第7話


「というわけで、元D組のキミたちに事情聴取へ来ましたよ」

「委員長の? 恋人? ……委員長の?」


 残り少ない昼休み。あまり遠くへ行くのも何だろうということで、甲本と引田は隣の二年A組へと足を運んだ。

 今年六月からの転校生である引田は、よそのクラスの生徒とはあまり交友関係を持てていない(先ほどの醜態を見て以降、引田の脳内交友図から河野の名前は削除されている)。

 とはいえ隣のクラスであるA組とは体育の時間が一緒なので、まったく知らないクラスへ行くよりは気が楽だった。


「……いたの? そんなやつ」


 甲本が話を聞きに行ったのは、吹奏楽部の貴重な男子生徒。トランペット担当の吹上である。

 が、吹上はトランペットを吹くときよりもずっと小難しそうな顔で考え込むだけだった。


「なんか、そういう話聞いたことないか? 付き合ってた相手……がいないなら、委員長はこいつのことが好きだった、とかそういうやつ。なんでもいい」

「なんでもったって……ええ? 委員長だろ……」


 吹上とは去年からの付き合いらしい甲本は、ずいぶんと気安く話す。一方の引田はそれほど仲良くもない相手なので口数が少なくなるのだが――少ないなりに、観察していることはあった。


「……っていうか、吹上くんも委員長のこと委員長って呼ぶんだ?」

「は?」


 ただし、ぽつりと発したその内容はきちんと整理されていなかったので、甲本にずいぶんと気安く「は?」と返されることになったのだが。


「えーっと……委員長、じゃなくて、大和さんって、今はB組の生徒じゃん。で、吹上くんは今A組。A組はA組で委員長いるのに、今でも大和さんのことを委員長って呼んでる、っていう」


 言われた吹上もきょとんとした表情を浮かべていたので、慌てて補足を入れたところ。


「まあ、あの人去年も委員長やってたから」吹上はあっさりとそう答えた。

「はーん。去年もやってたのか」

「っていうか、たぶん今もそうだろ? なんていうか……ザ・委員長! って感じの人じゃん、あの人」

「それは言えてる」


 うまいこと言うなと忍び笑いを漏らしながら甲本が手を打つ横で、引田のほうは押し黙ったまま、何事か考えこんでいる。

 そんな引田を置いて、吹上は言葉を続けた。


「だから、っていうかなんというか……あんまり恋人とかいそうなイメージないんだよな。髪とか眼鏡とかちゃんとしたら美人そうだなとは思ってたけど」

「なるほどわかった。実はひそかに狙ってたみたいなアレだろ?」

「それ河野。俺じゃない」


 なるほど、アレも去年D組だったわけか――

 という気づきが引田の中で生まれたが、思考に不必要なノイズとして処理された。


「まあ、そういうわけだから。たぶん彼氏とかいないと思うぞ俺は。あの人めっちゃ真面目だし。なんつーの、そういう男慣れしてる感じではない」

「……ほんっとさあ、何? そういうとこ夢見がちなの、なんなの? 男子って」


 ――不意に挟まれたこの台詞は、誰の発言か? 

 引田でもなければ甲本でもない。もちろん吹上などでもない。

 吹上の隣の席に座っていた女子――同じく吹奏楽部、同じくトランペット担当。ポニーテールと鋭い目つきが特徴的な、竹宮であった。


「あー、そーいや竹宮さんもD組だったっけ」

「そーですよー。話聞いてたらねー、うちの吹上がどー……もお花畑っぽいこと言ってるみたいだからー、ちょーっとばかり忠告してあげなきゃなーって思っちゃってぇー」


 わざとらしく語尾を伸ばした喋り方に、吹上が片眉を吊り上げる。


「んだよ、おまえ知ってんのか? 委員長に恋人いたとかいなかったとか」

「そーいう話じゃないんだよなー。ほーんと、女子ばっかの吹奏楽部で一年やってきて、なーんでまだわかんないのかなー」


 食ってかかる吹上をむしろ煽り返すこの態度。

 甲本は舌を出して肩をすくめ、引田も思わず一歩下がる。

 勝てないタイプの女子だ、という二人の判断は正しい。実際、吹上の勢いはだいぶ削がれた。


「……じゃ、どういう話なんだよ?」

「男慣れしてなさそー、とか。彼氏はいないと思うー、とか。真面目な人ー、清楚な人ー、俺がー、守ってー、あげないとー! とか。そーいうのは、全部ダマされてます。って話」


 トランペット――ではなく、メガホン。

 両手をメガホンのようにして、叫ぶような真似をしながら言う姿勢。

 煽られている。とても煽られている。


「なんっ、であんな露骨なのに引っかかるかな。ああいうのに限って裏では普通に男遊びしまくってるってわかりそうなもんでしょ?」

「え、そうなの」

「いや知らないけど、簡単に信用すんなって話」


 ほとんど素で出た「え、そうなの」、それを秒で切り返す竹宮。この時点でもう吹上は竹宮に勝てないのがわかる。甲本はさりげなく二人から距離を取り、引田は流れ弾を喰らわぬよう黙っていることに決めた。


「たしかに真面目だったけどさ、真面目すぎるでしょ。あれが内申点狙いだってことくらい見てわかりなさい」


 もはや会話は説教・講釈のフェーズへと移行、吹上はともかく甲本もそろそろ何を聞きにここへ来たのか目的を忘れかかっている。


「だいたいさー、髪の毛真っ黒で三つ編みで、それで黒縁メガネって。どう見ても狙ってるでしょ。露骨すぎ」

「狙うって、何を」

「男受け」


 示し合わせたわけでもないのに、男三人はそこで見つめ合った。


(……三つ編みって男受けいいのか?)

(わかんないです)

(俺はそこまで好きじゃない)


 あまりに素早い意見交換、男三人トライアングルをあきれ顔で見つめ――

 竹宮は〝講義〟を続行する。


「だから、そういうのじゃなくて……。実際男受けいいかどうかはあんまり関係ないのよ」

「とは?」


 先を促す吹上は完全に受講生と化している。


「いかにも真面目で清楚な委員長、ってキャラで売ってる女子が黒の三つ編みで黒縁眼鏡してたら、ああこの娘は本当に清楚な委員長なんだな、男なんて知らないんだろうな、って思っちゃうでしょアンタみたいにさ。そーいうのを狙ってるってこと」

「……委員長もそうだったってことか?」

「決まってるでしょ。D組の女子みんな言ってたよ、露骨すぎるって」

「マジで!?」

「いやみんなはさすがに盛ったけど、あたしだけじゃなかったのはたしか。ぶっちゃけいい子ちゃんすぎて嫌われてたからね、あの子」

「おわー……全然知らなかった……」

「だからさあ、男で吹奏楽部入ったんならこーいう”裏”の黒さくらい骨身に染みて知ってなきゃおかしいでしょって話なんだけど……」


 完全に尻に敷かれてしまった吹上を横目で眺めつつ、引田と甲本はアイコンタクトを交わす。

 二人から数歩離れて、小声で話し合った。


「……どう思うよ?」

「なんとも言えない。少なくとも、普段F組で見てた委員長はそんなふうには見えなかったから。……でも……」

「……童貞の観察眼は信用なんねえって言われちまったからなあ……」


 目を伏せる甲本、気まずく笑う引田。

 なるほど吹上もそうなのか、という気づきが生まれるがノイズとして処理する。


「眼鏡はずして、髪の毛染めて……本性現した、ってことか?」

「本性。……本性。あれが本当の姿ってこと?」

「……どっちが本物かっつったら、そりゃ今のが本物ってことになるんじゃねえの」


 真面目で清楚な黒髪モード、派手で遊んでる赤髪モード。どちらかが本性かと言われたら、たしかに後者を選びたくなる――清楚な人間が派手を装うより、派手な人間が清楚を装うほうが想像しやすいからだ。

 思考をめぐらす引田の耳に、吹上と竹宮の会話が飛び込んでくる。


「……だからね、あんなのに釣られてるうちはダメ。どうせ学校の外じゃ普通にカラコンとか入れてたりするのよ。っていうか下手したら眼鏡が伊達かもしんない」

「いくらなんでも伊達はないだろ……」

「どうだか。そのくらいの”演出”は普通にするやついるからね。とにかく、清楚な眼鏡委員長を信じるのは河野みたいなオタクだけでいいってこと」

「……安心したまえ。俺は既に真実にたどり着いている……すでに気づいている、あの女の裏切りに!」

「うわっ河野!? あんたどっから出てきて――」


 竹宮の悲鳴に被って聞こえる、昼休み終了のチャイム。

 結局何の確証を得ることもなく二人は教室へ戻り――

 五時間目開始のチャイムが鳴っても、委員長は教室に帰ってこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る