾丸に注文は?」

「ない。弾はおまけしてくれるのか、だけ気にしてた。心配いらないって」

「心配なんかするかよ。だが、高原台に弾をぶちこむ、そんなクソみたいなことをチラっとでも野郎が考えたこと、それは問題だ。どうしてそんな馬鹿なこと思いついちゃったのか、もちろん聞き出したよな?」

「根掘り葉掘り聞けってのか? 逃げられちゃうって。大丈夫だよ、チョコちゃん、あいつ馬鹿だから──」

「まぁいいや。本人に聞けばすむ」

 ヤモリ女は口唇をなめた。ほんの一瞬、異様に長い舌が見えた。姫里は驚きで声も出なかった。ヤモリ女の舌は、先が二又に割れている。

「姫里。これから小森が眠り男に電話する。銃が手に入ったから取りにこいっていうわけだ。わたしとおまえは離れた席で漫画でも読みながら、眠り男を待つ。野郎が現れたら、後はわかるな?」

 姫里はうなずいた。

 ヤモリ女は小森に向き直る。「電話しよう。スピーカーホンにしてくれ。しくじんなよ」

 小森はスマホを操作して、テーブルに置く。スマホの呼出音が二度ほど、虚ろに響いた。

『やぁ。どうしたの?』若い男の声だ。

「よぉ。なにしてる?」小森が明るい声で答える。

『別になにも』

「例の物だけどな」

『用意できた?』

「できた。今からこられるか?」

 だしぬけに、ママさんがやってきた。「はい、珈琲ふたつね」

 乱暴に音を立てて珈琲を置く。

『誰?』

 小森はあたふたという。「カミさんだよ。昨日会っただろ」

『プリンちゃん? 結婚してたの?』

「ああ、まぁな」

『そりゃ、おめでとう。昨日、教えてくれれば良かったのに。お子さんは?』

「そんなのどうでもいいんだよ。とにかく、今からこられるか?」

『いや。それがその……宵町も変わったね』

「なんだよ?」

『違法バカラの店とか、昔はなかったよね。昼間から入れるっていうからさ』

「おい、入ったのか?」

『ちょっと試すつもりでやってみたら、たちまち二十万もってかれちゃった。もう三万四千円しかない。でもね! でもね! 例の物は、とにかく取っておいて欲しいんだ。必ず金を作って取りにいくから』

 姫里とヤモリ女は顔を見合わせる。

 小森は深呼吸した。

「いいか、眠り男。とりあえず、今からうちの店にきてくれ。ちょっと話したほうがいいみたいだ。わかるよな? おれは別に怒ってない。正直よくあることだ。ただ、商品は仕入れちゃったから、まぁ、おまえとちゃんと約束して安心したいんだよ。わかるだろ?」

『よくわかるよ。夕方までにはいくよ』

「すぐにきて欲しいんだ」

『馬鹿だな。すぐは無理だよ。例のさ、やらせてくれる女子高生……』

「女子高生なんかほっとけ! こっちの話はすぐ済むよ」

『怒鳴ることないじゃないか』

 小森はヤモリ女と姫里を見て、首を横に振る。「眠り男、今どこにいる? こっちから出向くよ。話はすぐ終わるから。な?」

『それはいえないな。ぼくはもう暗殺者なんだ』

「宵町にいるんだろ?」

『いえない。どうして聞くの?』

「わかった! わかったよ。思う存分パコパコしてこい。おれは待ってるからな。すぐにパコるのか?」

『時間はまだわからない。とにかくパコったらすぐいくよ。安心して。それと、プリンちゃんと代わってもらえるかな。おめでとうっていいたい』

「いや、ちょっと手が放せないと思う」

『ならいいや。それじゃ』

 電話は切れた。

 小森はしょんぼりして黙るし、ヤモリ女は不機嫌そうに、なにもいわない。

 仕方がないので、姫里が口を切る。「プリンちゃんの珈琲おいしい」

「うちのホットはベトナム珈琲だから」振り返ると、カウンターでママが笑顔を浮かべている。

「予想以上の糞馬鹿だった」ヤモリ女が小森と姫里の顔を見る。「そういうことだな?」

「そうだ。最低野郎だよ」小森氏がすがるように同意する。

「わたしが小馬鹿にされてるのか?」

「そうじゃねぇよ、チョコレートちゃん。眠り男ってのは馬鹿の上に意志が弱くて、とてもじゃないけど、なにかを成し遂げたり出来ないやつなんだ」

「知ってるよ。バカラの店ってのはカラオケの二階にある、あれか?」

「おそらく。支配人は人間だが、ありゃ犬目組の店なんだ。支配人とは面識あるから、眠り男がまたきたら電話するようにいっとくよ」

「パコパコってのはなんの話だ?」

「いや、その、眠り男に紹介したんだよ。キャラメルちゃんの番号を」

「あざみ野寧々ねねのデリヘルか? 余計なことしてくれたな」

「あいつらに客を紹介すると、健気けなげに紹介料を持ってくるんだよ」

「いくら?」

「一人二千円。いつもカスタードちゃんが持ってくる」

「たかだか二千円のために高原台に歯向かうのか? 眠り男のことは誰にも漏らすなって話、聞いてるよな?」

「もちろんだよ、それを聞く前に紹介しちゃったんだよ。野郎が眠り男だなんて一言もいってない。だいたい、おかげで野郎の次の足取りがわかるだろ? あいつは全財産をバカラにぶっこむんじゃなく、性欲を優先させたんだ。次こそは現れる。絶対だ」

「そうあって欲しいもんだな」

「野郎はキャラメルちゃんに、本番できる女を紹介してもらうらしい。キャラメルちゃんたちは今、曲輪くるわ町のビルを根城にしてる。たぶん、犬目組いぬめぐみ主催の不動産詐欺を手伝ってるんだ。ちょっと待ってくれよ。今書くから」

「よし。眠り男の携帯番号は?」

「一緒に書きこんどくよ」

 小森はジャケットから手帳とボールペンを取り出した。

 メモを受けとると、ヤモリ女は勢いよく立ち上がった。

「伯爵が狙われてる件、誰にもいうなよ。伯爵の耳に届いたら、わたしら、シバき倒されるぞ」

「……なんで?」

「不愉快な報告がお嫌いなんだ。問題ない、草上さんに、わたしから伝えとく。姫里、電話する間に会計しとけ。奢らねぇからな」

 また一万円を渡された。会計をすませて、お釣りを自分の財布におさめる。ペラペラだったお財布がたちまち分厚くなってしまった。


 宵町の大通りは、さっきより混雑している。

「こいつを持ってろ」ヤモリ女は、姫里のスマホを返してくれた。「これからボーンズっていう援交グループのリーダーに会いにいく。日焼けしたギャル、っていうかヤンキーだな。人間じゃない、狼女どもだ。気性が荒いから注意しろ」

 ヤモリ女はポケットに両手を突っこんでいて、背中を丸めている。他人を避けるのではなく、かきわけるでもなく、揺れながら町に染みこんでいくような歩き方だった。姫里はその背中を追わなくてはならなかった。

 曲輪町、というのは、宵町と隣りあっている。

 ヤモリ女が、足を止める。小森氏のメモを見たあと、ビルを見上げた。

「このビル?」姫里は訊いた。

「ここの二階だ」

「部屋を借りてるってこと?」

「さぁ。単に占拠してるだけかもな。犬目組ってヤクザいるだろ? 組員は全員、人狼だ。そのヤクザと組んで、なにか得体の知れないことやってんだよ」

「学習塾って書いてあるけど」

「じゃ、このビルだろ。学習塾なら女子高生がうろついてても不自然じゃねぇ」

「日焼けしてる人狼が、学習塾をアジトにしてるの?」

「そりゃなにか。日焼けしたギャルは学習しちゃいけねぇのか? おまえヒトラーか?」

「ヒトラーじゃないよ」

「人を肌の色で差別するなってことだよ。すべての女子高生は塾で学習する権利があるんだ」

「そこは否定してないよ」

「やつら馬鹿だから、学習塾がカモフラージュになると思ってやがんだ」

 ビルのドアが開いた。ガーディガンのポケットに手をつっこんだ女子高生が、肩でガラスのドアを押したのだ。白い太ももが光沢を放っている。学校の鞄をたすきにかけていた。背中を丸めながら、短いスカートをひらめかせて、駅ほうへ歩いていった。

 人間じゃないのもわかった。人狼特有の凶暴性が丸めた背中あたりに漂っている。

 ただ勉強嫌いじゃない。彼女の制服は県立の進学校である。

 姫里は気後れした。祝日なのに制服を着ていた、ということは、家へ帰らずに外泊したのかもしれない。援交グループ、とかいっていた。

「ってか、日焼けしてないじゃん」

「そういや、最近見ないな。黒ギャル。廃れたか。まぁいいや」

 ヤモリ女が、ズボンのポケットに手を突っこんで、左右に目をやり、道を渡りはじめた。気が進まないまま、姫里も後に続いた。

 ガラス扉を開けてビルに入ると、目前に狭い階段があった。壁は、春の曇天みたいな色で、上へ向うにつれて暗くなっていく。

 学習塾のドアは磨りガラスだ。

 ドアを開くと、受付にパーカーを着たギャルがいた。ネイルを塗っていた。顔を上げる。

 白金にブリーチされた髪が適当な感じにアップされていて、サイドの毛先が胸元でくるくるとウェーブしている。

「どうもです」受付嬢は、ヤモリ女を見て小さく頭を下げた。「寧々さんですか?」

 ヤモリ女がうなずいた。

 受付嬢が電話の受話器を取り、ボタンを押す。「ヤモリ女さんと、お連れの人がきたって寧々さんにいってくれる?」

 受話器を置くと、受付嬢はまた自分の爪に集中しはじめた。

「渋谷にさ」ヤモリ女がいう。「おまえみたいなギャル、もういないって知ってる?」

「ここ、埼玉だし」受付の子は顔も上げない。

「黒ギャルはもうやんねーの? おまえらのなかで、この間まで流行ってたろ?」

「わたしの世代じゃないんで」

 廊下の奥から声がした。「自習室だ」

 ヤモリ女が歩き出し、姫里も続く。廊下は、蛍光灯がついていない。冬の放課後を思い出させる暗さだ。軽くウェーブしたセミロングの女の人が、戸口から顔を出している。

「姐御、こっち」顔が引っこむ。

 自習室は学校の教室ほどの広さがある。壁ぎわには仕切りのついた机が並んでいる。中央には大きめのテーブルがあった。

 ウェービーヘアの女の人が、大テーブルの椅子を二つ引く。

 二十歳くらいに見える。眉が細くもなく太くもなく、アイブロウなしでも精悍な感じだった。瞳の色がわずかに明るい。おそらく、カラコンじゃない。控えめなピアスとネックレス、ナチュラルなグロス、白のシンプルなタンクトップに、ダメージ加工のデニム、バンドの人を思わせる、大人の雰囲気があった。

 寧々、というのは、この人に違いない。

「姐御、さぁ」と、ヤモリ女を座らせて、姫里に手まねきする。

「さぁ、座って座って」

 小さく頭を下げて席についた。

 寧々さんらしき人も、溌剌とした動作で、ヤモリ女の斜め前に腰掛ける。

 お盆を持った、背の高い女の人が入ってきた。テーブルに、琥珀色の飲み物が入ったグラスを並べる。腕が真っ白だ。髪はキラキラの金髪ロング。顔はハーフっぽいし、スタイルもいい。トップスは、薄いブルーのビスチェ、お腹ののぞく大胆な丈で、大きめのフロントボタンが可愛い。ボトムはハイウェストのタイトスカート。おそらくこの人も二十歳前後だろう。

 さらに、日焼けした小柄なギャルが入ってきた。乱暴な手つきで菓子皿を置いた。

 髪はピンク。シャギーで飛びはねた、おかっぱという感じ。迷彩柄のパーカー、ジッパーが半分くらい下がっていて、フードの重みで開いた胸元に、黒のキャミソールが見える。ボトムも迷彩のショートパンツだ。顔立ちは綺麗で、他の二人に負けてない。しかしメイクは地味だし、アクセサリーもつけていない、なにしろ真面目くさった顔つきが、本物の戦闘員みたいだ。

 二人は、寧々さんの後ろに立った。

 狼女たちはみな、スニーカーを履いている。金髪ロングの人だけは厚底の可愛いスニーカー、迷彩パーカーと寧々さんは運動靴だ。受付嬢と違い、手の爪は短かく切りそろえている。

 ちなみに、ヤモリ女もスニーカーだし、姫里もそうだ。捕物なんだから、動きやすいほうがいい。

「安い酒でごめん。連絡くれれば用意したのに」寧々さんがいう。「姐御は、はじめましてっしょ。こいつはシロエリ」

 と金髪の人を紹介した。

「はじめましてー。シロエリです」

 シロエリはにっこりした。

「こっちはクロエリ」

「どうも」迷彩パーカーの人が頭を下げた。

「クロエリは、喧嘩強いんだ。姐御、喧嘩の強い女、好きっしょ?」

 ヤモリ女はクロエリを一瞥する。「別に好きじゃねぇよ」

 クロエリの目に、不満そうな色が走った。

「姫里、こいつはあざみ野寧々、ボーンズのリーダーだ」

 姫里が口を開くまえに、寧々が機敏にいった。「あんたのこと知ってる。百合高の生徒だよね。モンスターなのに人間として育てられたって聞いてたけど」

「ええ、まぁ」姫里は口ごもる。

「なんかヤバいね、すごく可愛い。正統派って感じ」

「いや、そんなこと」姫里はちょっと慌てる。

「いや、普通に綺麗っしょ」

「ありがとうございます」姫里は戸惑った。

「寧々、姫里で遊ぶな」ヤモリ女がいう。「通りかかったから寄ったんじゃねぇ。聞きたいことがある」

 あざみ野寧々はかまわず、姫里に手を伸ばしてきた。「あざみ野寧々です。仲良くしてね」

 姫里は握手した。からかわれた、とわかったので、気乗りしない握手になってしまった。

「きのうの今ごろ、若い客から電話きたろ」ヤモリ女が話す。「小森の紹介、っていったかもしれねぇ」

「きたよ。ひでぇ男でさ。姐御の知り合い?」

「顔見知りだな」

「そこのシロエリをやったんだ。うちのナンバーワン、絶対後悔させないはずだったんだけどね。野郎、生でヤラせろってうるせぇんだもん」

 思わずシロエリの顔を見るところだった。

 あんな綺麗な人が、という好奇心が動いたのだ。

「そいつだ。クズ野郎なんだよ」ヤモリ女はシロエリのほうへ身体を向ける。「よぉ、ナンバーワン。どんな奴だった?」

「えーと」シロエリは真面目な顔で顎を引く。「青っぽいタータンチェックのネルシャツ。下は、ヨレヨレのジーンズ、二十三歳から二十七歳くらい? 痩せてて、手足が虫っぽくて、髪はゆるい天パ、モンスターなのは確かだけど、妖怪系?」

「なんていってた?」

「最低でしたよー。ヤラせろって。そればっか。しょうがないから、スペシャルできる女の子紹介するっていったんです。一万で」

「間違いないな」ヤモリ女が姫里を見る。

「うん」姫里はうなずく。なんでかわからないが、ヤモリ女は一応、姫里を立ててくれる。

「姐御、そいつがどうかしたの?」

「そいつの身柄が欲しいんだ」

「なにしたの?」

「ちょいとな」ヤモリ女は、グラスの中身を一気飲みした。「たいしたこっちゃない。野郎は昔、伯爵にずいぶん世話になった。そのくせ、礼もいわずに姿を消しやがった。それが久しぶりに戻ったっていうんで、伯爵が懐かしがってな」

「なるほど」

「スペシャルってのはいくらだ」

「姐御、いらないって。どうぞ自由に持ってって。ボーンズのことをどう思ってるのか知んないけど、うちら、高原台ってあんま嫌いじゃないんだよね。兄貴たちはブーブーいうよ? けど、わたしらが生まれた時はもう、人狼と吸血鬼の戦争なんて終わってたわけだし。もちろん、兄貴たちの群れからは離れないよ? けどね、高原台と敵対してもしょうがないっしょ」

「おい、寧々。おまえ」ヤモリ女は白い歯を見せる。「意外に可愛いところあるじゃねぇか。聞いたか姫里、寧々を見習えよ」

 見習うべきところがさっぱりわからないまま、姫里はうなずいた。

 寧々は顔を輝かせている。

 携帯を取り出して、どこかへ電話した。

「どうも、こんにちは」あざみ野寧々がアニメっぽい萌え声でいった。「昨日の話なんだけど。スペシャルサービスの女の子。準備できた。今どこ?……うん。うん。……今から入れるよ。……ああ、任せて。そう思って二人用意した。一人は日焼けしたセクシー系。もう一人は」

 寧々は姫里をじろじろ見る。

「色白の美少女系かな。好きなほう選んでよ。ただし、ヘルプの子なんでチェンジはなしにして欲しいんだ。なんだったら、二人一緒に遊んでやって。……問題ないよ。……うん。うん。……わかった。痛いのなしで、言葉でねちねちイジめて欲しいと。もう入ったの? 早いね。いや、別にいいけど。ラモード。三〇四ね。十分くらいでいくから。じゃ、おうかがいしまーす」

 寧々は電話を切った。「そこのスイングっていうホテルまで呼びよせようと思ったんだけど、なんか興奮して部屋を決めちゃったみたい。ごめんね、姐御」

「どうして?」ヤモリ女の機嫌はすっかり直ったらしい。「あやまることなんかねぇ、助かったよ。姫里、いこう」

 椅子をキシませてヤモリ女が立つ。姫里もあわてて続いた。

「ヤモリ女さん」迷彩服のクロエリが声を出した。「今度、遊んでくださいよ」

「おう」

 部屋を出ようとする時、あざみ野寧々が近寄ってきた。姫里の肩に腕を回し、抱き寄せるように、首筋に顔をうずめた。

 驚いて声も出なかった。

星谷姫里ほしやひさとさん、またね」

 寧々が笑いを浮かべている。

 この人、体臭を嗅いだのだ、と姫里は直感した。人狼は嗅覚が鋭い。人間や、他のモンスターの何倍も鼻がきく。人狼にとって匂いは、情報の宝庫らしい。

 姫里は不快感を覚えた。

 怒りを表情には出さず、強い力であざみ野寧々に抱きつき、姫里はハグを返してやった。セクハラ返しだ。

「こちらこそよろしくお願いします。あざみ野先輩」

 きょとんとしている三匹の牝狼を尻目に、自習室を出る。

 背後から爆笑する声が届いた。

 姫里に出来る精一杯の仕返し、のつもりだった。

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