第5話
まずは、同じ図書委員に話を聞いてみることにするか――
などと考えていた二人の当ては、ゾンビの手によって外れることとなった。
「聞いてくれよぉ……聞いてくれよぉ甲本ぉ……」
「ああわかった。わかったから気持ち悪い暑苦しい離れろ死ねぇ!」
「引田くぅぅぅぅん……」
「……なんなの、これ?」
「知らねえよ……」
まるでゾンビのごとく甲本にへばりつき、ウザがった甲本に蹴り飛ばされると次は引田にすがりついて泣く――細い黒縁のメガネを大粒の涙で曇らせたこの男子の名は、河野。
河野は隣のC組の生徒で、引田・甲本とも親交があった。そのため図書室を訪れた二人は、図書委員に話を聞くよりもまず、机に座って本を読んでいた河野に軽く挨拶をしたのだが。
その直後、河野は滝のような涙をだばだばと流し始め、ドン引きする二人を強引に図書室の外へと押し出し、押し出し、押し出して――最終的に中庭まで来ると、その場にへたりこんでむせび泣いた。
「おいこら、河野。なんだおまえ」
「なんだってさあ、なんだってさあ! 大和ちゃんだよ! 委員長だよ! あの眼鏡の委員長! B組の!」
うずくまり、声を上げて泣きながら、アスファルトの地面を拳で叩く河野。
醜悪極まりない光景だったが、河野は大和の名を口にした。引田と甲本が顔を見合わせる。
「あの、河野くん。えーっと、委員長になんかあったの?」
「なんかって……おまえら、同じクラスだろ!?」
「同じクラスだけど、俺らもぶっちゃけ状況わかってねえんだ。なんか知ってたら教えろ」
引田の胸倉につかみかかる勢いで叫びだした河野を押さえ、甲本は話を促した。
それで冷静になったのだろうか、河野は一度眼鏡をはずして涙をぬぐうと、今までよりもいくらか落ち着いたトーンで言う。
「……俺が大和ちゃんのこと好きだったのは、知ってるよな」
「いや、知らない……」
「『だった』?」
突っ込みどころは各々違うが、河野が食いついたのは甲本のほうだった。
「ああ……もう好きじゃない。俺は裏切られたんだ」
はずした眼鏡を改めてかけ直すと、河野の瞳にはどす黒い光が宿る。
その据わった目の色と、裏切りという言葉の不穏さに――引田も、甲本も、身を固くする。
「……俺が眼鏡っ子萌えなのは、知ってるよな」
「知らないけど……それで?」
「その眼鏡っ子が委員長ポジションにいたりするとさらに萌えるのは、知ってるよな」
「おまえがオタクってことは知ってるけど細かい好みまでは知らん。で?」
ふるふると身体を震わせていた河野は、そこで拳を握りしめた。
「好みドストライクだったんだよ……去年から、ずっと……。三次元にあんな完璧な委員長がいるなんて思ってなかった……だから毎日図書室に通ってた……なのに……なのに、一週間前……」
震える拳を、怒りとともに、天高く突き上げ――河野は、絶叫する。
「あの委員長は……眼鏡を外して、コンタクトに浮気しやがったんだ! これが眼鏡スキーへの裏切りでなくて何だというんだよぉぉぉぉ!!」
しばらくの間沈黙があった。
河野は拳を振り上げたまま静止し、引田はひきつった半笑いを浮かべて腕を組んでおり、甲本は話の途中から脳内でひとり五目並べをプレイしていた。
「クソみてえな話にしかならねー気がしてきた」
「俺もそんな気してるけど、まあちょっと待って。一週間前って言った?」
引田のほうが理性的だったというべきか、我慢強かったというべきか。とにかく引田のほうにはまだ話を聞く意思があったので、かろうじて会話は途切れずに済んだ。
「今日の話じゃなくて、一週間前?」
「ああ……。先週の土曜、俺が漫画の新刊を買うために本屋へ行った、その帰り道のことだ。ばったり会ったんだよ、大和ちゃんと。……だが俺は一瞬、それが愛しの……いや、かつて愛した大和京子だと、気づくことができなかった」
『愛しの』『かつて愛した』のあたりで甲本が盛大に眉をしかめるが、構わずに河野は続ける。
「三つ編みを解いていたのもそうだが、何よりも大きな理由が……あの女が、眼鏡をかけていなかったからだ!」
『あの女が』のところで甲本が「救いようがねえな……」とぼやいたのは別に相槌ではなかったはずだが、河野はさらにヒートアップした。
「だから俺は慌てて駆け寄って聞いた。こんにちは大和さん奇遇ですね、今日は眼鏡じゃないんですか、と。するとあの女、こう答えた!」
「あ、話しかけに行ったんだ……いらない行動力を……」
ついに引田までが突っ込みに回ったが、もはや止まるはずもない。
――うん、今日はちょっと、コンタクトにしてみた。
いやー、コンタクトって怖いからさ、なかなか入れる気になれなかったんだけど。
やってみると、なんてことないね。
「なんだよ、何が『眼鏡はずすと思ったより美少女』だよ……はずした姿が本当の姿みたいな言い方しやがってえ……委員長っつったら、眼鏡だろうがよおおおおお!!」
「そうかあ?」
「っていうか、めちゃくちゃ身勝手な話してない?」
もはや引田さえも聞く気をなくしていたが、幸いにも河野の話はそこで一区切りがついたようだった。
「つーわけで、あれは間違いなく彼氏ができた。そうに違いない。きっと下ネタに赤面しちゃうくらいの清楚系委員長だとばかり思ってたのに……裏切りだ……」
「クソみてえな話だった」
「だって、他になにがある!? 今まで地味で目立たない女子だった委員長がここに来て急にイメチェンだぞ!? しかも聞いたぞ、今日は眼鏡はずしたどころか髪まで染めてきたんだろ!? 男以外に何があるんだよ!?」
「うん、とりあえず間違ってもそれ本人の前では言わないようにしようね」
深刻な精神汚染を感じた二人は、取れるだけの情報を取ったと判断するとすぐにその場を離れた。が、河野の勝手な慟哭は昼休みが終わるまで続いたそうである。
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