第3話

 叔父が戦争から帰って来なかった事に身内を失った悲しみは多少感じていたが、それでも、曇り空の中でがらんどうの棺桶を埋めるのに立ち会った日も、一人でピアノの練習をした時も、家族写真の額が床に落ちて割れてしまった時でさえ、隣に誰もいない事が寂しいと感じることはなかった。


 …いつだって私は一人で全ての事ができればどんなに肩の荷が降りるだろうと考えていた。ピアノ、刺繍、読書、ダンス、教わられれば学んだし例えそれが周りから良い目では見られないとわかっていても経済や政治の事を誰にも見つからない暗い部屋で調べるようにしていた。

 無知な令嬢を装いつつ、尚且つ下手な事は口走らず、下品な言動は慎みつつ、かつ物怖じしない凛とした人間である為に沢山の事を学んだ。それを実現させるに足りるだけの能力と環境があったから。

 ──品性と才覚を持ち合わせた人間にはそれに相応しい居場所が与えられる筈なのだ。…ただし、火事や戦争の後の様子を見るに運には恵まれていなかったようだが……

 だからこそ、ああ贅沢がしたい、もっと満たされたい、これが欲しいという欲を満たす為だけに私は生きていた。暗くなった部屋の中で、オレンジ色の火の灯りを頼りにいつまでも机にしがみついていた。豪華な明かりの中で贅沢な食事と自身に畏敬の目を向ける者達に囲まれて優雅に過ごす日を夢見ていた。


 少なくとも勝手に家を飛び出して浮浪者に成り果てたどこぞの男や叔父のような薬物中毒者になるわけにはいかない、『あの街』に残る程私は落ちぶれてはいない筈だ。私は歴史に取り残されるのではなく、取り残す側である筈だった!

 …"人生をどこで間違えた?"それがわからない以上進もうにも進めないのだ。治った筈の傷に精神と身体を縛られ、寝たきりになってしまうような弱い人間ではなかった筈なのに、私の身体にはいつまでも幻影の炎が焼き付いて離れない。

 しかし、それが事実だというならせめて動けるようにならなければいけなかった、悲劇のヒロインなどにはなってたまるものか。私は一人で進めるんだ。その為に『クロエ』を棄てることになっても。


 傷などなかったと。思い込むだけの狂気が今の私にはたしかに存在している。


 …私は本来ここにはいない筈の人間だ。なら否定しよう、正しい私を、演じる前の私の人生を、より良い道に進む為に今この時の私を否定しよう。

 そうやってずっと目を逸らしていれば、いつかこの傷の痛みも引いて、街の外に歩いていけるのかもしれない。ただ私一人で。今度はクロエの名前ではなく、私の悲劇を捨てて、いつかこの街の外へ。ここにいる事は、間違いなんだ。


「今を受け入れられない人間が、過去の傷を受け止められるわけがなかったんだ。クロエ」

 そんな、誰かの声が聞こえたような気がした。






「クロエ〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢」

「叔父さま、そのあまりにもうざったい顔をやめてください」

「ア"ア"ーーーー(悲鳴)!!!!でも最近クロエが…クロエが俺と一緒に出かけようとしないじゃないか…なんでそんな事を…まさか家で男と……?」

「あのねえ、叔父さまが私にベタベタしてるせいで街の人が遠慮して叔父さまに話しかけなくなってるのよ!あの目を見た?ものすごく生暖かい目でこっちを見ていたのよ?!私もうすぐ16になるんだけど!!結婚の時期なんだけど!!!」

「親離れじゃないか!!!いや、叔父離れ…そ、そんな…そうかあ…俺の為に気を使ってくれてるのか…」

「毎回連れてくのが駄目ってだけなの、たまには街の見回りくらい一人で行ってきてよ」

「わ、わかった……」

「全く……ちゃんとに姪離れしてよ、叔父さま」

「…………鏡を抱えて歩くのは、結構骨が折れるからなあ…」

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